2019年6月20日 (木)

「収容所から来た遺書」3/「まだ若い、人生は長い」

 

今日は令和元年6月20日。

  

前投稿に引き続き、 

収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)より

引用します。

  

とりわけ山本(幡男)が句会の折に熱をこめてよく語ったのは、

「ぼくたちはみんなで帰国するのです。

その日まで美しい日本語を忘れなようにしたい」

という言葉である。

竹田は、山本のいちばんいいたいことはこれではないかと思った。

(87p)

  

何年もシベリアにいるとこういう思いになるんだと、

ハッとさせられた文章です。  

  

絶望感から自暴自棄になる者が多く、

「白樺派」という言葉がラーゲリ(収容所)の中では

流行った。

ラーゲリでは、死ぬとボロボロの着衣までも剥ぎとられ、

解剖に付されてから埋葬される。

死者を偽って脱走するのを防止するためだといわれた。

そして、「お前たちは生きて帰さない。

白樺の肥やしになるんだ」とソ連側から

脅かされつづけてきたように、

遺体は白樺の根元を掘って埋められた。

その穴も、九月下旬には凍土になるので、

あらかじめ秋以後の死者の数を想定して、

その数だけ七、八月の短い夏の間に掘らされた。

冬に死んだ者を準備されたその穴に投げ込み、

凍土をかけ、春になってから埋葬しなおす。

「白樺派」というのは、帰国もできず

いずれその穴に収まるのは自分だ、

という投げやりな気持を吐露した言葉だった。

「おれは、もうじき白樺派だよ」

「どうせ白樺派になってしまうんだ」

などと自嘲をこめてみんなのあいだを飛びかった。

山本(幡男)はこの「白樺派」という言葉を耳にすると、

きまって野本にいった。

「野本さん、ぼくたちは白樺派になっちゃおしまいだよ。

 かならず帰れる日がくる。

 まだぼくたちは若いし、人生は長いんだよ」

自分よりも八歳も年上の四十二歳の男が、

「まだ若い、人生は長い」というのに、

野本は呆気にとられた。

しかし、もしかしたら山本はこのラーゲリのなかで

いちばん若々しい精神の持ち主かもしれないと思った。

(98~99p)

 

あるとき、山本と自殺の話になった。

「ぼくはね、自殺なんて考えたことありませんよ。

 こんな楽しい世の中なのになんで自分から

 死ななきゃならんのですか。いきておれば、

 かならず楽しいことがたくさんあるよ」

そう山本(幡男)はいうと、下を向いてニッと笑った。

ラーゲリの中にいながら、

「こんな楽しい世の中」という山本は、

普通の人間を測る物指しでは測りきれない、

別の物指しで見なければ理解できない人物だと思った。

そして、山本と話すようになって何か月か経つうちに、

あの「シベリアの青い空」の文章と同じように、

どんなに理不尽であっても絶望することなく、

いまいる状況のなかに喜びも楽しみも見いだし、

しかもそれを他人にまで及ぼしてしまうところに、

山本の精神の強靭さと凄さがある、と野本は理解した。 

(99~100p)

  

句会が終って食堂をでると、

外はつき刺さるような寒さだった。

山本(幡男)の鼻髭が、吐く息でたちまち

凍てついて真白になった。

「山本さん、寒い時だけでも剃ったらどうですか」

と新森がいうと、

「うむ。なにもかもとられたんだから、

 せめて髭ぐらいは残しておかんと」

と山本が答えた。

(105p)

  

つづく

  

山本幡男さんのことが、Wikipediaで説明されていることが判明。

ここです↓

Wikipedia 山本幡男

「収容所から来た遺書」2/「白樺のこやし」

  

今日は令和元年6月20日。

  

私の場合、本は再読しないかもしれませんが、

ブログは再読する可能性が高いです。

再読したい文章は、ここにせっせと書き残します。

 

