2019年9月29日 (日)

伊勢湾台風60年 色が呼びさます記憶①史上3番目の勢力だった

今日は令和元年9月29日。

  

昨日は道草を休みました。

今日はちょくちょく道草したいです。

  

9月26日放映の「チャント!」より。

ニュース・情報番組です。

この日の「チャント!」の特集に注目していて、

録画しておきました。

 

その特集とは「伊勢湾台風」です。

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伊勢湾台風は、1959年9月26日に東海地方を中心に

大きな被害をもたらしました。

 

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1959年台風15号(後に伊勢湾台風と命名)は、

中心気圧929hPaという史上3番目の勢力で上陸しました。

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☝ 死者・行方不明者5098人。

    

開局9年目のCBC(中部日本放送)が、

撮影した映像の写真です。

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☝ 今ではあまり見かけない三輪トラックが、

強風で横倒しになっています。

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台風が来た翌日の映像です。☟

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☝ 上空に上がって被災地を見た記者が「名古屋港がありません」と

一報で伝えたそうです。

名古屋港のある港区が、街まで水浸しになっていたためです。

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台風が襲来して10日後の取材の様子です。☟

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まだ水はひいていなくて、停電のため、

ろうそくを使った生活をしていました。

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どこまで水位が上がったかという質問に・・・

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10日後であるにもかかわらず、アナウンサーはこう伝えます。☟

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被害を大きくしたのは、名古屋港に貯留してあった大量のラワン材が、

街中に流れ出したためです。☟

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流木は、縦に回転していたという証言もありました。☟

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そのラワン材の大きさを感じてもらうために、

スタジオにCGで登場させました。☟

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横倒しにしました。☟

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こんな大木が勢いよく流れてきたら、恐怖です。

  

  

つづく

 

2019年9月27日 (金)

「広野の旅人たち」その4/再び121年前の大水害 鴇田幹さんの挿絵

  

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

  

「広野の旅人たち」のラストは、

小説「石狩平野」(船山馨著/河出書房)と同じく、

明治31年9月の大水害でした。

※参考:ここでも道草 「石狩平野」を楽しむ7/121年前の大水害(2019年9月6日投稿)

  

上流から小屋がながれてきた。

と、泣きさけぶ声がきこえた。

よく見ると屋根の上に二、三人のすがたが見えた。

子どももいるらしい。

しかし、助けにいくどころではない。

雨はやんできたが、水はふえつづけている。

「あかんの。もうおしまいやの。

こんなことならいっそう十津川で死んどけばよかった。

水からにげてきたのに、また水に殺されるやんかのう。」

お楽(らく)が泣きながらわめいた。

(232p) 

 

121年前の大水害は、開拓の歴史には欠かすことができない

出来事だったのです。

これからも、北海道の開拓の勉強をしていたら、

その度に復習し、理解を深めていくことになるでしょう。

  

 

この本からも、挿絵の写真を載せます。

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主人公の津田フキと中崎豊太郎との結婚式の様子。

 

画家の名前は鴇田幹(ときたかん)さん。

鴇田さんの絵は懐かしく感じます。

きっと昔からいろいろな本で目にしてきた絵だと思います。

どこで出合ったのだろう?

「広野の旅人たち」その3/開拓民を夜盗虫(ヨトウムシ)が襲った

  

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

    

小説「石狩平野」(船山馨著/河出書房)では、

北海道開拓農民を蝗(イナゴ)が苦しめるシーンがありました。

ここでも道草 「石狩平野」を楽しむ 4/「蝗」(2019年9月2日投稿)

「広野の旅人たち」では、夜盗虫(ヨトウムシ)でした。

    

夜、あかりを持って畑へ出ると、あたりいちめんに

ザワザワという音がたちこめている。

くらくなるのをまって、虫が食っている音なのだ。

指ほどのふとさの虫は、びっしりと亜麻(あま)の茎に

よじのぼっている。

はたきおとしてふみつけるが、しがみついているので

はなれようとしない。

わらぞうりはすぐ虫のみどりの体液にぬれて、おもくなった。

あんまりきみがわるいので棒やくわを持ちこんでおしつぶした。

けれども、一本の茎に七ひきも八ひきも

ぶらさがっているのだから、なかなかつぎへすすめない。

そのあいだに一本の葉を食いつくした虫たちは、

つぎからつぎへと移動した。

(156p)

