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2008年12月

2008年12月25日 (木)

「伊奈駅には1番ホームがない!」が前進

昨日の「伊奈駅には1番ホームがない!」ことで、

伊奈駅に行って、駅員さんに疑問を聞いてみました。

「なぜ、伊奈駅には1番ホームがないのですか?教えてください」

「すみません、僕にもわかりません」

残念。でも、ここに問い合わせてみて下さいと、電話番号を教えてもらいました。

   

電話してみました。

尋ねてみました。

その答え。(近所の人でないとわからないところがあると思います。ご勘弁)

かつて名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線伊奈駅から、

JR飯田線小坂井駅まで小坂井支線という鉄道がありました。

1954年にその小坂井支線が廃線。

その際に、1番ホームも閉鎖されたとのこと。

それ以後、1番ホームはない状態とのこと。

   

しかし、納得できないところがあります。

小坂井支線が廃線になった時は、自分はまだ生まれていません。

でも、おそらく1番ホームではなかったと思います。

もし支線があったとしたら、当時の改札から最も離れた場所にホームがあった可能性が高いからです。(普通は改札に近い所から1番ホームだと思います)

   

さらにウィキペディアに次のようなことが書いてありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%A5%88%E9%A7%85

従来は、番線表示も1~3番線表示であったが、橋上駅舎化(1996年)される際に、2~4に振り替えられた。

これは、橋上駅舎化する際に、従来存在しなかった下り副本線の用地を確保し、そこを1番線として使用できるようにしたためであると考えられるが、

今のところ、1番線を作らなくても対応できるため、欠番線となっている。

現在、1番線用地は駐車場として使用されている(豊橋方には、一部未整備の用地を見ることが出来る)。

今後、豊橋駅への乗り入れ条件が大幅に変われば1番線も復活するであろうと思われる。

   

この説はどうなのだろう?

名鉄の方が教えてくれたことと、この上との説は少々矛盾があります。

この矛盾解消のため、また動きたい。

お世話になった方には不謹慎ですが、面白くなってきました。

2008年12月24日 (水)

「伊奈駅」には1番ホームがない!

最寄りの駅、名古屋鉄道本線「伊奈駅」で電車待ちをしていました。

ここで電車に乗ったのはもう40年以上。

しかし、今さら気づきました。

この駅には1番ホームがない!

Pc2200192     

    

    

2番、3番、4番ホームの3ホーム。

1番ホームはなぜないのだろう。

2番ホームの向こう側、本当は1番ホームがあるべき所には柵があり、

その向こうには線路はありません。

1番ホームがない理由。

伊奈駅の歴史を調べないといけないなと思います。

またここに疑問が生まれました。

遥拝所/本宮山登山/移転した鳥居をくぐる

かつて本宮山遥拝所にあった鳥居などが頂上に移転しました。

    

終業式のあった日の午後、時間給をいただいて、

同僚の先生たちと3人で本宮山に登りました。

学期の終わりに、校区にある本宮山を登るのはすっかり恒例になっています。

今回は、移転した鳥居をよく見てくるという課題がありました。

何度も登っている本宮山、何度もくぐっている鳥居ですが、

今回はじっくり見てくることにしました。

    

789メートル。約1時間10分で頂上へ。

心地よい汗をかきました。

これが遥拝所から移転した鳥居です。

前は他のサイトの写真を転載しましたが、今回は自分が撮影した写真です。

Pc220011    

    

    

この鳥居の足の裏側には字が彫り込んでありました。

Pc220005    

    

    

「安政二乙卯年六月」と書いてありました。

またまた調べました。

「乙卯」は「きのと う」と読み、干支(えと)の52番目のもの。

安政二乙卯年は1855年です。

つまりこの鳥居は153年たったとても古いものと言えます。

鳥居は安政時代にできたという以前の調べと一致します。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/12/post-cee6.html

    

鳥居のもう一方の足には、

おそらく遥拝所を作った中心人物の名前が彫り込まれていました。

Pc220007    

    

    

    

  

「大原治兵衛」

「天野英次郎」

「大原廣吉」

3人の名前が読み取れました。

   

本宮山遥拝所はいつ移転したのか?

