2018年9月 7日 (金)

「世界ふしぎ発見!」が33年続いている必然・・という記事を捉えた

今日は9月7日。

 

今朝起きて読んだYahoo!ニュース。

世界ふしぎ発見!」に関する次のニュースを

じっくり読んでしまいました。

「世界ふしぎ発見!」が33年も続いている必然(東洋経済ONLINE/9月6日配信)  

このニュースは、いずれ消えてしまいます。

それがすごくもったいない。

そこで、少々多めに引用します。

 

まず冒頭部分を引用します。

  

“ミステリーハンター”が世界中に飛び、

各地のユニークな話題を問題として提供する。

紀行系クイズバラエティの代表的番組である

「日立 世界ふしぎ発見!」(以下「世界ふしぎ発見!」)は

今年4月に放送33年目に突入した。

番組開始以来プロデューサーを務める重延浩氏に、

そのエピソードと番組に懸ける想いを披瀝してもらった。

  

 

そして魅力的な文章が続く。

  

でもクイズとは一体誰が発明したのだろうかと考えたことがあった。

私が最も同感したエピソードを記す。

アイルランドの首都ダブリン市で劇場支配人が

飲み仲間に提案した。

「意味のない言葉を一つ創って、

一夜でそれを有名な言葉にしてしまおうじゃないか」。

そこで支配人は「QUIZ」という4文字の言葉を選び、

その言葉を町中の壁に貼った。

町の人々はその謎めいた言葉の意味がわからず、

なんだ、なんだという噂が町中に広まり、

「QUIZ」は一挙に「わからない謎」という意味で

流行語になったという。

テレビに望まれているのはこの劇場支配人のような発想ではないか。

何か今までにないことを独創的に試みること、

それがクイズ番組の原点ではないか。

テレビ制作者は状況を演出する人でなければならない。

  

 

「クイズ」の語源が面白い。

参考:Wikoedia クイズ  

  

  

「世界ふしぎ発見!」は、クイズに「歴史」という

学術的なテーマを設定した。それが新しかった。

「歴史と遊ぶ」という今に続く番組キャッチコピーは、

最初の会議で発想された。

   

  

クイズと歴史はつながっていなかったのですね。

不思議な感じです。

今は歴史とクイズは切っても切り離せない関係です。

   

 

「毎週放送だから歴史テーマが続かないのではないか?」

と質問された。

私は「いえ、そんなことはありません。日本史だけでも

テーマは100以上あります。世界には数多くの国があります。

人がいるところには必ず歴史がある、私はそう信じています」

と答えた。

  

 

私も思う。

歴史のネタはたくさんある。

「日本史だけでもテーマは100以上」

当時はそう思ったでしょうけど、

時代も進むので、現在も過去になり歴史になっています。

今なら「無限にテーマはある」と

言い切ってもいいんではないでしょうか。

  

  

 

最初の放送は土曜夜10時から。1986年4月19日だった。

古代エジプト編から始まる。台本はガリ版刷りだった。

NHKを退社しフリーで活動していた草野仁さんを司会に迎える。

クイズという初めてのバラエティの司会には逡巡していたという。

だが草野さんは企画書を読み、

「あなたもインディ・ジョーンズになりませんか」

という明るい書き出しに、

今までの番組とはちょっと違う感覚と思わせる

“何か”を感じたという。

映画『インディ・ジョーンズ』シリーズが

そのころ日本で大ヒットしていた。

    

当時草野さんは、41歳。現在74歳。

   

黒柳徹子さんとはアメリカで

私のいろいろな番組に出演していただいていた。

ロサンゼルス、ラスベガス、ニューヨーク、ニューオーリンズ。

そこで食事したディナーのメニューをしっかり覚えていた。

その記憶の凄さを頼って歴史クイズ番組への出演をお願いした。

「これはただ正解を競う番組ではありません。

歴史をテーマにする番組で、クイズを考えながら

自分ならこう思うという、トークを大切にする

クイズ&トークショーです」と話した。

戦時中、黒柳さんの歴史の教科書は

検閲で真っ黒に消されていたという。

「私は歴史をしっかり勉強したい。

だからどこの国をテーマにするか、

どの人物をテーマにするかは教えてください。

それをきっかけに勉強します。それなら……」。

 私たちは方針を変えた。出演者にはその週のテーマを教えることにした。

だがどんな勉強をされても簡単にわからないアンサーを考えよう。

リサーチャーたちは燃えた。

だから日本で一番難しい、だけど面白いと言われるクイズ番組が生まれた。

正解を目的とするクイズ番組ではない。

そこで語られる人間の知恵に共感するような

知的エンターテインメント番組にした。

      

