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2016年8月

2016年8月 7日 (日)

「キャプテンシー」からの引用/人気は抜群、強さはない阪神

  

今日は8月7日。

  

「キャプテンシー」(鳥谷敬著/角川新書)より。

  

「鳥谷はよく練習をする」と言われるし、

自分でも人よりやっているという自負はあるけれど、

正直に言えば、やりたくないときもある。

たとえば朝、ランニングに行きたくなくて、

「走ろうかな。それともやめようかな・・・・」と迷うことがある。

でも、僕は決めている。

「迷ったら、行く」

「走らなくてもいい」と迷わず思えたときは行かないけれど、

少しでも「どうしようかな」という気持ちがよぎったら、

仕事と割り切って絶対に「走る」と決めている。

そうしないと、どうしても怠けてしまいたくなるからだ。

(126~127p)

  

「迷ったら、行く」は大事な考え方。

でも今朝は止めちゃったなあ。

本当は朝、本宮山に行きたいと思っていましたが、

昨晩は宴会で飲み過ぎて、今朝はダウンしていました。

この時間になって「行っておけばよかった」と後悔。

  

  

座右の銘にしている言葉がある。

「ピンチと思うな、チャンスと思え」

たとえピンチに見えるときでも、

それは「次のステップを踏み出すチャンスである」

という意味だ。

調子が悪いときは、どうしても「まずいな・・・」と思ってしまい、

焦りが生まれがちだ。

でも、そういうときでも、僕はこう思うようにしている。

「これは、もう一段うまくなるための、野球選手として

大きくなるためのチャンスなんだ」  (130~131p)

 

ピンチだと思ってしまうと、「どうしよう、どうしよう」と焦るだけで、

結局何もしないまま終わってしまうことが多い。

それでは何の解決にもならないし、進歩も成長もない。

けれども、自分を成長させるチャンスだととらえれば、

「こうしたらどうだろう」「こうしたらああなるのではないかな」と、

そこから次のステップを踏み出すための方法を考えるようになる。

(132p)

  

ピンチの状況では「どうやって切り抜けるか」と

楽しむことを考えようとしています。

そうすると頭が動き出してアイデアが出てきます。

チャンスと思えたら、さらに頭が動くでしょう。

結局何もしないままにならないようにしたいです。

  

  

サインに何か言葉を添えてほしいと求められたとき

「向上心」と書くようにしている。

現役でできる期間残り少なくなってきたいま、

あらためてその言葉の大切さをかみしめている。

悔いを残さないよう、これからも、

いやこれまで以上に向上心を忘れず、

1年1年しっかりやっていきたいと考えている。

言い換えれば、向上心がなくなったとき、

結果を出すために準備をすることが億劫になったとき、

それがバットを置くときだ

そういう覚悟をもって試合に臨みたいと思っている。 (156p)

  

私も残り5年あまり。

向上心がなくなったからといって、バットを置けない身だけれど、

逆に最後まで向上心を持ち続けたいです。

  

今のチームは、優勝を経験している選手がほとんどいない。

「この一球で、この一打で優勝が決まる」

そういうしびれるような場面を経験するのは、

とくに若い選手にとっては大きな意義がある。

大きく成長を促してくれる。

だからこそ、優勝することが新しいタイガースの伝統を

つくっていくためには絶対に必要だ。  (185p)

  

  

阪神、優勝から遠ざかっているよなあ。

阪神について鳥谷選手はこうも言っています。

  

タイガースはたしかに歴史は長いが、

ほんとうの意味での伝統があるかといえば疑問だ。

人気は抜群にある。でも、はっきり言って、強さはない。

それがタイガースの歴史だ。

とすれば、人気だけでなく、強さを感じられるチームに

変えていかなければならない。

そういう方向に向かっている感覚を持てるような

チームにしなければならない。

それが僕たちに課せられた役割だ。 (184p)

  

  

やっぱり鳥谷選手から目が離せなくなりました。

ここまで書いてしまうんだとビックリ。

基本私は巨人ファンですが、阪神にも強くなってもらいたい。

ちなみに息子はなぜか阪神ファン。

以前は新井選手が好きで、

小学生の時の野球チームでの背番号は25でした。

今は鳥谷選手のファンです。

  

