「収容所から来た遺書」3/「まだ若い、人生は長い」
今日は令和元年6月20日。
前投稿に引き続き、
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)より
引用します。
とりわけ山本(幡男)が句会の折に熱をこめてよく語ったのは、
「ぼくたちはみんなで帰国するのです。
その日まで美しい日本語を忘れなようにしたい」
という言葉である。
竹田は、山本のいちばんいいたいことはこれではないかと思った。
(87p)
何年もシベリアにいるとこういう思いになるんだと、
ハッとさせられた文章です。
絶望感から自暴自棄になる者が多く、
「白樺派」という言葉がラーゲリ(収容所)の中では
流行った。
ラーゲリでは、死ぬとボロボロの着衣までも剥ぎとられ、
解剖に付されてから埋葬される。
死者を偽って脱走するのを防止するためだといわれた。
そして、「お前たちは生きて帰さない。
白樺の肥やしになるんだ」とソ連側から
脅かされつづけてきたように、
遺体は白樺の根元を掘って埋められた。
その穴も、九月下旬には凍土になるので、
あらかじめ秋以後の死者の数を想定して、
その数だけ七、八月の短い夏の間に掘らされた。
冬に死んだ者を準備されたその穴に投げ込み、
凍土をかけ、春になってから埋葬しなおす。
「白樺派」というのは、帰国もできず
いずれその穴に収まるのは自分だ、
という投げやりな気持を吐露した言葉だった。
「おれは、もうじき白樺派だよ」
「どうせ白樺派になってしまうんだ」
などと自嘲をこめてみんなのあいだを飛びかった。
山本(幡男)はこの「白樺派」という言葉を耳にすると、
きまって野本にいった。
「野本さん、ぼくたちは白樺派になっちゃおしまいだよ。
かならず帰れる日がくる。
まだぼくたちは若いし、人生は長いんだよ」
自分よりも八歳も年上の四十二歳の男が、
「まだ若い、人生は長い」というのに、
野本は呆気にとられた。
しかし、もしかしたら山本はこのラーゲリのなかで
いちばん若々しい精神の持ち主かもしれないと思った。
(98~99p)
あるとき、山本と自殺の話になった。
「ぼくはね、自殺なんて考えたことありませんよ。
こんな楽しい世の中なのになんで自分から
死ななきゃならんのですか。いきておれば、
かならず楽しいことがたくさんあるよ」
そう山本(幡男)はいうと、下を向いてニッと笑った。
ラーゲリの中にいながら、
「こんな楽しい世の中」という山本は、
普通の人間を測る物指しでは測りきれない、
別の物指しで見なければ理解できない人物だと思った。
そして、山本と話すようになって何か月か経つうちに、
あの「シベリアの青い空」の文章と同じように、
どんなに理不尽であっても絶望することなく、
いまいる状況のなかに喜びも楽しみも見いだし、
しかもそれを他人にまで及ぼしてしまうところに、
山本の精神の強靭さと凄さがある、と野本は理解した。
(99~100p)
句会が終って食堂をでると、
外はつき刺さるような寒さだった。
山本(幡男)の鼻髭が、吐く息でたちまち
凍てついて真白になった。
「山本さん、寒い時だけでも剃ったらどうですか」
と新森がいうと、
「うむ。なにもかもとられたんだから、
せめて髭ぐらいは残しておかんと」
と山本が答えた。
(105p)
つづく
山本幡男さんのことが、Wikipediaで説明されていることが判明。
ここです↓
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