2019年9月23日 (月)

宇治田原町マンホールカード入手

  

今日は令和元年9月23日。

  

娘に頼まれてマンホールカードを初めて入手しました。

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かつてデザインマンホールに凝ったことがある身としては、

気になっていたカードです。

あんだんべぇー マンホールカードとは?

☝ このサイトによると、マンホールカードは2016年4月から

配布が始まったもので、年々発行している自治体が増えているそうです。

2019年8月7日現在、種類は全国で539種類、

454の自治体が発行しています。

そんな中の1枚です。

  

京都府綴喜郡宇治田原町。

そもそもこの郡名と町名を正しく読めますか。

私は全く自信がなく、調べました。

「つづきぐん うじたばらちょう」でした。

平等院のある宇治市のすぐ隣。

カードの裏面には次のような説明がありました。

 

お茶の産地として名高く、

日本緑茶発祥の地としても知られる宇治田原町。

まちづくりの上で、お茶を産業のひとつとして

捉えるだけでなく、文化振興や地域産業の活性化の

ツールとしても活用を図っています。

本カードのデザインは、1997年に制作しました。

茶摘みの様子を蓋いっぱいに描き、

将来にわたって変わらぬ景観を残していきたいという

町の想いを表現しました。

お米の収穫時期は5月で、新緑の中、

町内のいたるところで茶摘みが行われます。

茶摘み体験交流会では茶娘衣装の貸し出しもされており、

運が良ければこのマンホール蓋のデザインさながらの

光景に出逢えるかもしれません。

 

 

「日本緑茶発祥の地」と言えば永谷宗七郎(宗円)。

※参考:ここでも道草 5月17日は「お茶漬けの日」/お茶で教材研究(2019年5月16日投稿)

以前勉強した人と繋がりました。

永谷園の創始者永谷宗七郎さんが生まれた地だったのですね。

この偶然が楽しい。 

2019年9月22日 (日)

20190917報告 再び鳳来寺山へ

  

今日は令和元年9月22日。

  

再び鳳来寺山へ行ってきました。

今回は階段を登って本殿へ。

そして前回に行かなかった東照宮で参拝してきました。

その時の写真です。

  

登山口。今回もいい雰囲気で迎えてくれました。☟

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傘すぎ。看板には樹齢800年とあります。☟

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その看板が作られたのが平成2年。

そうなると、樹齢は現在830年くらいでしょうか。

 

 

今回はここで休憩しました。☟

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50分ほどで本殿へ。

前回(9月11日)は蒸し暑い日で、ヘトヘトでしたが、

今回は涼しくて楽でした。

本殿裏手にある階段で、

前回から気になっていたものがありました。

「あれは、つぶれたヒルだったのか?」

確かめに行きました。

これです。☟

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これは種子ですね。

前回はヘトヘトでちらっとしか見ていませんでした。

今回はじっくり見ました。

ヒルではありませんでした。

ああよかった。

同じ新城市の明神山ではヒルがいると聞きました。

鳳来寺山に2回登りましたが、

今のところヒルに出合っていません。

☟ ここでヤマビルの勉強。

ヤマビル研究会

この動画もよかったら。ただし、虫が苦手な人はやめた方がいいです。

Photo

 

東照宮です。☟

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今回も森の中で、汗びっしょりになって、

フィトンチッドをしっかり吸ってきました。

「北へ行く旅人たち」その2/十津川郷士 囚人による開拓

  

今日は令和元年9月22日。

  

前投稿に引き続き

北へ行く旅人たち ~新十津川物語1~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。 

 

  

もう二十二、三年もまえ、官軍は京都から越後へ出て

長岡城を攻めた。北越戦争のそのとき、

十津川兵二百人が出撃したが、死傷は八十一人にたっした。

それほどの激戦だった。

十九歳だった壮一郎も刀をふりまわして戦ったひとりだ。

この家の留造(とめぞう)も輜重隊(しちょうたい)という

荷物はこびとして戦いにくわわっている。

ふたりともふしぎにかすり傷ひとつせずに生きのびた。

十津川郷士たちは、菱形の中に十の字をつけた旗印をつけていた。

はじめは丸に十の字だったが島津が同印なので、

同じ官軍の中ではまちがわれやすい。

朝廷のさしずで旗印をあらためた。

禁裏(きんり)から旗印をいただいたものもすくないことだろう。

天皇の近衛兵をもって任ずる〈菱十〉の集団は、

命しらずの戦いぶりをしたことになる。

(68p)

