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2024年9月

2024年9月11日 (水)

釘を使ったパズル/これはなかなか高度な発想だ

   

今日は令和6年9月11日。

  

勤務校の職員室を出たところに、

定期的に置物を手作りして設置してくれる方がいます。

毎回、楽しんで見ています。

2学期スタートは、この置物です。

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お祭りの太鼓、そして出店の様子だと思います。

金魚すくい、フランクフルト、イカの焼いたもの、

チョコバナナ、たい焼き、わた菓子でしょうか。

  

今回は置物の隣に、釘のアートがありました。

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よ〜く見ないとわからないのですが、

1本の支柱役の釘があって、

その釘の上に12本の釘がバランスよく載っています。

弥次郎兵衛状態です。

  

どうやってやるのだろう?

Googleレンズを使って調べたら、すぐにわかりました。

参考になるのが、この動画です。


YouTube: 釘のパズル答え発表!! ※詳しくは前回の動画を見てね。

  

この動画では、最初6本の釘を載せています。

1本の釘の上に、交互に4本の釘の頭部を載せて、

またその上に1本の釘を載せます。

上下並行に置かれた2本の釘を持ち上げることで、

あら不思議、全部の釘が持ち上がり、

支柱役の釘の上に載せます。

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6本の釘を載せるのは、パズルセットとして

市販されているようです。

でも普通の釘なので、手近なところで売っています。

本数を増やすことができます。  

動画では、13本の釘を載せるのに挑戦。

成功させています。

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写真のように、上下2本の釘を持ち上げることで、

他の釘も持ち上がります。

ここのところを、最初に思い浮かべた人がすごいですよね。

そして支柱役の釘の上に載せます。

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この動画の説明で、ちょっと変だと思ったのは、

左右の釘の数が違う方がいいと思われる説明をしていました。

それはどうかな?

動画の最初にやったのは、左右2本ずつでした。

職員室前のは左右5本ずつでした。

バナンスから考えて、左右同じ方がいいと思います。

もちろん、1本違う5本、6本を動画で成功させているので、

できないわけではないのですがね。

  

  

この動画は、1本の支柱役の釘の上に、

6本の釘を載せるにはどうしたらいいかという問いの

答えにあたるものです。

こんな問いを与えられて、この方法を思いつく人は、

そうはいないでしょうね。

  

またいい勉強ができました。

2024年9月 8日 (日)

シャインマスカットに被害を与えるカメムシ

   

今日は令和6年9月8日。

  

毎年、お盆の頃に、ブドウ「巨峰」を買いに行っている農家さん。

今年は、シャインマスカットを栽培していると知って、

あらかじめ電話して、販売が始まっていることを確認して、

買いに行きました。

  

「カメムシ」が大量に発生して、困っちゃう!

農家のおじさんが、電話でも言っていましたが、

実際に行ってみて、処分するブドウの量を見て、

たいへんさがわかりました。

 

私の関心は、どんなカメムシが大量発生をしたのかでした。

(農家の人には申し訳ありませんが・・・)

ちょうど、カメムシに集(たか)られたブドウを見せてくれました。

ビニール袋に入れられていたものを、

カメムシが逃げないように気をつけて見させてもらいました。

 

これです。

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チャバネアオカメムシ!

  

山梨県の農家でも、チャバネアオカメムシの被害にあっている記事。

かがやき農園のシャインマスカット。今年はカメムシ被害に悩まされています。

2024年9月3日の記事です。

今日、行った農家さんも、広い地域でカメムシが発生している

教えてくれました。

ブドウを包んだ紙袋の上からも、カメムシは口を刺して、

果汁を吸うそうです。

それは厄介。

ブドウが大きくなって、包んでいる紙袋に綻びができると、

そこから侵入することもあるとのこと。

  

尖閣諸島がなぜ日本固有の領土なのか

   

今日は令和6年9月8日。

  

