2018年9月 2日 (日)

20180825樹海を歩いてきました 紅葉台で富士山を見る

今日は9月2日。

  

山のことを書きたい。

  

8月25日に、8月2回目の樹海歩きをしてきました。

8月4日と同じメンバーです。

※参考:ここでも道草 20180804樹海を歩いてきました1.1合目まで(2018年8月9日投稿)

 

今回は、下の地図の青で示したコースを歩いてきました。

Epson861

※地図は国土地理院の2万5千分の1地図

 

出発は富岳風穴の駐車場。

いずれ日陰になる場所に駐車しました。

Rimg0174

Rimg0177  

台風20号が通過した後、ぐずぐず天気が続いていたので、

晴れはあまり期待していませんでした。

実際、往路の高速道路では、雨が降っていました。

しかし、上の駐車場の写真のように、

予想外の好天気で・・・天気が良ければよかったで、

「こりゃあ、暑くなりそうだ」と言いながら出発しました。

  

Rimg0179_2 ↑ まだ富岳風穴の営業時間前。8時30分スタートです。

私たちは登山後に入る予定。

 

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↑ ここが富岳風穴入口。

私たちは、ここで左折。森の中を鳴沢氷穴方面に向かいます。

東海自然歩道でした。

 

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↑ 20分ほどで、鳴沢氷穴。

ずっと以前、家族で来たはずだけど、あんまり覚えなし。

今回はここは入らず。

さらに進みます。

 

Rimg0187

↑ 「借金の解決は必ず出来ます。

  私たちも助かりました

樹海というと、自殺のイメージがやはり強いです。

1人でも食い止めようと、こんな看板があるのでしょう。

 

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↑ 交通量の多い道路の下をくぐり、まず目指すは紅葉台。

「紅葉台」は何と読むのでしょう?もみじ?こうよう?

調べました。「こうようだい」です。

秋になると、紅葉も楽しめるということで、

紅葉台と言うのでしょうか。そこは今のところ不明。

登ります↓

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↑ちょっと歴史を感じさせる看板でした。

この看板を左にしながら巻いて上がっていくと頂上でした。

そこでの富士山です↓

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傘雲ががかっているなんて文句は言いません。

十分に格好がいい富士山です。

これで文句を言ったら、罰(ばち)が当たります。

 

次に向かったのが紅葉台レストハウス↓

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Rimg0203  

NHKの番組「ブラタモリ」でも、

タモリさんがやってきたそうです。 

このサイトで、紅葉台からの景色が見られます。

なるさわ散策ガイド 紅葉台

Photo  

このサイトにも、たくさんの自動車が駐車しているし、

実際に8月25日に広場に駐車している自動車を見ています。

レストハウスまでは、自動車で来れそうです。

親戚の叔父さん夫婦が登山をしたい、

でもきついのは無理という要望があり。

レストハウスまで自動車で来て、

そこから三湖台まで登るのが、お勧めかな。

  

では次の投稿で三湖台での景色を書きます。

  

つづく

 

 

 

子どもたちを取り巻く環境を「エコマップ」に表す

今日は9月2日。

  

前投稿の続きで、

8月9日の研修会のことを書いていきます。

 

動画「貧困を背負って生きる子どもたち 仁の物語」

視聴後に、講師の先生が示してくれた図です↓

Epson859  

こういうのを「エコマップ」と言います。

援助者が子どもを支援するために、

子ども、家族、社会資源の関係性を図にしたものです。

動画を見た後に、この図を見てください。

  

さらに動画「貧困を背負って生きる子どもたち 智の物語」

視聴後に作成されたエコマップです↓

Epson860  

 

「エコマップ」

いずれ使うこともあると思います。

ここに記録します。

  

同じく動画「貧困を背負って生きる子どもたち」を見た後に

エコマップを作成した例が下のサイトにありました。参考までに。

ひみつ基地 一歩踏み込んだ次の「子どもの貧困対策」とは?-「対子どもだけ」から「対家庭」へ支援を広げて深める 

  

