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2020年9月

2020年9月13日 (日)

アガサ・クリスティー作家デビューして100年

  

今日は令和2年9月13日。

  

昨日といい今日といい、道草を頑張っています。

寝る前に、もう一つ道草します。

  

2020年9月12日の朝日新聞朝刊の「天声人語」の

引用です。ここにも100年前のことがあったのです。

※参考:ここでも道草 日めくりより/100年前に「バンドエイド」は発明されました(2020年9月13日投稿)

  

 海外ミステリー史上もっとも有名な被害者がいる。1926年刊

行の『アクロイド殺し』に登場する英国人男性ロジャー・アクロイ

ド。その鮮やかなトリックは今も輝く▼東京都三鷹市住む数藤(す

どう)康雄さん(79)は大学院生のとき、その名作で使われてい

る機器に納得がいかなかった。思い切って作者であるアガサ・クリ

スティー本人に手紙で問い合わせる。まさかの返信が届いたのは1

か月後、文通が始まった▼6年後、会社員になった数藤さんに作家

から招待状が届く。キツネにつままれたような気分で英国へ。別荘

で会った第一印象は小柄なおばあちゃん。「お茶や夕食をいただき

ながら、無我夢中で話した。夢の2日間でした」▼ピンと立った口

ひげの名探偵ポアロをひっさげ、クリスティーが作家デビューして

今年で100年。『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の

殺人』など多彩な作品は世界各国で読みつがれ、いまも色あせない

▼自伝を読むと、自由奔放な生き方にも引き込まれる。将校と駆け

落ち同然で結婚するが、失踪事件を起こす。再婚相手は旅先で出会

った14歳下の考古学者。「後戻りはできない、人生は一方通行な

のなのだから」。作中の台詞(セリフ)はミステリーの女王の思い

がにじむ▼何を隠そう、当方も小学生のころ、ポアロの名推理に夢

中になって以来のファンである。誰がアクロイドを殺したのか、再

びページを開きたくなってきた。結末を知っているのに、至高のト

リックにもう一度酔いしれたくて。

  

私は「アクロイド殺し」は読んでいないので、読みたくなりました。

図書館に予約。このような記事が出た日なので、

予約している人が多いかなと思ったら、私が1人でした。

  

そうそう、先日見た「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で、

小松左京の「復活の日」のことをやっていました。

思い出深い本です。

「復活の日」も図書館で予約しました。

こちらも他の予約なし。

ニューカレドニアの「ラグーン」「バリアリーフ」

    

今日は令和2年9月13日。

   

今年の3月1日放映の「世界遺産 天国に一番近い島

ニューカレドニアのラグーン フランス」を見ました。

  

「ラグーン」とは何だったけ?

一緒に出てきた「バリアリーフ」とは?

そんな疑問を持って見始めたら、番組途中で説明してくれました。

  

番組の写真です。

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沖合にでき始めたのが、サンゴ礁であり、

陸地とサンゴ礁の間には、少し堆積物ができています。

このように陸地にそって、間隔をあけてできたサンゴ礁を

バリアリーフ(堡礁)と言います。

気候変動で海水面が上がった場合です。☟

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サンゴ礁(バリアリーフ)は上へ上へと成長します。

陸地との間の堆積物を積もります。

この部分をラグーン(礁湖)と言います。

  

なるほどです。

   

サンゴ礁です。

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上空からの撮影。

左手が外洋。サンゴ礁(バリアリーフ)に当たって、

白波を立てています。☟

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今度は右手が外洋。☟

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左手が外洋。ラグーンが広がります。

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この地形。

グーグルアースで迫りたい。まずはここ。☟

グーグルアース ニューカレドニア

  

  

これらの映像を使って、明日の授業を行う予定です。

明日から地理の勉強。

 

  

日めくりより/100年前に「バンドエイド」は発明されました

    

今日は令和2年9月13日。

  

最近は100年ほど前のことが気になります。

スペイン風邪に注目したのがきかっけでしょうか?

※参考:ここでも道草 「ETV特集 緊急会談 パンデミックが変える社会 歴史から何を学ぶか」から学んだこと(2020年4月11日投稿)

第一次世界大戦が終わったのもほぼ100年前。

 

これも100年前のこと。☟

 

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

「バンドエイド」の誕生秘話とは?

Epson451  

この日めくりを見て、これを機会に会社名を調べようと思いました。

ジョンソン・エンド・ジョンソンの「ジョンソン」って誰?