以上で「キャプテンシー」からの引用は終了。

  

「キャプテンシー」からの引用/運をつかむには準備

 

今日は8月7日。

  

「キャプテンシー」(鳥谷敬著/角川新書)より。

  

バッティングにしろ、守備にしろ、チームが苦しい場面で

打順が回ってきたり、打球が飛んできたりしたときに、

どんなプレーができるかで、その選手の価値が決まる。

僕はそう考えている。

不思議なもので、そういう場面で出番が回ってくる選手と

回ってこない選手がいる。

それは運なのかもしれないけれど、

その運をしっかりつかめる選手がいい選手なのは間違いない。

(中略)

運をつかめる人とつかみそこなう人の違いがどこにあるのか、

はっきりわからないのだが、ひとつだけ言えるのは、こういうことだ。

「運を味方にするためには、しっかりした準備が必要だ」

練習のときももちろんだが、試合をベンチから見ているときも、

ただ漫然と過ごしているのか、

それともいつ出番が回ってきてもいいように、

しっかり考えながら準備をしているのかで、

結果はずいぶん変わってくるに違いない。

僕はそう思うのだ。 (109~110p)

  

教師だって準備が必要。

実力を高めておきたいと、いい年になっても思います。

鳥谷選手はこうも言っています。  

  

「いま自分に運が来ている」なんて、

そのときは誰も気がついていないのではないか。

あとから振り返って、

「ああ、あのときは運がよかったんだな」とわかるものだと思う。

(110p)

  

その時その時を全力でやるのがいいんですよね。

後悔しないように。

 

「もし自分が打てなくても、きっと次のバッターが何とかしてくれる」

たとえ自分が凡退しても、次のバッターがヒットを打てば、

チームは勝てる。

その代わり、人がダメだったときは、

「自分がなんとかしよう」と奮い立つ。

僕はいつもそう考えているし、

それが団体競技としてのいいところでもあると思う。

シーズンは長い。

いいときもあれば、悪いときもある。

悪いときは「なんとかしなきゃいけない」と気持ちばかり焦って、

自分を追い込みがちだ。

でもそうなってはかえって泥沼にはまっていく。

ひとりで何でも背負いこまず、ダメなときはほかの人にまかせて、

そのぶん、自分がいいときはフォローすればいい。

僕はそう考えている。 (114p)

  

「なんとかしなきゃいけない」と追い込みがちの自分にとっては、

大事な言葉です。

自分がやれるときは人のためにも頑張る。

時、人は力を発揮できると思います。

  

次の考え方もいいなと思いました。

  

「プレッシャーは人から与えられるものではないし、

状況が強いるものではない。自分自身が勝手につくっているんだ」

思うのだが、自分がプレッシャーだと感じているほど、

周囲は気にしていないのではないだろうか。

もちろん、そのとき打てなければ非難される。

罵倒されることもある。

でも1年も経てば、あのときはどうだったかなんて、誰も憶えていない。

妙なたとえだが、発車する電車に駆け込もうとして

急いで階段を駆け上がったら、つまづいてこけてしまったとする。

自分ではすごく恥ずかしいと感じる。

でも、じつは周囲の人たちはそんなに気にしていないはずだ。

こけた姿を見てそのときは笑っても、

次の瞬間にはもう忘れている。

それと一緒で、たとえチャンスで凡退しようと、

自分が思っているほど周囲は気にしない。

僕はそう思って打席に臨んでいる。 (116~117P)

  

そうなんだ、自分が思っているほど、

失敗は周囲は気にしていない。忘れてしまう。

そう思いながら、その場その場頑張ろうというわけです。

みんないろいろあるから、人のことなんか忘れてしまうんだよなあ。

そのことを自覚することでだいぶ行動に思いっ切りができると思う。

自然体験がなぜいいのか/親野智可等さんの意見

 

今日は8月7日。

   