  

スクールソーシャルワーカーさんが、

子どものことで、学校の先生と相談をすると、

驚くことがあるそうです。

それは、先生から出るアイデ尽きないのだそうです。

素晴らしいそうです。

きっと、学校の先生は、子どもを取り巻く環境が

よくわかっていないのだと思います。

その環境を、SSWさんが教えてくれたことで、

先生たちの頭は動き出すのだと思います。

やっぱりSSWさんの配置は必要です。

  

  

8月9日は神奈川LD協会でいい講座があったのですが、

1か月前に参加予約をしようとしましたが満席。

その代わりに行った出張でしたが、収穫ありました。

 

  

初めて知った?「自己効力感」/「根拠なき自信」をもちたい

今日は9月2日。

  

前投稿の続きで、8月9日の研修会のことを書いていきます。

  

講師の先生が、自己肯定感の前に、

自己効力感が必要だと言っていました。

初めて聞く「自己効力感」

講師の先生は「自分はできるよ」「自分はきっとできる」

「うまくいくかもしれない」という気持ちだそうです。

何かやる時に、自己効力感があれば、活動が始まるけど、

なければ結局やらないで終わってしまう。

環境の悪い状況の子どもの中には、

褒められる機会が少ないせいもあってか、

この自己効力感が少ないと言われます。

  

なるほど。

  

少し調べて、次のサイトを発見。

モチベーションアップの法則 自己効力感

 

引用します。

 

自己効力感は、カナダ人の心理学者

アルバート・バンデューラによって提唱されました。

この自己効力感は、人が行動を起こす際に大きな影響を及ぼします。

「きっとできる!」であれば行動を起こしますが、

「どうせできない!」であればなかなか行動には移れないものです。

(中略)

自己効力感が低いと、「自分はきっとうまくできない」

「どうせまた失敗する」などと考えますから、

やる気も起きずに行動を起こす気力も湧いてきません。

また、そうした気持ちで臨むと

やっぱり良い結果も生まれにくいものです。

逆に、自己効力感の高い人は、「できそうだ!」「自分ならやれる!」

と考えていますから活動的で、ポジティブな気持ちで行動するので

良い結果にもつながりやすくなります。

成功すればまた自己効力感が高まるので、

さらにやる気が出てくるといった正のスパイラルも発生していきます。

「自己効力感→モチベーション→行動→結果→自己効力感」というわけです。

この自己効力感の違いは、日常の小さな行為から

人生をかけた大きなチャレンジにまで影響を与え、

物事に対するその人の取り組む姿勢を決めます。

  

 

「日常の小さな行為」にも影響を及ぼすという発想に賛成です。

小さな行為ができないと、環境が悪化します。

それはまた自己効力感を奪ってしまうと思います。

 

さらに引用。

  

ここで大事なことは、自己効力感については

それが事実かどうかは関係がないということです。

つまり、実際に「勉強や仕事ができるかどうか」や

「イケてるか、モテてるか」は関係なく、

そう思い込んでいるかどうかということです。

事実は違うのにそう思い込んでるなんて

「ただの勘違い野郎じゃないか!」と思うかもしれませんが、

控えめで謙遜することが美徳とされる環境で育った日本人は、

実際より自分がダメだと思う傾向が強く、

世界的に見ても自己肯定感の低さが突出しています。

少し勘違いしてるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。

なにしろその方がモチベーションが上がります。

(中略)

 

成功者の共通点は、「根拠のない自信」を持っていること。

つまり高い自己効力感を持っているということです。

彼らは、「私ならできる」「私はツイてる」と心の底から思っています。

一方、なかなか成功できない人は「根拠のない不安」を持っています。

どちらも根拠がないのは同じです。

(中略)

 