去年まで一ぴきも見なかった虫が、吹きこぼれるように

発生したのだ。やっと虫退治をしたのち、

畑にはなにひとつのこっていなかった。

十日ばかりまえにはみどりの波をうっていた畑はくいつくされ、

焼けこげてむごたらしいすがたになってしまった。

全村、亜麻は全滅していた。

(159p)

 

4pに渡って、記述された人間と夜盗虫の闘いは、

数でまさる夜盗虫の圧勝でした。

空から大挙飛来した蝗と同じで、

地から出てきた夜盗虫は開拓民を絶望させます。

開拓をあきらめ、町に出ていく人たちもいました。

   

 

ヨトウムシはヨトウガの幼虫。

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☝ このサイトに次のように書いてありました。

 

1匹当たり1000~3000粒ほどの卵を産むため、

ふ化すると大量発生します。

  

この数は尋常ではないですね。

 

つづく

「広野の旅人たち」その2/兵村で(米づくりを)はじめた者 藤田貞元かな?

 

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

  

 

明治29年の話。

北海道の開拓者の関心の一つは米作りでした。

  

(前略)米づくりの話になった。

「この分じゃ、どぶろくでもつくらんことには、

菊次さんとこの酒倉がからになるぞ。」

と、中辰一がいいだしたからである。

どぶろくをつくるには米がいる。

いったい米はほんとうにつくれないものだろうか。

「米はとれるとも。兵村(へいそん=屯田兵の村)では、

五、六年まえからはじめた者がいて、去年もとれたとよ」

正道がよくひびく声でいった。

(145p)

  

ここで話題になっている「兵村で(米づくりを)はじめた者」

というのは、以前記事に書いた人のことでしょうか。

※参考:ここでも道草 北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり(2019年8月22日投稿)

屯田兵の藤田貞元(ていげん)のことです。

Rimg2082BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」より

    

藤田貞元がいつお米を試作したのかは、

その時の番組では紹介されていませんでした。

調べてみました。

屯田兵と北海道の開拓

☝ このサイトによると、藤田貞元は明治26年に入植して、

お米の試作をしたようです。

若干、年数がずれるけど、まあいいか。

「藤田貞元」についてたぐれたことがよかったです。

  

  

どぶろくって飲んだことありますか?

Sake_sendoburoku600 Yahoo!ショッピング

昔、飲んだと思ったけどなあ。

2019年9月26日 (木)

「広野の旅人たち」その1/開拓の歴史に欠かせない屯田兵 クワの実

 

今日は令和元年9月26日。

  

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)を読破しました。

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北へ行く旅人たち ~新十津川物語1~」の

続編です。

※参考:ここでも道草 「北へ行く旅人たち」その1/台風の被害で北海道移住を決意した人たち(2019年9月22日投稿) 

  

印象に残った文章を引用します。

  

北海道札幌郡琴似(ことに)村に、最初の屯田兵が

入植してきたのは、明治八年五月のことである。

西郷隆盛の発案だった。

富国強兵の時代だ。北方のロシアにそなえるために、

北海道をかためなければならない。

正規軍をおけば費用がかさむ。

食いつめた武士にしごとをあたえ、原野をひらき、

同時に北海道を守らせるという屯田兵は、

まず安くあがるということから出発した。

隆盛の案を北海道長官の黒田清隆が実現させた。

はじめの三年ほど補助金をだせば、

あとは自分たちで食っていくことだろう。

はじめの三年ほど補助金をだせば、

あとはじぶんたちで食っていくことだろう。

家族ぐるみの移住だから、年がたてば子や孫がひきつぐ。

(53p)

 

もっとも、〈屯田兵〉として実戦に参加したのは、

たったいちどきりしかない。

明治十年、西郷隆盛をかついだ西南戦争がおこると、

札幌の農兵部隊がいさましくたたかった。

ひにくにも隆盛はじぶんのつくった部隊に

攻撃をうけたことになる。

(54p)

屯田兵は、日清戦争に派遣される予定でした。

東京に集結したのですが、出発前に日清戦争は終了。

屯田兵は明治33年に募集は終わり、

旭川に第七師団という軍隊ができ時に、

その一部に組み込まれました。

その第七師団は、日露戦争で二〇三高地の激戦に参加。

多くの兵が命を失いました。

  

