2018年9月23日 (日)

田沢湖に玉川の水はどこから流入しているのか

今日は9月23日。

  

内容は前投稿の続きです。

田沢湖に玉川の水を導入している水路がどうなっているのだろう?

気になったので調べました。

  

このサイトが参考になりました。

廃線リポート 玉川森林鉄道  その3

  

廃線を探索していた方が、

玉川から分岐して田沢湖に導水している水門に

遭遇していました。

Photo_4

Photo_5  

この水門がある場所を、地図で探しました。

見つけました。

Yahoo!地図で示します。

Photo_6

玉川の水は導入口より取り入れられ、

地下を流れて田沢湖へは「流入口」から流れ込みます。

「流入口」より「流出口」の方がよかったかな?

  

Yahoo!地図の「写真」で「玉川流入口」付近のアップ。

Photo_7

青い矢印で示したようにして、玉川の水は導水路に導かれます。

 

今度は「流入口」付近ののアップ。

Photo_8  

何と、ちょうど玉川の水が勢いよく

田沢湖の流入いている最中でした。

 

次はグーグルアースで迫ります。

ストリートビュー 玉川導入口付近

Photo_9  

中央の遠くに見えるのが、「廃線レポート」の写真にある

水門と思われます。

次は、「流入口」付近をストリートビューで迫ります。

ストリートビュー 流入口付近

Photo_10  

この時には流れ出ていませんでした。

  

「廃線レポート」さんのおかげで、

玉川の水を導入している水路が判明しました。

感謝。

自宅に居ながら、このようなことができる

インターネットのおかげでもあります。

  

最後に玉川温泉の「大噴(おおぶけ)」を

動画で。


YouTube: 玉川温泉「大噴」

 

 

なぜ「毒水」が田沢湖に導入されたのか?なぜ今でも導入が止まらないのか?

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)より引用します。

  

田沢湖の湖水酸性化によって、クニマスは絶滅します。

酸性化には戦前の水力発電所建設という国策が関係します。

引用します。

  

水力発電所を建設する計画とは、

国力を強化する目的で、田沢湖を発電および灌漑のための

ダム湖にするというもの。

そして、田沢湖から流出する湖水をまかなうため、

玉川の水を引き込むというものでした。

(47p) 

  

この「玉川」が問題でした。

  

玉川は全長が103キロで、雄物川の支流としては

最長の川で水量はあるものの、玉川温泉か非常に強い

酸性の水が流れこんでいます。その源は玉川温泉の

「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口で、98度の温泉が

毎分8トン以上も噴き出していました。

この玉川の「毒水」が田沢湖に導水されたら、

一体どうなるのでしょうか。湖がどのように変化するかは、

だれでも容易に想像できることでした。

この計画には、漁師だけではなく、地域の人たちだれもが

憤慨せずにはいられませんでした。

 

久兵衛の父の正善さんと祖父の金治郎さんは、

丸木舟の修理をしながら、息をひそめて話をしています。

「新しいダムを造るとなれば、かなりの費用が必要になるし、

何年もかかる。だから、田沢湖が目をつけられたわけだ・・・・。」

「電力会社は、田沢湖には60本もの沢の水が流れこんでいて,

 『毒水』が十分に薄められるから問題はねえと考えているらしい。」

「でも、それをだれが保証できる?『毒水』の毒は

徐々にたまっていくはずだし、魚はいずれ死に絶えてしまうんでねえが。」

「これは、国を挙げての計画だ。国に逆らって反対の声を上げれば、

国賊とか非国民とか言われ、どんな処分を受けるかしれねえ。

家族も親族も巻きこんで、大変な迷惑をかけることになってしまう。」

「大きい声では言えねえが、田沢湖に『毒水』を入れるなんてことは、

断じて許されねえことだ。でも、今は何もかもが戦争のため、

お国のためだと言われる。どうすればいいんだべ・・・・。」

「お国のためか ・・・・。」

どこにも怒りのぶつけようがなく、ふたりの心は深く沈んでいきました。

  

日本は戦時体制のもと、総力を結集しなければならない時期。

戦車や軍艦、鉄砲や弾丸などを作るためには,

大量の電気が必要とされていました。

(中略)

国も県も、田沢湖の地元の人々が反対し嘆き悲しんでいることを

知りながら、いっさい取り合ってくれませんでした。

当時は、田沢湖の自然よりも、そこに生きる魚類の命よりも、

国力の強化が何よりも優先されている時代だったのです。

(中略)

しかも、1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争は、

長くなることが予想され、また、その翌年に「国家総動員法」が

導入されたことにより、政府の統制はさらに厳しくなりました。

そんな中、玉川水系を利用した電源開発は計画通り進められることになり、

生保内(おぼない)発電所と神大(じんだい)発電所の工事が

次々に始まりました。

(48~51p) 

  

  

今だったら、

玉川の水が田沢湖に入る可能性はなかったでしょう。

戦争前、戦争中だったから行われたことだと、

この文章で思いました。

  

玉川の水を田沢湖へ導く水路が気になります。

現在もなぜか玉川の水は流入しているそうです。

なぜ?