根拠があろうがなかろうが、自信を持って臨めば

「やる気」だけでなく「気迫」や「勢い」が違ってくる

ことは想像に難くありません。

もちろん、根拠のない自信だけを持ってなんの努力もしなければ、

メッキはすぐに剥がれてしまうことでしょう。

でも、「私はきっとできる」という自己効力感を胸に

努力を積み重ねていけば、

いずれ本物になっていくということも紛れもない事実。

まずは「根拠のない自信」から始めましょう。

 

 

「気迫」や「勢い」が違ってくるというのは、

いいなあ。

私自身ももっと「根拠なき不安」を捨てて、

「根拠なき自信」をもたねばならないと思います。

そして、目の前で担任している子どもたちにも、

この気持ちをもたせようという視点をまず持ち、

そのための工夫を心がけようと思います。

  

講師の先生が言ってくれた「自己効力感」でいい勉強ができました。

 

続く

 

動画「貧困を背負って生きる子どもたち」 3本目を見たい

今日は9月2日。

  

前投稿の続き。

研修会で紹介された動画「貧困を背負って生きる子どもたち」について

調べていて出会ったサイトより。

  

多治見ききょう法律事務所 泣かずに見られますか?~Mama’s基金

 

ここから引用。

 

今回は,そういう2人の子「仁,智」のお母さんが,

なぜ虐待をしてしまうのか・・その幼い頃の経験を動画(公表準備中)にした
 

貧困を背負って生きる子どもたち 礼の物語」の発表もあった。

私たち弁護士は「なぜ悪人を弁護するの?」

と言われることが多い。
 

けれど・・事件を起こす背景,虐待をする背景には,

その人自身のつらい体験も多い。
 

私が同じ境遇で過ごしていたなら,

やはり同じ事をしてしまったかもしれない・・。

子ども達の行動・その親の言動の原因に思いを巡らせる人が増え

「こども食堂」など,「子ども達」を直接地域で支援する方法が

広まると良いなと改めて思いました。

(中略)

子供を虐待から守るには,子供を育てている親への支援が必要だな・・と

「礼の物語」を見て,改めて感じました。

虐待をする母親が,テレビや新聞に報道され,

「それなら,なぜ産むんだ?」と激しく非難される・・

けれど,弁護士として,その生い立ちや夫との関係,孤独な状態を知ると,

もちろん虐待された子は本当にかわいそうなのだけれど,

親への強い非難も出来ない気持ちになる。

  

 

 

仁と智のお母さんの話もあるのですね。

見てみたいけど、今もYoutubeでの公開はない模様です。

虐待する親にも原因があり。

そこに目を向けて欲しいと作成した映像なのでしょう。

いつか見たい。

   

さらに引用。

この会を主催したMama’s Cafeの

支援する相手,支援する場面は明確でした。

子供への直接支援ではなく,

,(特に,母親と感じました)の支援をする。

そして,支援する場面は,既に,虐待をしてしまった親,

ではなくて,そうなる前に,援助を必要としている親を助ける,ということ。

Mama’s Cafeの事業の一つである

「ファミリーサポート事業」は,多治見市の補助を受けながら,

子育てする親を援助しています。

 

 

動画を見ると、親を支援する必要を感じます。

学校に勤務する身としては、

親に対してできることはなかなか難しい。

だからスクールソーシャルワーカーという

職業が生まれたと思います。

もし勤務する地区でSSWが配備されたら、

一緒に活動したいですね。

 

  

次のサイトからも引用します。

仁藤夢乃の”ここがおかしい” 貧困を背負って生きる子どもたちに寄り添う(1)

  

イベントでは、幸重さんが作成したヴィジュアルノベル

「貧困を背負って生きる子どもたち」の3つの物語が上映された。

いじめ、病気、障がいのこと、周囲からの冷たい言葉、

わかってもらえない気持ち、寄り添ってくれる大人との出会いや

素直になれなかったこと、

貧困を背負って生きる子どもの体験や気持ちが物語にまとめられ、

同時に地域として何ができるのか、

寄り添うとはどういうことなのかを考えさせられる動画である。

3つのうち2つの物語はネットにアップされているので、ぜひ見てほしい。

(中略)