  

世の中には知らないことがたくさんあります。

それらを全て知ろうなどとは思いません。

それでも、出合った事象については、

噛みしめるように知ろうと思います。

十津川郷士についてはあまり知らないことでしたが、

この記述に出合ったので勉強しました。

Wikipedia 十津川郷士

壬申の乱、平治の乱でも出兵。南北朝時代には南朝側。

勤皇の人たちであり、戊辰戦争では官軍に加わりました。

菱十字をWikipediaから転載。

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こうして十月十八日からはじまった移民は、

二十七日までのあいだに、つぎつぎと谷を出ていった。

はじめは二千六百九十一人が願書(ねがいしょ)をだしたが、

このとき出かけた者は六百戸、二千四百八十九人だった。

辞退する者があったからだ。

つづいてよく二十三年七月、四十戸、百七十八人が

北国をめざして海をこえた。

総計で二千六百六十七人が十津川をはなれたことになる。

これは村の人口のほぼ三分の一にあたる。

谷はにわかにさびれる。

(104p)

 

大水害に遭ってから、2カ月で移住が始まったわけです。

この決断は苦しかったとと想像します。

明治22年。西暦で1889年。

今から130年前の10月のことです。

  

  

この時期、月形(つきがた)村にある

樺戸(かばと)集治監(しゅうちかん)には、

二千四百人にちかい囚人が集められていた。

大正九年の獄舎が網走へうつっていくまでの五十年あまりのあいだ、

月形には日本最大の刑務所があったことになる。

中でも、この明治二十二年はもっとも人数がおおかった。

前年にくらべて、九百人がいっぺんにふえていた。

設備がととのったので、内地からぞくぞくとおくりこまれてきたのだ。

囚人は男ばかりで、石炭の採掘と道路の開通工事にしたがっていた。

(121p)

  

私にとって網走刑務所は有名ですが、

月形刑務所については全く知りませんでした。

囚人を労働力として、開拓に従事させている様子は、

この小説の中で多く描かれています。

  

道は雨がふるとたちまちぬかるみとなった。

排水工事までは手がまわらないせいだ。

雪どけはとくにひどかった。

補修がくりかえされた。

囚人たちは泥の中を、ときには腰までうまって杭をうち、

板をならべた。あまりに労働がはげしかったので、

あっけないほどもろく死んでいく。

中には逃亡する者もあったが、方向がわからず、

食べものもなくてにげきれなかった。

死んだあとには新しい囚人がおくられてきた。

北海道の開発はまず道をつけることからはじまったが、

その道はところによっては一メートルにひとりというほど

囚人たちの命をすいとっている。

(122p)

  

囚人の開拓の歴史にも興味をもちました。

小説「石狩川」「石狩平野」には書かれていなかった歴史です。

  

  

まちかねた入植の日が来た。(中略)

くじびきで割りあて地もきまっていた。

一戸あたり均等に一万五千坪(約五ヘクタール)。

アイヌ名でトックとよばれる樹海は、

無人のまま新十津川村と名づけられていた。

(168~169p)

  

Wikipedia 新十津川町によると、正式に新十津川村になったのは

明治35年のことです。

でもこの小説によると、明治23年にはあらかじめその村名が

ついていたようです。どうなんだろう?

  

  

以上で、「北へ行く旅人たち ~新十津川物語1~」の引用終了。

最後に挿絵の写真を載せちゃいます。

鴇田幹(ときたかん)さんの絵です。

魅力的な絵です。

囚人の前田恭之助が、主人公の津田フキを

肩に載せて歩いているシーンです。177p

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「北へ行く旅人たち」その1/台風の被害で北海道移住を決意した人たち

今日は令和元年9月22日。

  

また北海道開拓に関する本を読みました。

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北へ行く旅人たち ~新十津川物語1~

(川村たかし著/偕成社)

  

奈良県の十津川村が、明治22年に大水害に遭い、

多くの人命や家屋、畑、山林が失われました。

残された村人の3分の1が、新天地北海道に

移住をすることを決めます。

苦労の末に北海道に行きつき、仮住まいで冬を過ごします。

春になって、割り当てレれた場所での開墾がスタート。

そこはクマザサと樹木に覆われた場所でした。

移住者は少しずつ土地を切り開いていきました。

  