なぜ移転せざるをえなかったのか?

疑問は残ります。

遥拝所/「建立」ではなく「建之」でした

   Pc210004

   

    

        

先日から新しく立った本宮山遥拝所にこだわっています。

この石柱の裏にはこう書いていありました。

「一宮中部土地区画整理事業に伴い旧亥子角一番地一より移転」

「平成二十年十月十日建之

   

もともとは大きな道をはさんだ反対側に遥拝所はあり、

鳥居などがありました。

その鳥居などは昭和50年過ぎに、本宮山頂上に移転。

その後、遥拝所を示すものは残っていませんでしたが、

今年の10月にいきなり上の写真のような遥拝所の石柱が立ちました。

(今、鳥居などが正確にいつ、どのようにして頂上に移転されたのか調査中)

   

ちょっと気になるのが「建之」です。

「建立」ではなく「建之」です。Pc210008_2

   

    

※左は遥拝所の石柱の裏面。「建之」の文字があり。    

    

これは意外に、いろいろな石柱、記念碑、お墓などに書かれています。

これは何と読むのか?

    

調べてみたところ、「これを建てる」「これを建つ」と読むようです。

漢文の読み方になっています。

いろいろな所に疑問は存在します。

一つ解決。

2008年12月21日 (日)

最も近くにある一里塚

昨日の投稿でエノキを見たいがために一里塚を調べると書きました。

我が家から最も近い一里塚に行ってきました。

江戸日本橋から75里の「伊奈一里塚」です。

でもここにはエノキはありませんでした。

Pc210024_2 Pc210020

    

    

    

「一里塚跡」なので塚があるわけでもなく、

しょうがないですね。

それでもエノキと一里塚の研究のスタートです。

新しい本宮山遥拝所

通勤路に「本宮山遥拝所」なる石塔が最近いきなり立ちました。

さらに木の壁におおわれ始めました。

なんかすごく立派なものになってきました。

Pc210004 Pc210009

    

    

    

「遥拝」とは「遠くへだたった所から拝むこと」です。

本宮山の頂上には砥鹿(とが)神社の奥宮があり、

そこを拝むといえば拝む場所かなとも思います。

でもなぜいきなり立ったのでしょうか。

この場所は建物の間からやっと本宮山の頂上が見えるような場所です。

最適な場所とは思えません。

     

調べてみました。

「広報とよかわ」の8月1日号に本宮山遥拝所のことが載っていました。

それによると、この付近に「本宮山鑓水遥拝所」という名の立派な遥拝所があったようです。

江戸時代末期の安政2年(1855年)に付近の崇敬者らの寄付により造営されました。

往時には67坪の敷地があり、鳥居や標石もあったそうですが、

今は本宮山山頂に移され、現在は面影はないと書いてありました。1114

   

(左の写真は本宮山頂上にある遥拝所の鳥居)

http://www.p-station.net/~ichimiya/his/32.htm

    

つまりかつての面影を残していなかったけど、

今度遥拝所を復活させたと考えてもいいのだろうか。

    

「広報とよかわ」には、

もう一か所、遥拝所があった書いてありました。

「市田遥拝所」と呼ばれていたそうで、今は石碑が残るとのこと。

実はこれは以前より見かけていたので、今日は出向いて写真を撮ってきました。

Pc210017

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見過ごしてしまいそうな場所にあります。

小さなザクロの木が、侘しい雰囲気をかもしだしていました。

    

新しい遥拝所については、また調べます。

ここに調べたことは載せていきます。

地域の歴史の教材研究です。

2008年12月20日 (土)

エノキと一里塚

22日が終業式。冬休みが始まります。

この冬休み中にやりたいことはたくさんありますが、

その一つがエノキの根元探検。

先日、子どもたちと出向いて探しましたが、

落ち葉にはりつくゴマダラチョウの幼虫は発見できませんでした。

冬休みにまた挑戦したいです。

ただ、どの木がエノキなのか見分けるのがまだ自分にはできません。

そこがネック。

    

