「ブラタモリ 10」で勉強/明治時代の富士風穴
今日は8月13日。
前投稿に引き続き、
「ブラタモリ 10」(NHK「ブラタモリ」制作班監修/角川書店)
より。
今回は「富士風穴」のこと。
引用していきます。
富士風穴が発見されたのは明治時代のこと。
トンネルの落盤によって入口が姿を現しました。
(22p)
意外に新しい。
私が撮った8月4日の写真。
富士風穴に行くまでに窪地があります。
この窪地に下りるだけで、10度くらい気温が下がるそうです。
風穴内の気温は年間を通して0度前後であり、
風穴からの冷気が、窪地の気温を下げています。
風穴の冷気が、明治から大正時代に貢献しました。
そのことが書いてある部分を引用します。
かつて富士風穴には、国内最大規模の蚕卵(さんらん)の
貯蔵施設があったのです。
蚕の繭を原料にする生糸や絹織物の生産は明治以降、
日本の主要な輸出産業でした。
しかし蚕の卵は春にふ化するため、養蚕は春にしか
行えないという大きな課題がありました。
この問題を解決する方法として注目されたのが、
蚕の卵を冷蔵保存し、ふ化の時期を遅らせる技術でした。
しかし冷蔵庫はまだ一般的ではありません。
そこで利用されたのが、夏場も冷気が保たれる洞窟や
風穴でした。
同様の施設は全国に造られましたが、
なかでも規模が大きかったのが富士風穴内に造られた施設で、
遠く福岡県からも蚕卵が運ばれたことが
記録に残されています。
明治時代に描かれた富士風穴の断面図には、
風穴の入口がある窪地には作業者が寝泊まり小屋、
風穴内には3つの貯蔵庫が描かれています。
そこから風穴内にはレールが敷かれ、
氷づけになって残されていた台車を使って
蚕卵が運ばれていたのでは、と
(案内の)栗林さんは推測しています。
風穴は、日本の養蚕業を支えていたのです。
(23~24p)
「ブラタモリ 10」で紹介されている風穴の図は、
ありがたいことに次のサイトで見ることができました。
風穴の図の写真を載せます。
今度行った時には、この図の景色を思い描きながら
風穴内を歩いてみたいです。
最後に、「ブラタモリ」でタモリさんたちを案内した栗林さん。
フルネームは栗林秀旭(しゅうき)さん。
写真家・樹海ガイド。
富士山に魅せられ平成19年に
山梨県精進湖畔に移住。
富士をテーマにした写真集を2冊出版している。
(23p)
本に載っている栗林さんの写真を見て、
この栗林さん、私は8月4日に見ていることに気がつきました。
窪地で記念写真を撮っている人たち。
手前でカメラを構えているのが、栗林さんです。
その時には全く知りませんでした。
以上、「ブラタモリ 10」でいい勉強ができました。
でももう一つ、投稿したい。
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