  

当時黒柳さんは51歳。現在85歳。

いやあ~すごい85歳です。

知的な衰えを見せないところを見習いたいというか、

知的好奇心を持っていたら衰えないという可能性を

示してもらっています。

     

始まった当時の視聴率は無惨なものだった。

1回目6.6%、2回目5.6%、そして3回目は3.5%(ニールセン調査、当時)。

ある週刊誌は「プロデューサーは間もなく首になるだろう」と報じた。

改革案が飛び交うなか、報告に行った提供主、

日立の宣伝部長は私にこう言った。

「君が自分のプランを正しいと思うなら、そのままやると良い」。

番組は蘇った。

古代遺産を視聴者に教育するような番組の制作方針に

問題があったのだ。

だが8回目で「タイに日本とまったく同じ納豆がある」という

日常生活に近い意外な発見をしたことから、

人間を見るやさしい目線で歴史を語る番組に変わった。

視聴率は急上昇した。

   

なるほど。

これは社会科授業でも大事なこと。

  

野々村は20年間パーフェクトを取れなかった。

もしパーフェクトを取ったら帝国ホテルで

盛大にパーティをやってあげるという私の約束を信じる人はいなかった。

野々村初のパーフェクト! (2005年8月6日放送分)

私はその約束を果たした。

帝国ホテルも笑いながら豪華な孔雀の間をとってくれた。

TBSの社長も出席し、野々村家の家族を招いた盛大なパーティが開かれた。

みんなが感動するパーティだった。

黒柳さんは「私はたくさんパーフェクトを取っているのに、

一度もパーティを開いてもらってない」と笑わせる。

チームみんなが同じ思いで制作すること、それが継続の秘訣である。

1年目からいたスタッフが10名、昔のままに働いている。

   

 

「1年目からいたスタッフが10名」!

みんないい年だろうなあ。

私の新任は1985年4月。

番組はその1年後にスタートしています。

ほぼ同じです。

私がいい年なのだから、スタッフもそうだろうと

考えました。

  

  

私の尊敬するフジテレビ「オレたちひょうきん族」の

プロデューサー、横澤彪さんがある日私にこう囁いてくれた。

「君ね、僕は『世界ふしぎ発見!』をずっと見ているのだけど、

毎年少しずつ内容変えているね。

それも気がつかれないようにね。

それがすごいよ、僕は今、君の番組が一番新しい番組だと思うよ」。

嬉しい言葉だった。見事に私たちの戦略を見抜いている。

その数カ月後に横澤さんは亡くなった。

彼の遺言を私の大切な教訓として胸に残している。

  

  

これも教育に通じます。

マンネリではいけないのです。

変えていかなくては。

そのためには新しい情報を得ることを怠ってはいけないと思います。

新しい情報を加味して新しいものを作っていく。

少しだけ変える。

その積み重ね。 

   

「レギュラー番組をどのように継続できるか」

とよく聞かれるが、逆に私はこう質問する。

3択である。番組を制作していて一番難しいことは何か?  

①企画を通すこと、②番組を成功させること、③番組を続けること。

すべて難しいことばかりだが、正解は③である。

なぜか?  

番組を続けるにはかなりの経験と戦略がないとできない。

提供主、放送局、人事、視聴率、視聴者、裏番組、出演者、スタッフ、

そのすべてにいつも鋭敏に対応し続けなければならない。

そのためには正論を意識高く持ち続けなければならない。

自分の正論を理解してもらう力を持つこと。

安易に正論を曲げると、結局一番大切な視聴者、出演者、

スタッフを失うことになる。

   

 

番組作りのたいへんさが伝わってきます。

  

  

  

いつまでこの番組を続けるのか?  

ATP賞特別賞の受賞式で私はこう答えた。

「この番組が始まった1986年にハレー彗星がやってきた、

次にハレー彗星が来るのは2061年。その年まで続けたい。

だがそのときに元気でスタジオに坐っているのは黒柳徹子さんだけでしょう……」。

満場の笑いを受けて私は段を降りた。

クイズ番組「世界ふしぎ発見!」の最高の目的は視聴率ではない。

この番組で私たちの、そして提供企業、放送局の独創的なメッセージを

社会に発信することであると思っている。

それを多くの人々に見てもらいたい。

それがテレビ制作者の使命であると思っている。

  

  

ハレー彗星はやっぱり魅力的ですね。

1986年2月に新任の学校でハレーすい星を見ました。

その時に気がつきました。

今度ハレー彗星が来るときは、私はジャスト100歳。

そこまで生きていてもう一度見たいと。

ここでも道草 東京駅開業100年13/1910年の東京駅の記事の次はハレー彗星(2015年2月14日投稿)