親野智可等さんのことはこのブログに何度も書いてきました。

今回も書きとめたいことがありました。

  

このサイトが勉強になりました。

親力講座 夏休みは自然体験・アウトドア体験を。自由研究にもなる

 

テレビからの情報を、親野さんはこう書いています。

  

テレビなどの加工された情報は、

情報の作り手のフィルターを通した、

非常に限定的かつ意図的な情報です。

なので、みんな同じような受け取り方しかできないのです。

小動物の様子をテレビで見れば、

みんな「かわいい」と言って、それで終わりです。

  

なるほどと思いました。

確かにささやかに番組作りをしたことがありますが、

映像の取捨選択は「捨」が多いです。

そして自然体験についてこう書いています。

  

でも、本物の小動物を追いかけて捕まえたり、触ったり、

抱きかかえたり、エサをやったりすれば、

非常に多くの感想を持ちますし、

しかもそれが人によってかなり違ってきます。

「思ったよりくさい」「かわいいけどけっこう狂暴」

「毛がゴワゴワで触ると痛いくらい」

「抱っこすると目をつむってメチャかわいい」

「抱っこしていると温かくてほっこりする」

「エサを食べてるとき触るとうなり声を上げる」

「呼吸が荒くていつもハアハアしてる」

ですから、大人でもそうですが特に子どもは、

自然の中で過ごしているとき、

とてもたくさんの刺激を受け五感が全開になるのです。

さらに、「これは何だろう?どうしてこうなっているんだろう?

こうしたらどうなるだろう?」と考え始めます。

知りたいことや調べたいことがたくさん出てきて、

知識欲や探究心も育ち、好奇心も旺盛になります。

  

またまたなるほどと思いました。

さすが親野さん、この視点を教えてもらったのは大きい。

やはりテレビがきっかけであって、全てではない。

できたら、実物に会うことが大事だと思いました。

自然体験が多い子はどのようになるか?

親野さんはこう書いています。

  

私の教え子で、アウトドア体験・自然体験が

とても豊富な女の子がいました。

お父さんがアウトドアライフが大好きで、

しょっちゅう一緒に出かけていたのです。

その子は感性がとても豊かで、

何事においても人と違うことを思いつく子でした。

話も作文もユニークでしたし、

授業中もよくおもしろい発表をしてくれました。

工作はもちろん、日ごろからよくいろいろなモノを手作りしていて、

しかもユニークなものばかりでした。

私は、その子を見て、

「自然の中でオリジナルな本物体験をたくさんしていると、

自分自身の感性と発想で考えられるようになるに違いない」

と思いました。

  

自然体験させる意義がわかるサイトでした。

よかったら読んでみてください。

2016年8月 6日 (土)

日本初のポン菓子機を発明した吉村さん

  

今日は8月5日。

  

前投稿に引き続き、ポン菓子のことを書きます。

  

「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」(原書房)

  

この本からの引用です。

ドイツ製の機械は重かったようです。

  

ただ重さは百キほどあって、持ち運びに不便である。

そのため女性でも持ち運びができる軽い機械にしようと、

タチバナ菓子機の吉村利子が昭和21年に鉄製に改良し、

国産ポン菓子機「吉村ポン菓子機」が全国に出回った。

戦後間もなくは、復員した元兵士や職を失った人が

行商で機械を持って販売した。

後にリヤカーや軽トラックで移動するようになった。 (114p) 

  

吉村さんについて調べたら、何とご存命でした。

フードコーディネーター取材特派員NEWS 日本初のポン菓子機を作った女性 吉村利子さんに聞く!

