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2014年11月24日 (月)

お金明神登山報告3/お金明神

  

今日は11月24日。

  

登山報告の続き。

  

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お金谷出合から登ってきた道です。↑

  

今回の登山は、誘われて参加。下勉強もせずに、よくコースのことも分からずでした。

目的地の一つ、「お金明神」という魅力的な名前の場所がどんな場所かも分からずに、

とにかく歩いていました。

お金明神が迫ってきましたが、その場所が不明。

私たちは、他の若い登山者と一緒に探しました。

その結果、ついにたどり着きました。

この天狗のような顔に驚き。

この威厳が、祀られる出発点なのだと想像しました。

  

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お金明神の傍らにある、この札に書いてあることが、全て解読できず。

誰かこの札に書いてあることを説明している人はいないか、

いろいろサイトを見ました。

ないんですね。

ここを訪れた山行記はいくつもあるのですが、札について触れていません。

写真さえ掲載されていません。

味のある札なのですがねえ。

諦めかけていたところ、見つけました、このサイト。

菰野町 歴史こばなし お金明神 文 郷土史家 佐々木 一

  

ここにこう書いてありました。

  

ここが目ざす「お金明神」の鎮座地で、

巨大な岩塔の下、佐目相谷の集落名で

「ここはお金明神の清浄なる神域みだりに汚すべからず」

の制札が建てられています。

  

この「制札」というのが、上の写真の札のことだと考えられます。

つまり、意訳するとこういう意味なのでしょう。

もう少し引用します。

  

岩塔の北側の岩の上から南側に東へ向く明神を仰ぐと、

巨大な平たい岩盤の上に、 下から顎、口、鼻、眼、額と、

まさしく明神のお顔に違いありません

この重厚にして堂々たる岩塔を仰ぎ、

近江の佐目や相谷の村人をはじめこの山で木を伐り、薪を作り炭を焼く杣人、

そしてこの辺りの山は鉄、銅を産する鉱山多く、

危険をともなう鉱山師などが「お金明神」と崇め、

山の守り神として信仰して来たのでありましょう。(中略)

この明神の岩塔は、数えると六枚の層からなり、風化浸食の進み具合は、

国見岳の動(ゆるぎ)石、天狗岩などと類似していて、花崗岩が母岩の様であります。

母岩が生成のときに節目が出来、その割目に沿い雨水が浸透して、

それが氷結、融解の風化作用を繰り返して、

眼に当たるところは窪み、鼻は前へ出て高く、口は少し開き、顎は締って力強く、

下の台石との間に明瞭に透き間を明けています。

岩盤の下は垂直の絶壁です。

いかなる名工の石工に鑿(のみ)や石槌を持たしても、

このような細工は不可能のように思えてなりません。

まこと、大自然の営みは人智を超越して偉大にして巧みなるもの、

おのずと自然崇拝の心が生まれることになるのでありましょう。

  

このような文章を、サイトにアップしておいていただき感謝です。

またまた勉強ができました。

  

つづく

  

 

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