この写真を見てください。

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この島のフォルムって、惹かれませんか。

この写真は、ここから転載しました。

尖閣諸島フォトギャラリー 内閣官房領土・主権対策企画調整室

これは尖閣諸島にある南小島の一部だそうです。

  

より調べてみました。

毎日新聞の写真です。↓

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尖閣諸島にある大きな島です。

  

この尖閣諸島が今、よくニュースで出てきます。

中国が古来より中国の領土だと言ってきたからです。

昨晩、YouTube「武田邦彦の『ホントの話。』第169回」を見ました。

尖閣諸島のことを扱っていました。

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58分から見てください。

  

武田邦彦さんが言ったことを、聞き書きします。

  

尖閣諸島については、日本人がしっかりしなくてはいけない。

尖閣諸島は1968年まで、尖閣諸島は国境ですから、

いろいろ問題があった。

その度ごとに、日本政府は、尖閣諸島でこういうことがあったけども、

あなたのところは関係があるかと、

中国政府に問い合わせています。

(中略)

その度に、中国は、尖閣諸島は、私たち中国には関係ありません。

ずっと1968年まで、そう答えています。

だからその記録は、外交文書なんで全部残っているんで、

NHKはこの時こそ、尖閣諸島のいきさつをちゃんと放送するべきで、

(中略)

1968年に国連が、東アジア資源調査団というのを作って、

東アジアを全部調査して、そん時に、

尖閣諸島の付近の海に石油があると、発表しました。

この発表の直後から、中国は尖閣諸島が中国のものだと

言い始めたのです。

NHKは、これを放送すべき。

  

武田先生が、日本人がしっかりすべきというのは、

尖閣諸島が日本の領土であることを、

歴史の勉強をして、理論的に説明できるようにして

おかなければならないということだと判断しました。

中国が、自分たちの領土だって言ってきても、

反論できるようにしておけということです。

そして、NHKは、今回のラジオ放送の不祥事を伝える時に、

この機会を利用して、日本人に、なぜ尖閣諸島が日本の領土なのか

伝えるべきと言っています。

最もです。

より詳しく調べたのが、

先ほどリンク先を示した内閣官房のサイトです。

  

政府はちゃんとわかっています。

内閣官房領土・主権対策企画調整室 「尖閣諸島は日本の固有の領土です」

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以上です。

武田先生の話が、ここに詳しく書かれています。

動画のおかげで、私は中国に対して反論ができるようになりました。







  

「日本文明の真実」④ なぜ日本では翻訳が活発に行われたのか

   

今日は令和6年9月8日。

  

9月6日の記事の続きで、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

  