ここを読むと、吉村さんは大阪の八尾市出身。

戦時中は国民学校の教員でした。

食糧難でお腹を減らした子供たちを見て、

次のように思ったそうです。

  

あれ(穀類膨張機)を使えば

少ない原料でもお腹も満たせてやれる・・・。

しかし、第一次世界大戦後にアメリカ、

ドイツから入ってきた「穀類膨張機」は鋳物製で約100㎏もの重さ。

その為、普及していなかったのです。

そこで橘さん(吉村さんの旧姓)は、

「自分の手であの機械を作り、お腹いっぱい食べさせてやるんだ!」

と決意したのです。


それ以降、あらゆる努力をされ、

工学系教員の知人に手伝って貰いながら色んな実験をし、

小型で軽量な「ポン菓子機」(穀類膨張機)の図面を起こしました。
 

橘さんが考案された『総鉄製』の小型で軽量のポン菓子機・・・

これを作るには、戦時中の当時、

「鉄の街」と言われていた「福岡県八幡市(現 北九州市)」に

行くしか手段はなく、周囲の反対を押し切り、

図面と多額のお金をお腹に巻いて職人探しに行かれたそうです。

  

すごいですね、この行動力。

そして、吉村さんは北九州に住み、機械を完成させ、

そこでポン菓子づくりをしたようです。

完成は1945年の3月11日。終戦前のことなんだ。

  

前投稿の疑問が一つ解決しました。

こう書いてありました。

  

「お客さんが持参した材料(米や豆や雑穀など)を、

加工賃と引き換えに調理する」日本ならではのスタイル

  

材料は子ども(お客さん)持ちで、加工賃をもらっていたのですね。

  

吉村さんのことを紹介する動画もありました。

参考:JOY-Q ポン菓子の生みの親 吉村利子さん/開け!キタキュウ人図鑑(平成27年1月19日放送)


YouTube: ポン菓子の生みの親 吉村利子さん/開け‼キタキュウ人図鑑(平成27年1月19日放送)

1925年生まれだそうで、91歳になる年です。

長生きにもビックリですが、若い時に発明したことにもビックリ。

  

本からの引用。

  

昭和35年頃がもっとも売れた時代だったが、

大手菓子メーカーの既製品も出回り、

住宅も増えて大きな音が出せなくなったことから、

徐々にポン菓子の販売は減った。 (114p)

  

あの大きな音がすると、子どもたちは「ポン菓子ができた」合図で、

みんな機械の所に集まってきたそうです。

  

ポン菓子のいい勉強ができました。

  

  

ポン菓子じゃなくてドン!菓子

 

今日は8月6日。

  

8月3日の施設見学会のこと。

就労移行支援事業や就労継続支援事業を行っている施設では、

3階の部屋で最初に施設の説明を聞きました。

その時です!

「ドン!」と大きな音がして、建物が揺れました。

何が起こったんだ?と焦りましたが、

施設の人たちはあわてません。

「(驚かせて)すみません。ポン菓子をつくっています」

と簡単に説明してくれました。

そうかこれがポン菓子の音か!大きな音だ。

ポン菓子じゃなくて「ドン!菓子」だと思いました。

  

  

説明を受けた後に、2階のポン菓子を作っている場所を見学しました。

その時の写真です。

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Rimg9540  

これが大きな音をたてた、ポン菓子製造器です。

はたしてどうやって使うのだろうと疑問に思いました。

  

  

そんな疑問を解消してくれた本があります。

薬局で見かけて、図書館で借りた本です。

「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」(原書房)

ここでも道草 消えた職業・これから消える職業(2016年7月23日投稿)

  

Epson688 115p

  

さらにこんな記述がありました。

  

ポン菓子は穀類膨張機という機械に米などを入れて作る。

圧力釜のバルブをハンマーで叩き一気に減圧すると、

大きな爆発音とともにふわふわの米菓子ができる。

この音から「ポン菓子」「ドン菓子」と呼ぶ。 (114p)

  

目を疑いました。「ドン菓子」?

やっぱりあの音を体験すると、「ポン菓子」ではしょぼい。

やっぱり「ドン菓子」ですよ。

そして実際にその呼び名が存在しました。

うれしかった。

  

動画でも見られるよなと思って探しました。

でもそのほとんどが屋外で作っていました。

私が味わったあの音は、室内ならではのものがあったと思います。

部屋の中で音が反響し、建物が揺れました。

屋外でそれがないために、期待したほど「ドン」とはなっていません。

でもどうやって作られるのかもよくわかります↓

 


YouTube: 米のお菓子「どん!」

  

「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」には、

興味深いことがたくさん書いてありました。

引用します。

  

ポン菓子がもっとも人気があったのが、

大正から昭和の中頃にかけてで、

お菓子屋は小型の穀類膨張機を持って、

公園などで子供たちに菓子作りを実演して売った。

物資がとぼしかったので、子供たちは自ら米や砂糖を持っていき、

ポン菓子屋に作ってもらっていた。  (114p)

  

どういうこと?材料が子ども持ち?

