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2016年8月

2016年8月11日 (木)

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その5/坪井直さんの証言

  

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

写真に写っている人たちが何をしているかという視点で

話が進みます。

  

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ナレーター:この人は、草履を脱ぎ、足に何かを塗っています。

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  足元には、四角い箱のようなものが転がっています。

  少し離れた場所で、見ていた人がいました。

  この男性↓が、今も健在でした。

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  坪井直さん。90歳。

  人々は、やけどを負った体に、油を塗っていたのだと言います。

  坪井さんも、塗る順番を待っていました。

  足元に転がっていたのは、食用油の缶でした。

  やけどの応急処置に使うよう指導されていました。

  

坪井さん: 菜種油を持ってきたんですよ。

  食用油ならいいの、それで。

  ところが一人ずつ丁寧にできゃあせえわな。

  みんながぶいぶいぶいっと、どうでもいいやっと、

  手をつっこんだりする。すぐなくなる。

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ナレーター:坪井さんは当時20歳(はたち)。

  広島工業専門学校の学生。

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  将来、エンジニアになって、人の役に立ちたいと考えていました。

  被爆したのは、爆心地から1.2㎞の屋外。

  2人に1人が当日亡くなった距離です。

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  熱線で背中や顔に大やけどを負いました。

  耳の半分がちぎれました。

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  周りには、助けを求めながら炎にのまれる人、

  目玉が飛び出たまま歩く人。

  坪井さんは、治療してもらえる場所を探してさまよいます。

  3時間かけて、ようやくたどり着いたのが、御幸橋でした。

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  瀕死の状態で橋のたもとにたどり着いた時、

  周りを見て、死を意識したと言います。

   

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  (坪井さんの)目の前でうずくまる若い女性。

  裸の上半身は、 焼けただれていました。

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  人々の奥に見える足。

  油を塗る気力もなく、横たわったまま

  亡くなっていく人の姿だと言います。

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  その周りにも倒れた人が何人もいました。

   

坪井さん:もうどうしようもない。

  死ぬ者は死ぬというような状況。

  まあ、死の前のような雰囲気。

  

ナレーター:坪井さんが見た光景を、

  取材でわかった人々の声とともに、再現します。

  

前投稿と同じように、映像を見てください↓

(24:30過ぎからスタートです)

  

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これまた強烈な映像です。

黒い人影だったものが、白黒ではありますが、

さっと人間の姿になる瞬間はドキッとします。

そして動き出す。でもほとんど動けない。

動けないことが、その人の命が消えそうになっていることを

表現していました。

  

聞き書きに戻ります。

  

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ナレーター:坪井さんは手元にあった石で、 

  「坪井はここに死す」と地面に書きました。

坪井さん:俺は20歳でもう終わりかあ。

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  それは寂しかった。

  最後にね、もう誰も助けてもらえないと思っているんだから。

  「ここで死ぬ」と書いたんだからね。

  寂しいというか情けないというか・・・

  

ナレーター:人々が瀕死の状態でたどり着いた御幸橋。

  ここは生と死の境界となっていたのです。

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坪井さんは、オバマ大統領が広島で演説した時に、

その場にいました。

そしてオバマ大統領とも言葉を交わしていました。

ここでも道草 オバマ大統領と「核なき世界」(2016年6月20日投稿)

  

まだつづきはありますが、次の投稿から別のネタで書きます。

明日までこのネタはお休み。 

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その4/河内光子さんの証言つづき

  

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

河内光子さん:この辺じゃったと思うんですよ。

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ナレーター:(写真では)河内さんの斜め前にいた

  この女性の姿です。(=河内さんが忘れられない光景)

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  走っているような姿勢。

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  黒っぽい何かを抱えています。

  

河内さん:黒く焦げたような、

  赤ちゃん抱いて、生きているのか、死んでいるのか、

  わからないんです。

  泣かないんです。

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ナレーター:黒焦げになった赤ちゃんを抱いていたのは、

  その子の姉のようでした。

  少女はどんな様子だったのだろう。

  

  話を聞くうちに、河内さんの記憶が鮮明になってきました。

  

