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2009年11月

2009年11月23日 (月)

企画展6/蠅取機「ハイトリック」

市内の民俗資料館に行ってきた話。

企画展「虫よけ 鳥よけ 獣よけ」を見ていて、

蠅をとるための面白い道具に目がとまりました。

蠅取機「ハイトリック」という道具です。

説明には次のように書いてありました。

   

大正年間に開発された。

砂糖水などを塗布した直方体の回転部分を、

ゼンマイでゆっくり動かす。

そこに止まった蠅は

次第に箱の内部へ移動して捕獲されるという仕組み。

名古屋の尾張時計株式会社製。

    

次のサイトに写真がありました。

※「TIMEKEEPER  古時計どっとコム」http://www.kodokei.com/ot_041_2.html

ハイトリック1号、2号があるようですが、

展示してあったのは、2号のようです。     

Et_00124   

    

    

    

1回ねじを巻くと、十数時間動くと言うのだからすぐれものです。

大正8年に発売が開始されました。

尾張時計は、このハイトリックが全国から注文が殺到して巨利を得たそうです。

尾張時計は、明治39年(1906年)に設立。

昭和37年(1962年)に尾張精機と会社名を変更。

現在、時計は作っていなくて、

ねじ製品、精密鍛造品などを作っているようです。

100年以上の歴史がある会社です。

本社は同じ愛知県名古屋市東区。

近いので、何かのついでに行ってみたい会社です。

     

楽しみなアルバムの発売日

昨晩(11月22日)、ドラマ「JIN-仁ー」を見ました。

やっぱり内容もいいし、音楽もいい。

12月の懇談会のBGMは、この曲でいこう。

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日曜劇場「JIN-仁ー」オリジナル・サウンドトラック     

発売日は12月2日

   

もう一つ、楽しみなアルバムの発売日を知りました。

HYの6枚目のアルバム「Whistle」

発売日は1月27日

   

将来に楽しみをセットしました。

2009年11月22日 (日)

母親の生まれ育った場所

昨日(11月21日)は、親戚の四十九日法要出席のため、

父親と長野県に日帰りで往復しました。

自動車で行きました。

母親の姉にあたるおばさんの法要です。

   

昨年の夏に亡くなった母親の生まれた場所は、

そこからそれほど離れていないと教えてもらいました。

小学生の時は、毎年夏に遊びに行っていましたが、

それ以後は全く行ったことがありませんでした。

山深き場所にあります。

35年余りの月日が流れましたが、行ってみたくなりました。

母親の姉が亡くなり、こうやって母親ゆかりの場所に来て親戚に会い、

急に行ってみたくなりました。

もう誰も住んでいないそうで、時々芸術家が住むことがあるとのこと。

人里離れた別世界みたいな場所なので、芸術家にはいい場所なのでしょう。

   

住所を聞いて、自動車のナビに打ち込むと、

ちゃんとピンポイントで目的地を指定しました。

40分後に着くと表示されました。

35年余りご無沙汰している場所に、今から行くかと思うと、

ドキドキしてきました。

遊びに行った遠い昔のことが思い出されました。

昔のことは日記帳に書くことにして、母親の在所へ。

   

Pb210003 Pb210007    

 

   

   

行く途中で見た雪をいただいた北アルプス。

今、毎年登っている北アルプスは、

かつて母親が飽きるほど見ていた山々でした。

    

私的なことですが、

ここに記録しておくために母親の在所の写真を載せます。

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Pb210030 Pb210027

   

   

   

縁側の板につやがなく、かさかさしていたのが残念でした。

ほぼ誰も住んでいないのだから仕方がないことでしょう。

この縁側に座って見た風景は記憶に残っています。

山の中腹にあった家なので、縁側からは、谷に向かって下っていく斜面と、

向こう側の山肌が見られました。

縁側に立って、その風景を見てみました。

Pb210029   

   

    