私が中高生の時に感じていたことや、今、出会い関わっている

中高生の体験とリンクする部分がたくさんあり、

映像を見ていると、自分のことのように胸が苦しい気持ちになる。

そして自分は今、大人として中高生に寄り添えているだろうかと、

自分の行動を問われているような気にもなる。

上映が始まってすぐ、同席した高校生の一人が

「ちょっと頭痛くなってきたから外に出てる」と

私に声をかけて会場を出て行った。

「仁の物語」には、彼女の体験とも重なるところがあり、

つらくなったのだと思う。

他にも、机につっぷして寝たふりをする人もいた。

普段の生活では、逃げることを許されない状況にある人もいるけれど、

彼女たちがその場を離れようとしたり、見ぬふりをしたりすることも、

自分を守るために必要な力であると思う。

(中略)

私は中高時代の自分の体験を「ケータイ小説みたい」と

言われることがよくあったが、

もしかしたらこの動画も「ドラマみたい」と思う人がいるかもしれない。

しかし、この動画をリアルだと感じたり、

そこで描かれているような今を生きていたりする子どもが、

たくさんいることを知ってほしい。

   

  

この動画と同じような今を生きている子どもがいると

知りましたよ、そう思って見たいです。

 

そして、この仁藤さん(社会活動家 詳しくはここ→プロフィール)のように、

自分は目の前の子どもたちにできることをしているかと

自問させられた動画でした。

  

もう少し続く。

スクールソーシャルワーカーさんのお話を聴く

今日は9月2日。

  

8月9日のことを書きます。

この日は人権に関する出張研修会に参加しました。

書き留めておきます。

 

研修会の講師の方は、スクールソーシャルワーカーという職業。

どのような職業かというと、いただいた資料から引用します。

 

学校を基盤に児童生徒の問題に寄り添い

家庭環境などの環境面への働きかけを行う

福祉の専門職です。

社会福祉士や精神保健福祉士の資格を

もっています。

 

SSWと略して言ったり書いたりするようです。

SCと略されるスクールカウンセラーと似ています。

違いを次のように説明していました。

 

スクールカウンセラーは、カウンセリング等を通して、

心理的側面から、子どもたちの抱えている悩みや問題の

解決に向けて支援する職業。

それに対して、スクールソーシャルワーカーは、

子どもを取り巻く「環境」に働きかけ、

家庭・学校・地域の橋渡し等により、

問題解決に向けて支援する職業。

「環境」とは、様々です。

資料によると、「家族関係」「個人特性」「学校での生活」

「地域での人間関係」「過去の経験」など。

表面化する子どもたちの問題「非行」「忘れ物」「遅刻」

「いじめ」「無気力」「不登校」「虐待」「発達障害?」等の背景には、

上記のような「環境」が影響してる場合があり、

そこに働きかける仕事というわけです。

  

でも、学校への配置率は高くありません。

42.6%です。

ちなみに地元愛知県はさらに導入が遅れていて、

実際私が勤務している市は。

まだ配置されていません。

隣市は3名配置されているそうです。

まだ私には身近になっていない職業です。

だから研修会でお話が聴けて良かったと思いました。

  

いつから始まった制度なのだろうと思い、調べました。

学校保健 「チーム学校」~スクールソーシャルワーカーの活動に光をあてて~

ここには次のように書いてありました。

  

文部科学省で2008年にSSW活用事業を始めました。

その時いじめや不登校等の問題がすごく複雑化していて、

学校の中だけでは対応しきれない。

特に家庭や学校外の専門機関と連携をしていく、

共同していくというときのシステム作りをするための専門家として

SSWが必要だよねという話になりました。

SSWが配置されることによって、

学校がより開かれた生徒指導体制ができるのではないかというのが目的、

それを期待してSSWが導入されました。 

 