と思っていたからです。

 

調べました。

有名企業の社名の由来

☝ ここから引用します。

 

ジョンソン・エンド・ジョンソン

バンドエイドで有名な、アメリカ生まれの医療品メーカーです。

1861年、創業者ロバート・ウッド・ジョンソンは

ジョージ・シーベリーと「シーベリー&ジョンソン」

を開業しました。二人の折り合いは悪く、1886年、

ジョンソンは独立して弟二人と共に新会社

「ジョンソン・アンド・ジョンソン」を設立しました。

   

ジョンソン2人ではなくて、兄弟3人だったのですね。

 

「バンドエイド」については、ジョンソン・エンド・ジョンソンの

HPにもう少し詳しく書いてありました。

  

ジョンソン・エンド・ジョンソンHP 100年史

100年史の第18話が「バンドエイド」のことでした。

  

これまた引用します。

   

1920年、ジョンソン・エンド・ジョンソンの有名な製品

「バンドエイド」® が誕生したのは、まったくの偶然だった。

購買部でバイヤーをしていた28才のアール・ディクソン

という社員は、新妻のジョセフィーヌがたいへんそそっかしく、

料理をするたびにケガをすることに常々心を痛めていた。

愛妻家のディクソンはそのたびに傷の手当てをしていたが、

傷は絶えなかった。

そこで彼は、妻がひとりでも手当てができるような

絆創膏を考えついた。

それは、医療用テープの中央にガーゼを付け、

片手でもすぐに手当てができるというものだった。

彼がこの発明を同僚に話すと、ぜひ上司に話すよう薦められた。

 

「職場の仲間たちはこのコンセプトがとても気に入ったようだった」

とディクソンは回想している。

1921年に初めて製品化された「バンドエイド」® は幅9センチ、

長さ54センチの必要に応じて切って使うものだった。

初年度の売り上げは3,000ドルだったが、

営業担当ははさみを持って診療所や薬局を回り、

絆創膏を切りながらその便利さを実演して歩いた。

その後、機械で今のような形態の「バンドエイド」®

百万枚単位で製造されるようになった。

「バンドエイド」® は創業以来、

最も大きい売り上げをあげる製品になった。

ディクソンはそのアイデアで副社長になり、

ジョセフィーヌの不器用さは後々まで語り継がれることになった。

   

日めくりでは、紡績工場で働いていたとされている

ディクソンさんですが、HPによると、

ジョンソン・エンド・ジョンソンの社員だったようです。

この食い違いはなぜだろう?

  

  

100年前のこと。

生き証人がほぼいなくなっている時代のこと。

気になります。

   

2020年9月12日 (土)

「あの日僕らは戦場で~少年兵の告白~」教えながら自分も学ぶ

  

今日は令和2年9月12日。

  

前記事の続きで、

「NHKスペシャル アニメドキュメント あの日僕らは戦場で

~少年兵の告白~」(2015年8月11日放映)より。

   

護郷隊が実際に戦場で戦ったシーン。☟

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これらの映像を生徒に見せました。

  

授業は終えましたが、護郷隊についてはまだ勉強ができます。

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☝ これはドキュメンタリー映画です。

これを見てみたい。

9月25日から発売開始。

予約注文しました。

この映画を監督した方が書いた本です。☟

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新書で752pの本。

分厚そう。

この本も手に入れたい。

いつも利用している図書館には置いてなかった。

買うか?

 

 

教えながら自分も学ぶ。

学びながら教える。

これが道草精神かな?

「あの日僕らは戦場で~少年兵の告白~」5年経ってやっと見ました

   

今日は令和2年9月12日。

  

最近は戦争を勉強する時に、

戦争が始まる前のことと、

戦争が始まってからのことに分ける視点をもつようになりました。

戦争が始まる前、なぜ戦争に至ってしまったのかを、

もっと知りたいと思っています。

そして戦争が始まってしまえば、

平和な時には考えられないような悲惨なことがあったかを

今までもだいぶ知ってきたつもりですが、

まだまだあったはずと思って学んでいきたいです。

  

 

今週は社会科の授業で太平洋戦争を教えました。

戦争に至ってしまった状況を教えたかったけど、

授業にできませんでした。

戦争が始まって起こった惨劇の一つを、

授業では紹介しました。

  

5年前に録画した番組を利用しました。

「NHKスペシャル アニメドキュメント あの日僕らは戦場で

~少年兵の告白~」(2015年8月11日放映)

  

5年前に録画して、今回の授業に使えるかもと思って、

やっと見ることがしました。

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太平洋戦争の沖縄戦では、14~17歳の沖縄の少年兵が、

ゲリラ戦でアメリカ兵と戦いました。

およそ1000人ほどいたそうです。

部隊の名前は「護郷隊(ごきょうたい)」

   