ずっと下の方まで開けていたと思いましたが、

雑草があり、育った木があって、視界が開けません。

もっとおおいかぶさるようにあったと思っていた向こう側の山も小さく感じました。

久しぶりの場所は狭く感じる体験を何度かしてきましたが、

ここでもそう感じました。

そういうものなのでしょう。

     

Pb210031    

    

    

家の前にあったこの小屋も思い出深い場所です。

ここにトイレがありました。

このトイレしかなく、夜でもトイレに行きたくなったら、

外に出て小屋のトイレに行くしかありませんでした。

そしてそのトイレはボットン式だったし、下は肥溜でした。

狭く怖いトイレでした。

そのトイレが、今もあったのです!

Pb210032        

    

     

記憶通りの扉でした。

35年余りの時間は吹っ飛びました。

もちろん中も見ました。

う~ん、きんかくしは木の板!だったと思うのですが、陶器でした。

そこだけが記憶と違っていました。

      

残念ながら、家の中に入れませんでしたが、十分でした。

何か母親があの世から、

「お父さんを連れて行ってきなよ」と声をかけてくれたのかなと思いました。

この日出かける時には思いつかなかった場所へ行った日でした。

企画展5/カプサイシンを含ませたネット/猪垣(ししがき)

市内の民俗資料館の企画展「虫よけ 鳥よけ 獣よけ」に出かけて行った時の話のつづき。

説明板に、イノシシ対策について、次のように書いてありました。

   

イノシシやシカが耕作地に侵入するのを防ぐために、

田畑の周囲に防壁が設けられました。

これが猪垣(ししがき)です。

その資材には地元で容易に得られるものが用いられました。

このため、猪垣にはいろいろな構造のものがあります。

㋐ 単に木の柵を廻らしただけのもの、

㋑ 万里の長城のような石垣状のもの、

㋒ 猪土手(ししどて)と通称される土塁状のもの、

㋓ 猪堀(ししぼり)と呼ばれる堀を掘り通したもの、などです

近世期において猪垣は普及しました。

市内各地で認められる猪垣遺構は、

近世における獣害(じゅうがい)が慢性的かつ広域的であったことを示しています。

     

市内には立派な石垣の猪垣が残っている場所があり、

以前見学に行ったこともあります。

昨日(11月21日)、

最先端?の猪垣を市内で使ったというニュースをテレビで見ました。

唐辛子の辛み成分のカプサイシンを含ませた獣害対策ネットです。

これを農地の回りに張りめぐらしていました。

効果があるのかどうか?

すごく興味を持ちました。

実物を見てみたい。

次のサイトから注文できるようです。

※「楽天市場」「激辛ネット ギャオ」http://www.rakuten.co.jp/sjt-r/1839370/1853108/

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猪垣については、昨年勉強する機会がありました。

※「地理学会大会に初めて参加その4/高橋春成先生」

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/06/post-045e.html

この高橋先生のイノシシの研究も面白かったです。

    

2009年11月20日 (金)

「秋味」終了/今日も焼きみかん

昨日(11月19日)に、季節限定のビール「秋味」のラスト1本を飲みました。

今年も「秋味」終了。ごちそうさまでした。

昨年は12月31日に最後の1本を飲みましたが、

大晦日に「秋味」はあまり似合いませんでした。

やはり晩秋に飲みほしたいです。

    

今日は学級・学年閉鎖の最終日。

子どもたちに連絡をとり、

インフルエンザだった子も回復していることがわかりました。

何よりです。

   

昼食。昨日に引き続き、火鉢で焼きみかんを食べました。

今回は参加者が多く、9人の教師で火鉢を囲みました。

炭火でゆっくりみかんが焼けるのを、おしゃべりしながら待って、

ほくほくのみかんをお腹の中に入れました。

しばらくお腹の中が暖かく、幸せな気分になりました。

  