 

田沢湖の南に広がる仙北平野穀倉地帯は、

玉川の水を田沢湖で薄めて農業用水として利用

することで栄え、「米どころ」の秋田を支えてきました。

けれども予想以上の速さで湖の水が酸性になったため、

湖から魚が姿を消したばかりか、

周辺の土壌も酸性化してしまい、稲の病気が発生したり、

米の収穫が減少したりしました。

(139p) 

   

ここにまだ玉川の水の田沢湖への流入を止めることができない

理由があるように思えます。

やはり酸性の玉川の水を薄める効果が

期待されているのでしょうか。

 

 

1989年(平成元年)10月に「玉川酸性水中和処理施設」が

完成し、1991年4月から本格運転が始まっています。

石灰石を毎日約40トンを使って、酸性水を中和する施設です。

この施設のおかげで田沢湖のpHは改善はされているようですが、

しかし、現在も田沢湖はクニマスが住むには、

向いていない状態だそうです。

 

田沢湖を玉川の「毒水」が引き込まれる前の姿に

よみがえららせようと、住民団体の

「田沢湖に生命(いのち)を育む会」が結成されたのは、

2002年(平成14年)1月のことでした。

(中略)

当時、石灰石を使った中和処理により、

湖のpHは少しずつ改善しているものの、

石灰成分が湖に沈殿したり、

湖の透明度を低くしたりする

恐れがあるのではないかとの声がありました。

そのため、会員たちは、田沢湖を元に戻すには、

酸性水の源である玉川からの導水をただちに止め、

何十年、何百年かかろうとも、自然の力で

湖が復活するのを見守るのが最良の方法ではないかと

提言をしたのです。

(141p)

 

  

「田沢湖に生命を育む会」の提言する玉川からの

導水停止は、依然、実現していません。

問題を解決するのは容易ではないということを、

会員たちは深く受け止め、

解決の道を模索し続けています。

「クニマスが生きていることがわかった今が、

田沢湖の環境を見つめ直す、言わば最後の機会と

言えるのではないか。」

「今こそ、田沢湖の復活を真剣に呼びかけていかなければ・・・。」

西湖で70年ぶりにクニマスが発見されたことは、

会員たちの田沢湖再生への思いをより強いものにする

できごとでした。

(143p)

 

  

クニマスのこと、田沢湖の水質だけを考えたら、

玉川からの導水ストップは可能でしょう。

でも何か事情があるのでしょう。

この本から感じたのは、米作りの灌漑に今も

利用しているので、止められないと推測します。

課題図書だった「クニマスは生きていた!」読破

 今日は9月23日。

  

西湖の畔にあったクニマス展示館に寄ったのがきっかけで、

2冊の本を読みました。

※参考:ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿)

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釣りキチ三平 平成版1 地底湖のキノシリマス

(矢口高雄作/講談社)

 

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クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)

  

「クニマスは生きていた!」は第64回(2018年)

青少年読書感想文全国コンクールの課題図書でした。

ブログにクニマスのことを書いたことで、教えてもらいました。

小学校勤務だと、課題図書がなんであるかは、

目に入りやすかったのですが、中学校勤務になって、

全く疎かったです。

  

この2冊を読んで、クニマスの歴史がだいぶわかってきました。

2010年の西湖でのクニマスの発見が、

たいへんな出来事だったことが、いまさらながらわかってきました。

  

「クニマスは生きていた!」には、「地底湖のキノシリマス」について

書いてあるところがありました。引用します。

  

「釣りキチ三平」は、秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)出身の

漫画家・矢口高雄氏の代表作で、1973年(昭和48年)から

約10年間に渡って「週刊少年マガジン」に連載されました。

 

その連載が終了してから18年後の2000年(平成12年)、

矢口氏の「漫画家生活30周年」を祝うパーティーで、

多くの関係者やファンから「三平君に会いたい」というアンコールを

受けたことから、「平成版・釣りキチ三平」が再始動されることになりました。

(中略)

  

この漫画「地底湖のキノシリマス」が単行本として

出版されたのは2002年(平成14年)でしたが、

実際に西湖でクニマスが発見されたのは、

それから8年後の2010年(平成22年)のこと。

クニマスの卵が別の湖に移植されていたこと、

また、クニマスが人知れず命をつなぎ、

何十年も経ってから発見されたことなどが報道されると、

「釣りキチ三平のドラマが現実になった!」

「まるで今回のことを予見していたようだ」と、

大きな反響を巻き起こしました。

 