 

うっすら知っていた護郷隊。

この番組で認知して、教えることにしました。

護郷隊の映像は残っていないため、

生き証人の証言をもとに、アニメで再現されました。

印象的なシーンの写真を載せていきます。

  

 

国家のためなら命も惜しまない教育が行われました。☟

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「10人殺したら死んでもいい」と囁く教官 ☝

  

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兵士になるには、17歳以上という制約があったのですが、

アメリカ軍が沖縄に上陸することが必至となった時、

沖縄だけ他に先駆けて、17歳以下でも兵士になれると

軍令によって変更されたのです。

 

1945年4月1日にアメリカ軍は上陸します。☟

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アメリカ軍は2手に分かれ、攻撃を進めます。

細長い沖縄島は逃げ道のない過酷な戦場となっていきました。

 

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北進したアメリカ軍は5万人。

日本兵は3千5百人。

そのうち1000人が護郷隊。

2つの山に潜伏しました。

 

 つづく

  

  

2020年9月10日 (木)

「捨て童子 松平忠輝 1」を読みました

   

今日は令和2年9月10日。

  

松平忠輝とはどんな人なのだろう?

そう思ったのは、今年の7月15日放映の

「英雄たちの選択 家康の終活~徳川の天下を決めた最後の決断~」

を見たのがきっかけです。

徳川家康が、大坂夏の陣を終えてから、

大往生するまでの1年間で、

徳川政権が長期的に続くような手を次々にうったことが

わかりました。

そのような手の一つに、

六男松平忠輝を勘当することもありました。

  

将軍秀忠を脅かす存在と判断されたためです。

  

家康の死後、秀忠に改易された松平忠輝は、

その後は各地を転々として、

最後は現在の長野県諏訪市で亡くなります。

※参考:ここでも道草 「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」② 永田が唱える「軍民一致」(2020年9月5日投稿)

享年92歳。

当時としては長寿。

  

どんな人なのだろう?

改易された後はどのように暮らしたのだろう?

興味を持ちました。

  

そこでこの本を読みました。

Epson451

「捨て童子 松平忠輝 1」(隆慶一郎著/講談社)

   

図書館で借りましたが、1989年11月15日第1刷発行の本で、

私が手にしたのは1990年5月9日第6刷発行の本でした。

半年で6刷。

当時としてはきっと目立った本だったと思われます。

この本を原作にした漫画本も出ています。

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やっと松平忠輝に出会ったという気持ちです。

全3巻の本です。

2巻目以降も楽しみです。

「森立」と書いて「しんりつ」 意味は「林立」と同じ

   

今日は令和2年9月10日。

  

杉渕鐵良先生の講座には何度も行きました。

このブログを始めたのも、

杉渕先生に勧められたからです。

  

今は杉渕先生の本を活用しています。

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「漢字パズル」(スバル舎)

  

その117Pにあった問題です。

Photo  

中央に入る漢字がわかりますか?

 

ヒントから「森林」が思い浮かび、

「森」が入ると思いましたが、

「立」との組み合わせがおかしいです。

「立森」?

「森立」?

困った。

  

解答を見ました。

 

 

「森」が正解です。

  

そして「森立(しんりつ)」という熟語があることがわかりました。

解説を引用します。

  

森立とは、多くのものが並んで立っていることだよ。

同じ意味に「林立(りんりつ)」があるよ。

(118P)

  

そうなんですね。

「林立」は見たことありますが、

「森立」は初めて見ました。

 

杉渕先生とはだいぶご無沙汰ですが、

相変わらず勉強させてもらっています。

2020年9月 8日 (火)

100年前のニューヨークにはすでに摩天楼があった

  

今日は令和2年9月8日。

  

授業で次の映像を使いました。

2015年9月6日放映の「映像の世紀 デジタルリマスター版

3 それはマンハッタンから始まった」

  

番組の写真を載せます。

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1995年当時のニューヨークの景色です。

ニューヨークと言えば、写真のような高層ビル群が思い浮かびます。

これらの高層ビルは「摩天楼」と呼ばれました。

  

ニューヨークに高層ビルが建てられ始めたのは1900年頃だそうです。

1920年代に建設ラッシュがあったそうです。

ほぼ100年前のニューヨークです。☟

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すでにこんなに高層ビルがあったことに驚きです。

こんな映像もありました。

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ゾッとする光景です。

わざわざそんな端っこで食べなくてもいいのにと思いました。

  

  