屯田兵は、家族ぐるみの移住だっただけに、

老若男女を巻き込んだ北海道の歴史に欠かせないものと

なりました。小説「石狩平野」でも、重要でした。 

   

  

開拓者は蚕も飼っていました。

蚕のエサであるクワの葉を家族で摘むシーンです。 

  

(幼い)道太郎と有道のふたりは、小さなかごを

背おわせてもらってついていく。

ふたりのかごはなかなかいっぱいにならないが、

口のまわりはすぐにむらさき色にそまった。

うれたクワの実がどの枝にもついていたからだ。

ふたりはからのかごを背おったまま、

まず走りまわって黒くじゅくした実をさがした。

食べるあいだにときたま葉をつんでは、

相手のかごに入れっこをした。

(102p)

  

クワの実・・・たぐります! 6年前でした。

ここでも道草 H25 5月の花々20 クワ2(2013年7月22日投稿)

前任校の校庭には、クワの木があったのです。

おかげでクワの実を食べる体験ができました。

道太郎君たちの気持ちがわかります。

  

地図記号で桑畑はどう表すかも思い出しました。

お忘れの方は、6年前の記事を見てください。

  

簡単にたぐれるのが、ブログの良いところ。

2019年9月25日 (水)

「トムとジェリーとクラシック」その4/「きらきら星」が有効に使われている

  

今日は令和元年9月25日。

  

前投稿に引き続き、9月6日放映の

ららら♪クラシック トムとジェリーとクラシック おかわり

より。

大雑把にまとめます。

  

  

「トムとジェリー」

1948年制作の「やんちゃな生徒」を音楽視点で分析して

紹介してくれました。

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3つの場面に注目です。

   

①トムが子猫に教えるシーン

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☝ トロンボーンで下降するメロディで、トムが偉そうに教えている

雰囲気を出しています。

   

   

②ジェリーが子猫に教えるシーン

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☝ このシーンで流れるメロディは「きらきら星」

「きらきら星」は学校の音楽の時間に習う曲のイメージが

日本ではあり、アメリカでも同じようだと考えられます。

学校の授業を表す曲であって、トムのシーンとは違って、

ジェリーと子猫が仲間である雰囲気を出しています。

{ちなみに、最初のブルーの画面 ☝ でも「きらきら星」が

流れます)

   

   

③トムをコテンパンにして、子猫とジェリーが手をつないで

画面奥に歩んでいくシーン。(ラストシーン)

 

このシーンでは、最初「きらきら星」が流れますが、

すぐに違う曲になります。

映画「オズの魔法使い」(1939年)の

「黄色いレンガ道をたどって」という曲です。☟

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この映画のシーンと、「トムとジェリー」のシーンは、

映像的にも似ています。☟

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「黄色いレンガ道をたどって」はどんな雰囲気を出すのかと言うと・・・・

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☝ 学校での勉強は終わって、学校から外に出て、

冒険に出発しようという雰囲気を、映像でも音楽でも表現したのです。 

 

伝わったかな?

  

実際に動画で確かめてみてください。☟

 

以上です。

「トムとジェリーとクラシック」その3/14秒間のディテール・シート

 

今日は令和元年9月25日。

   

9月6日に「ららら♪クラシック 

トムとジェリーとクラシック おかわり」が

放映されました。

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4月に放映された番組の続編です。

番組を大雑把に紹介していきます。

  

「トムとジェリー」の音楽担当を復習。

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スコット・ブラッドリーです。

   

「トムとジェリー」が緻密な協議を重ねながら、

音楽と映像の制作が同時に進行したと昨日書きました。

その証拠が示されました。☟

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☝ ディテール・シートと言います。実物のコピーです。

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☝ このシートにカメラ・アクション・サウンドが書かれています。

翻訳版です。☟

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「トムとジェリー」は1秒間に24コマで制作されているそうです。

サウンドのところに書かれている数字はコマ数です。

緻密に作られたシートであるとわかります。

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☝ このシートを元にオーケストラ編曲や録音、作画などの

アニメ制作が個別に進められ、持ち寄って作品ができるわけです。

6分ほどの番組が2週間ごとに制作されたそうです。

 