河内さん:(枕を抱えながら)こうやって、何々ちゃんって。

  男か女かわからないんですけど。

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  「起きてや 起きてや」って、揺すったり、

  こうしたりして(左手でたたく)、「起きてや」って

  叫びまくっていたんですよ。

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ナレーター:壊滅地帯から逃れてきた人々がどんな状態だったのか、

  私たちは、河内さんが見た光景を、

  コンピュータグラフィックスで映像化することにしました。

  証言を元に、少女の動きや声を再現していきます。

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  そして確認してもらいました。

    

ここで映像が出ました。

以前に紹介したここを見てください↓

(18:46辺りです)

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河内さん:かわいそうで、かわいそうで、

  でもどうしてあげるわけにもいきませんよ。

  忘れられんですね。

  死ぬるまでもっていくんでしょう、これ(この光景)を。

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コンピュータグラフィックスの再現映像は、

生々しくて心に残りました。

(まだまだつづく)

 

  

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その3/河内光子さんの証言

 

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

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ナレーター:髪の毛はひどく縮れて、ボサボサになっています。

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  服は破け、肌は剥(む)き出しです。

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  人々の多くは裸足。

  着の身着のままで逃げてきたことがうかがえます。

  2枚の写真を並べてみると、

  同じ人物が写っていることに気づきました。

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  セーラー服を着た女性です。

  左腕は服が破れ、血がにじんでいます。

  手は傷ついているようにも見えます。

    

  取材を続けると、この女性が今も健在であることがわかりました。

  河内光子(こうちみつこ)さん。83歳です。

  

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  当時、広島女子高等学校の2年生。

  同級生と映画やおしゃれの話をするのが大好きな13歳でした。

   

  写っているのが自分だとわかった理由は、

  セーラー服の三角襟(えり)。

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  山口県に住むいとこからもらったものでした。

  背中にはけがを負っていました。

  

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河内さん:こうやったら(服を手で払ったら)、

  ガラスがいっぱい、みんなついているんです。破片が。

  血まみれですけどね、痛いという意識はなかったですね。

    

ナレーター:この時、河内さんは、友だちのケガのことで

  頭がいっぱいでした。隣に写っているのが友だちです。

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  (友だちは)服が破れ、肌が露わになっています。

  橋にたどり着くまでに、何があったのか。

  

  8月6日の朝、河内さんたちは、戦地に行った大人の代わりに、

  働いていました。

  爆心地から1.6㎞の貯金局で仕事をしていた河内さん。

  午前8時15分、原爆が炸裂。

  秒速70mを越える猛烈な爆風に襲われます。

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河内さん:シャーって何か、窓いっぱいの火の塊みたいなのが

  入ってきたんです。

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  狙われたっと思ったですね。

  「きたー」と叫んだのを覚えているんです。

  自分の身体が、持ったカードと一緒にフワ~と飛んだんです。

  わーっと思ったら気絶したんです。

  

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ナレーター:河内さんは吹き飛ばされ、壁にたたきつけられました。

  意識を取り戻して目にしたのは、

  内臓が飛び出た姿で息絶えていた女の子。

  その子を踏まないように外へ出ると、

  顔を血で染めた友だちがいました。

  

河内さん:友だちがね、私に抱きついてきたんです。

  「みっちゃん 頭が割れた」と言うんです。

  「ええ!」って言うて、(友だちは)血まみれでした。

  それで私に抱きついたから、私ここら(体前面)が血まみれです。

    

ナレーター:壊滅地帯で火災が確認された場所です。

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  原爆投下とともに発生した火災は、徐々に広がっていきました。

  河内さんは、友だちと自宅をめざしますが、

  火災で近づけないと聞き、引き返します。

  通れる道を探しながらたどり着いたのが、御幸橋でした。

    

  投下から3時間後。何が起きたのかわからないまま、

  傷ついた体でここ(御幸橋)にいたのです。

  

  河内さんにとって忘れられない光景が写真に写っています。

  

  

この「忘れられない光景」については、次の投稿で。

  

  

  

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その2/撮影者は松重美人さん

 

今日は8月11日。

  