1919年のニューヨーク。

第一次世界大戦から兵士が帰国し、凱旋パレードです。

Rimg2283  

右手の人たちが巨人に見えます。

高層ビルの上からの撮影だと思いますが、

右手の人たちが立っている場所と、

兵士たちが歩いている道路との区別がつかず、

こんな不思議なシーンになりました。

  

  

  

もう1枚。

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これも100年前の映像の写真。

「自由の女神」が映っています。

調べました。

自由の女神は、1886年に完成しました。

映っていてもおかしくないわけです。

 

  

 

2020年9月 7日 (月)

通算7300本目の投稿/「パーミング」を明日は宣告してみたい

   

今日は令和2年9月7日。

  

コロナ禍でありますが、部活動はだんだん活発になってきました。

私は男子バスケットボール部のサブ顧問。

今年は練習でゲーム審判をすることが多いです。

頑張って走ります。止まります。そしてまた走ります。

ゲームが終わると、指導者はマスクをはめるルールなので、

マスクをします。

すると、ビックリ。

頭から、顔から、玉のような汗が出始めるのです。

  

生徒からも「すごい汗ですね」と驚かれました。

マスクをすると、汗が出るスイッチが入るのでしょうか。

 

退職前年ですが、たくさん審判をやらせてもらっているので、

勉強をしてみようと思って、本を買いました。

20010009784408338835_1 楽天市場

「すぐに試合で役に立つ!バスケットボールのルール 

審判の基本」(橋本信雄監修/実業之日本社)

  

  

勉強になりました。

間違っていたことに気がつきました。

 

「イリーガルドリブル」の記述を引用します。

  

「イリーガル」とは規則に反しているという意味。代表的なイリー

ガルドリブルは「ダブルドリブル」で、一度ドリブルを終えてから

持ったボールを再度床につくことをいう。両手で同時にドリブルを

ついてもダブルドリブルになる。また「パーミング」もダブルドリ

ブルの一種で、ドリブル時に下から上に支え持つような動きになる

と、ボールを一度保持したとみなされる。これらのイリーガルドリ

ブルを犯すと、相手チームのスローインとなる。

(46p)

  

 

私はここでいう「パーミング」のことを

「ホールディング」と言っていました。

「ホールディング」はファウルの一つです。

全く違う反則です。

「ホールディング」は「保持する」という意味もあるので、

ボールをドリブルの途中で手のひらに「保持した」と見えて、

「ホールディング」と思いこんだかもしれません。

英語の「palm」は「手のひら」の意味。

なるほどです。

  

文中にあるように「ドリブル時に下から上に支え持つような動き」に

なりやすいのです。

この文章はわかりやすい。

この文章を頭に入れて、ドリブルを見てみたい。

明日からはジェスチャーも正確に「パーミング」と宣告してみたい。

もちろん実際にそのプレーがあった時です。

    

 

  

通算7300本目の投稿。

7200本目が6月21日でした。

2カ月半余りがかかりました。

2カ月で100本が満足ペース。

少々足りなかった。

2020年9月 6日 (日)

「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」④ 「一日の戦費があれば、数カ月の平和を維持することができる」

  

今日は令和2年9月6日。

  

前記事に引き続き、

「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」

(早坂隆著/文春新書)より引用します。

  

 永田の信念は固い。皇道派の言動を永田は事あるごとに批判し、

過激な国家革新運動と、ソ連に対する「安易な開戦」を強く戒め

た。永田は言う。

「一日の戦費があれば、数カ月の平和を維持することができる」

 永田は「将来の戦争は世界戦争になりやすい」「その惨禍は想

像にあまりある」勝利者の利益は、払った犠牲に及ぶべくもない

」と今後の戦争の形を予測。「国民は戦争による利益を求めては

ならない」「最後まで外交工作によって極力、戦争を避けなけれ

ばならない」と持論を披瀝した。

 これこそが、彼の偽らざる戦争観であった。

 総力戦の恐ろしさを知悉(ちしつ)している永田だからこそ、

万が一の備えはしつつも戦争を回避する道を懸命に探り、安易に

開戦を叫ぶ勢力を牽制したのである。それが軍人・永田の「国防」

であった。

(155~156p)

 

今日はPCの調子が悪く、

文章をうってもいきなり消えてしまうことが数回ありました。

うち直す気力が湧かないので、以上で引用を終えます。

  

  

この本を読んで、

永田鉄山は風化させてはいけない人だと思いました。

戦争へと突入していった日本ですが、

それを制御しようと頑張った人がいたことを

伝えていかなくてはと思います。

  

銅像を見に行きたいなあ。

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