メディアの取材に対して、矢口氏は

「クニマスは必ずどこかに生きていると思っていた。

その願いを託して漫画にしたのだが、思い通りになって、

うれしい限り。田沢湖への里帰りを早く実現させてほしい」と

語っていました。

(114p)

  

 

  

西湖でのクニマス発見の8年前というのがいいなあ。

ドラマチックです。

その「地底湖のキノシリマス」にも登場していた三浦久兵衛さんの

ことも、「クニマスは生きていた!」で詳しく書かれていました。

「最後のクニマス漁師」と呼ばれている人でした。

西湖にクニマスの卵を送ったという証拠も、

久兵衛さんが持っていました。

本栖湖と西湖の漁業組合から田沢湖のふ化場に届いたはがきとか、

卵10万粒が西湖へ送られた時の荷物受領証です。

この資料があって、田沢湖と西湖が正式につながったのです。

久兵衛さんが、代々クニマス漁をしてきた三浦家に保管されてきた

資料を探したことで、発見されたものです。

地味ですが、こういう活動が大事なのだと思います。

  

久兵衛さんは西湖とか本栖湖などの湖に出向き、

クニマスがいないか探したそうです。

 

「湖を殺した」「魚を殺した」という後ろめたい歴史を

背負いながら、資料を繰り返し読んでいた久兵衛さんは、

古い文献を調べれば調べるほど、クニマスに

生きていて欲しいという思いが募りました。

(71~72p)

  

では、久兵衛さんは、西湖でのクニマス発見(2010年)を

知ることができたのか・・・・

  

2006年(平成18年)5月20日、心臓の病気が原因で、

84歳で静かに息を引き取りました。

クニマス漁師として働いたのは、ごくわずかの年数でしたが、

クニマスに関わり続けた人生でした。

(89p)

  

 

残念です。

でもきっと将来まで、クニマスの歴史に欠かせない人として、

語り継がれることでしょう。

でも不思議です。

2010年の大発見に関わったはずのさかなクンが、

この本にも登場しません。

マスコミは取り上げましたが、

それ以外の研究者はあえて名前を書かないのかな?

避けているのかな?

2018年9月21日 (金)

定礎箱を開封/旧東海銀行本店ビル

今日は9月21日。

  

少し前のニュースで、

気になっていたものをここに書き留めておきたいです。 

定礎箱の話でした。

 

名古屋市にある旧東海銀行本店ビルは、

1961年完成の建物でした。

私の生まれた年です。

老朽化のために取り壊され、新しいビルが建つそうです。

(1961年に建った建物は老朽化なのですね)

(まあそうでしょうね)

解体が始まった9月13日、定礎板が外されて、

そこに保管されていた銅製の定礎箱が取り出されました。

1960年8月に準備されたもので、

当時の朝日新聞を含む新聞各紙や硬貨、

旧東海銀の貸借対照表など計6種の品が収められていました。

※参考:朝日新聞DIGITAL 58年前の決算書や新聞発見 旧東海銀本店ビル解体

 

Photo_2 朝日新聞DIGITAL

 

定礎については、以前調べました。

検索してみました。ここです↓

ここでも道草 「定礎」とは?(2013年8月14日投稿)

自分で書いた記事ですが、忘れていました。

いいことが書いてあります。

「礎石」を置く習慣から生まれた言葉だったのですね。

このニュースのおかげで、再確認しました。

「やばい」の意味は「警察につかまりそうで危険だ」だけだった

今日は9月21日。

 

前投稿に引き続きメルマガ関連。

毎週日曜日に届くメルマガ「言葉拾い」

※参考:まぐまぐ!「言葉拾い」

8月26日発行の№654より引用します。

  

■ やばい ■

若者の間で日々飛び交っている「やばい」。

ポジティブにもネガティブにも使える、

変幻自裁の「やばい」を取り上げてみました。


「やば」(形容動詞)

法に触れたり危険であったりして、不都合なこと。

江戸時代にも使われていた語です。


「やばい」(形容詞)

危険や不都合な状況が予測されるさま。あぶない。

「やば」の形容詞化。

元は、的屋・泥棒などが警察の手が及ぶ恐れのある時に

使われた隠語です。

  

この冒頭の文章で私は興味津々となりました。

江戸時代に使われていた「やば」(形容動詞)の

形容詞化が「やばい」

その「やば」の意味に驚き。

法に触れるような行為でした。

 

 