収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)より

引用します。

「ウラルの首都」と呼ばれるスベルドロフスク市は、

モスクワから1818キロ離れた、ウラル山脈の石炭と

鉄鋼を産する大工業都市である。

帝政ロシア時代には、エカチェリンブルグと呼ばれて栄え、

ロシア革命時に廃された皇帝ニコライ二世一家が幽閉され、

処刑された地としても知られている。

(17p) 

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俘虜(ふりょ)たちがもっとも苦しめられたのは、

作業のノルマだった。

俘虜ひとりあたりの1日のノルマを収容所側が決め、

それを上回った者には、食糧の支給をふやし、

ノルマに達しない者には、それに応じて支給量が減らされた。

しかし、ノルマが厳しいため、それを越える者はいなかった。

1日黒パン200グラムとか、150グラムしか

支給してもらえない者も多く、そのため体力はますます衰え

さらに作業量が減るという悪循環がくり返される。

体力のない者は栄養失調で、夜中にだれにも気づかれず

ひっそりと死んでいった。

死ぬと、体中にまつわりついていたシラミが

いっせいに逃げ出すのですぐにわかった。

(22p)

  

死者は、白樺の木の根元に穴を掘って埋められたので、

「白樺の肥やし」といわれた。

(48p)

  

1949年(昭和24年)の夏、「地獄谷」にいた

山本や新森たち戦犯とされた日本人二十数名は、

ハバロフスク市内にあるソ連邦矯正収容所第六分所へ

移された。

到着したばかりの一行が目にしたのは、

焼け焦げた木材や朽ちかけた空缶の散乱する

ゴミ捨て場のような空き地だった。

第六分所は火事で焼けたままに長いこと

放置されていたのだ。

第六分所が火事に見舞われたのは、

山本がスべルドロフスクの俘虜収容所にいた

1947年12月27日の早朝であった。

第六分所は、戦争中に戦車を生産していた

カガノビッチ工場の寄宿舎を俘虜収容所に急改造したもので、

粗末な木造の平屋建てだった。

修養されていたのは、、ドイツ人2名を含む400名の

日本人俘虜たちで、そのなかには満蒙開拓団から

現地召集をうけた十六、七歳の少年兵も十数名まじっていた。

その朝、北隅の乾燥室から出火すると、

折からの北風に煽(あお)られて一気に燃え広がった。

収容所には出入り口が二か所あったが、

すでに北側の出口は火炎に包まれていた。

収容者たちは南側の出入口へと殺到したが、

そこには数日前に寒風が吹き込むのを防ぐために

観音開きのドアが釘で打ちつけられている。

人びとは狭い入口から飛び出そうと押し合っているうちに

充満した煙にのまれた。

翌朝ドア付近の焼け跡に、122名の死体がイナゴを

積みあげたように折り重なって発見されたという。

(62~63p)

日本から遠く離れた場所での、突然の無残な死。

無念だったはず。 

  

野本は周囲を見回した。(中略)

近くに人のいないのを確かめて、「シベリアの青い空」

という随筆と北溟子(ほくめいし)という筆者名が

目に入った。さほど関心もなかったが、

久しぶりに読む日本語が懐かしかった。

読み進むうちに、ささくれだった心が洗われていくような

心地になっていた。なによりも野本の心をつよく惹いたのは、

シベリアの青空の美しさを讃えている作者の

やわらかな感受性であった。

敗戦から5年間というもの、ラーゲリ(収容所)を転々とする

日々だった野本は、民主運動に痛めつけられて、

肋膜炎で死にかけたこともある。

他人の死は数えきれないほど見てきた。

「死」の痛みにさえ鈍くなっていた。

ましてやシベリアの空が美しいなどと考えもしなかった。

第一、空をしみじみ眺めてみるような心の余裕などがなかった。

不思議な人物もいるものだという驚きとともに、

「そうか、シベリアにも青空があったのか」という、

思いがけないものでも見つけたようなほろ苦い気持が広がった。

読み終えたあと、厳しいラーゲリ生活の中で、

青空に詩的な幻想を馳せるだけの心のゆとりを見せる

山本北溟子(山本幡男)という人物へ、にわかに興味が湧いた。

(77~78p)

