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2016年8月11日 (木)

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その2/撮影者は松重美人さん

 

今日は8月11日。

  

8月9日・10日と東京に行ってきました。

いい2日間でした。

またこのブログに書くことが増えました。

他にも書きたいことが目白押し。

でも少しずつ書きとめていきたいです。

8月8日の投稿の続きで、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

ナレーター:広島の新聞社(中国新聞社)に厳重に

  保管されているものがあります。

Rimg9666 ※よく見ると、箱のラベルに

「松重美人氏原爆写真オリジナルネガ」と印字されています。

  

ナレーター:原爆投下の3時間後に撮られた写真のネガです。

  投下直後の混乱の中、川で現像されたと言います。

Rimg9655

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  撮影したのは、新聞社のカメラマンだった松重美人(よしと)さん。

  爆心地から3㎞離れた自宅で被爆。

  カメラを持って街の中心部に向かう途中で、

  惨状を目の当たりにしました。

Rimg9668

Rimg9669

  当時、国民の戦意を削ぐような被害の写真は、

  撮影を禁じられていました。

  松重さんは、それに背いてシャッターを切ったのです。

 

松重さんの手記:目前に見る多くの負傷者の眼差しが、

  私に集中している。

  この惨状を写真にして多くの人に伝えてほしいと

  言われているように思えた。

  撮ることが酷(むご)いことか、撮ることが正当なのか、

  私は迷った。

Rimg9670

  

Rimg9671

ナレーター:1枚目の写真は、長い躊躇の後、

  伝えなければとシャッターを切りました。

  

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  10歩近づいて撮った2枚目。

  涙でファインダーが曇り、

  これ以上撮影することはできなかったと言います。

  

  

Rimg9673

  松重さんが写真を撮ったのは、

  「御幸橋(みゆきばし)」と呼ばれる橋の上です。

  当時から、街の中心部と郊外を結ぶ重要な橋でした。

  撮影された場所には、写真が掲げられています。

Rimg9674

Rimg9675

  そこに写る多くの人々。

  なぜここに集まっていたのか。

  

  原爆投下直後、広島を被った(おおった)きのこ雲。

Rimg9676

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Rimg9678  

  その下で、壊滅地帯となっていた2㎞圏内。

  御幸橋は、火災をかろうじて免れました。

Rimg9679   

  そのため、郊外に逃げようとした人が、

  ようやく立ち止まれた場所だったのです。

  カメラは、人々を橋の中ほどからとらえていました。

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  (この写真の)右奥が爆心地です。

  写っている人たちはどんな状態だったのか?

(つづく)

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