若者の間では、

“最高!”“すごくいい”の意にも使われます。

良くないことをいう否定的用法から

良いことをいう肯定的用法にどのように変化したのでしょう。

  

  

ここでメルマガの著者は、

国語辞典の記述の変遷をたどってくれます。

これが面白い。

  

  

<<新明解国語辞典>>

◇初版-1972年

警察につかまりそうで危険だ。

◇3版-1981年

1、警察につかまりそうで危険だ。

2、不結果を招きそうで、まずい。

◇4版-1985年

3班と同じ。

◇7版-2012年

1、違法なことをするなどして、

   警察の手が及ぶ恐れのある状態だ。

2、自分の身に好ましくない結果を招く様子だ。

3、最近の若者の間では、

   一種の感動詞のように使われる傾向がある。


<<岩波国語辞典>>

5版の1994年に初めて「やばい」が登場します。

危険や悪い結果が予測されるさま。

あぶない。まずい。

◇7版-2009年

1、危険や悪い事が起こりそうな形勢だ。あぶない。

2、近年は「すごい」の意味でも使う。


<<広辞苑>>

今年10年ぶりに改訂になった「第7版」で、

若者用法が追加されました。

1、不都合である。危険である。

2、のめり込みそうである。


だいたいの時代感覚がつかめましたでしょうか。

両面で使わるようになって20年くらいと思われます。

最近は、

「やば」「やべえ」「やべ」と短くなっています。

 

 

はい、時代感覚がつかめましたよ。

1972年の辞書には

「警察につかまりそうで危険だ。」しか

載っていなかった言葉だったのですね。

驚きです。

 

さらに著者は面白いことを書いてくれました。

   

  

正反対のことを表現する「やばい」。

気心の知れた仲間同士でないと、混乱をきたしますね。

  

最後に、

「やばい」だけで成り立つヤバイ会話を紹介します。

+ --- + --- +

A「やばい!ここの料理めっちゃやばい!」

B「ほんとだ。ガチでやばい!」

A「あー、もうお腹もやばいわ」

B「オイラ財布やばいからおごりね!」

A「ええ!? ていうか金額やばくね?

   やばい! 金ないし」

+ --- + --- +

A「この猫やばい!」

B「ほんとだ。やばいねー」

A「まじやばい! 連れて帰りたい!」

B「君のアパート、ペットやばいんじゃないの?」

A「やばいけど、この子をこんなやばいところに

   ほっとく方がやばくない?」

B「じゃさー、もらってくれる

  やばいくらいいい人を探そうよ!」

A「よし! 今からやばいいい人を探しにいこう!」

+ --- + --- +

 

まあー、めまぐるしく良い/悪いの意味が変わること。

これだけ使い倒されていると、あきられないでしょうか。

「やばい」の今後が気になります。

   

  

私も気になります。

いいネタを教えてくれて感謝。

 

Dly1703290032f1 産経フォト

2017年3月29日

  

目指す数が固定された「7419」

 今日は9月21日。

  

慌ただし日々。

そう言えば最近、「教育の鉄人」のメルマガを読んでいないと

気がつきました。

調べたところ・・・ビックリ!

7月27日に廃刊!

Photo  

2か月前に何があったんだろう。

「諸事情」とは?

  

このメルマガの発行数が、私の目標でした。

いつかは私のブログの発行数が追いつくぞと思っていました。

でも教育の鉄人の発行数は多く、

少しずつ引き離されていました。

それが突然止まった。

  

7419

  

教育の鉄人に勧められて始まった「ここでも道草」

目指す数が固定されました。

今回が5889本目。

それでも何年かかかります。

引退までには間に合うかな。

 

  

でも思います。

永遠なものはないんだと。

すさまじい発行数を誇ってきた「教育の鉄人」メルマガが

終わってしまうことがあるのですね。

ずっと昔、私のことも書いてもらったことがありました。

何度か、このブログにも文章を引用させてもらいました。

  

2か月近く経ってから廃刊に気づくのは失礼でした。

長い間ありがとうございました。

  

  

う~ん、諸事情って何だ?

2018年9月19日 (水)

今朝はうろこ雲が広がっていました

今日は9月19日。

  

今朝は東の空の朝焼けがきれいでした。

日の出に照らされて、東の空限定でうろこ雲が

赤く光っていました。(写真はなし)

 

東の空限定だったうろこ雲が、

出勤の頃には空の半分以上にまで広がっていました。

勤務校の駐車場で撮った写真です。

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見事なうろこ雲でした。

3年前の冬の投稿を思い出します。

ここでも道草11月16日~12月9日の雲の写真(2015年12月10日投稿) 

ここでも道草 「うろこ雲」「日暈」は天気が崩れる前兆(2015年12月11日投稿)

あの時のうろこ雲は、日本各地で見ることができました。

今回はどうなんだろう?