その時に「世界ふしぎ発見」を見ることも忘れないようにしよう。

 

 

授業で「ふしぎ発見」の映像をたくさん使いました。

もしかしたら、授業のやり方にも影響を受けたかもしれません。

知的好奇心をくすぐられてきたので、

生徒たちにもこの体験をさせたいと思うようになってきたかも。

今日の授業でも、知的好奇心をワクワクさせるような内容をかんがえたい。

教材研究を頑張ろう。

  

 

以上、本当は今朝起きたらやりたいこと(やらねばならないこと)が

あったのですが、この記事を読んで、しっかり道草をしてしまいました。

記事がなくならないうちに、このブログに書き留めたいと思いました。

充実感あり。

今からがあわただしい。

2018年9月 6日 (木)

2学期最初の社会科の授業 コンビニのおにぎりの話

 

今日は9月6日。

  

前投稿の続きで、2学期最初の社会科の授業のことを書きます。

  

5月16日放映の「林修のニッポンドリル」を授業で見せました。

特にコンビニのおにぎりのところを見せました。

 

ローソンの「焼さけハラミ

L508429_1 https://pinspo.com/12204.html

このおにぎりの中に含まれているサケについて。

南米のチリで養殖されたサケが、

東南アジアのタイで加工されて、

日本に運ばれ、焼かれていることを紹介しました。

そしてサケを焼くときに塩糀(こうじ)に漬けていること。

その塩糀が、地元のイチビキで作られたものであることを

紹介しました。

つまり、このおにぎりは、地球の裏側から来た材料と、

すぐ近くの工場で作られたものの味付けが

楽しめるよと伝えました。

昨年の「ガイアの夜明け」情報が役に立ちました。

 

 

セブンイレブンの「厳選米おむすび

Dispimage http://www.sej.co.jp/i/item/10010004536300.html?category=359&page=1

 

このおにぎりは、のりも巻かずに握り方で勝負している

おにぎりだと、番組を見せながら紹介しました。

 

 

以上、2つのおにぎりを紹介して、

もし、チリ産のサケ+地元の塩糀を味わいたいと思ったら、

あるいは、握り方勝負のおにぎりを味わいたいと思ったら、

実際にコンビニに行って食べようと勧めました。

これからも授業の内容で興味をもったら、

できる限り、実際に行ったり、体験したり、

あるいは自分でもっと調べたりしていこうと。

  

こんな方針を打ち出したくて、

2学期最初の社会科の授業は、

コンビニのおにぎりの話をしました。

  

  

実際にコンビニに行って、おにぎりを買って食べた人は、

ぜひ、報告をしてよと言いました。

その行為を他の生徒にも伝え、広めていきたいです。

  

2018年9月 5日 (水)

2学期最初の社会科の授業 9月3日の「今日は何の日」クイズ

今日は9月5日。

 

2学期が始まりました。

9月3日の最初の社会科の授業は、

「今日は何の日」クイズと、

コンビニのおにぎりの話を授業でやってみました。

 

9月3日の「今日は何の日」クイズ・・・最初はこれ。

 

「〇ー〇〇〇の日」

 

 

正解は「ホームランの日

その理由は、今日は何の日~毎日が記念日~9月3日より引用。

 

1977年のこの日、後楽園球場で巨人の王貞治選手が

通算756号ホームランを打ち、

それまでアメリカ大リーグの

ハンク・アーロンが持っていた世界最高記録を更新した。

2日後の9月5日に、政府は初の国民栄誉賞を贈り、

その栄誉を讃えた。王選手は引退までに868本のホームランを打った。

 

しかし、生徒たちで王貞治選手を知っている人は少なし。

残念なことです。私たちのヒーローでした。

20120503150617e55 読書を楽しもう!!

確かにこの日、私はテレビでこの瞬間を見ていました。

欠かせない問題でした。

    

  

  

9月3日の「今日は何の日」クイズ・・・第2問。

これは簡単。

 

「〇”〇の日」

 

9月3日だからと言えば、正解の「グミの日」は比較的早く出ます。

 

これは前座。

9月3日の「今日は何の日」クイズ・・・第3問。

これが難しい。

 

「〇”○〇”の日」

  

これも9月3日だからというヒントで押しました。

でも「グミの日」とは違って難しい。

これは「ベッドの日」が正解です。

その理由に、「9月3日」がひそんでいました。

 

上記の「今日は何の日~毎日が記念日~」から引用します。

  

日本ベッド工業会が制定。

「グッ(9)スリ(3)」の語呂合せ。

 

「9」を「グ」と読むのは、「グミの日」がヒント。

「3」を「スリー」と読める人は素晴らしい。

  