8月9日・10日と東京に行ってきました。

いい2日間でした。

またこのブログに書くことが増えました。

他にも書きたいことが目白押し。

でも少しずつ書きとめていきたいです。

8月8日の投稿の続きで、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

ナレーター:広島の新聞社(中国新聞社)に厳重に

  保管されているものがあります。

Rimg9666 ※よく見ると、箱のラベルに

「松重美人氏原爆写真オリジナルネガ」と印字されています。

  

ナレーター:原爆投下の3時間後に撮られた写真のネガです。

  投下直後の混乱の中、川で現像されたと言います。

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  撮影したのは、新聞社のカメラマンだった松重美人(よしと)さん。

  爆心地から3㎞離れた自宅で被爆。

  カメラを持って街の中心部に向かう途中で、

  惨状を目の当たりにしました。

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  当時、国民の戦意を削ぐような被害の写真は、

  撮影を禁じられていました。

  松重さんは、それに背いてシャッターを切ったのです。

 

松重さんの手記:目前に見る多くの負傷者の眼差しが、

  私に集中している。

  この惨状を写真にして多くの人に伝えてほしいと

  言われているように思えた。

  撮ることが酷(むご)いことか、撮ることが正当なのか、

  私は迷った。

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ナレーター:1枚目の写真は、長い躊躇の後、

  伝えなければとシャッターを切りました。

  

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  10歩近づいて撮った2枚目。

  涙でファインダーが曇り、

  これ以上撮影することはできなかったと言います。

  

  

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  松重さんが写真を撮ったのは、

  「御幸橋(みゆきばし)」と呼ばれる橋の上です。

  当時から、街の中心部と郊外を結ぶ重要な橋でした。

  撮影された場所には、写真が掲げられています。

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  そこに写る多くの人々。

  なぜここに集まっていたのか。

  

  原爆投下直後、広島を被った(おおった)きのこ雲。

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  その下で、壊滅地帯となっていた2㎞圏内。

  御幸橋は、火災をかろうじて免れました。

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  そのため、郊外に逃げようとした人が、

  ようやく立ち止まれた場所だったのです。

  カメラは、人々を橋の中ほどからとらえていました。

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  (この写真の)右奥が爆心地です。

  写っている人たちはどんな状態だったのか?

(つづく)

2016年8月 9日 (火)

写真あれこれ/今年の「秋味」の発売は23日(火)

 

今日は8月9日。

  

デジカメのSDカードの写真を整理していたら、

いろいろな写真がありました。

  

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↑2015年9月4日撮影

昨年の秋のビール類です。

右端のピオーネの味のチューハイもおいしかったです。

もちろん秋のビールの横綱はキリンの秋味。

今年はいつ発売か調べてみました。

8月23日(火)だそうです。

さらに今年はこんなのがある↓

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キリンのサイトによると・・・・

同日(8月23日)に「キリン 秋味」ブランドから

初のエクステンション商品として

「秋味 堪能」を数量限定で新発売します。

品種は、305mlびんです。(中略)

麦芽をたっぷり1.5本分(当社比)使用し、

アルコール7%の濃密な味わいで、

飲むほどに広がる華やかな香りと麦の甘みが特長です。(中略)

パッケージ 凛とした秋夜の静けさに色めく

紅葉のコントラストが映える、

秋の夜のひとときを堪能するデザインです。

引用:KIRIN 発売26年目の秋の定番ビール「キリン 秋味」を発売

 

毎年8月下旬の楽しみである「秋味」の発売。

もうじきだ。

  

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↑2016年1月22日の撮影。

後続車の緑色のヘッドライトが気になりました。

どうやって緑色にしているのだろう?

これって違反?

  

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↑2016年6月8日撮影

時々昆虫が私の教室に入ってきます。

写真に撮っては、子どもたちと図鑑で調べます。

これは「モンキアゲハ」でした。

翅がボロボロになっていますが、逞しさを感じました。

なぜ白い紋なのに「モンキ(紋黄)」?