エノキについて調べていたら、

一里塚に植えてある木の過半数はエノキだと知りました。

4分の1強がマツとのこと。

徳川家康が「一里塚にはええ木を植えよ」と言ったのを、

担当者が「エノキ」と勘違いして植えたという話もあり。

一里塚調査も含めてエノキの根元探検をやってみます。

このサイトが参考になりそうです。

「ふらっと旧東海道」

http://www.asahi-net.or.jp/~vn6i-hgwr/toukaidou/main.htm

2008年12月19日 (金)

「心眼力」で勉強になったこと

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紹介していただいて、「心眼力」を読みました。

血や肉に少しでもなってほしいので、少し引用します。

    

ここで一つ質問です。あなたが生活の中で発する言葉を、一言ももらさず聞き続けている人がいるのをご存じですか?

そうです、それはあなた自身です。

「人間は自分の言葉に洗脳される動物だ」と言われますが、

あなたが発する言葉はあなたの潜在意識に浸透していって、

あなたの考え方に大きく影響を与えているのです。

いつも攻撃的・批判的な言葉を発していると、考え方も攻撃的・批判的になって、

戦う人生になってしまいます。

いつも悲観的な言葉を使っていると、

何ごとにもマイナス思考で考えるようになり、

人生に対して消極的になってしまいます。

逆に、いつも明るい言葉や感謝の言葉を言うようにすれば、

プラス思考の回路が定着して、前向きな生き方ができるようになるのです。(81p)

  

どうしても悲観的になる思考パターンを変える

突破口になるのは「言葉」だとして

次の三つを上げていました。

   

「否定形より肯定形」

「被害者的言葉より主体的言葉」

「悪口よりほめ言葉」

    

自分の発する言葉は、確かにいつも自分は聞いているわけで、

脳は影響を受けるなあと思いました。

この本を読んでいい勉強になったと思ったことの一つです。

    

2008年12月18日 (木)

エノキの根元探検/オオケマイマイ

前回予定したときには冷たい雨のため延期したエノキの根元探検。

1週間後の火曜日に出かけました。

今回は好天気。暖かい日でした。

Pc160004    

    

   

向こうに見えるのが、エノキの木がある竹林。

しかし、林の中は荒れていて、竹林と言うよりは藪状態。

ひっつき虫、バラのある草などをかいくぐって、

子どもたちはたくましく藪の中で精力的に活動しました。

ゴマダラチョウの幼虫が落ち葉についていないか丹念に探しましたが、

見つかりませんでした。

Pc160013    

    

    

ピンぼけですが、カタツムリのようなものを見つけた子がいました。

後で調べたところによると、

これは「オオケマイマイ」というカタツムリの仲間。

貝殻の周りに毛が生えているのが大きな特徴。

珍しいものを見ることができました。

   

エノキはまだまだあるので、冬休みはゴマダラチョウの幼虫探しを続けたいと思います。

朝から映画「築地魚河岸三代目」

先の土曜日は床屋に行きました。

前回から行く度に、マンガ単行本「築地魚河岸三代目」を読むことに決めています。

今回は2巻を読んできました。

そろそろ映画のレンタルも始まっているのではと思って調べたら、

11月の終わりにすでにスタートしていました。

Img_3 Img_2 

   

   

   

本当にあるのかと昨日の学校帰りにレンタルショップへ。

1枚ありました。

忙しい時なのに、借りてきてしまいました。

そして今朝、2時起きで映画鑑賞。

う~ん、ちょっと恋愛ものに走り過ぎているようなイメージ。

映画だから仕方がないのかなあ。

もっと魚に関するマニアックなところが出てほしかったし、

人情味を売りにしているなら、もっとそんなエピソードを入れてほしかったです。

でもキャスティングはいいし、

おそらくシリーズものになるだろうから期待します。

拓也役の荒川良々さんは、原作本の通りの風貌でピッタシでした。

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さあ、出勤まで仕事、仕事。

最近の写真

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