  

ちなみに昨日9月4日は「関西国際空港開港記念日」でした。

その理由を今日は何の日~毎日が記念日~9月4日より引用。

 

1994年9月4日午前0時、関西国際空港が開港した。

世界初の本格的な海上空港で、日本初の24時間運用空港でもある。

航空審議会が「泉州沖が最適」と答申してから20年目のことだった。

  

その記念日である2018年9月4日。

関西国際空港はたいへんことになりました。

台風21号のために、空港と陸地を結ぶ連絡橋にタンカーが衝突。

さらに、高潮のため空港の滑走路などは水浸し。

連絡橋は通行止め、滑走路も閉鎖。

さんざんな24周年となってしまいました。

  

 

コンビニのおにぎりの話は、2つの番組を利用しました。

5月16日放映の「林修のニッポンドリル

ここでも道草 セブンイレブンのおにぎり/握り方で勝負に出た(2018年5月16日投稿)

昨年11月14日放映の「ガイアの夜明け

ここでも道草 ローソンのおにぎり大改革/具の大きさの均一化(2017年12月12日投稿)

ここでも道草 ローソンのおにぎり大改革/鮭を塩こうじに漬ける(2017年12月17日投稿)

 

  

う~ん、もう出勤なので、続きは今晩。

2018年9月 4日 (火)

20180825樹海を歩いてきました クニマスは湖沼陸封型/せの海の変遷

今日は9月4日。

  

 前投稿の続きで8月25日の登山報告です。

今回がラストです。

  

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Rimg0357  

西湖のほとりにある西湖ネイチャーセンター。

ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿)

「クニマス展示館」を含む施設です。

そこで購入したのが「奇跡の魚(うお)クニマスについて」という

冊子と、缶バッジです。

これが勉強になりました。

  

少しだけ引用します。

 

ヒメマスはベニザケのコカニー(湖沼陸封型)です。

およそ15~10万年前にできた阿寒湖に入り込んで、

湖で一生を送るようになったのがヒメマスです。

クニマスもベニザケのコカニーですが、

田沢湖は180~170万年前にできたと考えらえています。

  

「陸封」という言葉に注目。

「陸封」の意味を調べました。

 

海産動物が地形的に海から切り離された湖沼などに封じこめられ、

そこで淡水動物として世代を繰り返すこと。

甲殻類アミの仲間のイサザアミなど。

また、降海する性質の魚が、環境の変化などのために

湖沼・河川に閉じこめられ、そこで繁殖するようになる現象をもさす。

ヒメマス・ヤマメ、琵琶湖・池田湖などのコアユはその例。

※引用:コトバンク 大辞林第三版

なるほど。

また面白い言葉、現象を知りました。

  

  

 

8月25日の報告のラストは「せの海」の形。

せの海はどんな形をしていたのでしょう?

参考になるサイトはここ ↓

富士五湖.TV 富士五湖の成り立ち

このサイトによると、

「古せの湖」(このサイトでは海ではなくて湖)という

大きな湖があって、富士山の噴火による溶岩流で、

「せの湖」と「本栖湖」に分離。

「せの湖」が貞観噴火で溶岩流で「西湖」と「精進湖」に分離。

したがって「本栖湖」「西湖」「精進湖」は地下で

つながっている湖。したがって水位の上下も同じ。

  

図を載せたいと思いましたが、

これはいいと思うものがありませんでした。

 

以上で8月25日の報告終了。

 

  

20180825樹海を歩いてきました 鳴沢歩道橋の上に立つ/せの海

今日は9月4日。

  

今朝起きた時(午前3時45分頃)に調べた時には

暴風警報が出ていませんでした。

そしたら、先ほど(午前6時20分頃)、家族から

暴風警報が出ていることを教えてもらいました。

午前4時20分に出たそうです。

私が調べてしばらくして出たのですね。

昨日は、勤務校のヒマワリ畑の大小のヒマワリに、

支柱を立て、ひもでしばりつけました。

この今世紀最強台風に耐えてくださいね。

  

暴風警報が出て、今日の授業準備をする必要がなくなりました。

そうなると、私は道草します。

出勤前にもう1本。

  

8月25日にぜひ行きたかったのが、鳴沢歩道橋付近です。

※参考:ここでも道草 「ブラタモリ 10」で勉強/鳴沢歩道橋付近にある溶岩の末端(2018年8月13日投稿)

↑ ここで書いた場所に実際に行ってみたかったのです。

  

富岳風穴見学の後に行ってきました。

 

Rimg0319  

実際にこの歩道橋近くに立って、

ここをスタートして坂道になっていることを

確認しました。

 