ポン菓子屋はもうかったのかな?

  

機械の中に米、玄米、大豆、とうもろこしなどの穀物を入れると、

圧力で十気圧になる。

この力で米は十二倍に膨れ上がる。 

圧力釜のバルブをハンマーで叩いて減圧すると、爆発音がする。

この音に対する驚きが子供たちに人気の秘密でもあった。 (114p)

 十気圧でギュッと締めておいて、

急速に減圧することではじけさせると考えていいのかな。

  

特に興味深いのは次の引用。

  

もともとポン菓子は第一次世界大戦に

ドイツ兵が空腹に悩まされていたので、

栄養を補うべく作られた菓子であった。

大砲の使えなくなった筒を使って、

穀類を膨張させる機械にして菓子を作り食べさせたのが始まりである。

そのため大正から昭和初期にかけて使われた機械は

鋳物で作られたドイツ製の機械でした。 (114p)

  

ねえ、面白いでしょ。

使えなくなった大砲を使って戦場で作られたのが、

そのはじめだったのです。

ワクワクして読みました。

  

このはじまりを知ると、ますます「ポン菓子」ではなくて

「ドン!菓子」だと思いました。

  

ポン菓子の話は次の投稿につづきます。

2016年8月 5日 (金)

「キャプテンシー」からの引用/「それが自分の長所なんだ」

  

今日は8月5日。

  

「キャプテンシー」(鳥谷敬著/角川新書)より。

  

言われたことは、どんなことでもまず試してみる。

明確にプロを意識するようになってからの僕は、

ずっとそういう考え方でやってきた。

「自分の型はこれだ」と、それだけをずっと続けていると、

見えなくなることがある。

ほんとうは変えたほうがいいはずなのに、

「これが自分のスタイルだから」と凝り固まっていては、

周囲のアドバイスも聞けなくなるし、

もっとよくなる可能性を自らつぶしてしまうことになる。

(中略)

もし「いいな」と思ったら、

自分に合うようにアレンジすればいい。

それは自分の知らなかった可能性を広げることになる。

結果が出なかったり、自分には向いていないと感じたりしたら、

やめればいいだけのこと。

それはしなくてもいいことをひとつ減らしたという意味で

進歩だと言える。 (64p)

  

鳥谷選手にとって、元中日の谷沢健一さんのアドバイスを聞いて、

打ち方を変えたのが、プロへ行けた理由だと書いています。

  

高校でも大学でも、僕は決して飛び抜けた選手ではなかった。

バッティングだけならもっと打つ選手はいたし、

ピッチャーとしても僕よりコントロールのいい選手はいた。

走るのも「いちばん」ではなかった。

「いちばん」というものはひとつもなく、すべてが二番目、

三番目くらいという選手だった。

そういう選手は、つまりすべてが平均点より少し上という選手は、

プロとしては使いにくいと言われる。

「何かひとつ秀でるものがないと、プロとしては通用しない」と・・・。

じつは、僕自身、そのことがずっとコンプレックスだった。

なにをとってもいちばんになれない。

投げても打っても走っても守っても、必ず誰かに負ける。中略)

でも、いまはこう思っている。

「それが自分の長所なんだ」

だからこそ、プロとしてずっと試合に出られているのだと。

いくら打球を遠くに飛ばしても、足が遅ければ大事なところで

代走を出されてしまう。

逆に、足が速くても全然打てなかったらレギュラーにはなれない。

いくら打てても守備がダメな選手は終盤、守備固めで代えられるし、

守備の名手であってもバッティングに難があったら、

やはりチャンスには代打を出されてしまう。

僕の場合は、そういうことがない。

たしかに僕には飛び抜けた部分がない。

ないけれども、穴もない。

だからこそ、途中で代えられることがないし、

試合に出場し続けられる。

昔はコンプレックスだったことが、今では最強の武器となっている。

(89~91p)