また数日したら調べてみよう。

 

「うろこ雲」が出ると天気が崩れる。

明日は雨降りのようです。

 

 

ここで解決しておきたいのが、

うろこ雲とひつじ雲の違い。

違いを説明してサイトはいくつかありますが、

このサイトがよかったかな↓

ウェザーニュース うろこ雲とひつじ雲を一発で見分ける方法とは?

  

この図がいい。転載します。

201709140195_box_img0_a  

文章も引用します。

  

うろこ雲は、いわし雲なんて呼ばれ方もしますが、

気象学的には巻積雲(けんせきうん)の一種に分類されます。

秋を代表する雲で、上空の高いところに発生します。

また、巻積雲は雲が薄く、太陽がすけるため陰ができません。

ではひつじ雲はというと、高積雲(こうせきうん)の一種です。

巻積雲と比べると、発生する場所が低く、

雲が厚いため、底に陰があります。

  

  

「底に陰がある」

そうか、そうなると、今朝の雲はうろこ雲ではなくて、

ひつじ雲なのでしょうか?

「うろこ雲が出ると、3日以内に雨」

「ひつじ雲が出ると、翌日が雨」

 

そうなると、やっぱりひつじ雲かな。

  

上記サイトを見ると、簡単に見分ける方法を書いてくれてあります。

参考までに見てください。

 

  

以上です。

通算5888本目の投稿記事。

本当は夏休み中に行きつきたかった本数です。

※参考:ここでも道草 この夏も充電しよう/風鈴の起源/有能な者は行動し、無能な者は・・(2018年7月21日投稿)

19日遅れ。

  

2018年9月18日 (火)

20180901報告その3 膝に手を置いて聴くのがいいのか?

今日は9月18日。

  

今日は再び青木ヶ原樹海に行きます。

8月に3回、富士山方面に行きましたが、

9月も行きます。

次の予定はないので、これがおそらくラストです。

今回は親戚の叔父さんと叔母さんを案内します。

70歳前後の方たちで、ふだん山歩きはしていないので、

無理のない山歩きをしようと思います。

紅葉台まで自動車で登り、展望台から景色を眺め、

その後三湖台までささやかに登山。

そこで8月のように富士山や樹海が拝めたらと思っています。

ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました 離れ難かった三湖台(2018年9月2日投稿)

そして富岳風穴体験。

元気があったら、樹海の中を歩いて鳴沢風穴までの往復。

そんな予定です。

出発もゆっくりです。

  

  

この時間を利用して、9月1日のキミヤーズ塾で学んだことを

やっとここに書き留めておこうと思います。

「20180901報告」シリーズとしては、3本目です。

ここでも道草 20180901報告その1 獨鈷抛山千手寺の参道を自動車で走る(2018年9月10日投稿)

ここでも道草 20180901報告その2 獨鈷抛山千手寺の境内でロケ地チェック(2018年9月11日投稿)

9月1日は京都でいい体験をした日でした。

  

  

キミヤーズ塾はおそらく9回目。

回数が多くなると、何回目だっかなと迷います。

次回は記念すべき10回目。

2月23日に行われます。

 

  

最初に赤木和重先生のお話。

日々の仕事。慌ただしいので、意外に考えていない。

常識・正解と思われているものを疑うことをした方がいい。

自らのやっていることを疑うのがいい。

ふだん何気なくやっていることを疑う。

たとえば、弁当を食べる時に、みんなで一斉に

「いただきます」を言うことは本当に正しいか?

考える。もちろん、楽しく考える。楽しく疑う。

キミヤーズ塾は、「答え」を得る会ではない。

終わった後に、アイデアが湧き出てくる会。

 

※(この報告では、※印は私の感想)

 教師はアイデア勝負でいいのだと教えてくれたのが村上公也先生。

 だからキミヤーズ塾に出かけています。

 まだまだ世間の学校空間に比べると、キミヤーズ塾は異空間。

 その異空間に浸ることで、頭は活性化されて、

 ふだんの仕事で活用できるアイデアが浮かんできていると思います。

 年2回のキミヤーズ塾は、リフレッシュになります。

  

  

 

また裁判がありました。風刺劇は前回に引き続き、

村上先生のやり方をめぐる裁判劇でした。

今回は高等裁判所が舞台。

 