印象に残った文章を書き留めます。

  

明治22年8月18日~19日に十津川村には大雨が降りました。

Wikipeia 十津川水害によると、この大雨は台風のためでした。

登場人物は「天の池がこわれた」と表現していました。

台風という言葉は出てきません。

当時、台風が接近して風雨が強まるといった予報は

なかったかと思います。

水分を多く含んだ山は、次々に崩れ、崩れた土砂が川をせき止めて

湖を作りました。

その湖の水圧に負けて、せき止めていた土砂が崩れると、

土石流となって川下の人たちを襲っていました。

  

川津では、堰をきって流れだした神納(かんの川の水が、

いちじに鉄砲水になっておしよせてきた。

山香(やまか)直吉は流れにまきこまれて、家ごとはこびさられた。

グシャッと家がくだけたとき、妻や子どもはやっとのことで

裏山へはいあがった。にげににげた。

そのあとを水がぐんぐんせりあがった。

やっと増水がとまったので気がつくと主人のすがたがない。

直吉はだいじな書類をもちだそうとして、水にさらわれたのである。

巨大な新湖は赤土さながらふくれあがっている。

やっと水だとわかるのは、ところどころに流れがうずをまいているせいだ。

でなければ思わず足をふみこみそうになる赤い川であった。

妻も老父も腰をぬかして、ただぼんやり見まもるしかなかった。

何十という家いえの屋根や、おびただしい材木がただよっている。

たんすや机などもういている。

そのあちこちに、女や子どもがとりすがり、たすけをもとめていた。

川の中の男は水をくぐって岸に近づこうとしては、

やがて力つきてひっそりとした。

直吉の死体は三日後になって、二十メートルも高い山腹の岩かげで

発見された。

堤が切れた湖は、せめてものことに死体をそっとおいていった。

(56p)

  

平谷(ひらだに)もまたそういう支流からの水にあらわれた。

おなじように池も出現した。

下手にある猿飼(さるかい)では高さ四十メートルの湖が、

さらに下流の桑畑(くわばた)でもやっぱり新湖が

できてはくずれていった。

谷がひろくなっているとはいえ、上流のにわかづくりの湖が

くずれるたびに、ねとねとの泥水にのって材木や家が

おし流されてきた。

人間や獣の死体がぞくぞくとくだってきた。

ここではおし流された民家は六戸にとどまったが、

水につかったりほとんどこわれた家は百戸をこえる。

あたかもどぶにつかったような村を見おろしながら、

人びとは高いところへあがって、くりかえしくりかえし

はねとんでくるとほうもない鉄砲水に、ただ唖然としていた。

はじめの山くずれもだが、新湖の出現とその決壊という

二次災害がむごたらしさの幅をひろげていた。

(62p)

  

あとでわかったことだが、このとき一夜のうちに出現した

湖は三十七。

そのうちのいくつかは何年ものあいだ水をたたえていた。

小さな山くずれはかぞえきれず、幅五十間(約90メートル)を

こえる山津波は千八十か所をかぞえた。

家は全村の四分の一にあたる六百戸が、流されたりこわれたりした。

百六十八人が死んだ。

田畑にいたっては実に七十パーセントが消え去った。

十一の集落はけしとんであとかたもない。

(63p)

  

 

以前、十津川村に行ったことがあります。

その時に水害のことを聞いたことがあり、

新十津川村誕生のことも知っていました。

この小説をよみ、その歴史的なことを思い出し、

かつ、十津川村の中心街に行くまでに谷深い山道を

自動車で長く走ったことも思い出しました。

谷瀬(たにぜ)の吊り橋は、橋から谷底まで50m以上ありました。

Img_5483 十津川村観光協会HP

台風の被害が、歴史を作ったと言える出来事。

今年の台風15号も忘れられない台風となりました。

平成31年の100円玉が3つもあった

 

今日は令和元年9月22日。

  

財布の中にある100円玉が、いやにピカピカしているなと思って、

取り出して調べてみました。

何と、平成31年の100円玉が3枚もありました。

そして同じくらいに輝いていた平成30年の100円玉が1枚。

いつ財布に入って来た100円玉か、まったく覚えがありません。

写真に撮ってみました。

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平成31年の100円玉は、次のサイトによると約37万枚作られたそうです。

それがちょっと知りたい!