  

普請場に燕大きく来りけり 栗仙

  

森田のこの句が山本(幡男)によって選ばれたときには、

「栗仙君のこの句はいいね。作業場にも、

ああもう夏がやってきたなという作者の思いが、

燕大きくによってでてますよ」

シベリアでは、燕(ツバメ)が夏を運んでくる。

長く厳しい冬のあと、一挙に訪れる夏は、

すべてのものが生き生きとしてくる。

燕がまるで「生命」を運んでくる使者のようだった。

ロシア人は溌溂として初々しい娘のことを

ラストチカ(燕)とよんでいた。

(82p) 

  

日本の場合は春に来るツバメ。

シベリアは夏なのですね。

「収容所から来た遺書」1/山本幡男(はたお)

 

今日は令和元年6月20日。

  

また本を完読。

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収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)

 

本を買うと、最後のページに購入日を記入します。

この本の購入日は「1998年11月9日」

購入してから21年ぶり。

この本の初版が出たのが1989年6月25日なので、

発刊されてから30年してやっと読みました。

  

このお話の主人公は、山本幡男さん。

「幡男」は、現在あまり見慣れない名前です。

本文の最初に登場した時には、

「幡男」には読み仮名がついていましたが、

後はなかったので、

何という名前だったかすぐに曖昧になります。

もう一度確認すると「はたお」と読みます。

また読み方は忘れるかもしれませんが、

漢字4字の「山本幡男」は忘れない名前になりそうです。

いやいや忘れてはならない名前だと思います。

  


1945年8月15日の終戦後、

満州にいた日本人はソ連へと連行されました。

その数なんと60万人。

彼らには極寒地での過酷な労働が強いられました。

そのうち7万人がシベリアで

亡くなったと言われています。

それでも多くの人たちが帰国できたのですが、

その中で、捕虜ではなく戦犯という判決を受けた

長期抑留者たちがいました。

最長で11年以上抑留されました。

山本幡男さんもそんな長期抑留者の一人でした。

  

この本では、山本幡男さんのことを中心に、彼らが過ごした

収容所(ラーゲリとよばれる)での日々が淡々と綴られています。

劣悪な衣食住環境の中、

死ぬまで働かされると思いながらの日々でした。

誰もが生きる望みを失うなか、

山本さんだけは決してあきらめませんでした。

俳句会を開いて、俳句を通して日本を思い出し、

いずれ日本に戻ることを信じて、日本語を磨きました。

俳句づくりは、多くの長期抑留者の過酷な生活の癒しになっていきました。

生きて日本に帰国する、あきらめないと宣言していた山本さん。

しかし、それは叶うことなく、

シベリアの地で病死してしまいます。

昭和29年の8月でした。

亡くなる直前、彼が日本の家族に宛てて書いた遺書。

ほかの抑留者たちは、

いったい何年後に帰国できるかわからないけれども、

いつか帰れる日が来たときに必ず、

山本氏の遺族に遺書を届けると誓います。

シベリアからは紙一枚持ち出すことも許されません。

帰国の日が来たときのため、

抑留者たちは山本さんの遺書を丸暗記しはじめるのです。

山本氏が最後の力を振り絞って書いた

何十枚にも渡る遺書を7人が手分けして暗記。

長期抑留者が日本に帰ったのは、昭和31年の暮れでした。

終戦から11年以上が経っていました。

帰国後、1人ずつから遺書が届けられ、

7通目の遺書が山本氏の未亡人のもとへ届いたのは

実に1987(昭和62)年のことでした。

  

  

この小説は、シベリア強制労働を、

とてもリアルに目の前に見せてくれました。

昭和20年8月15日に、戦争は全く終わっていなかったのです。

日本が戦後復興してだんだん華やかになっていくのと同時期に、

ソビエトではこのようなことがあったのですね。

 

次の記事から、たくさん引用していきたい。

もっと早く読んでおけば、授業で必ず扱った内容です。

2019年6月19日 (水)

日めくりより/「マスクメロン」の「マスク」の由来

今日は令和元年6月19日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

マスクメロンの象徴「網目」の正体は?

