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2018年8月 2日 (木)

7月5日放映「カンブリア宮殿」5.メロンを手軽に食べられるようにするのが、我々の仕事だ

今日は8月2日。

  

苦しんでいた咳喘息。

今週の月曜日から咳がぱたりと止まりました。

そして月・火・水と咳が出ませんでした。

治ったかな。長かったなあ。

7月10日に発熱して早退。

その頃から出始めた咳でした。

ほぼ20日間。

連続する咳で体力が奪われました。

酷暑でのマスクもたいへんでした。

  

「部活動が一段落したのがよかったのでは」

「部活動がストレスだった?」

他の先生から冷やかされました。

あまり貢献できていない部活動。

そのことが申し訳ないと思っていたのは事実。

3年生が県大会1回戦で惜敗したのが、火曜日。

部活動の世代交代で一段落。

ちょっとホッとしたのかも。

今日から2年生中心の部活動がスタート。

新たな気持ちで頑張っていきたい。

  

  

前置きが長めでした。

昨日の投稿のつづき。

7月5日放映の「カンブリア宮殿 花と野菜の100年企業

知られざるグローバル種子革命 サカタのタネ」(テレビ愛知)

より。

テレビ番組の読み物化に挑戦です。

  

「サカタのタネ」が操業して、

アンデスメロンを開発するまでの話。

聞き書きします。

  

ナレーター:「サカタのタネ」の創業は、大正時代初期の、

  1913年。現社長の祖父武雄が、横浜に坂田農園を

  設立したのが始まりだ。

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  当初は日本産のヤマユリなどの、欧米にはない植物の

  種や球根を輸出していた。

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  昭和に入ると、最初の大ヒットを生み出す。

  南米原産のペチュニアという花で、

  世界で初めて100%八重咲になるという品種改良に成功。

  世界中から注文が殺到し、1ポンド450gの種が、

  1万ドル以上。金の20倍もの値がつく、大ヒットとなった。

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  戦後の1950年代半ば、大きな転機が訪れる。

  武雄がフランスを視察した時のこと。

  パリのレストランでのディナーの席。

  デザートのメロンが出てきた。

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  一口食べると・・・

武雄(声優):これはうまい。

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ナレーター:衝撃的なおいしさに、武雄は驚いた。

  それはシャランテというフランス産メロンだった。

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  当時(1950年代)の日本は、高度成長が始まり、

  豊かになりつつあったが、メロンは庶民にとって、

  高嶺の花。今の価値で、ひと玉数万円もした。

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  武雄は思った。

  メロンを手軽に食べられるようにするのが、

  我々の仕事だ。 

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今回はここまで。つづく。

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