その他の枚数は以下の通り。

500玉は、約20万枚

50円は、約8万枚

10円は、約27万枚

5円は、約5万5千枚

1円は、約1000枚

  

注目は1円玉です。1000枚しか作られていません。

出合えたら幸運です。

 

とりあえず今回の4枚の100円玉は貯金箱に入れます。

私は5のつく日に500円以上の貯金をすることをしています。

毎年やっていて、お盆に開封。

家族にお小遣いとしておすそ分けしています。

まもなく25日なので、その日に貯金箱に入れておきます。

2019年9月21日 (土)

「がんになって良かった」その5/若者たちはつながりながら今を闘っている

  

今日は令和元年9月21日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

 

〇7月初旬、山口雄也さんはシーフードヌードルを

 おいしそうに食べる。病院食以外のものを

 食べる許可が出たのである。

〇青田チヨ子さんのブログを読む山口さん。

 青田さんは、移植手術を目前にして不安な気持ちを

 マンガにして発信していた。

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〇山口さんは、青田さんの不安を和らげるために、

 自身の経験を伝えた。☟

 ホッとパックを使うことで、術後の痛みを軽くできる。

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〇8月中旬山口さん退院。退院する時の自動車の中の映像。

 映し出されたセリフが印象に残った。☟

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白血病は10代・20代が多くかかるのですね。酷な病気です。

でもこの番組で、「若者たちはつながりながら今を闘っている」

その姿を垣間見ることができました。

SNSやブログでつながることは、支え合うことになるのです。

   

〇2週間更新がなかった、青田チヨ子さんのSNSが更新された。

 チヨ子さんの夫が更新したものだった。

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〇青田チヨ子さんは、副作用が死につながってしまった。

 2018年12月1日に急性骨髄性白血病と診断され、

 8月20日に亡き人となる。

  

〇番組のラストはこのシーン。☟

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以上で読み物化、完了。

2019年9月20日 (金)

「がんになって良かった」その4/努力してきたから言える言葉

 

今日は令和元年9月20日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

〇山口雄也さんのブログを読んだのをきっかけに、

 山口さんから勇気をもらった人がいた。

 椎名健さん。22歳。

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〇昨年、白血病を診断され、大学院を休学。

 治療の副作用で苦しみ、指1本も動かせない時もあった。

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〇そんな時に目にした「がんになって良かった」

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 椎名さんの語り。

椎名:がんになって良かったと思ったことは、

  本当になかったです。

  また楽しい生活が戻ってくるから、

  今は辛抱だっていう、そのことしか思ってなくて。

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ここに、山口さんの「未来のために生きるのではなく、

今を生きる」の意味を解く言葉があると思いました。

「未来のために生きる」というのは、

「明るい未来を信じて今は辛抱する」ということなのでしょう。

でもそれだと、今の生活が充実しない。

今やりたいことに取り組むことで、今は充実する。

「今を生きる」はそういうことだと思いました。

椎名さんの言葉がきっかけで、理解が進みました。

 

  

〇なぜ山口さんが「がんになって良かった」と書いたのか、

 椎名さんは、山口さんのブログを読みあさります。

 そして、大学院入試のために勉強をしていることなどを

 知ります。椎名さんの言葉です。

椎名:がんになって良かったという言葉は、

  彼が努力してきたから言えるんだなと思って。

  この日々を無為にしてしまったら、もったいないというか、 

  できることをやっていって、最終的にはがんになったことが、

  自分の人生にとってプラスだったって言えるような

  闘病生活をにしたいなと思うようになってきました。

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〇椎名さんはブログにも次のように書きました。

椎名:僕も彼のように、今を大切に生きたい。

  「がんになってよかった」と言える日を信じて。

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椎名さんが言うように、山口さんはきっと大学院入試の勉強だけでなく、

日々努力してきたひとなのでしょう。

1日1日を大事にしてきた人だから「癌になって良かった」と

書いたと思います。

椎名さんのおかげで、ここでも理解が進みました。

  

  

〇椎名さんのことを知って、山口さんがこう言っています。

山口:自分の書いたものが、誰かの力、支えになっているっていう、

  それだけですごくうれしいことですし、

  僕も逆に応援されているというか

  支え合えているというか。

  そういう時に、1人じゃないなって思います。

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〇さらに山口さんはこんな話もしました。

山口:失うものがある中で、やっぱり得るものは多くて、

  こういう経験をしなければ、

  一生知らなかったであろう人々、世界に触れることが

  できたので、それはすごいギフトなんだろうなって

  思っています。 

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若者たちのやり取りが勉強になります。

この番組で、応援し共感しあうことで、

一方的ではなく、支え合っていることが

幾度となく感じることができました。

  