当初、みかんが8個しかなく、主宰者の私としては心配でした。

まあ昨日食べたし、私が食べなければいいかと思って、

鍋奉行ならずみかん奉行をして、焼けたみかんを皆さんに渡していました。

不思議なことに、皆さんが食べ終わった後に、

網の上にみかんが一つ残っていました。

    

その時に次の言葉が浮かびました。

家内の実家にあったカレンダーに書かれていた言葉。

奪い合えば、足りず。譲り合えば、余る。

見事に余った1個のみかんは、

ありがたく私がいただきました。

いい時間でした。

企画展4/「蠅帳(はいちょう)」と「蚊帳(かや)」

市内の民俗資料館に行って、

企画展「虫よけ 鳥よけ 獣よけ」を見てきた話のつづきです。

蠅帳」がありました。

「蠅帳」と書いて、「はえちょう」「はいちょう」と言います。

民俗博物館の資料には、次のように書いてありました。

    

明治、大正、昭和中頃まで、庶民の台所には欠かせないものだった。

食品の保存と蠅がたかるのを防ぐために、

棚の前部や左右に網を張って風通しをよくした戸棚。

食卓の上にかぶせる傘のような形をしたものもある。

     

「蠅帳」とは聞きなれませんが、こういう戸棚はずっとありました。

今もある?最近処分した?

あの戸棚の正式名は、「蠅帳(はいちょう)」だったのですね。

「帳」には、「とばり」と読んで、

外部とへだてる布といった意味があります。

蠅が入らないようにする布(網)ということで、この名前がついたのでしょう。 

    

    

「蠅」が「蚊」に変わると「蚊帳(かや)」

これは入れ物のスケールがぐっと大きくなります。

今の子どもたちは経験したことがまずないと思うけど、

私たちの世代は、ほとんどが体験したミラクルゾーン。

寝るときに蚊帳に入るのですが、網の中、別世界に入ったようで楽しかったです。

ありがたことに、民俗博物館に行くと、

2階に蚊帳がつってあって、中に自由に入ることができます。

子どもたちに行かせて、体験することを薦めたい。

 

企画展3/蚊取り線香の煙には、殺虫成分はなかった!?

(前投稿のつづき)

私が小学生の時に、夏休みの自由研究で、蚊取り線香の研究をしました。

蚊取り線香の煙の何が蚊に効くのか調べました。

煙?熱?におい?

実際に藪に行って、腕をわざと露出して、とまった蚊を採集。

いろいろ実験したことを思い出します。

研究内容はうっすらとしか覚えていませんが、

何と校内で最も優れた賞をいただいたことはしっかり記憶に残っています。

ところが・・・・・ 

    

    

市内の民俗資料館に行ったのを機会に蚊取り線香について調べ、

衝撃の事実を知りました。

Wikipediaに次のように書いてありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%8A%E5%8F%96%E3%82%8A%E7%B7%9A%E9%A6%99

    

(蚊取り線香を)使用するには、先端に着火し、

最初に出る炎を吹き消して燠(おき)の状態にする。

このようにすると不完全燃焼によって煙が立ちのぼるようになる。

この煙にを殺す効果があると思われがちだが、

燃焼部分の手前で高温により揮発する化学物質(ピレスロイド)に

殺虫作用があるとされる(煙と異なり目には見えない)。

    

何が衝撃かわかりますよね

蚊取り線香は、煙自体には殺虫成分はないのです!