※村上先生の指導について考えるのに、

 裁判で考えるという発想がいい。

 裁判ネタになるほど、村上先生のやり方は、

 世間から見て賛否両論があるからです。

 学習規律の徹底は、村上先生から見たら必要のないこと。

 どんな座り方をしていても構わない。

 机の上に乗っていても構わない。

 世間では、そこまで踏み切れません。

 でも現状を疑うきっかけにはなります。

 教師の話を聴くときに、膝に手を置いて聴くのが本当にいいのか。

 しっかり聴くときは、私の場合は、右手はペンを持ち、

 左手はノートを抑えながら、メモをしながら聴きます。

 聴いたことを漏らさないようにです。

 だから、授業に限っては、子どもたちがそうなったらベストだと思います。

 もちろん、ペンでカチカチ遊び出したら、

 他の人に迷惑なので注意。それは大人も一緒。

 ただ、教師もプレッシャーがかかります。

 メモをするに値するほどの話ができるかどうかです。

 ここは教材研究の質・量が重要になってきます。

 2学期の社会科の授業は、メモをしながら聴くことを

 子どもたちに言いたいです。そのような聴き方ができる

 子どもたちにしたいです。それが将来生きる力になります。

 さらに、メモして聴いたことで疑問があれば、

 その授業中に尋ねることができるようになればさらにいいです。

 その質問に教師が答えます。

 子どもたちの質問力のアップになります。

 質問をするということは、理解できた証拠であるし、

 関心が高まっている証です。

 答えられなかったら、教材研究の質・量を考えなければなりません。

 あるいは、質問した子どもが調べていくきっかけになる可能性もありです。

 この子どもと教師のコミュニケーションは授業で大事です。

 膝に手を置いて聴くことを強調して、

 子どもたちに受け身を強調しすぎると、

 このコミュニケーションは期待できません。

 最近は、授業での子ども同士のコミュニケーションの重要性が

 増しています。

 もちろん重要です。

 同級生が自分と同じことを考えていることを知る体験、

 あるいは同級生でも自分とは違うことに目をつけて、

 別のことを考えている体験は貴重です。

 自分の思いを相手に伝えようと表現する機会としても大事。

 キミヤーズ塾のように、役割を与え「代わり番子」によって、

 自分の存在感を確認できます。

 でも、あらためて授業の基本である子どもたちと教師の

 コミュニケーションにも注目すべきだと思います。

 教材研究で変えることが容易(たやす)いのは、教師の話す内容です。

  

※ほらほら、キミヤーズ塾のいいところがさっそく出ました。

 上記の考えは、キミヤーズ塾の裁判の様子を見ていて浮かんだことが

 きっかけになっています。

 手を膝において聴くことは、教師だって学びの場ではやっていない。

 実際はメモしながら聴いている。これがベストではないのか。

 そう思っていました。

  

  

いかん、もうこんな時間です。

出かける準備をしなくてはいけません。今朝はここまで。

2018年9月17日 (月)

3種の好奇心/「拡散的好奇心」を「知的好奇心」へと移行させる

 今日は9月17日。

  

このサイトと出会いました↓

本は熱いうちに読む 知識こそが、好奇心の源泉「子どもは40000回質問する」(2016年の記事)

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この本からの引用をしつつ、

コメントが書かれています。

  

サイトから引用します。

  

 

子どもは「なぜ」「どうして」が口癖のように

なんでも思うことを聞いてくる。

これが好奇心であり、目新しいものすべてに

惹かれるこの好奇心を「拡散的好奇心」と呼ぶ。

そして、知識と理解を求める意欲へと変化していく好奇心を

「知的好奇心」と呼び、本書はこの知的好奇心がテーマとなっている。

また、知的好奇心の次に注目するのが「共感的好奇心」であり、

他者の考えや感情を知りたいというもの。

ただ、今の社会では拡散的好奇心を刺激するものばかりだそうだ。

  

「好奇心」を3種に分けるのが新鮮です。

「拡散的好奇心」「知的好奇心」「共感的好奇心」

なるほどです。

  

「ツイート、見出し、広告、ブログ、スマートフォンのアプリなど、

どれも満足したかと思うとすぐに物足りなくなり、

私たちは満足を得ることにかつてないほど性急になっている。

人気のテレビ番組や映画などはテンポよく展開し、

私たちの注意を捉えて離さないように入念に工夫されている。

アメリカ映画のワンカットの平均時間は、

1953年には27.9秒だったのが今では約2秒になっている。」

 

編集や撮影技術の進歩によって平均時間が短くなってるのではと思うが、

それでも短くなりすぎです。

  
  
テンポよく展開することが大事になってきた
 
時代だと思います。
 
映画もそうかもしれませんが、授業でもそうです。
 
でもいつかは過剰になる時が来ます。
 
その時にはどんな事態が起こるのでしょう?
   