つづく

 

 

  

「がんになって良かった」その3/SNSでつながった知らないだれかに励まされて移植手術を受ける

  

今日は令和元年9月20日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

〇4月から始めた山口雄也さんの取材。

 5月下旬に山口さんは深刻な事態となる。

 白血病のためにすでに昨年骨髄移植を行っているが、

 白血病の再発の可能性が出てきたのである。

 再発したら、治すすべはない。

 山口さん、父親、母親が主治医から説明を受ける。

 再発を防ぐ唯一の治療法「造血幹細胞移植」を行うかどうか。

 これは「ハプロ移植」?であり、副作用が長期にわたるものである。

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〇説明を受けた翌日、山口さんは同意書にサインをする。

 ブログに次のように記した。

山口:移植を選択しなければ、来夏には死んでいるのだ、きっと。

  しかし、移植を選択したとしても、生き延びる保証は

  どこにもない。

  それでも僕は「がんになって良かった」と

  言い続けられるのだろうか。

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〇不安にかられる山口さん。どのような副作用にみまわれるのか。

 副作用として死につながる可能性もあるのだ。

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〇山口さんのSNSに大きな変化が起こる。

 多くの人からの応援のメッセージであふれたのである。

 きっかけは、池江璃花子選手のSNSに

 山口さんが送ったメッセージ。☟

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〇移植に臨む不安を少しでもだれかと共有したい一心の

 メッセージであった。

  

〇この山口さんのメッセージを見た人たちから、

 山口さんのもとにたくさんの応援のツィートが来た。

 手術当日の朝までツィートは続いた。

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山口:ぜんぜん想像してなかったです・

  どこにいるか 男か女か 

  何歳なのか分からないですけど、

  言葉一つで、心がスッて

  感情が変えられるもの

  それが各方面から飛んでくるわけですよ。

  すごいいいなと思って。

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〇SNSでつながった知らないだれかに励まされて、

 山口さんは移植手術を受けた。山口さんはブログにこう記した。☟

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〇山口さんは大学院入学試験に向けた勉強をスタートさせる。

 試験のために外出できるかどうかもわからないけど、

 あきらめていなかった。ブログにこう記した。

山口:未来のために生きるのではなく、今を生きる。

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やはりここに、応援と共感の言葉に素直に喜ぶ山口さんがいます。

青田さんもそうでした。

若者の素直な反応がいいなと思います。

年取ると、きっといろいろなしがらみがあって、

素直じゃなくなる可能性あり。

応援されたって・・・・共感してもらっても・・・・・なんて、

ひねくれるかも。

この番組を見て、応援と共感の言葉は大事なんだ。

その言葉は相手を支え、そして自分も支え、支え合うことができると

思うようになりました。

 

  

山口さんの言葉。

「がんになって良かった」

「未来のために生きるのではなく、今を生きる」

この言葉をよく理解している人が、次に番組に登場しました。

次の記事で書きます。

 

つづく

「がんになって良かった」その2/前向きにとらえようとして出た言葉

  

今日は令和元年9月20日。

  

前投稿に引き続き、9月16日に放映された

ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~」の

読み物化をしていきます。

  

〇山口さんは次のように思った。

山口:がんになってしまった以上、

  がんでない自分はもう存在しない。

  だから僕はがんになってしまった以上は

  がんである自分を肯定して、

  がんっていうものも肯定して生きている。

  生き延びることができるのであれば、

  病になるのは必ずしも悪いことだけじゃない。

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〇がんになったことを前向きにとらえようとして、

 思わず出てきたのが、「癌になって良かった」であった。

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〇この発信に対して、さまざまな意見が届いた。

 その中でチヨちゃんから「がんになって良かったなんて、

 間違っても押しつけないでほしい」という声が届く。

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〇取材陣は、チヨちゃんこと青田チヨ子さんのもとに向かう。