なぜ日本だけがヨーロッパの書物を翻訳できたのか

ちょっと数え上げただけでも、これほど多数の翻訳書があるわけで

す。

明治の初期にも医学方面の著書訳書は依然として旺盛でした。たと

えば、明治元年には松山棟庵(とうあん)の『窒扶斯(チフス)新

論』、大坂医学校校発行のボードウィンの口述書である『日講記聞」

や海軍病院刊行の『講延筆記』など、あげればきりがありません。

江戸時代で自然科学といえば数学と医学が主でした。維新直後には

物理化学工学などの分野の翻訳も多くなります。日本固有の積み重

ねがあった数学と違い、それらの分野では、日本はもともと欧米に

対抗しえるものは皆無であり、おしなべて欧米の一方的な輸入直訳

だったからです。当時の日本人はそれらの翻訳書によって貪欲に吸

収していきました。

海外の書籍を翻訳するーーー現代人は「そんなの当たり前じゃない

か」と思うでしょう。外国の言葉で書かれた本は、日本語に翻訳し

ないと、みんなが読むことはできませんから、

しかしこの当時、ヨーロッパの書物を翻訳する力は、アジア、アフ

リカなど全世界的に見ても、ほとんどの国が持ち合わせていなかっ

た。

アジアでは比較的文明の高いインドや中国でも、外出版物の翻訳は

ほとんどしていません。自国語に翻訳したのは、日本だけなのです。

「なぜ日本だけがヨーロッパの書物を翻訳したか?」というところに、

私がこの本で主張したいポイントが集約されております。

日本は身分制度がない国だからこそ翻訳文化が発達した。つまり国

民全体で海外の技術を会得しようという意識が常にあった、という

ことです。

身分制度のある国では、海外の知識を取り入れようとか最新の情報

を知見するとかは、特権階級である上層部がやればいいのです。だ

から翻訳して知識を広めることは、逆効果だった。支配層の力を強

くするためには、貴重な本は翻訳しないで、英語とかドイツ語が読

める一部の支配層が理解して、支配の役に立てればいい。これが世

界の国ぐにの基本的思想です。

つまり身分制度、階級制度のある国では、支配層が被支配層を統治

しなければならない。日本以外の他の国はすべて、支配層が被支配

層を統治していて、厳然たる上下関係がある。したがって海外から

もたらされる新知識を上層部の専有にすることによって、国を支配

するための道具として使ったわけです。

ところが日本には、この支配被支配関係がない。もとから天皇陛下

の下においては、全部同じ「国民」であるという発想ですから。だ

から新知識は国民が等しく読めなければいけないということで、当

たり前のように翻訳するわけです。

(87〜88p)

  

当たり前と思っていた「翻訳」にも、こんな裏話があるのですね。

武田邦彦さんは、たくさん勉強をしているなあと思います。

現代はどうなんだろう。

翻訳は、どの国でも行われているのか。

それとも、日本は、今も翻訳が多いのか。

疑問に思います。

  

そういえば、翻訳に関して、

チャンネル登録している「かしまし歴史チャンネル」で

面白いことを言っていました。

  

明治時代に英語「I love you」を翻訳するのに、

日本人は苦労したとのこと。

日本人で、相手に、「私はあなたを愛しています」なんていう人は

あまりいません。だから、どう訳すかです。

夏目漱石は、「月が綺麗ですね」と訳したそうです。

きりゅうさんが紹介していました。

関連本がありました。

「I love youの訳し方」(望月竜馬著/東京雷鳥社)

この本、図書館にさっそく予約しました。

  

小説丸 日本の翻訳文化って、どこがすごいの?【教えて!モリソン先生 第2回】

このサイトにも面白いことが書いてありました。

  

分かりやすい具体例を言うと、和製漢語だね。和製漢語というのは、明

治以降、日本において欧米の言語の訳として新しく作られた日本語のボ

キャブラリーのことだ。数えきれないほど沢山あるけど、いくつか例を

挙げると、「社会」 (society)、「文化」 (culture)、「文明」 (civili

zation)、「民族」 (folk)、「時間」 (time)、「美術」 (art)、「空間」

(space)、「科学」(science)、「分子」(molecule)などなどが和

製漢語にあたる。

  

翻訳のために、明治時代以降に生まれた和製漢語。

面白そうです。

  

有名な話だけど、「恋愛」という言葉もまた、当時のロマン派の詩人、

北村透谷により「love」の訳として初めて作られたものだったんだ。

それまでは「恋」とか「色事」とかいろいろな言葉があったが、「恋

愛」という言葉はなかったし、動詞としての「愛する」もなかったん

だよ。

  

これまたビックリ。

全然有名な話ではないと思います。

さらにもう一つ引用します。これも驚きです。

 

例えば「である」。私たちが記事、論文、エッセーなどを書くときに

しょっちゅう使う、あの「である」という語尾もそうだ。ドイツ語、

英語、フランス語など、ラテン語を起源とする言語にある「be 動詞」

(copula)は、そもそも日本語にないから(前近代の「なり」、「は

べり」、「だ」、「でござる」等を別としてね)、明治の近代化の立

役者たちは欧米の諸学問を翻訳し導入する際、そのcopulaに当たるよ

うな言葉を作らねばならなかった。

彼らとしては、「近代国家」を創設するために「近代国家的言語」を

生み出すことが必要条件であり、その近代国家的な言語はなるべく西

洋の言語に近い方が望ましいと考えていたんだ。「なり」、「はべり」、

「だ」、「でござる」などはあったけれど、歴史的言葉遣いという

ニュアンスが定着していたため、適切とされず、結局「である」が日

本語の「be動詞」として成立し定着したんだね。

(中略)