10年が経ったわけです。

研修会の冒頭で見せてもらった映像。

滋賀県のスクールソーシャルワーカーさんが作ったものだそうです。


YouTube: 貧困を背負って生きる子どもたち 仁の物語(前編)


YouTube: 貧困を背負って生きる子どもたち 仁の物語(後編)


YouTube: 貧困を背負って生きる子どもたち 智の物語 前編


YouTube: 貧困を背負って生きる子どもたち 智の物語 後編

映像に付けられたコメントです。

 

貧困を背負って生きる子どもたち 

このヴィジュアルノベルはスクールソーシャルワーカーとして

出会ってきた子どもたちの様子やエピソードをモデルに

幸重社会福祉士事務所で教材として

作られたフィクションの物語です。

子どもの貧困を背負っていきていくこと

そのことで子どもは学校生活においてどのような

生きづらさを抱えているのか

学校の中にいる大人たちは何が出来るのか

そのようなことを考える

一つのツールとして多くの人たちに視聴し

また活用していただければ幸いです。

またこのヴィジュアルノベルを使った

「子どもの貧困」を学ぶ教材セットも販売しています。

興味のある方はこちらのサイトを参照ください。

http://yukishige.jp/kouen_book.html

  

 

この映像について、次の投稿で。

2018年8月31日 (金)

野球部全員の顔の写った写真が届く

 今日は8月31日。

  

こうやってブログを書いていると、

予期せぬ人とのつながりができることが、

たまにあります。

それがとても面白い。

 

今回、次の記事にコメントが届きました。

ここでも道草 「8月15日のプレーボール」その6.芦屋中/ポール・ラッシュ中佐が贈った記念ボール(2018年8月24日投稿)

 

この記事で、芦屋中学の野球部メンバーの写真を載せました。

8月1日放映の「歴史ヒストリア」で使われた写真です。

Rimg0152_2

野球をやっていて楽しい!

そんな気持ちがあふれた写真です。

微笑ましい写真です。

ただ、「歴史ヒストリア」のマークで、

画面左の生徒の顔が消えているのが残念、

左端の部員さんの顔を、原本で見てみたい、

機会があれば・・・・、でもそんな機会はないかな?

と書きました。

そしてら、次のようなコメントが届いたのです。

 

この写真の左端の部員の顔がマークで消えていますが、

あなたのメールアドレスをご連絡くだされば、

芦高野球部五十年史に掲載された写真を

メールに添付して送信できます。

 

コメントの主は「兵庫県立芦屋高等学校同窓会」とありました。

ビックリです。

何と、その「機会」が舞い込んできたのです。

ありがたいことです。

ブログで発進したことが、届いたのです。

ブログをやっていると、たまにこういうことがあって面白い。

 

さっそくメールアドレスを送りました。

晴れて、「翠球」(兵庫県立芦屋高等学校野球部五十年史)

56ページに掲載されて写真の完全版を見ることができました。

これです↓

5056_2

左端に立つ生徒の顔がわかりました。

眼鏡をかけていたのですね。

右端の生徒の姿も全て写っています。

いい写真じゃないですか。 

この写真は、私のブログ上の宝物となりました。

 

この写真を送ってくださった方は、

翠球」の58pも一緒に送ってくださりました。 

Photo

第28回の大会の試合結果が一目でわかります。

試合の「戦評」の「己の体を知って」という言い回しに、

時代を感じました。

 

今日は出校日。

明日(9月1日)はキミヤーズ塾(京都)に行きます。

9月2日は新学期の準備。

そして9月3日から2学期。

台風がその頃やってくるらしい?

どうなる?