  

「コンプレックス」だったことを「長所」にする。

見習いたい発想です。

自分はまだ昇華できていない「コンプレックス」を抱えています。

つづく

野外活動で味わった雷雨

  

今日は8月5日。

  

野外活動の2日目(8月1日)、朝は快晴でしたが、

午後は雷雨でした。

それはすごい雨でした。

自然観察に行くために屋根付きキャンプファイヤー場に

集合していましたが、その雨のために待機。

やむのを待ちましたが、やまず。

自然観察は結局中止になりました。

  

でも、山の天気は急変すること、

短時間に大量の雨が降ることがあることを、

子どもたちは実感できたと思います。

  

その雨の写真を撮ったのですが、写真ですごさが伝わるでしょうか?

写真を並べてみます。

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どうでしょうか?

動画なら伝わりやすいのですが、

写真であの雨のすごさはなかなか伝わりにくいです。

  

さて、その待機の時間にこんな写真を撮りました(暇でしたから)。

Rimg9502

Rimg9504  

屋根の庇(ひさし)から滴り落ちる雨です。

部分をアップにしてみます。

Rimg9504a  

水の”流れ”だったものが、

ちぎれて水滴になって落下していく様が見られます。

  

  

屋根の模様にも注目しました。

だんだんアップ写真になっていきます。

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Rimg9510a  

屋根の模様が動物の顔に見えるでしょ?

  

こんなのを発見できたのも、この雷雨のおかげでしょう。

  

施設の管理人さんが言っていました。

「こんなに降るのは久し振りです。

でも一度こういう雷雨があると、続くんだよね」

管理人さんの体験に基づく予言は当たりました。

どうやら8月1日~4日は連続して雷雨があったようです。

  

雷三日(かみなりみっか)という言葉があるそうです。

ちょうどテレビで見かけました。

調べたら次のように説明していました。

夏の雷は三日続くというもの。

北日本を通過する低気圧にともない、

上空に寒気が入り込むと、大気の状態が不安定になる。

このようなときの悪天候は数日つづくことが多い。

そして、このとき、発生する雷は、

寒気が、2、3日かけて通り過ぎるまで、収まらない。

つまり、雷三日ということになります。

引用:雷なんでもサイト

 

5日連続の雷雨はあるのかな。注目です。

  

気になるポスター「いろんな国のアイス」

 

今日は8月5日。

  

昨晩、駅のホームや電車内で見かけたポスターです。

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Rimg9629  

「いろんな国のアイス」(リトルワールド)

  

もちろん「ふしぎの国のアリス」とかけたのでしょう。

「いろんな国のアイス」

冷静に見たら、実に平凡な一文です。

それがこうやってアリスを示す写真がつくことで

つい気になる、見てしまうポスターに仕上がっています。

  

いつだれが思いついたのでしょう。

「『いろんな国のアイス』って『ふしぎの国のアリス』と似ていないか?」

「これは面白い」「これで宣伝しよう」

その人の頭の中は、楽しく発火していたことでしょう。

実現されて良かったです。

  

ちなみにワールドアイスクリームフェスは9月4日(土)まで。

Photo リトルワールドHP

  

2016年8月 4日 (木)

「キャプテンシー」からの引用/「本当に真剣にやっているのか」

  

今日は8月4日。

   

今朝、こんなニュースを見ました。

Photo

阪神・鳥谷マルチ安打、第2打席も右前へ 

9試合ぶりのスタメン (8月3日の試合)

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6209871

  

  

野外活動に参加している2泊3日で、

「キャプテンシー」(鳥谷敬著/角川新書)を読破しました。

この本を読むと、鳥谷選手のことが気になります。

読むきっかけになったのは、ある日のニュース。

金本監督と鳥谷選手との関係が

ギクシャクしているといった内容でした。

その時に紹介されたのがこの本。

検索して次のブログもよかったです。

やわなべ (読んだ本)「キャプテンシー」鳥谷敬

 