「である」の起源説はいろいろあるけれど、尾崎紅葉が初めて使った

という人もいれば、島村抱月や国木田独歩が作ったという人もいる、

いずれにせよ、重要なのは、その当時すなわち明治中期から「である」

が普及するに及んだということだ。

そして、「である」以外にも、明治以前の文章と明治以降の文章を比

較すれば分かるように、文法的、構造的相違点は限りなくあって、そ

の多くの違いは欧米の言語との衝突によって発生したものなんだね。

  

「である」は明治時代生まれなんですね。

それも、翻訳の中で生まれてきた言葉。

いやあ、ビックリです。

  

明治時代に大量に行われた翻訳は、

現代の言葉に大きな影響を及ぼしているようです。

これはこれで、関連本があるようです。

「翻訳語成立事情」(柳父章著/岩波文庫)

この本も図書館に予約してしまいました。

  

武田先生の本から、興味が広がりました。

2024年9月 6日 (金)

「日本文明の真実」③ 美祢市にある長登銅山跡

    

今日は令和6年9月6日。

  

前記事に引き続き、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

    

長い引用です。

  

ピラミッドよりも奇跡的な奈良の大仏

前章で、日本の社会は世界の他の国ぐにとは異なり、階級社会といっ

た立体構造ではない。平坦な構造をしていて、そのなかで日本人全体

がひとつの方向を目指して努力してきたことを書きました。それが

2000年間の日本の発展につながり、やがて20世紀のはじめには、欧

米列強の植民地になっていない有色人種の唯一の国になることができ

た(タイという国も植民地支配を免れましたが)。特殊というか、非常

によい状態をもたらしたわけです。

このことをもうひとつ踏み込んで考察してみましょう。

たとえば会社を見ても、社長がものすごく威張っていて、従業員は金

で縛られていやいや仕事に従事させられている組織。そうではなくて

従業員が心の底からみんなで一緒に会社を守り立てていこうという組

織では、効率や成果がまったく違います。

全体の構造として、どちらが効率的に業績を伸ばすのでしょうか。

歴史的に見ても前者である中国やヨーロッパの体制より、日本が代表

である後者のほうが、より大きな力が発揮されるように思います。つ

まり後者のような社会のほうが、勝ち組であると考えています。

具体的な技術との関係で例をあげると、それは奈良の大仏です。

よくテレビなどでは「ピラミッドの秘密」などといって、クフ王のピ

ラミッドはどのようにしてつくられたかなどと特集をしています。も

ちろんピラミッドも高い技術力の賜物といえます。しかし技術的に見

れば、ピラミッドは石を切り出して角錐形に積み上げていくだけのこ

とです。

これに対して奈良の大仏は、まずは銅を溶かす必要があるわけで大変

です。というのも、銅の融点は1000度以上だからです。通常の窯では

そのような温度に至ることができません。登り窯などでようやく800

度、かなり工夫したら900度ぐらいまで上げることができますが、そ

のあたりが限界です。 あれだけ大量の銅を溶かすということは、容易

なことではないのです。

(60〜61p)

    