歩道橋の上にも登ってみました。

Rimg0323  

大室山付近の火口から、溶岩がここまで来たんだなあ。

その溶岩で、こんな坂が形成されたんだなあ。

その規模の大きさを歩道橋に登ってみて感じました。

 

歩道橋から逆方向を撮影↓

Rimg0326  

この地域は、その時、溶岩の被害を受けなかった場所。

この溶岩を出した貞観大噴火は864年に始まる。

この場所まで逃げ延びた人たちは、ホッとしただろうな。

  

貞観大噴火は、かつて富士山麓に東西に広大にあった湖「せの海」を

溶岩流で大部分埋めてしまったと言います。

埋らなかったのが、西湖と精進湖だそうです。

※参考:Wikipedia せの海

Yahoo!地図で確認。

Photo_10  

上記のWikipdiaには、噴火直後の様子を伝える文献が紹介されています。

引用します。

 

『日本三代実録』の「貞観6年7月17日」(ユリウス暦864年8月22日)に

甲斐国国司から京の朝廷に届けられた報告(貞観大噴火についての第2報)

(中略)

(現代語訳)
貞観6年7月17日辛丑(かのとうし)、甲斐国(の国司)が報じるところ、

駿河国の大山・富士が突如として火を噴き、山じゅうを焼き砕き、

草木は焦がれ死んだ。土石は溶け流れて、

八代郡にある本栖海(本栖湖)と剗の海(せのうみ)を埋めてしまった。

湖水はお湯のように熱くなり、魚や亀の類はみな死んだ。

人々の家屋は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、

そのような例は数え上げることもできない。

2つの湖の東には河口海(河口湖)という湖があるが、

火はこの方角へも向かっている。

本栖海や剗の海が焼け埋まる前には、大地が大きく揺れ、

雷と大雨があって、雲霧が立ちこめて暗闇に包まれ、

山野の区別もつかなくなった。

それらが起こった後にこのような災異が訪れたのだ。

  

 

非常に面白い話です。

よくぞ書き残しておいてくれました。

こうなるとかつての「せの海」の姿(予想図)を見たい。

また探してみます。

 

  

最後に鳴沢歩道橋の上から撮った富士山です。

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↑ 登っていったら、正面に富士山!

次は電信柱を少し外して撮影 ↓

Rimg0327

 

朝ごはんを食べて出勤します。

朝から3本道草。贅沢しました。

暴風警報のおかげです。

  

もう1回続く。

20180825樹海を歩いてきました 富岳風穴の中で見たもの

 

今日は9月4日。

 

台風21号、接近中。勢力の強い台風です。

今日はどのような1日になるか。

  

前投稿の続きで8月25日の登山報告です。

  

富岳風穴に迫ります。

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年代物の看板です。

文章に言い回し、絵のおどろおどろした描き方、

いつの時代の作品なのだろう。

でも戦後でしょう。

  

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↑ 暑い日でしたが、この階段を下りていく途中で、

風穴からの冷気のかたまりに入ることができました。

 

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↑ 少し入っただけで、そこは別世界でした。

 

半袖で入るお客さんが多かったのですが、

寒さは我慢できるかと思いますが、

天井からしたたる水滴が結構あって、

濡れそうでした。

私は合羽を着ていたのでセーフ。

  

風穴奥は、社会科教師にとって魅力ある場所でした。

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案内板から引用します。

  

「風穴」と養蚕

わが国での養蚕は古代にまで遡りますが、

明治以降には絹の輸出が日本経済を支えるほど

盛んになりました。

養蚕は蚕蛾が生んだ卵の管理からはじまります。

蚕の卵は暖かくなり始める春頃に孵化しますので、

養蚕の回数も年1~2回に限られていました。

そして明治中頃に、涼しい倉庫に蚕の卵(蚕種)を保管して、

孵化の時期を調整する技術が考えられたのです。

これによって年3~4回も蚕を飼うことが可能になり、

絹の生産も飛躍的に高まったのです。

  

※参考:ここでも道草 「ブラタモリ 10」で勉強/明治時代の富士風穴(2018年8月13日投稿)

  

蚕の卵だけでなく、他の物を貯蔵されていました。

 

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こちらも案内板から引用します。

  

樹木種子の貯蔵

ここは山梨県が昭和30年ごろから昭和40年頃まで

スギ、ヒノキ、ナラ、アカマツ、カラマツなどの

種を全国各地から集め、密封した缶の中に入れて、

種の生命を長く維持し、種一つ一つの発芽率を

良くする目的で、一定期間保管していた場所です。

これらの種は毎年、春に出荷され各地で苗が育てられ

2年から3年後に山々に植え付けられて

木材生産や緑化に役立って来ました。

 