2018年8月30日 (木)

注目したい2人のインタビュー記事に出会う

今日は8月30日。

  

この夏は野球のことを記事にすることが多いです。

今日もきっと何本か書きます。

仕事もやらねばと思いつつ、道草多しの日々。

  

昨日のこの記事に注目。

@niftyニュース 【高校野球】金足農のサヨナラ2ランスクイズ 近江の2年生バッテリーが今明かす真相と心境

 

↓先日ブログで、近江高校の2年生バッテリーは

注目したいと書きました。(林優樹投手/有馬諒捕手)

ここでも道草 金足農業、秋田県勢で103年ぶりの決勝進出(2018年8月21日投稿)

その2人へのインタビュー記事なので、もちろん注目です。

  

引用します。

  

2-1で迎えた9回裏。

球場の九割ほどは金足農に対する大声援に包まれていた。

近年、甲子園でよく起こっている劣勢のチームを後押しする、

いわゆる“判官贔屓”のムードである。

だが、そんな空気の要因を有馬はこう見ていた。

「9回にああいう展開になってしまったのは、

自分たちが8、9回のチャンスを作っておきながら、

そのチャンスを生かせなかったからだと思います。

吉田投手のピッチングが、

観客を引き寄せるようなピッチングでしたし。

それがもう、勝敗を決める“流れ”になったんだと思います」

 

確かにそうです。

このように分析した有馬君に感心します。

 

さらに引用します。

 

「8回にピンチを三振で断たれたことで、

“吉田投手を応援しよう”みたいな空気になっていたので…。

それにしてもすごい声援でした」。

7番・菊地彪吾(3年)にも左前安打を許し、

続く菊地亮太(3年)にはストレートの四球。

無死満塁になった。

「ボールカウントが先行するだけですごい拍手と声援があって。

目に見えない圧力を感じました」。

バックネットを背にしている有馬でさえ

これだけのプレッシャーがかかっていたのだから、

視界にバックネット裏の観客が広がる林には

相当な重圧がかかっていた。

いつも聞こえる有馬の声が聞こえず、タイムも使い切っていた、

まず、どう投げればいいのか分からない。

いつもは淡々と投げる林の顔がこわばっているのが分かった。

  

すごい体験をあの場所でしていたんだなと思います。

  

「負けたことは悔しいですけれど、

8回と9回の自分たちのチャンスを抑えられた時も、

9回に2ランスクイズを決められた時も……

向こうはこういう場面を想定した練習を

ずっとやってきたんやなって思いました。

そんなチームとこんな試合ができましたし、

吉田投手のマウンドでの姿勢を見ていたら……

自分も見習うところがありました。

自分ももっと真っすぐのキレとスピードを上げていきたいです」

と林は誓う。

激戦から一夜明けて宿舎を発つ朝、

多賀章仁監督から新チームのキャプテンを命じられたという有馬の目は、

もう来夏に向けられていた。

「これからもっとしんどいこともあると思います。

注目されることで、厳しい試合も増えると思いますし……。

でも、自分がもっと林をうまくリードして、

来年も甲子園には必ず帰ってきたいです。

というより、甲子園は帰らないといけない場所だと思っています」

2年生バッテリーにとって、

あの空気の中にいたことは酷だったのかもしれない。

でも2人の受け止め方はむしろポジティブで、

“甲子園はこんなこともある”とさえ言っているようにも感じた。

「自分たちは、まだ来年があります」。

そう言って元気にグラウンドに駆け戻っていく有馬の後ろ姿に、

来年の楽しみがまたひとつ増えたような気がした。

(沢井史 / Fumi Sawai)

 

あの場面で、2人が思っていたことがすごくよくわかり、

さらにポジティブな発言も聞けました。

いい記事に出会いました。

見逃さなくてよかった。

このブログに書き留めておかないと、

手元から永遠に離れて行ってしまいそうで、

引用しました。

やはり、来年の甲子園が楽しみです。

大騒ぎせずに、息長く注目していきたい。

最後に、この記事に掲載されていた写真です。

林投手は、甲子園ですごいピッチングをした投手とは思えないほど、

あどけなさがあります。

Photo_2

 

2018年8月29日 (水)

テレビ朝日系の局で、なぜテレビ東京のドラマ?