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「網目」の正体よりも関心をもったのは、

「マスク」の由来です。

ムスク(麝香/じゃこう)とは?

聞いたことはあります。

「ジャコウネコ」の「ジャコウ」で聞いたことがあるし、

香水の名前でしょと思うくらいです。

きっと麝香の香りは、嗅いだことがあると思います。

でも具体的にどんな香りなのか、

全く鼻に記憶がありません。

何も香ってきません。

  

  

調べました。

 

コトバンク 世界大百科事典 第2版(平凡社)

ここからの引用。

  

【じゃこう 麝香】

ムスクともいう。中央アジア,チベット,雲南,アッサム,

南シベリアに広く生息するジャコウジカの雄の

包皮腺(香囊)に蓄積される有香物質。

古来代表的動物性香料として珍重された。

10歳程度の雄1匹から約50gの麝香が得られる。

チベット産の麝香が品質的に最も優れており,

トンキン(東京)市場で取引されるため

東京麝香として知られている。

雲南麝香も有名である。

乾燥した香囊中には暗褐色ないし

黒褐色の粉末として存在する。

  

「麝香」の「」に「鹿」の字があるのは、

ジャコウジカに由来するからなのですね。

ジャコウジカについては、このサイトが勉強になりました。

あなたの使っている香水の原料は意外な珍動物だった

このサイトによると、ジャコウジカはワシントン条約で

絶滅危惧種とされ、捕獲は禁止されているそうです。

現在の香水の麝香は、合成香料のはずとのこと。

  

マスクメロンの香りが、麝香の香りと考えていいのかな。

一度、麝香の香りを確かめたいですね。

  

 

 

 

「メロン」でたぐります

アンデスメロン、プリンスメロンについて

昨年調べました。

ここでも道草 7月5日放映「カンブリア宮殿」3.「王様トマト」「アンデスメロン」/べろメーター(2018年7月30日投稿)

ここでも道草 7月5日放映「カンブリア宮殿」5.メロンを手軽に食べられるようにするのが、我々の仕事だ(2018年8月2日投稿)

ここでも道草 7月5日放映「カンブリア宮殿」6.アンデスメロンの誕生/生産量日本一の茨城県(2018年8月3日投稿)

8月3日の投稿で、プリンスメロンは、

日本産マクワウリとフランス産メロンをかけ合わせたと

書いています。

その時には忘れてましたが、

さらに1年前に私はマクワウリを食べていました。

ここでも道草 マクワウリを初めて食べてみました「これはメロンだ」(2017年8月2日投稿)

「これはメロンだ」と叫んでいたのに、忘れていました。

   

 

日めくりのおかげで、(記憶を)たぐれました。

6月17日からの生活のBGM「その線は水平線」

今日は令和元年6月19日。

  

この1ヶ月、生活のBGMはHYのアルバム「STORY~HY BEST」の

30曲中、ラストの10曲をくり返して聴いていました。

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これで30曲すべてを聞き込みました。

公私ともにたいへんだったときに流れていましたね。

その中の1曲「三月の陽炎(かげろう)」の

 

♪ あなたを忘れたくないよ 思い出も消したくないよ

  全部全部覚えてて欲しい 例え繋がらなくても  ♪

 

この未練たっぷりの歌詞を、

中曽根泉さんが上手に歌っています。

今週の月曜日(6月17日)から、

生活のBGMはHYからくるりに変更しました。

このマキシアルバムです。

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くるり「その線は水平線」(全8曲)

  

「その線は水平線」は動画で見ることができます。


YouTube: くるり - その線は水平線

    

この曲にした理由は、

最近テレビ番組「又吉直樹のへウレーカ!」

4本立て続けに見たからです。

「又吉直樹のヘウレーカ!僕はどこから来たのですか?」

(昨年10月31日放映)