  
 
すぐ答えを知ることができる世界
  
 

本書ではインターネットによって好奇心が奪われると述べていて、

作家のケヴィン・ドラムは

インターネットは賢い人間をさらに賢くし、

間抜けをさらに間抜けにする」とまで言っています。

好奇心というのは情報の空白があることによって

かき立てられますが、インターネットは瞬時に

この空白を埋めることが可能です。

そして、この行為をミステリーからパズルに変えると表現しています。

 
  
 
インターネットは疑問をすぐに解決できるものだと
 
ずっと思ってきました。
 
そのインターネットの特徴を、
  
ミステリーをパズルに変えたと表現しています。
 
これもなるほどです。
 
今朝も「火が常に灯されている話」を調べて書きましたが、
 
情報の空白が次々に埋まっていきました。
 
すぐに情報のパーツは見つかり、手にできます。
 
そして空白を埋めることができます。
  
確かにパズルですね。
 
  
 
この世界には多くの謎があります。
 
そしてそれらについて知りたいと思い、考えることが大切なんだと。
  
  
 
知りたいと思うのはいいけど、
 
「考えること」が大切。
 
あれこれ想像することが、疑問をミステリーにするのでしょうか。  
 
この点については、イマイチ不明。
 
実際に本を読んでみたいところです。 
 
(すでに図書館に予約はしてあります)
  
  
  
  
  

幼児は、常に好奇心にあふれていて、すべての物事に興味を持っている。

そんなことを思う人がいる。

私もこの本を読むまではそんなことを思っていた。

 

だが、幼児も大人と一緒で、

好奇心旺盛な時とそうでない時があるらしい。

そして、好奇心が旺盛な子とそうでない子の差には、

2つの要因があると心理学者のビガスとグリガが言う。

それは「知能」と「幼児の問いかけに大人がどう応えるか」

 

子どもにとっては、あるテーマについて

思考をめぐらせるのに必要な基本的情報がないかぎり、

気まぐれな好奇心(拡散的好奇心)を持続的な好奇心(知的好奇心)へと

発展させることは難しい。(中略)

好奇心が失われるのは、親や教師から知識を与えられないときだ。

ほんの少しの興味が湧いても、十分な背景知識がなければ

「自分には向いていない」と思い、投げ出してしまう。

知識こそが、好奇心を持続させる力なのである。

   

幼児が「なぜ」「どうして」と聞いてきた時、

つい適当な答えを言ってしまう時がある。

しかし、その反応はよくない。

きちんとした答えや思考へと導いてあげることが

親や教師である大人の役目なのだ。

 

そして知識を蓄えてあげることによって好奇心が刺激され、

様々なことに興味を抱いていく。

知識。これは大人でも同じだろう。

気になったことに対しての知識が全くない場合、

興味を抱くのは難しい。

 

好奇心を持続させる力、それが知識であり、

好奇心を保つために必要なのである。

  

  

「知識こそが、好奇心を持続させる力なのである。」 

そう思います。

子どもたちが本来持っている「拡散的好奇心」をどうやって

「知的好奇心」に移行させるかが、教師の腕の見せどころ。

そのような視点をもらったサイトでした。

  

  

  

ただ、サイトの前半部分と後半部分がつながらない。 

前半でインターネットの弊害などを述べているのですが、

それが後半部分の「知識こそが、好奇心を持続させる力」と

いう説とどうつながるのか。

部分的にハッとさせられつつも、全体的には消化不良。

やっぱり「子どもは40000回質問する」を読んでみよう。

読んでからこのサイトを見たら、もっと理解ができると予想します。

でもこのサイトで「子どもは40000回質問する」が

読みたくなりました。

火が常に灯されている話/延暦寺の「不滅の法灯」

今日は9月17日。

 

前投稿に続いて「火が常に灯されている話」

 

今回は比叡山延暦寺の「不滅の法灯(ふめつのほうとう)」のこと。

 

そのことを扱った番組は、3月13日放映の

京都ぶらり歴史探訪SP 都に輝く偉人たちの物語」(BS朝日)です。

  

「不滅の法灯」に関係する最澄の話を聞き書きします。

  

Rimg0388

ナレーター:伝教大師(でんぎょうだいし)最澄。

  空海とともに唐に渡った日本の天台宗の開祖。

  (中略)

  京都の北東にそびえる比叡山。

  京の人々から長きに渡り信仰を集める聖なる山です。

  その山頂にあるのが、芝翫(しかん)さんが心動かされた

  延暦寺芝翫さん=中村芝翫 番組の案内人)

Rimg0389  

延暦寺を案内してくれる方↓

Rimg0390

延暦寺総務部主事の磯村良定さん。

 

文殊楼という門をくぐると、根本中堂が見えてきます。

Rimg0391  

クレーンが見えます。

現在、根本中堂は改修中。

Rimg0392

改修工事が終わって完成するのが、平成26年3月。

長期間の改修工事です。

  

