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2019年2月28日 (木)

くじけない後醍醐天皇その2/討幕の発火点になった船上山

今日は2月28日。

  

今年の2月最終日。もう1本書きたい。

  

2011年2月2日放映の

歴史秘話ヒストリア 折れない、負けない、くじけない

~風雲!後醍醐天皇がゆく~」より。

  

隠岐に流された後醍醐天皇が、隠岐を脱出したところから。

 

ナレーター:船に乗った後醍醐天皇は、数日で伯耆の国、

  今の鳥取県西部の沿岸に到着しました。

  そこで天皇を迎えたのが、地元の武士

  名和長年でした。

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  名和長年も楠木正成と同様、幕府北条氏の支配に

  苦しんでいたと思われる地方の武士の頭領です。

  後醍醐天皇をかくまった名和長年。

  そこに幕府の軍勢3000余りが攻め寄せます。

  名和軍はおよそ20分の1の150人ほど。

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  とても勝てそうにありません。

  しかし、名和長年たちは、まさかの戦いぶりを示します。

  後醍醐天皇と名和軍が陣取ったのは、

  ここ船上山(せんじょうさん)という山でした。

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  険しい崖がそそり立つ船上山は、まさに難攻不落の要害。

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  名和長年たちは、勝手知ったるこの山の険しさを武器に、

  幕府の大群に抵抗し続けました。

  船上山では今も、名和軍の戦いぶりをうかがうことができます。

  

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松岡さん:こういう石をですね、投げて、戦ったというふうに

  聞いてますけどね。

  春の山焼きでですね、この草原を焼いた後にですね、

  やはりこういう石がたくさんありますんで、

  戦いの名残り(があります)。

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 (こうやって幕府を)撃退したと言い伝えられています。

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ナレーター:こうして名和軍が頑強に抵抗を続けているうちに、

  突然流れが変わります。

  天皇を守る軍勢が、幕府相手に善戦している。

  これを知った近隣の武士たちが、次々に味方に駆け付けたと

  言われます。

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  その変化は、わずか二月で全国に波及。

  幕府の有力な武将足利尊氏が天皇方に加わり、京の都を攻略。

  幕府に不満をもつ武士たちは続々と寝返り、

  鎌倉の北条氏をいっきに滅ぼしてしまったのです。

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ラスト4枚の写真で表現されている、

船上山から討幕の動きが波及する様子は

とてもわかりやすかったです。

  

波及の様子をもう少し詳しく調べてみました。

船上山での挙兵は1333年閏2月28日。(参考:Wikipedia

足利尊氏が鎌倉幕府を裏切って、京を攻めたのが同年5月7日。

(参考:今日は何の日?徒然日記

新田義貞に攻められて北条高時が自刃。鎌倉幕府が滅亡したのが

同年5月22日。(参考:鎌倉手帳

 

参考にしたサイトがバラバラなので、正確ではないかもしれませんが、

およそはわかると思います。

今日(2月28日)、船上山で挙兵したら、

5月には鎌倉幕府が滅亡したのです。

今とは交通機関、通信手段が未発達な時代としては、

異例のスピードで討幕の動きは広がったと予想されます。

 

  

討幕の発火点になった船上山。

登ってみたいなあ。

そして戦いの名残の石を見てみたい。

※参考:むきぱんだ 後醍醐天皇の足跡をたどれ! 名和~船上山 太平記ウオーク

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