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〇青田さんは、2018年に白血病を診断される。

 「押し付けないで」は、入退院を繰り返す中で出てきた言葉。

 青田さんは次のように言う。

青田:がんになって出会えた人もたくさんいますし、

  みなさんに優しい気持ちをいただいたのはあるんですけれど、

  失うものが私はあまりに多かったので、

  がんになって良かったとは私は言えない。

〇青田さんは、勤めていた会社をやめ、友人と出かける機会も

 めっきり減った。最もつらかったのは医者から「妊娠は難しい」

 と言われたこと。

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〇青田さんは、SNSでマンガを発信している。

 「ある日、ガン患者になりました」

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〇フツーでいいのにそれができないことを残念がる青田さん。

〇自分のために書き始めたマンガであったが、励ましの言葉が

 次々に届くようになる。

 青田さんは今、その声が聞きたくてマンガを描き続けていると言う。

青田:「大丈夫だった?」「お疲れ」とか言ってもらったり、

 「痛いよね」とかあるだけで気持ちが楽になります。

 辛い思いを励ましてほしいという気持ちもありますし、

 みんなに伝えたい気持ちがあります。

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〇青田さんにとって、SNSは一方的な発信ではなく、

 病気と闘う勇気をもらう場へと変わっていました。

   

 

「かわいそう」と思われることに対しては、小林麻央さんも、

山口雄也さんも、そう思われたくないと思っています。

肯定的に生きたいという思いから「がんになって良かった」が

出たことはよくわかりました。

実はこの言葉について、他の角度から分析した人がいました。

それも納得です。あとで書きます。

  

青田さんに限らずですが、応援の言葉、共感の言葉に対しては、

すごく素直に喜んでいます。

傍から、どう声掛けしていいのか迷いますが、

彼らの素直な喜びを見ると、こちらも素直に応援したり、

共感していいんだと思いました。

後で、山口さんの発言の中にもありますが、

応援の言葉、共感の言葉を伝え合うことが、

支え合うことになっていくのだと思います。

応援の言葉、共感の言葉は、巡り巡って自分に戻ってくるのです。

そんなことも実感できた番組でした。

  

つづく

 

                                                                      

  

「がんになって良かった」その1/小林麻央さんの言葉に励まされて発信

今日は令和元年9月20日。

 

ほぼ毎日テレビ番組を録画していて、

片っ端から見たいと思いつつも、

いいテレビ番組に出合うと、見っぱなしにしておきたくない、

書き留めておきたいと思います。

また、テレビ番組の読み物化をします。

読み物化する時に、聞き書きしたり、

テレビ画面を写真に撮ったりして、

テレビ番組を2~3回見直すことで、再発見もあります。

それもうれしいことです。

  

9月16日放映の「ひとモノガタリ ”がんになって良かった”と

言いたい ~京大生のSNS闘病記~

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〇今年の1月、「がんになって良かった」とい発信した京大生が

 が話題になった。☟

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〇なぜこの言葉を発信したのか、本当なら隠しておきたい病気のことを

 不特定多数の人たちになぜ発信するのか知りたくて、

 取材を申し込んだ。

〇「癌になって良かった」と発信したのは、

 京都大学4年生山口雄也君(21)

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〇運動神経の良かった山口君は、人気者であった。

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〇京都大学に現役で合格。公務員の父親の影響を受けて、将来は

 都市計画の仕事に就きたいと考えていた。

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〇2016年、胚細胞腫瘍と診断される。数十万人に一人が患う病。

 珍しいがんであった。

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〇2017年に切除手術。山口さんの胸には大きな手術跡が残る。

 ところが、2018年に今度は白血病を診断される。

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〇1回目のがんよりも、2回目のがんの方が辛かったと山口さん。

 心が折れ、こんな苦しい思いをするなら、生き続ける必要が

 ないのではないかと思った。

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〇そんな山口さんが、自分の病気のことをブログやSNSで

 発信しはじめた。

 そのきっかけは、小林麻央さんの言葉だった。 

 その言葉を聞き書き。

小林:「若く、こどももいるのにかわいそう」と思われたくない。

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小林:私の人生は

  愛する人に出会い。

  2人の宝物を授かり、

  家族に愛され、愛した

  色どり豊かな人生です。

  だから与えられた時間を

  病気の色だけに支配されることはやめました。

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〇小林麻央さんの言葉に励まされて、山口さんはブログを始めた。

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〇闘病生活を、ユーモアをまじえて発信し始めた。

 

 

実際に、このブログに行ってみよう。

或る闘病記

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山口雄也さん twitter

 

つづく

   

 

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