武田邦彦さんは、この本で日本人の良さを語っています。

奴隷制がなかった日本、階級社会ではなかった日本の良さを

書いています。

ここでは銅に着目しています。続きです。

  
銅の「同族元素」を理解していた奈良時代の人々

ところが、ここがまた日本および日本人の面白いところなのです。

じつは奈良時代にはすでに「同族元素」を理解していたのです。同

族元素というのは、化学的性質が似ている元素のことです。

学生時代に勉強した通り、元素を原子番号順に並べた周期表があり

ます。 同族元素は、周期表で同じ縦の列中に配列されています。こ

の縦の並びを「族」といいます。同族元素は、最外殻の電子が同じ

配列になっているため、よく似た性質をあらわします。

火山国である日本は金、銀、銅がよく採れる。金銀銅は同族元素で

あり他にも、鉛、水銀、ヒ素が、それにあたります。

したがって銅とはいっても、なかにはさまざまな同族元素が含まれ

ているのです。もちろん、当時の日本人が元素という科学的知識を

持っていたわけではありません。それでも同じ銅でも産地によって

違いがあることを知っていたのです。

現在の山口県に長登(ながのぼり)銅山という鉱山があります。こ

この銅は、ヒ素を含んでおりました。銅はヒ素を9%含んでいると、

融点がぐっと下がって900度ぐらいで溶けるのです。このことを奈

良時代の日本人は理解していて、しかもその銅を溶かす工場を長登

付近につくっています。

どういう工場かというと、坂になっているところの土を掘って、そ

こで松明(たいまつ)を燃やすようにして炉をつくったわけです。

銅山跡の中心的位置にある大切製錬遺跡は、大切谷内の小丘陵を壇

状に整地してつくられたことをうかがわせます。そこに選鉱作業場、

炉を中心とした製錬作業場、大溝、暗渠(あんきょ/排水溝)、柵(

さく)などが設けられました。その炉をつくったのは長登に住んで

いる農民で、ご普通の人びとであったようです。

今でも当時の様子を描いた絵が残っています。 棟梁みたいな人はい

るものの、あくまで日本流だし、組織だっているわけではなく、村

人が集まって作業しているといった風情です。

「大仏さんをつくるのだから、一緒にみんなでやろう」という感じ

でしょうか。 地元の伝承では、長登の「ナガノボリ」の語源は、

「奈良のぼり」。つまり奈良に送る銅を産出する、という意味であ

ったといわれます。 その光景がまるで目に見えるようです。

今は使用されていませんが、奈良時代の溶鉱炉の跡は残っています。

実際見に行くといかにも日本流の、全員参加の作業が目に見えてく

るようです。全員で銅の鉱石を運んできて、それを選別し、松明で

燃やして溶かし、一次溶融物をつくって、それを水路で奈良まで運

んでいく。銅はものすごく重たいですから、水路を利用した。この

一連の作業は、素晴らしく見事にシステマティックです。

鋳造で、銅剣や銅鍋などの大きさのものをつくるだけでも大変なの

に、ましてやあの大きな大仏です。 大変さの度合いが格段に違い

ます。こんな技術は世界に類例がないのではないか、と驚くばかり

です。

(62〜64p)

   

奈良の東大寺の大仏の銅は、ここから調達されたそうです。

長登銅山は、閉山を何度かしましたが、

復活を繰り返し、1960年まで使われた銅山だそうです。

現在は観光地化されているようです。

まだ知らない面白いところが日本にはあるんだなと思いました。

グーグルアースで調べます。

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住所は、山口県美祢市美東町。

この市町名は、読み方に自信なし。

美祢市(みねし)、美東町(みとうちょう)でした。

2024年9月 5日 (木)

「日本文明の真実」② 縄文土器はすぐれていた

    

今日は令和6年9月5日。

  

8月30日の記事の続きで、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

  

