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2024年9月 5日 (木)

「日本文明の真実」② 縄文土器はすぐれていた

    

今日は令和6年9月5日。

  

8月30日の記事の続きで、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

  

紀元前1万4000年頃になると、動物がほとんど獲れなくなります。この

結果、世界各地で人口が減る。 その時期に日本人が始めたのが土器づく

りです。 おかげで日本でも多少の人口減少傾向は見られたものの、乗り

切ることができました。

それが縄文土器です。

縄文土器というと、火焔式土器に見られるような装飾的な形をイメージ

されるかもしれません。それはむしろ例外で、本来の縄文土器はツルっ

としたお鍋みたいなもので、模様などもほとんど入っていません。

子供の頃に教科書に掲載されていた装飾的な縄文土器を見て、「いった

い何に使ったのだろう?」と不思議に思ったものですが、実際の縄文土

器というものは非常に合理性が高い。

それは、形だけではありません。土の品質のいいものをきちんと選び、

遠くから運び、それを溶かして火で焼いて固めると、粒子と粒子ががっ

ちりとつながる。きっと縄文人たちは、粒子のつながり方を研究したの

でしょう。非常に頑丈な器をつくりあげた。土器といっても貯蔵用なの

に火で炊いた跡のある土器というのは、世界中でも日本でしか見つかり

ません。

それも非常に古い。 はじまりは、およそ1万6500年前にさかのぼる。

世界的に見ても、こんな時代に、こんなに高度な土器をつくっている

例はまったくありません。それが、縄文土器というものなのです。

ですから他の国では、土器時代ではありません。旧石器時代と新石器

時代という区分です。ところが日本の場合は、歴史上は「旧石器時代」

などと呼称しています。 ただし日本にかぎって実情に即していうなら、

「石器時代の土器時代」と区分する。これが文化の面からアプローチ

した正しい時代区分です。

どうして例外的な実用性の低い装飾土器が、あたかも縄文土器の代表

のように教科書に出てくるかというと、これも近隣諸国条項です。

「この時代、最高の技術を持った土器は日本でつくられていました」

と、書いてはいけないのです。

ですから日本における正しい区分は、5万年前から1万6500年前が旧

石器時代。その時代に、もう高度の石器がつくられています。それか

ら土器時代が1万6500年前から紀元0年頃までということになります。

現在の教科書のように縄文土器、 弥生土器とい区分は、あまり適当

ではないのです。

(33〜35p)

  

これってびっくりの内容です。

縄文土器って、装飾土器は例外なんですね。

ちゃんと実用的な土器が存在していたんだ。

思い込みは怖いですね。

  

縄文時代について、ついでに動画で勉強。


YouTube: 【縄文時代】1万年前の驚きの食生活とは?縄文人は何を恐れどんな世界観で生きていたのか?分かりやすく解説!

ここでも「煮る」ことが、

人類初で縄文時代に行われたとあります。

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日本、進んでいますよ。

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