ちなみに、紹介されたシートで制作されたシーンは、

「滅茶苦茶ゴルフ」(1945年)の中の、

ジェリーがゴルフボールをうち、

トムがボールを飲み込まされて、

怒ったトムがジェリーを追いかけるも、

クラブによって滅多打ちされるところです。

(ふー、長い説明ですみません)

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この動画の中にある4分36秒から4分50秒までの

14秒間です。☟

 

つづく

 

2019年9月24日 (火)

「トムとジェリーとクラシック」その2/演奏に合わせた驚異的な作画

  

今日は令和元年9月24日。

  

前投稿に引き続き、4月5日放映の「ららら♪クラシック 

トムとジェリーとクラシック」より。

  

「トムとジェリー」は、通常、音楽と映像が同時に制作されます。

そんな中、異例で音楽が先にできて、映像がその音楽に精密に

合わせたのが、「ピアノ・コンサート(The Cat Concerto)」

1947年の作品です。

「ららら♪クラシック」の映像の写真を並べます。☟

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☝ 驚異的な作画だそうです。

ピアノの鍵盤を押すのと音楽が一致するのです。

  

ジェリーがなかなか登場しません。

何と、ジェリーは、トムがひくピアノの中に住んでいました。☟

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いろいろあって、トムはこうなります。☟

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ラストはこうなります。☟

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音楽視点で今一度見てみませんか。☟

「トムとジェリーとクラシック」その1/楽音で表現していた

 

今日は令和元年9月24日。

  

今年4月5日放映の「ららら♪クラシック 

トムとジェリーとクラシック」を見ました。

おなじみのアニメ「トムとジェリー」を音楽視点で

あらためて見るのは面白い体験でした。

  

「トムとジェリー」の音楽担当は、スコット・ブラッドリー

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ブラッドリーは、効果音を使うことを好まず、

オーケストラによる楽器の音「楽音」を使って表現しようとしました。

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通常「トムとジェリー」では、緻密な協議を重ねながら、

音楽と映像の制作が同時に進行したそうです。

既にあるクラシック曲も使いましたが、

ブラッドリーは次々に新しい曲を作曲したそうです。

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例えば・・・

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☝ 「2匹のネズミの足音の違いをバイオリンのピチカートと

フルートで」 ピチカートが分からず。調べたら、弦を指ではじくこと

によって音を出す演奏技法だそうです。

幸運なことに映像を見ることができます。

写真のシーンを確かめてみてください。☟

 

例えば・・・

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☝ 「布の伸縮 落下 トムの気づき 悪だくみなど演奏で

細かく表現されている

これも映像で確かめてみてください。☟

 

「トムとジェリー」は普通は6分間ほど。長くて7分だそうです。

思ったより短い時間だと思いましたが、

音楽の工夫が盛りだくさんだったことを知りました。

音楽が聴きごたえがあるために、長く感じたのかな。

 

つづく

 

 

2019年9月23日 (月)

「空知」の語源を最近読んだぞ

  

今日は令和元年9月23日。

  

今日は、妹が帰省して、私への手土産はビールでした。

秋味」6本と、その他いろいろなビールをもらいました。

その中の1本の写真。☟ メーカーはSAPPOROです。

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最近は北海道開拓がマイブームなので、

北海道に関するものは好奇心のアンテナに引っかかります。

「SORACHI」「空知」「そらち」「ソラチ」

口に出すといい響きの地名です。

私はホップよりも、この地名のいわれに関心を持ちました。

 

と言うより、最近この「空知」の語源について読んだぞと

思い出しました。

今読んでいる本「広野の旅人たち 新十津川物語2

(川村たかし著/偕成社)をペラペラめくりました。

あった。

   

滝川はもとソウラップチプトとよんだ。アイヌ語による。

ソウは滝、ラプッチは水のおちることをあらわし、

プトは川の合流するところ。

発音を漢字にあてて空知太(そらちふと)となり、

意訳して滝川(たきかわ)と名づけた。

(91p)

    

  

この説明は部分的に使えます。

「空知」の語源は、アイヌ語の「ソウラップチ」

(滝・水のおちるところ)となります。

ちなみに空知郡の中に滝川市があります。

 

前投稿の京都に続いて、北海道ネタでも偶然がありました。

良い晩です。

今からドラマ「監察医 朝顔」の最終回を見ます。

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