 今日は8月29日。

  

今日は静岡県に行ってきました。

山登りのためです。

その時に、あれ?と思うことがありました。

  

テレビ朝日系の局で、

テレビ東京のドラマ「警視庁ゼロ係」が放映されていたのです。

Photo ドラマ「警視庁ゼロ係」HP

 

なぜ?

 

帰宅して調べました。

私の自宅は愛知県です。

愛知県は民放の放映が恵まれていて、

フジテレビ系、日本テレビ系、テレビ朝日系、TBS系、

そしてテレビ東京系が全て映ります。

その状態に慣れているので、今回の「警視庁ゼロ係」には驚きました。

 

静岡県はテレビ東京系を放映する局がないのです。

そもそもテレビ東京は全国に系列局は6局のみ!

それではなぜ「警視庁ゼロ係」が放映されたのか?

番組販売という方法によって、テレビ東京から番組を買って、

放映しているんです。

※参考:Yahoo!知恵袋 静岡県ってテレビ東京が映らないのですか?(2007年)

  

この図を見てください↓

都道府県別テレビ局一覧(2013年7月21日現在)

愛知県は恵まれていることがよくわかります。

愛知県在住だと、

いい番組に出会える可能性が高かったということです。

私のやっている実践は、愛知県在住が好環境でした。

  

  

Yahoo!テレビを使うことで、

47都道府県の番組表を見ることができます。

秋田県ではTBS系番組が見られないと聞きました。

そうなると、あのドラマ「この世界の片隅に」は見ることができない?

よけいなお世話ですが、調べました。

 

9月1日の午後9時をチェック。

愛知県で「この世界の片隅で」が放映される時間です。

(番組表をクリックして大きくして見てください)

 

9月1日愛知版↓

Photo_3  

9月1日秋田版↓

Photo_5  

確かに放映されていない。

でも次のサイトによると、秋田では

「この世界の片隅で」は1週遅れで放映されるとのこと。

まんず、ねまっていってけれぇ この世界の片隅に 秋田は1週間遅れ

探しました。

  

見つけた!

1週遅れで、お昼に放映されていました。

9月1日秋田版↓

Photo_6

 

でも、TBS系が全て放映されているわけではありません。

テレビ番組を使って、子どもたちを教えたい私としては、

ちょっと辛い県です。(秋田県の方、すみません)

2018年8月28日 (火)

「それぞれの街に、それぞれの沢村さん」高木正雄さんのこと

 

今日は8月28日。

  

前投稿に引き続き、

後楽園球場のサムライたち」(澤宮優著/現代書館)より。

  

沢村栄治さんが京都商業に入った時の話。

  

京都商業はまだ野球部が出来て間もないチームで、

沢村一人に頼るワンマンチームであった。

打線も貧弱だからよい投手に当たれば手も足も出ない。

当時の京都は平安中学がもっとも強く、

ミラクル投手高木正雄(後慶応大学、戦死)がいて

京都商業は地方大会でもなかなか勝つことはできなかった。

(11p)

  

ここを読んだ時に、

ふたたびあの言葉が頭に浮かびました。

 

「それぞれの街に、それぞれの沢村さんがいた」

ここでも道草 それぞれの街に、それぞれの沢村さんがいた(2018年8月21日投稿)

  

高木正雄さんに注目しました。

Wikipediaによると、甲子園に6回出場。1933年夏の大会で準優勝。

六大学戦でも活躍して、1939年秋季リーグで慶大の

13季ぶりの優勝の立役者となりました。

1942年に慶大を卒業。

その後応召され、1944年6月18日にビルマ・モガウンにて、

インパール作戦に従軍中にグルカ兵の急襲に遭い、

戦死しました。享年28。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある

戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれているそうです。

  