このようなことも行われてきたのですね。

じっくり時間をかけて見てきました。

  

  

風穴出入り口を見上げます。

Rimg0316  

いい体験ができました。

 

Rimg0318

↑ 風穴出入り口付近にあった説明板。

なぜ溶岩の上に土があるのか、歩いていて疑問に思いましたが、

ここにヒントがありました。

   

風穴前のおみやげ屋さんで、Tシャツを買おう思いましたが、

綿100%ばかりだったので、買えませんでした。

夏に綿はきつい。

その代わりに買ったのはこれ↓

Rimg0186

1本150円

家族5人分買ってきました。

 

まだ続く。

 

20180825樹海を歩いてきました 富岳風穴手前で見たもの

 

今日は9月4日。

  

前投稿の続きで8月25日の登山報告です。

  

富岳風穴の駐車場に戻ってきて、

荷物を車に置いて、いよいよ富岳風穴へ向かいました。

  

Rimg0288  

富岳風穴手前にあった看板。

「りょぶ」と書いてしまった後に、

しまったと思って「」を書いたのでしょう。

看板製作者の「しまった」感が出ている看板です。

」が小さいんで、一見「りょぶ」でした。

  

  

もう一つ富岳風穴手前にあったもの。

Rimg0289

富士山のイメージで作られた三角コーン。

これはいい。

調べました。

AD Line オリジナルデザイン商品

↑ ここを見ると、この三角コーンは、

AD Line(アドライン)さんの

オリジナル商品のようです。

サイトから転載します。

Photo 説明文が面白い。

  

富士山世界文化遺産の街、静岡県富士宮市から発信!!

富士山型のカラーコーン。

今までありそうで無かった「富士山コーン」

用途はアイデア次第で色々。

日本人なら一家に1本と言わず、1人1本の一品です。 

  

1人1本!

そこまで言ってしまう、アドラインさん。

自信作ですね。

 

上記サイトを見ると、他にも面白いコーンがありました。

転載します。

商品だけでなく、説明文も楽しめます。

Photo_2

  

帽子にしちゃうの?

  

Photo_4 185cmで、39000円。

買う人がいるのかな?

今までどれくらい売れたのだろう?

  

Photo_5  

「ある人気球団をモチーフにした」とあります。

これも売れているのかなと心配しますが、

関西に行けば置いてあるのかな。

 

 

アドラインHP スタッフ紹介

ここも見ると楽しい。

一部転載します。

Photo_6

Photo_7  

実際どんな人たちだろうと、こっそり見に行きたくなる

スタッフ紹介です。

住所は・・・・

静岡県富士宮市ひばりが丘111

この住所から、ストリートビューで行ってみました。

ストリートビュー アドライン!

Photo_8

新富士ICから出て、富士山に向かう時に通る道沿いでした。

Photo_9

8月に3回、富士山方面に行きましたが、

新清水ICから出ましたので、

残念ながら、近くを通っていませんでした。

また機会があったら、見に行きたいです。

つづく

 

2018年9月 2日 (日)

20180825樹海を歩いてきました オムニバスはバスの起源

今日は9月2日。

  

もう1本投稿して、今日は終わりにしよう。

明日から2学期。準備をしなくては。

前投稿の続きで8月25日の登山報告です。

  

クニマス展示館を見学して、

再び青木ヶ原樹海の中を歩きました。

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Rimg0269  

中央に立つ木の枝ぶりが、ちょっと奇妙です。

首がなくて、万歳しているような姿です。

まっすぐ伸びていたのに、

何かあってそこが折れて、

両側に芽が出てそれが伸びたのでしょうか?

目にとまったので写真に撮りました。

  

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野鳥の森公園の隅に「丸木舟展示館」がありました。

鍵がかかっていて入ることはできず。

窓越しに見ると、中には大きな丸木舟がありました。

どんな丸木舟だろうと思い、調べました。

富士山NET 西湖の丸木舟

ここに書いてありました。

転載は許可がいるため、あらましを書きます。

くわしくはこのサイトを見てください。

  

展示館にあったのは、西湖の湖底から発見された丸木舟の一つ。

長さは11メートル近くあります。

見た感じも長かったです。

建物は、丸木舟の大きさに合わせて造られたと予想されます。

丸木舟が造られたのは、

13世紀末の鎌倉時代以降と予想されています。

けっこう古いものです。

  

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樹海の中に、広々とした公園がありました。

野鳥の森公園です。

古い民家風の建物の前にバス停があり、

ちょうどバスが来ました。

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のどかな風景だなあと思って見ていました。

少々暑かったけど、平和でした、野盗の森公園は。

バスに書いてある文字が気になりました。

「OMNIBUS」 オムニバス!