紀元前1万4000年頃になると、動物がほとんど獲れなくなります。この

結果、世界各地で人口が減る。 その時期に日本人が始めたのが土器づく

りです。 おかげで日本でも多少の人口減少傾向は見られたものの、乗り

切ることができました。

それが縄文土器です。

縄文土器というと、火焔式土器に見られるような装飾的な形をイメージ

されるかもしれません。それはむしろ例外で、本来の縄文土器はツルっ

としたお鍋みたいなもので、模様などもほとんど入っていません。

子供の頃に教科書に掲載されていた装飾的な縄文土器を見て、「いった

い何に使ったのだろう?」と不思議に思ったものですが、実際の縄文土

器というものは非常に合理性が高い。

それは、形だけではありません。土の品質のいいものをきちんと選び、

遠くから運び、それを溶かして火で焼いて固めると、粒子と粒子ががっ

ちりとつながる。きっと縄文人たちは、粒子のつながり方を研究したの

でしょう。非常に頑丈な器をつくりあげた。土器といっても貯蔵用なの

に火で炊いた跡のある土器というのは、世界中でも日本でしか見つかり

ません。

それも非常に古い。 はじまりは、およそ1万6500年前にさかのぼる。

世界的に見ても、こんな時代に、こんなに高度な土器をつくっている

例はまったくありません。それが、縄文土器というものなのです。

ですから他の国では、土器時代ではありません。旧石器時代と新石器

時代という区分です。ところが日本の場合は、歴史上は「旧石器時代」

などと呼称しています。 ただし日本にかぎって実情に即していうなら、

「石器時代の土器時代」と区分する。これが文化の面からアプローチ

した正しい時代区分です。

どうして例外的な実用性の低い装飾土器が、あたかも縄文土器の代表

のように教科書に出てくるかというと、これも近隣諸国条項です。

「この時代、最高の技術を持った土器は日本でつくられていました」

と、書いてはいけないのです。

ですから日本における正しい区分は、5万年前から1万6500年前が旧

石器時代。その時代に、もう高度の石器がつくられています。それか

ら土器時代が1万6500年前から紀元0年頃までということになります。

現在の教科書のように縄文土器、 弥生土器とい区分は、あまり適当

ではないのです。

(33〜35p)

  

これってびっくりの内容です。

縄文土器って、装飾土器は例外なんですね。

ちゃんと実用的な土器が存在していたんだ。

思い込みは怖いですね。

  

縄文時代について、ついでに動画で勉強。


YouTube: 【縄文時代】1万年前の驚きの食生活とは?縄文人は何を恐れどんな世界観で生きていたのか?分かりやすく解説!

ここでも「煮る」ことが、

人類初で縄文時代に行われたとあります。

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日本、進んでいますよ。

2024年9月 2日 (月)

オケラと言ったら「手のひらを太陽に」ですね

   

今日は令和6年9月2日。

   

今日は2学期最初の勤務日。

駐車場についたら、まずはコミカンソウをチェック。

なんと、抜かれていました。

どなたかが、気になって抜いてしまったのでしょう。

残念。少し生き残りがあったので、

よく見たら、赤い実がついていました。

帰りにじっくり写真に撮りたいと思いました。

  

ハトの巣も気になったので、見に行きました。

なんと、巣立ってしまったようです。

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こちらも残念。

ピジョンミルクを親がヒナに与えているのを見たかったし、

ドバトかキジバトかも判断したかったです。

  

家で飼育していた生き物を、少しずつ教室に運ぼうと思います。

今日はオケラ。

ここでも道草 「どぶ」の中から出てきたのは、オケラでした(2024年7月30日投稿)

オケラを発見したのは、7月29日でした。

飼育して1ヶ月以上になります。

数日前に姿を見ました。

まだ生きています。

子どもたちも、実物を見られるといいのだけど。

まずは、私が撮った動画を見せます。

あの歌は知っているのかな。

「手のひらを太陽に」

作詞は、やなせたかしさん。

アンパンマンのやなせさんです。

作曲はいずみたくさん。

この2人のコンビは、

アンパンマンの歌があります。

参考:いずみたく 作曲リスト

このサイトによると、

「あんぱんまんマーチ」(1977年)

「アンパンマン音頭」(1989年)

「アンパンマンえかきうた」(1989年)

「生きてるパンをつくろう」(1989年)

「いくぞバイキンマン」(1989年)