改修前の根本中堂↓

Rimg0393

Rimg0394

Rimg0395  

ナレーター:門をくぐり、長い階段を下りた先に見えるのが、

  根本中堂(こんぽんちゅうどう)。

  通常のお寺で言う本堂に当たこの建物こそ、

  延暦寺でもっとも大切な場所。

  (中略)

  今から1200年以上前、平安時代の僧侶、

  伝教大師最澄が延暦寺の始まりとなる小さなお堂を建てました。

  それが根本中堂となり、今なお、寺の中心的な役割を果たしているのです。

  (中略)

  (根本中堂の)中には、荘厳な空気が張り詰めています。

Rimg0396  

上の1枚も含めて、今から載せる写真は、

実際に行っても現場で撮ることができないものです。

「撮影禁止」の場所です。

この番組の映像は貴重です。

  

ナレーター:正面にしつらえられた宮殿(くうでん)の中にあるのが、

  延暦寺の本尊。最澄自身が刻んだと伝わる薬師如来は秘仏とされ、

  手を合わせることができるのは、代わりに置かれた前立(まえだち)。

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ナレーター:現在、(秘仏の)御開帳の予定はありません。

  本尊の薬師如来以外にも、最澄の時代から大切に守られ、

  受け継がれてきたものがあると言います。

  それはいったい?

 

磯村さん:薬師様の前に3つの燈籠が並んでありますけど、

  私たちはそれを「不滅の法灯」と呼ばせていただいております。

  伝教大師様がご自身で灯されました灯りだと言われております。

Rimg0400  

ナレーター:最澄が薬師如来を祀った時に灯したという「不滅の法灯」

  それ以来、1200年以上にわたって、その火を絶やさないように

  僧たちが守ってきたんです。

 

磯村さん:非常に大きなお皿の中に油が入っておりまして、

  それに灯芯(とうしん)という芯があります。

  その芯を取り換えて油をつき足すというただそれだけの

  作業なので、誰でも簡単にできるんですけど、

  誰がこれをすると当番が決まっていないんですね。

  ですので、比叡山にいる者は全て、きちんと

  「不滅の法灯」が消えずに伝わっているんかどうか、

  常に気にしないといけないのです。

  だから、昔から延暦寺のお坊さんは、

  「油を断つな」と言うのが、それぞれの心の戒めとして、

  合言葉のようになってたそうで、

  その「油を断つな」というのが、

  「油断」という言葉の語源になっているのではないかと

  言われています。

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以上が、火が常に灯されている「不滅の法灯」の話。

ただこの延暦寺の「不滅の法灯」が一度だけ消えたことがあるそうです。

そのことを書いたサイトがここ↓

多摩湖畔日誌 「不滅の法灯」と「油断大敵」 (2010年の記事)

一部引用します。

  

比叡山の「不滅の法灯(ほうとう)」は、

天台宗を開いた最澄(さいちょう)の時代に始まり、

以来1200年以上にわたって途絶えることなく灯っている。

この「不滅の法灯」は、山形県の通称・山寺「宝珠山・立石寺」に

分灯されていることをご存じだろうか。

そして実際は、比叡山も山寺も戦国時代に一回づつ消えたことがあるが、

分灯していたことが幸いし、引き続き法灯を守り続けている。

油断大敵」の語源は種々あるが、この「不滅の法灯」を消さないように、

毎日、「菜種油」を注ぎ足している僧侶達の緊張感を思うと理解し易い。

光は、ただ漫然と守られている訳ではない。

天台宗を開いた最澄(さいちょう)は、

この法灯に

「明(あき)らけく後(のち)の 仏の御世までも 

光りつたへよ 法のともしび」と詠まれた。

仏教の難しい話は分からないが、

きっと、この光には後の世まで永遠に照らして欲しいとの

願いが込められているのだろう。
しかし、この法灯も一度づつ消えたことがある。 

いずれもだ。

「比叡山」は1571年(元亀2年)、織田信長の叡山焼き討ちで全山が消失。

山寺」は1521年(大永元年)、立石寺が伊達氏に味方したことで、

最上氏の軍勢に攻められ焼失している。

ここでも法灯を守り続けることの難しさと、

万が一に備える大切さ、そして「油断大敵」を教えている。

なお「法灯」は、現在、岩手の中尊寺等数カ所に分灯されている。

一箇所集中は危険であり、リスクの分散は大切なことだ。

 

以上です。

体育祭開会式で同僚の社会科の先生と話したことで、

ささやかな好奇心が湧き、いい道草ができました。

 

次は「好奇心」のことを書きます。

  

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