次のサイトが答えてくれました。

http://www.geocities.jp/sat0b1/monkiageha.html

  

羽化したては画像のように白いが、

日にちが経つにつれ黄色味を帯び、

標本にするとさらに黄色くなることから名づけられたそうです。

  

 

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↑2016年7月11日撮影。

これも教室に入ってきた昆虫。

同定に苦労しました。

図鑑で見ると、翅のつけ根の模様から

私は「ベッコウトンボ」だと思いますが・・・・。

インターネットで見ると、胴体の色が違うなあ。

まただれか教えてください。

   

  

以上です。

今朝の投稿はここまで。今日と明日は東京です。

タブレット端末と特別支援教育の勉強をしてきます。

とた

2016年8月 8日 (月)

やまゆり園に寄り添う一筆/金澤翔子さんの記事

 

今日は8月8日。

  

8月5日の朝日新聞夕刊に次の記事がありました。

  

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金澤翔子さんも障害者。

2014年には、津久井やまゆり園に行って書を書いているのですね。

金澤翔子さんが書を書いているのを見ていた人たちの中にも、

きっと犠牲者はいたでしょう。

金澤翔子さんにとっても心痛な事件となったことでしょう。

19人が死亡したこの事件。

特別支援学級担任としては、

障害者は死んだ方いいという発言には憤りを感じます。

障害者であっても、一生懸命に生きていることには

変わりないのです。

  

犯人がナチスのことを出してきたことにビックリです。

2015年11月7日に放映された

【ETV特集 それはホロコーストの”リハーサル”だった

~障害者虐殺70年目の真実~】が思い出されます。

ブログにこの番組について6本の投稿で書きとめました。

ここでも道草 「それはホロコーストの”リハーサル”だった」より1.「優生学」(2016年1月4日投稿)

  

今晩の8時、もうすぐこんな番組があります。Eテレです。

ハートネットTV 緊急特集『障害者施設殺傷事件』」

相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件。

番組では障害のある人や家族から

事件で感じた事、伝えたい事を募集。

命の尊厳を大切にする社会を実現するため何が必要か考える。

※引用:http://tv.yahoo.co.jp/program/19363103/

  

さっそく見ます。

  

※参考:ここでも道草 金澤さん親子の講演会(2016年6月17日投稿)

今日の午後、大給城に行く予定です

  

今日は8月8日。

  

今日は大給城(おぎゅうじょう)に行きたいと思っています。

※参考:ここでも道草 大給城に行ってみたくなりました(2016年7月22日投稿)

こんなのを作りました。

  

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「三河大給城縄張り再考」

(高田徹/愛城研報告第14号/

愛知中世城郭研究会編 2010年8月発行)を参考にして

作成しました。

大給城址の地図に、上記論文の記述を書きこんでみました。

やっぱり研究者はしっかり観察しているなと思うとともに、

城をつくった人たちの工夫もわかってよかったです。

実際に行くことで、たくさんのことに気がつきたいです。

  

場所はこのサイトが便利です↓

攻城団 愛知県 大給城

近くにある豊田市立松平中学校を目標にして行こうと思います。

午後からですね。

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その1/2枚だけの写真

  

今日は8月8日。

  

いつかやりたいと思っていたら、1年経ってしまったことを実行。

昨年の8月6日に放映された

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

をこのブログに書きとめておきたいです。

できるだけ聞き書きをし、写真も載せていきたいです。

 

ナレーター:1945年8月6日、アメリカが投下した原子爆弾。

    上空、およそ600mで致死量の放射線を放ちながら

    炸裂しました。

    直後に発生した熱線で、爆心地の地表温度は

    3000℃以上に達しました。

    さらに、秒速440mの爆風が発生。

    その後、火災が街を焼き尽くします。

    爆心地から2㎞圏内は、いわば壊滅地帯となりました。

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    しかしここで人々がどのように亡くなったのか

    詳細はわかっていません。

    それを知る手掛かりになる写真が、

    世界で2枚だけ残されています。

    投下の3時間後、人々を写した写真です。

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    人々の服は破れ、髪の毛はひどく縮れています。

    投下直後の人々を記録した貴重な写真ですが、

    これまで詳しく検証されたことはありませんでした。

    撮影されたのは、爆心地から2.3㎞。

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    壊滅地帯のすぐ外側でした。

    今、この写真から壊滅地帯で起きていたことを、

    明らかにできないか、今回写真に写る人たちや、

    当日その場所を通った人を探し、31人から話を聞きました。

    (中略)