オムニバスCDというので聞いたことがある言葉です。

なぜバスの横に書かれているのか?

 

調べました。

Wikipedia オムニバス

この説明がよかった。

  

オムニバス(omnibus)は、元々、ラテン語で

「すべての人のために」を意味する語で、

1826年以降にはそこから派生して

「乗合馬車」の意味も加わったと言われる(語源の詳細は乗合馬車を参照)。

公共交通機関のバス(bus、英語)の語源にもなった

そこから発展し、種々の芸術分野で

「独立したいくつかのものを一つにまとめた」作品形態を指すようになった。

  

1826年に何があった?

「バス」の語源が「オムニバス」!

 

1826年にあったことは、Wikipedia 乗合馬車に書いてありました。

 

乗合馬車の意味でのomnibusという語が

最初に記録されたのは1826年12月2日付けの

雑誌Petit Bretonの記事である

  

  

ふだん当たり前に使っている「バス」は、

元々は乗合馬車「オムニバス」が語源。

なのに、今、バスの横に「OMNIBUS」と書いてあるのはいいのか?

でも、そのおかげでいい勉強ができました。

  

山の中を歩いていても、「OMNIBUS」のように、

言葉に関する小さな疑問は、ちょくちょく浮かびます。

 

その他、今回歩いていて気になったのは・・・

 

「北上、南下」と言うけど「北下、南上」と言わないのはなぜ?

  

これは地図が、あるいは地球儀が、

普通は北が上、南が下で表わされるからだと思います。

北に向かって行くのが北上、

南に向かって行くのが南下。

それでは、東に向かったり、西に向かうのは何と言う?

 

ありました。

東進(とうしん)、西進(せいしん)です。

ちなみに北進(ほくしん)、南進(なんしん)という言葉もあります。

  

  

「汗が引く」という言葉がありますが、汗が引っ込むわけではないよね。

  

「汗が引く」はやはり感覚から来る言葉だと思います。

汗が乾く状態ですね。

※参考:Yahoo!知恵袋 。「汗が引く」という言い方をしますが、本当にかいた汗が体内に戻ってしまうのでしょうか?

 

  

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ちなみに野鳥の森公園の向こうにそびえるのも

御坂山地。

久々、登ったことのない山を1人で登ることをしてみたいと

この景色で決心しました。

決行は、2日後と、その時は思っていました。  

   

 

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↑ 幹がグイッと曲がったサルスベリ。

 

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この案内板、よく見て下さい。

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「悪路」とあります。

どんな悪路なのか、それはそれで興味あり。

  

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↑ スタートであり、ゴールでもある富岳風穴に戻ってきました。

8時15分頃に出発して、駐車場に着いたのは13時5分頃。

5時間近く歩きました。

  

この後、荷物を自動車にしまって、富岳風穴に入りました。

 

続く。

 

  

明日から2学期。

たくさん充電しようと思ったけど、

思ったより録画してあったテレビ番組を見ることができませんでした。

ブログも5888本を目指しましたが、

今回の記事が5864本目。24本足りませんでした。

夏休みに書いたのは78本。

この充電で2学期に突入。

思った通りできなくても、自信をもとう。

「根拠なき自信」をもって2学期はまた頑張ろう!

  

 

  

  

 

  

  

20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居

 

今日は9月2日。

 

前投稿の続きで8月25日の登山報告です。

  

離れ難かったけど、ここで暮らすわけにもいかず、

三湖台から西湖民宿村へ下山。

けっこう急坂でした。

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↑ ここが下りきったところ。登山口です。

目の前に公園があって、トイレを使わせてもらいました。

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↑西湖民宿村

 

ここからしばらく歩いて、西湖コウモリ穴へ。

ここも風穴の一つ。ここで昼食を食べましたが、

風穴には入りませんでした。

今回は富岳風穴のみ。

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ここでの注目は、ここに寄ったこと↓

西湖ネイチャーセンターです。

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↑ その一部が「クニマス展示館」です。

調べたら2016年4月27日オープンの新しい施設。

なぜここにクニマス展示館が出来たいか?