これらの曲を一緒に作っています。

そうそう、8月に記事にした「ゲゲゲの鬼太郎」の

テーマソングは、歌詞は水木しげる、そして作曲はいずみたくさんです。

「からんころんの歌」ももちろんそうです。

1968年の歌です。

  

「手のひらを太陽に」に出てくる生き物チェック。

曲を聴きながらと思ったけど、

3番までのフルバージョンの動画があまりありませんでした。

2番で終わってしまうのが多かったです。

これは3番まででした。

手のひらを太陽に 歌:AIきりたん

そして、生き物が画面に全員登場するシーンもありました。

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ミミズ、オケラ、アメンボ

トンボ、カエル、ミツバチ

スズメ、イナゴ、カゲロウ

  

この9種類。

この中で、オケラとカゲロウの選択はすごいなあと思います。

1963年の歌ですが、オケラやカゲロウは

もっと身近だったのかなあ。

  

  

「手のひらを太陽に」の動画を探していて、

2011年に東日本大震災の復興の応援で作られた動画を発見。

これも3番まであっていいし、応援してるよという気持ちが出ている

良い動画でした。


YouTube: 手のひらを太陽に / パパイヤ鈴木 & Friends(Smile for Japan Official)mov

亡くなってしまった水木一郎さんの姿もありました。

参考までに、動画に付けられた説明です。

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オケラで勉強しました。


  

スズムシ、4匹となる

   

今日は令和6年9月2日。

  

家で飼育しているスズムシ。

5匹いたのですが、昨日1匹死んでいるのを発見。

観察するために、死骸をスプーンで救って、

接写レンズで撮影してみました。

  

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羽根が白いです。

これは羽化した時の状態。

と言うことは、羽化に失敗したのでしょうか。

残念。

 

これで飼育箱の中には、オス2匹、メス2匹です。

  

せっかく飼っているのだから、様子を録画したいと思いました。

オスを撮影してみました。


YouTube: 2024年9月1日 スズムシのオスを接写レンズで撮影 特に変わった動きはしていません

こんな顔をしているんだと、思いました。

触覚を口できれいに掃除するらしいけど、

実際に見てみたいと撮影しましたが、

そう簡単には見せてくれませんでした。

  

また今度挑戦。

  

スズムシの寿命を調べました。

鈴虫を飼いたい!飼い方のコツと必要なもの、注意点まとめ

このサイトから引用します。

  

野生の鈴虫は、ススキや小さな虫の死骸などを食べる雑食性です。寿命は

約1年ですが、成虫として生きる期間は2ヵ月ほどしかありません。

鈴虫は卵の状態で半年以上を過ごし、孵化してから成虫になるまでにも

2ヵ月ほどかかるため、あのキレイな鳴き声を聞ける期間はほんのわずか

しかないのです。

  

8月中に成虫になったので、10月半ばくらいまでかな。

そう考えると、愛しいなあ。

2024年9月 1日 (日)

勤務校にハトの巣/ピジョンミルクを知る

   

今日は令和6年9月1日。

  

8月21日。

出勤した日に、「ハトの巣ができていて、

今は抱卵しているようだよ」と教えてもらいました。

さっそく現場へ行きました。

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ハトの巣は初めて見るかな。

ちょっと下からだと、様子がわかりませんでした。

  

8月30日に出勤した時に、また見に行きました。

ヒナがわかりました。

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ツバメの巣でお世話になった日本野鳥の会のNさんに、

ハトの子育てについて教えてほしいと聞きました。

でもNさんは、ツバメは詳しいけど、ハトはわからんねえとのこと。

でも「ピジョンミルク」を教えてくれました。

  

調べました。

人間の母乳のように、ヒナに与えるミルクがあるそうです。

ハトは、特別であって、なのでピジョンミルク。

母乳は母親だけですが、ピジョンミルクは、

メスだけでなくオスも出すことができるそうです。

  