「又吉直樹のへウレーカ!紙一枚で何が折れますか?」

(5月22日放映)

「又吉直樹のへウレーカ!なぜ単位がいるのだろう?」

(5月29日放映)

「又吉直樹のへウレーカ!自分でくすぐっても笑わないのはなぜ?」

(6月5日放映)

  

知的好奇心をくすぐってくる、とても面白い番組です。

この番組で知ったことは、私の記憶装置であるこのブログに

書き留めておきたいのですが、時間がかかりそうです。

 

最近、よくテレビを見て、本を読んでいます。

世の中、やっぱり興味深いことがたくさんあることに

あらためて感じます。

これを知らずして死にたくなかったみたいな事にも出合います。

ブログのサブタイトルに書いたように、

「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」ですね。

  

この「又吉直樹のへウレーカ!」のテーマ曲が「その線は地平線」でした。

私の人生にとって、少々大きな転換期になりそうな今、

この曲は思い出に残りそうです。

 

2019年6月18日 (火)

「いだてん 23 大地」その4/午後8時14分

 

今日は令和元年6月18日。

  

前投稿に引き続き、6月16日放映の大河ドラマ

いだてん~東京オリムピック噺~23 大地」より。

  

今回の話は落語の「厩(うまや)火事」を知っていると

もっと楽しめます。

私は知りませんでした、この落語。

後で知って、なるほど!うまくストーリーに盛り込んだなあと、

感心しました。

関東大震災が描かれる前の16日午後8時14分に

次の映像が映ります。

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ここからドラマは、落語にもなっていました。

  

  

私は、初めて「厩火事」を次の映像で見ました。

面白かった。


YouTube: 古今亭志ん朝  厩火事

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枕(マクラ)だけ聞き書きします。

 

縁なんという言葉がありまして、

たいへんにこの、誰が考え出したものですかな、

実に都合のいい言葉がありまして、

何にでも縁があると言います。

袖すりおうも、多生の縁。

つまづく石も縁の端くれなんて、

いろんなものに縁がある。

中で一番深いのはこれがま、いわゆる

ご夫婦の縁ということになっておりますが、

本当に、考えてみるってえと、

赤の他人が、ねえ、もうなんかのきっかけでもって

知り合って、そして、この、一緒になる。

とも白髪(しらが)まで、なんてことになるですがね、

考えてみると、本当に不思議ですな。

これが、もう、1対1ということなんですからね、

だからたまには、この縁でなく向こうの縁もよかったなあなんと、

思たりすることもありますけれども。

ですから、やっぱり、何年もこう一緒に一つの屋根の下で

暮らしているってえと、それぞれやっぱり、この、

わがままが出てきたりなんかいたしまして、

その歯車がひとつかみ合わないってえことになってくると、

もう、いちいち何かにつけて引っかかってくる、ねえ、

けんかが絶えないということになります。

本当にもう、一度でいいから、もう、別れたいなあなんてことは、

まあ世の男性はみんな、一度は思ってる。

また、中には、ご婦人の中でもそういう方が

いらっしゃるなんてことをききましたけれども。

別れちゃえばいいんだと思うんですがね、

これが別れられないというのが、

縁なんだってことをうかがいました。

そうでなくて、勇気がないのかもしれない。

その辺のところが、まことに難しいもんですね。

 

続きはどうぞ動画で見てください。

そしてもしまだ

いだてん~東京オリムピック噺~23 大地」を見ていないなら、

再放送を見ましょう。録画しておきましょう。

6月22日の午後1時5分からかな。

よけいなお世話かな。

「いだてん 23 大地」その3/午後8時43分

今日は令和元年6月18日。

  

前投稿に引き続き、6月16日放映の大河ドラマ

いだてん~東京オリムピック噺~23 大地」より。

  

午後8時43分からの「いだてん紀行

聞き書きです。

 