    さらに写真を最新の映像技術で解析しました。

    アングルを変えたり、拡大することによって、

    人々の姿が初めて浮かび上がってきました。

    横たわる人、うずくまる人、瀕死の状態で逃れてきた人々たち。

    また医学的な分析のよって、けがの状態もわかってきました。

    通常では起こりえない原爆特有のやけどを負っていたのです。

    (中略)

    証言者が語る地獄とはどんなものなのか。

    写真に写る人々の姿を、取材で得られた事実をもとに、

    再現します。

    原爆が投下されてから70年。

    写真に焼きつけられた、きのこ雲の下の真実に迫ります。

  

  

ここまでナレーターが話して、番組タイトルが出ました。

2枚の写真から真実に迫っていくこの手法に注目です。

1年前に見て、いい番組だと思いました。

私は録画しましたが、ネット上でも見ることができるようです。


YouTube: きのこ雲の下で何が起きていたのか

通算4900本目の投稿/洗濯場踏切・枯れススキはどうなる?

  

今日は8月8日。

  

こんな名前の踏切がありました。

  

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「洗濯場踏切」です。

 

8月6日の自転車通勤で、別コースで帰宅したら出会いました。

この付近の地名でしょうか?

以前にブログに書いた人がいました。

豊川、おっさんの輸入雑貨屋さん 洗濯場踏み切り (2014年5月31日投稿)

地名の謂れ(いわれ)については、解明していません。

踏切の写真を一覧しているサイトもありました。

関西の踏切 JR・飯田線(1) 豊橋-豊川

”地図”をクリックすると、場所がわかるようになっていました。

私も真似をしてみます。

地図

この地図を見た限りでは、「洗濯場」の地名はありません。

より詳細な「住宅地図」で確かめたくなりました。

勤務校にあるなあ。

  

場所的には河岸段丘の上がった場所。

川のようなものは見当たらず。

井戸でもあったのかな。

  

  

以前、ススキを観察した場所が近くにあります。

久々撮影してみました。

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枯れススキはどうなる?という課題。

昨年の枯れススキはそのまま残っています。

ほっとけば枯れススキはそのまま残る?

  

やっと4900本目の投稿。

8月31日までに5000本はキツイなあ。  

ここでも道草 現在4859本目「ここから、ここから」5000本をめざす(2016年7月16日投稿)

2016年8月 7日 (日)

人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?/山田哲人選手

  

今日は8月7日。

  

このブログは将来使うかもしれない資料の保存庫でもあります。

先日見かけたニュースは、読んだだけでは終えたくない、

できたら身近に保存しておきたいものでした。

  

デイリーニュースオンライン 2016.8.1.

 

8月。間もなく、甲子園本大会が幕を開ける。

今年の地方大会は例年以上の接戦、

番狂わせのゲームが多く、見どころに尽きなかった。

そのなかの大きなトピックスとして上げられるのが、

「名門・PL学園最後の夏」ではないだろうか。

春夏合わせて7度の全国制覇、甲子園歴代3位となる通算96勝、

プロで活躍した卒業生たち……。

様々な視点から、改めてPL学園のこれまでの功績に

スポットが当たった。

PL学園が果たした功績にひとつつけ加えることがあるとすれば、

その存在がPL学園以外の球児たちにも大きな影響を与えたことだ。

「打倒PL」を目指して日々の練習に励み、

プロ入りを果たした野球人は実に多い。

その中のひとりが、今をときめく球界スター、山田哲人(ヤクルト)だ。

 