関連動画をいろいろ見ました。

ピジョンミルクは、口から出します。

けっこうヒナが大きくなっても、

おねだりするシーンがたくさんありました。

  

参考動画。


YouTube: ハトのミルクの秘密 | ナショジオ

  

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メスがオスにOKを出す仕草が決まっているようです。

キスをしているんだという説。

オスがちゃんとピジョンミルクが出るのか

メスが確かめている説。

2通りの説があるようです。

この後、交尾をして、卵を産みます。

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勤務校と同じような材料で作っています。

こういう枝がいいんだ。

  

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素嚢の壁が剥がれて、それがピジョンミルクになるそうです。

高タンパク高脂質だそうです。

いくつか動画を見ましたが、ヒナはピジョンミルクが大好きなようです。

複数ヒナがいると、競って、親の口の中にクチバシを入れています。

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大人になるまでに1ヶ月。

この期間に観察しておきたいです。

  

明日、いい撮影場所を見つけたいなあ。

  

ドバトとキジバトを聞いたことがあります。

鳴き声が違うようです。

典型的な鳴き方「ポッポー」はキジバト。

「デッデ、ポッポー」もキジバト。

「クックー」はドバト。

もともとカワラバトと呼ばれ、人間に飼われていたのがドバト。

こち他の方が人間慣れしていて、家鳩(イエバト)とも言われます。

キジバトは人間慣れしていなくて、

木の上とかに巣を作ります。

と、いうことは、今回の勤務校のハトは、ドバト?

実際に動画で聞いてみよう。


YouTube: キジバトの鳴き声

よく聞くなあ。


YouTube: 鳩[ドバト]の鳴き声~喉元を膨らませながら屋根の上でクルクル回る


これも聞く。

  

鳩ぽっぽーの歌は、キジバトなんだ。

  

明日、ハトの種類も見極めたいですね。  

なぜ「コミカン(小蜜柑)」なのだろう?

   

今日は令和6年9月1日。

  

8月30日に出勤。

2学期の準備を少々しました。

始まりますね、2学期。

いい学期にしたいですね。

  

駐車場にあった草が気になりました。

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気になったら撮影。

Googleレンズで調べると、この草は「コミカンソウ」と判明。

葉っぱの下側に小さな花を咲かせて、実ができることがわかりました。

実の色は白っぽかったです。

なぜ「コミカン(小蜜柑)」なのかなとは思いましたが、

詳しくは調べませんでした。

  

今日、庭の草取りをしていたら、

同じ草を見かけました。

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ここにもあるじゃんと思って、

今回は抜きました。

ゴミ袋に入れたら、コミカンソウの実ができていることに

気がつきました。

また写真を撮りました。

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そうか、こうやって実ができるんだと、

実際に見られて得した気持ちになりました。

  

そこでもう少し調べて、なぜ「コミカン」なのか

突きとめようと思いました。

三河の植物観察 コミカンソウ(小蜜柑草)  

このサイトを見たら、納得しました。

ここに載っていた写真。

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既視感。

見たことあるぞ、この草。

でも今まであまり気にしてきませんでした。

次の2枚の写真が良かったです。

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いやもう1枚。

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実は2mmほど。

とても小さい世界です。

こうやって実をアップで見ると、

その色から蜜柑を連想します。

そしてタネは、蜜柑の房のように分裂するのです。

これは蜜柑だと思いました。

そして「コミカン」に納得です。

  

コミカンソウの全体を見てしまうと、

その良さはわかりませんでした。

こうやって迫って見ると、

この草の可愛らしさがわかります。

  

家の庭のコミカンソウは実が赤くなる前に、

抜いてしまい、ゴミ袋の中。

勤務校の駐車場のコミカンソウで、

私もこの赤い実を接写で撮ってみたいです。

 

1本の枝に雌花と雄花ができます。

先にできるのが雄花。

根元側にできるのが雌花。

根元側に実ができるのも、そのためです。

最近の写真

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