ナレーター:観光客でにぎわう浅草。

  今はひっそりとした裏道に、

  明治時代のスカイツリーと呼べる凌雲閣の

  跡地があります。

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  明治23年に建てられた凌雲閣は、

  浅草十二階とも呼ばれ、日本初の

  電動エレベーターや、望遠鏡が

  備えられた展望室もあり、

  浅草の名物でした。

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  しかし、関東大震災で、8階から上が崩落し、

  その後解体されました。

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  去年2月、浅草の工事現場から、

  その凌雲閣の一部が発見されたという

  ニュースが報じられました。

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西村まさゆきさん:のぞくともう基礎の部分から

  レンガがボロボロボロッと出ていて・・

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ナレーター:これが実際のレンガです。

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西村:凌雲閣って、実物が残っていなかったから、

  本物のレンガが出てきたから、本当に存在したんだという、

  なんか、雪男とか、ネッシーとかも、

  本当に見たみたいな、そんな感じになりましたね。 

ナレーター:現在は、新たな建物が建っている街の一角。

  出土した凌雲閣のレンガが、土台に展示されています。 

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この跡地がどこなのか、さっそく調べました。  

見つけました。

グーグルアースで出かけましょう。

グーグルアース 凌雲閣記念碑

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ストリートビューで下りてみます。

※ストリートビュー 凌雲閣記念碑

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凌雲閣の絵が描かれた場所にも行ってみます。

グーグルアース 凌雲閣壁画

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ストリートビューで下りてみたら・・・

ストリートビュー 凌雲閣壁画?

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工事中でした。

  

  

参考:

ここでも道草 大河ドラマ「いだてん 東京オリンピック噺」で、浅草十二階に出合う(2019年1月30日投稿)

ここでも道草 浅草十二階が見たくて、映画「帝都物語」を見る(2019年2月4日投稿)

ここでも道草 人見絹枝さん登場/次週は関東大震災(2019年6月9日投稿)

2019年6月17日 (月)

「いだてん 23 大地」その2/午後8時32分

 

今日は令和元年6月17日。

  

前投稿に引き続き、6月16日放映の大河ドラマ

いだてん~東京オリムピック噺~23 大地」より。

 

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金栗四三は、見たのです。

崩壊した浅草十二階を。

 

そのシーンの放映時刻は午後8時32分でした。

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当時の映像が映りました。

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そしてもう一度。少々別角度からの映像。

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被災した人たちは、もう十分にとんでもないことが起こっていると

感じていたと思います。

さらに崩壊した浅草十二階を見たことで、う~ん、金栗四三さんの

この時の気持ちを想像するのですが、言葉が浮かびません。

この映像はすごい。

放映されて、そのまま忘却の彼方に消えていくのは、

とっても惜しいです。

多くのスタッフがきっと精魂込めて作った映像だと思います。

そう感じます。

社会科教師の皆さん、ぜひこの映像を授業で使いましょう。

 

 

  

関東大震災の映像はまだ続く。

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以上です。

 

午後8時43分からは「いだてん紀行」

ここで、浅草十二階のことが扱われました。

次の記事で書きます。

明日書きます。

「いだてん 23 大地」その1/午後8時21分

今日は令和元年6月17日。

  

昨晩放映された大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~

23 大地」の、関東大震災は気合が入った映像でした。

特に崩壊した浅草十二階の表現は、予想をはるかに上回るものでした。

社会科の授業で、「いだてん」の映像をまじえて、

関東大震災を教えたら、そりゃあ生徒の関心は高まるでしょう。

理想を言えば、授業で見せるのではなくて、

「いだてん」で関東大震災のことをやることを知って、

自分で選局して昨晩見ていたら立派です。

自分で関心があることを扱う番組を選んで見ることができる生徒。

そんな生徒を育てたいと思ってきました。

  

それではどんな場面があったか、

番組の写真を並べてみます。

どんな内容だったかを、

後日思い出す時にこの記事を見たいです。

(番組を見ていない人だと、この場面はどんな場面だ?