「煙の何が蚊に効くのか」

あの賞をいただいた研究の前提が間違いだったのです。

35年前の研究を気持ちよく否定されました。

まあ、これも勉強。

たっぷり時間をかけた勉強でした。

企画展2/蚊取り線香の歴史

11月18日に市内の民俗資料館に行った話のつづき。

企画展「虫よけ 鳥よけ 獣よけ」に興味を持ちました。

ハエ、カ、ネズミ、イノシシ、ウンカなどの駆除のために、

昔の人たちはどんな苦労や工夫をしたか。

いろいろな実物と資料によって紹介されていました。

    

カに関するコーナーにこんな文がありました。

   

「蚊取り線香のヒミツ」

和歌山県有田市が除虫菊を練り込んだ蚊取り線香の発祥の地です。

文久二年(1862年)に上山英一郎がアメリカの種苗会社社長と知り合い、

除虫菊の種を譲り受けたことに日本の蚊取り線香の歴史が始まります。

除虫菊の成分には殺虫成分が含まれ、海外ではノミ取りに使われていました。

それを蚊の駆除にも利用できないかと研究開発をすすめ、試行錯誤の末、

明治35年(1902年)に渦巻き型の蚊取り線香が誕生したのです。(後略)

    

そうか、除虫菊は日本にあったものではないんだ。

有田市が蚊取り線香の発祥の地なんだ。

除虫菊の成分を蚊の駆除に利用したのは日本人なんだ。

好奇心をかきたてる文章です。

調べてみました。

上山栄一郎は大日本除虫菊株式会社の創業者。

有田市でみかん農園を営んでいた人でした。

明治23年(1890年)に棒状の蚊取り線香「金鳥香(きんちょうこう)」の発売を始め、

明治35年(1902年)に渦巻き型蚊取り線香を誕生させました。

お馴染みの金鳥の鳥の図柄の中に、「上山」の判子のロゴが入っていますが、

これは創業者の苗字です。※参考:Wikipedia

Pb200007    

    

    

この写真をとってわかりました。

今でも「金鳥香」の名前を受け継いでいることを。

もう120年経とうとしています。

   

蚊取り線香のことを調べていったら、

私が小学生の時にやった自由研究を否定することがわかりました。

次の投稿で。    

2009年11月19日 (木)

昼に焼きみかんを食べてみました

学年閉鎖のため、子どもたちのいない学校に出勤。

今日は、学年閉鎖が始まった日に学校に来ていた子どもたちのところへ家庭訪問。

ほとんどの子が家で過ごしていました。

中には玄関のチャイムを鳴らしても反応がない家もありました。

病院に行ったりして留守なのか、

あるいは子ども一人なので玄関に出てはいけないと言われているのか。

休んでいた子どもの一部にも電話連絡などしました。

明日はまだ連絡を取っていない子ども全てに連絡をとります。

     

閉鎖した学級の給食は切られているので、

担任は昼食を自分で用意しなければなりません。

これを幸運と考えて、やってみたかったことをやりました。

焼きみかんです。

    

10月の火鉢の授業の時に、

ゲストティーチャーのおじいさんが、

昔は火鉢の火で焼きみかんを作って食べたと話しておられました。

冷凍ミカンは知っているけど、焼きみかんとはどんなのだろう。

実際にやってみようと思いました。

学校にある火鉢を再び出してきて、炭を熾し(おこし)ました。

寒い日なので、炭火はありがたかったです。

まずはお餅を焼きました。

Pb190092    

    

     

炭火で焼いたお餅のおいしいこと。

5つも食べてしまいました。

そしていよいよ焼きみかん

あと2人の先生が参加して3人でみかんを焼きました。

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みかん全体に熱が通るように、時々転がして焼きました。

みかんはふっくらしてきました。

皮には焦げ目がつきました。

中からブツブツ汁が出てきたところで、完了。

網からみかんを下ろしました。

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ふっくらしていたみかんは、少々縮みました。

熱いので苦労して皮をむきました。

むいたところから湯気が出てきました。

熱い熱い。

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いよいよ焼きみかんを初めて食べました。

焼き芋の味がしましたが、すぐにみかんの味がやってきました。

両方の味が混じり、なかなかおいしい。

暖かいみかんがお腹におさまり、

しばらくはお腹の中が暖かかったです。

これは風邪にいいぞ。

    