それは2010年の出来事が深くかかわります。

このサイトがいいです↓

紺色のひと ギョギョー!「クニマス絶滅してなかった!」の何が凄いの?(2010年12月15日記事)

このサイトで読んでみてください。

一部引用します。

  

・クニマスは、サケ科ヒメマスとごく近い種で、

 日本国内の秋田県田沢湖にしか生息していなかった。

・1940年頃まで生息していた。

・絶滅の直接の原因は、強酸性の水が湖に導入されたことによる水質悪化。

・絶滅する前に、他の水域への移殖放流も試みられたが、成功しなかった。

  

 

もう絶滅していると思ったクニマスが、

2010年に西湖で発見されたのです。

お手柄だったのは、さかなクン。

そのいきさつを、上記サイトの方はわかりやすくまとめて

くれてありました。

引用します。

 

なぜ絶滅したはずのクニマスとわかったか、

については記事を読んでいただければわかるのですが、

記事を参考に再現してみました。

 

京都大学・中坊教授「さかなクン、クニマスのイラスト描いてよ」

さかなクンさん「ギョギョー!いいですよ!」

「…でもホルマリン標本じゃうまく描けませんねー」

「ヒメマスと比較して参考にすればいいじゃない」

「そのアイディア、いただきです!」

「さっそく北海道や富士五湖からヒメマスのサンプルを送ってもらいましょう」

「あれ…? このヒメマス、なんか黒い。痛んでるわけでもないし」

「送り元は富士五湖ですか……あっ、ここは確か、田沢湖のクニマスが移殖された場所!」

「ひぇーっ! もしかしたらクニマスが生き残ってたのかも! 先生、確認してください!」

中坊教授「ギョギョギョギョー!!」

  

 

ここで「記事を読んでいただければ」とあります。

でももう8年近くも経って、記事は消滅しています。

これが残念なこと。

Web上の記事は、いつかは消える可能性が高い。

なので、大事なところは引用して、

自分のブログにとっておくのです。

 

上記サイトには、西湖での発見を伝えるニュース動画もありました。

こちらは消滅していません。

載せます。


YouTube: 生息確認!絶滅魚「クニマス」が山梨・西湖に(10/12/15)

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その他、動画で関連するものがあったので、ここに載せます。

2010年12月のさかなクンの会見シーン。


YouTube: クニマス発見立役者のさかなクン会見

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クニマス展示館にあった案内板です。

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マスコミとしては、さかなクンを取り上げていますが、

クニマス展示館にあるこれらの案内板とか、

クニマスに関する歴史年表の、西湖での発見のところに

さかなクンの名前は発見されません。なぜだろう?

  

2017年7月1日に田沢湖畔でオープンしたクニマス未来館。

西湖で発見されたクニマスが、そこで泳いでいるそうです。


YouTube: クニマス

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私は、展示館でクニマスの写真を撮りました。

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こんな写真より、はるかに上手に撮っている方のサイトがありました。

Hitoshi Diary クニマス展示館と千葉治平( 2016年6月記事)

この方も、年表にさかなクンのことが書いていないことに触れています。

みんなそう思うよね。

 

クニマスのこと。記録できました。

2010年に(もうそんなに年月が経つんだ)、

さかなクンが騒がれたのはうっすら覚えています。

でも当時は関心がありませんでした。

今回、クニマス展示館医寄ったことで、関心は高まりました。

世の中、面白いことはいっぱいあります、きっと。

全てに関心をもつのは不可能。

その代わり、縁があったことは大切にしたいですね。

 

 

思ったより長居をして、再び青木ヶ原樹海の中を歩き始めました。

  

つづく

 

20180825樹海を歩いてきました 離れ難かった三湖台

 

今日は9月2日。

  

前投稿の続きで8月25日の登山報告です。

  

紅葉台レストハウスで、従業員(オーナーかな?)から、

「今日は最高の天気ですね、行ってらっしゃい」と声をかけられて、

三湖台に向かいました。

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↑ 広々とした所に出ました。

すでに以前ここに来たことがある同行者さんが、

「すぐに振り向いたらダメだよ。

もう少し歩いてから振り向くといいよ」と教えてくれました。

振り向いた方向に富士山があるわけで、

どう見えるかが楽しみです。

 

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↑ 展望台です。

ここまで来て、振り返りました!

 

富士山が見事に見えました!

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そして展望台から見た大室山と樹海!も素晴らしい。

写真をつなげてパノラマ風にしてみました↓

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樹海を見下ろすのは、とても気分がいいものでした。

他にも展望台付近撮った写真を並べます。

  

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↑ 向こうに見えるのは、以前登った三つ峠山。

あそこからの富士山もよかったなあ。

  

三湖台から見て、西湖の向こう側に並ぶ御坂(みさか)山地を

見上げて見ることができました。

堂々とした姿でした。

登りたいと思いました。

 

この日の三湖台は、景色がよく、風が吹いて気持ちよく、

離れ難い場所でした。

でもいつまでもおるわけにもいかず、

そこから西湖民宿村までの急坂を下りました。

  

つづく

最近の写真

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