と、意味不明な写真もあると思います。あしからず)

   

ちなみに午後8時から始まった「いだてん

いつ地震が来るんだとドキドキさせられて・・・・

そしたら8時21分にドドーンと来ました。

残り20分余りは、関東大震災でした。

   

  

  

大正12年(1923年)午前11時58分。

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瀬戸物の湯飲みが割れたシーン。

このシーンには、落語の「厩火事」というのが関係しますが、

この落語については、また後日。

  

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ここでナレーターのセリフ。

 

ナレーター:日が落ちてくるってえと、

  だんだん見えてきたんです。

  東京の町が真っ赤に染まっているのが。

  たいへんなのは、こっからだったんです。

  

  

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注目の崩壊した浅草十二階はなかなか出てきませんでした。

このまま浅草十二階は映像で出ないのかと思い始めました。

そしたら、8時32分に衝撃の映像が・・・・・

  

もったいぶって次の記事で書きます。

ひきこもりの英語訳は“Hikikomori”/日本特有なこと

今日は令和元年6月17日。

 

昨日見たネットニュースが印象に残り、

ここに書き残しておきたいと思います。

  

Yahoo!ニュース デイリー新潮ひきこもりの英訳は“Hikikomori”、日本特有の難問を解決するためにすべきこと(6月16日 8:00配信) 

  

ここからの引用です。

 

川崎の無差別殺傷事件に関する、

デーブ・スペクターさんの発言です。

(5月28日の朝、小学校のスクールバスを待っていた児童らが

男に刃物で次々と襲われ、児童16名と大人2名が刺された事件。

児童1人と男性1人が亡くなる。加害者は自殺)
  

「今回の容疑者のような人たちにとって、

唯一の目的は人生の最後に注目を浴びることなんです。

近年、欧米では犯人に共感したり、

崇拝することを避けるため、

無差別殺人事件の容疑者の名前は極力報じません。

つまり、加害者を風化させることで新たな犯罪を抑止する。

日本のメディアはそれと反対に、

加害者の背景を深掘りして視聴者の好奇心を煽っています。

この論争にしてもテレビはセンセーショナルな話題として

取り上げているだけ。

その反面、ひきこもりやメンタルヘルスの問題は

視聴率を稼げないから手を出さない」 

  

 

「人生の最後に注目を浴びる」

だから「容疑者の名前を極力報じません」

「加害者を風化」することで、「新たな犯罪を防止」

 

おそらく欧米の方が、

このような犯罪が多かった歴史があると思います。 

その国々が失敗してきた体験から行っていることは

学ぶべきだと思います。 

  

  

「ひきこもりの英語訳は“Hikikomori”なんです。

つまり、ひきこもりは日本特有の概念。

その最大の理由は、日本では心の病が疑われても

精神科やカウンセリングに足を運ばないから。

アメリカでは歌手のブリトニー・スピアーズが

“メンタルセラピーに行ってきたよ”と

インスタに投稿するほどカジュアルなことなのに、

日本では“恥ずかしい”となってしまう。

今回の容疑者が治療を必要としたかは分かりませんが、

この種の犯罪を喰い止めるために必要なのは

専門家によるメンタルケアだと思います」

426828 メンタル治療中のブリトニー・スピアーズ

  

「心の病気」は私の持病です。

就職してから3回、療休をいただき、

復活して頑張ってきました。

前回休んでから7年が無事すんで、

自分としては、性格は変わらないけど

考え方や行動は変えて、

いろいろ難題をこなしてきたつもりです。

もうこれで引退まで大丈夫かと思いましたが、

また「心の病気」を発症させてしまいました。残念。

ヘトヘトになり、心療内科に急患!として診てもらいました。

「アップアップでしたね。今日診れてよかった」と

お医者さんに言われました。

しばらく勤務は休むように言われました。

  

 

生涯で考えたら、たくさん心療内科に通っている身ですが、

まだ”恥ずかしい”気持ちはあります。

心が耐えられない弱い者と

自分で思ってしまうんですね、きっと。

土日は車イスのスロープを作ったように

戸外に出ることはできますが、

平日はきっとひきこもっちゃうだろうなあ。

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楽餓鬼

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