私は食べてみて、体にいい食べ物だと感じましたが、

確かに焼きみかんは体にいいようです。

次のサイトにこう書いてありました。

※「リハネット/焼きみかんで風邪予防」

http://www.rehanet.co.jp/mailmag/backno/vol_15.html

   

焼くことでの効果をお伝えします。

焼くことによって、甘みが増します。糖度が上がるため甘く感じやすくなるそうです。

また、皮に含まれる栄養成分(血流を改善するテレピン酸や発ガン抑制成分)が

実に浸透し、食べる部分の栄養が増加するのだそうです。

さらに、食物繊維が加熱により小さい分子となり、吸収しやすくなるそうです。

暖かいので体も温まり、胃にもやさしい食べ物です。

   

焼きみかんの皮は、栄養を抜き取られたように薄っぺらかったです。

    

「先生、学年閉鎖中にこんなことやってたの」

とブログを読んだ子に言われそうです。

企画展1/火熨斗(ひのし)から熨斗(のし)の勉強へ

11月18日。市内にある民族資料館に行ってきました。

18日から始める企画展「虫よけ 鳥よけ 獣よけ」がとても面白そうに思えたからです。

※企画展は11月18日~平成22年1月17日開催。

     

資料館入口にこんな展示がありました。

Pb180082_2 Pb180083

   

    

    

いくつか道具が並んでいて、「これは何に使うの?」とありました。

興味をそそられたのは、この「火熨斗(ひのし)」です。

これは何に使うのだろう。

火鉢の勉強した時に知った「十能(じゅうのう)」のように見えます。

表示を裏返すと答があるとのこと。

めくる前に予想してください。

    

     

    

    

    

めくってみます。

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こう書いてありました。

  

鉄の容器の中に入れた炭火の熱を利用して、

衣類などのしわを伸ばすのに使う道具。

現在のアイロンに当たる道具

    

なるほどね。

調べたところ、中国から伝わった道具で、

江戸時代中頃から、昭和30年頃まで使われていたそうです。

※参考:Wikipedia

そうなると、この道具の底は平らなのかな。

確かめました。

Pb180085   

   

    

平らでした。

直接これを衣類につけると、衣類がこげてしまうので、

霧吹きで水をかけたのでしょう。

※昔の霧吹きも、民族資料館の別の場所に展示されています。

    

「熨斗(のし)」と言えば、祝儀袋などについている赤っぽい6角形が浮かびます。

Noshi

  

   

    

次のサイトに興味深い説明がありました。長いけど引用します。

※「阿波徳島の特産品」http://www.toregoro.com/main/nosi.html

熨斗(のし)とは・・・・

正式には熨斗鮑(あわび)と呼ばれるもので、

元は、アワビの肉を薄く削ぎ、火熨斗(アイロン)にて引き延ばし、

乾燥させたものだったそうです。

「のし」は延寿に通じるため、古来より縁起物とされてきました。
長生き長持ちの印と重宝がられ、
祝事や慶事の儀式に高価な贈答品として用いられるようになり、
時代の移り変わりと共に熨斗鮑を和紙に包んだ形を「のし」と称するようになり、
贈答品には「のし」をつけるという風習が出来たのでした。

時代とともに簡略化され、アワビの代わりに黄色い紙が用いられるようになり、

今となっては全てが印刷になっていますが、

形は変われど古来から続いている日本人のささやかな気持ちを表現する風習は

受け継いでゆきたいものです。

   

説明の中に火熨斗が出てきました。

熨斗鮑を引き伸ばすのに使ったのが火熨斗だったようです。

火熨斗で引き伸ばしたから、熨斗鮑?

熨斗鮑を引き伸ばしたから、火熨斗?

そう考えるより、「伸びる」の意味の「のす(伸す)」があるから、

火熨斗も熨斗鮑も「炭火でのす道具」、「のした鮑」からついた名前と予想されます。

あくまでも、私の勝手な予想。

   

熨斗鮑の写真は、次のサイトにありました。

※「京の食彩 潮風有情」http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/ise02.html

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