今ひとつ目立たない選手・山田哲人

史上初の2年連続トリプルスリー。

さらには三冠王どころか、盗塁王もあわせた

4冠王も狙える位置につける山田哲人。

球界を代表する、どころか、

球史を代表する選手への道をひた走っている。

球界屈指のスーパースターとなった山田。

だが、大阪・履正社時代、2年秋頃までの山田は、

のちにスターになるどころか、

プロに入れるほどの選手だとは思われていなかったという。

確かに運動神経はよかった。野球センスも抜群。

強豪・履正社でも1年夏からベンチ入りを果たし、

2年夏にはクリーンナップも務めた。

強豪校のレギュラーとして、まぎれもなく「いい選手」だった。

でも、「今ひとつ目立たない選手」と評価されることも多かった。

「今ひとつ目立たない選手・山田哲人」。

その姿に誰よりも不満を抱いていたのが

履正社の岡田龍生監督だった。

「なんてもったいない選手だろう。もっとやる気を出せば、

もっとすごい選手になれるのに」といつも思っていたという。

 

PL戦でのエラーもたらした、山田の意識改革

そんな山田が変わるキッカケが、2年秋の大阪大会、

準々決勝でのPL学園戦だった。

この試合で山田はフライを落球。

チームの敗戦につながる痛恨のエラーとなってしまう。

当然センバツ出場には届かず、試合後、

涙が止まらないほど悔しがる山田の姿があった。

山田がチームの誰よりも練習するようになったのは、

この敗戦の後からだった。

この頃から「プロに行きたい」と口にするようになったという山田。

目的意識が芽生えたことで、

野球に対してはじめて本気で取り組むようになったのだ。

その成長スピードは、岡田監督が

「人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?」と驚くほど。

3年春になる頃には、大阪では誰もが認める評判の選手になっていた。

 

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40度の高熱に負けず放った、PL戦・意地の同点打

PL学園戦でのエラーをキッカケに自らを見つめ直し、

急成長を遂げた山田。

迎えた最後の夏、甲子園を目指した

大阪大会4回戦で対戦したのがPL学園だった。

試合は8回を終えて5対7と、履正社が2点を追う展開。

9回表、最後の攻撃は1アウト二、三塁。

一打同点の場面で、打席には山田。

ここで山田は見事に同点タイムリーヒットを放ち、

延長戦で履正社が逆転勝利を果たした。

実はこの試合、山田は40度近い高熱に耐えながらプレー。

チームの主軸として、甲子園、そしてその先のプロに進むため、

意地で放った一発だった。

PL学園戦での勝利によって勢いに乗った履正社は、

激戦区・大阪大会を勝ち上がり、

13年ぶりとなる悲願の甲子園出場権を獲得。

大阪大会での山田は打率4割を超え、13打点を記録した。

その活躍がフロックではないことを証明したのが

甲子園でのプレーだ。

山田は1回戦でホームスチールを成功させて

野球センスの高さを見せつけると、

2回戦では聖光学院の歳内宏明(現・阪神)から、

同点に追いつく2ランホームラン。

勝負強さとパンチ力も披露した。

試合には敗れてしまったものの、

この甲子園での活躍によって、秋のドラフトで1位指名を果たしたのだ。

 

群雄割拠の高校野球

以降の活躍ぶりはあらためて記すまでもないだろう。

強調しておきたいのは、PL学園戦でのエラー、

そして起死回生の同点打。

このふたつのプレーが今の山田哲人を形成する上で

欠かせない要素だった、ということだ。

そしてあらためて思う。

これからの高校球界で、「打倒PL」と誰もが目標にするようなチームは

どこになるのだろうか? と。

例年であれば、平成最強横綱・大阪桐蔭や

昨夏の覇者・東海大相模、昨春のセンバツ覇者・敦賀気比などが

その第一候補。

だが、今年の夏はそろって敗れ、甲子園には姿を見せない。

まさに群雄割拠。新たな時代を迎えようという高校野球と甲子園大会。

球児たちの一投一打から目が離せない日々が、間もなく始まる。

文=オグマナオト

  

  

以上です。

山田哲人選手には、このようなことがあったのですね。

Photo Web Sportiva

「人間は意識が変わるだけでこんなに変わるのか!?」

という監督の言葉が印象に残りました。

悔しい体験は人を変える可能性があることを示す例ですね。

道徳で使える可能性のあるニュースだと思いました。

ニュース元はいつか消えてしまいますが、

ここに保存したぞ。

  

  

今日から甲子園での高校野球が始まりました。

高校生の頑張りを見て、元気をもらおう。

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