現役選手の著書、しかもお立ち台のインタビューで

毎回定型コメントしか言わない鳥谷選手とあって、

「当りさわりのないことしか書いてないんだろうなー」と、

期待も薄かったのですが、面白かったです、予想外に。

(中略)  

僕は僕のやり方で阪神を変える

いかにもキャプテンらしい頼もしい意気込みですが、

読んでみると、ややニュアンスが異なることがわかります。

「キャプテンの意味もよくわからないし、

そもそも自分には向いていない。

自分のやり方でやるけど、うまくいくかは各選手の自覚次第だろう」、

といった調子。

彼に持ってたイメージ通りといえばそうなんですが、

この本は、このような、ともすればアスペぎりぎりの

率直すぎる述懐に満ちています。

「キャプテンシー」というタイトルですが、それが何かはわからない、

ということがわかる本です。

スポーツ選手の自著本の楽しみは、

「物議をかもしたあのシーン、実は本人はこう考えていた」

という部分でしょう。

鳥谷選手でいえば、2013年のWBCの台湾戦、

1点ビハインドの9回ツーアウトの状況で、

よもやの盗塁を仕掛けたシーンであったり、

2014シーズン終了後の海外FA宣言、

その後の阪神残留までの心境なんかを

読み手としては期待するわけですよ。

たしかに、それらについての見解も聞けるのですが、

本書の最大の面白味は、彼のドライさ、

そっけなさそのままに語られる、努力観、成功観、職業観です。

言葉や表現はマイルドなんですが

「あー、それ言っちゃうんだー」という言葉のオンパレード。

   

  

こんな文章を読んだら、この本が読みたくなります。

さっそく本を手に入れて読みだしていました。

上記のサイト「やわなべ」にもたくさんの引用がありますが、

私も私なりに引用してみます。

  

鳥谷選手の弟が病に侵され、高校2年生まで野球をやってきたのに、

できない体になってしまいました。

 

病気のことは本人からは何も聞いていなかった。

両親から知らされた。

僕に気を遣わせたくなかったのだろう。

実家に帰ったとき顔を見たら、別人のように変わっていた。

なんと声をかけていいのかわからなかった。

弟の心情を思いやると、たまらない気持ちになった。

弟をただ見守ることしかできなかった。

弟の姿を見ながら、僕は自分にあらためて問いかけてみた。

「自分は思う存分野球ができる。

それなのに、ほんとうに真剣にやっているのか?」

「やっている」と胸を張って言えない自分がいた。

そして、覚悟を決めた。

「弟のぶんまでおれが野球をやってやる!

絶対にプロに行ってやる!」

それから僕は、ガラッと変わった。 (61p)  

  

こう思う時は時々あります。

今の現状は恵まれていることに本人は気がつかない。

やりたくてもできない状態に陥ったり、

あるいは鳥谷選手のようにやりたくてもできない人のことを

知ったりする時に思います。

やっぱり真剣にやることは大事なのです。

今日も真剣、ささいなことにもやるからには真剣。

  

引用はまだまだ続く。

  

ドアポケットにビールを置くのは〇?☓?

 

今日は8月4日。

  

昨日は3つの出張が重なった日でした。

未熟な私は、分身の術が使えないので、

そのうち2つは他の先生にお願いして代理で出向いてもらいました。

残った1つの出張は、4月から準備を進めていた施設見学会でした。

おかげさまでまあまあの成果を挙げることができたと思い、

昨晩はヱビスビールで祝杯でした。

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娘が、ぜひ見せたい「日めくり」がある教えてくれました。

 

冷蔵庫のドアポケットは、ビールの敵?」

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わが家はまさにドアポケットにビールを置いています。

確かに振動で、缶内では炭酸が抜けていると思いますが、

でもまたすぐに溶け込むのではないのかな?

そうはいかないのなら、やっぱり飲みごたえは減るぞ。

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