「戦没野球人モニュメント」に刻まれている方々の名前は、

次のサイトで見ることができます。

野球殿堂博物館HP 戦没野球人モニュメント

「それぞれの街に、それぞれの沢村さん」の名前が、

たくさんありました。

でも先日記事にした阿部正さんの名前はないので、

もちろん、このモニュメントに刻まれた人たちも、

まだその一部でしかないと予想できます。

 

 

慶応大学の人たちの部分だけ転載。

Photo  

高木さんの名前もあります。

沢村栄治さんが中卒ではなく、

入学が約束されていた慶応大学に進学していたら、

戦死する可能性は低かったと聞いたことがあります。

  

しかし、戦争は甘くはありません。

慶応大学に進学したとしても、

このように戦死している野球人がいたのです。

  

インパール作戦については、よくわかっていません。

今回、高木さんを調べていて出てきた作戦。

これを縁に、調べていきたい。

幸い、次の番組を録画しています。

2017年8月15日放映「NHKスペシャル 戦慄の記録

インパール作戦

2学期が始まる前に見ておきたい。

(もう録画して1年が経つんだなあ)

 

高木さんを襲った「グルカ兵」とは?

調べました。

Wikipedia グルカ兵

世界最強の戦闘民族グルカ兵

興味深い人たちでした。

またいつか記事にしたい。

  

  

高木正雄さんの写真を探しましたが、

見つかりませんでした。 

写真でも、高木さんを記録しておきたい。

戦場で行われた手榴弾投げ

 

今日は8月28日。

  

前投稿に引き続き、

後楽園球場のサムライたち」(澤宮優著/現代書館)より。

 

沢村栄治さんが、戦場で手榴弾投げをして肩を痛めたとは、

聞いていました。詳しくは知りませんでした。

その様子が、この本には書いてありました。

  

軍隊内ではさかんに手榴弾投げ大会があった。

手榴弾は缶ビールほどの大きさで

重量はビール缶よりも重かった。

軍隊では30メートルを投げれば合格のところ、

彼は78メートルをゆうに投げていたという。

鉄の塊を70メートルも投げれば肩は完全に

壊れてしまう。

だが周囲は野球選手だからと好奇の目で見るために

どうしても遠投をしなければならなくなる。

沢村は連隊の格好の宣伝材料にされて投げまくり、

肩を負傷してしまったのである。

(28p)

  

沢村の速球は見る影もなくなっていた。

 

手榴弾投げが肩を壊した原因だが、沢村の投げた距離は

 

連隊中でもずば抜けていた。

 

前述したとおり、彼の投擲は相変わらず部隊一であった。

 

チームで沢村に可愛がられた多田文久三投手は

 

手榴弾投げについてこう語っている。

 

多田は歴代の巨人軍の選手の中でも

 

肩の強さはトップクラスであった。

 

 

「中国の機関銃はとても優れたものだったですね。

 

日本の軽機関銃はすぐ駄目になるんです。

 

一歩も前に出られないんです。

 

それで「手榴弾持って来い」と命令が出るわけです。

 

沢村さんは手で手榴弾を集めて、初めは寝投げ、

 

次に腰だけで立った腰投げ、最後に立って投げる立ち投げをやって、

 

敵を粉砕したという話を聞きました。

 

沢村さんは重たい手榴弾を100メートル以上投げられたとも

 

聞いています。鉄の塊を100メートル以上投げること自体凄いし、

 

それは肩を痛めるはずです。

 

肩がじーんと熱くなって完全にやられます。

 

私も一投投げたらもう二度と投げたくありませんでした。

 

言われても投げなかったですよ。ただ実力を認めさせないと

 

「貴様野球の選手のくせして」と責められる。

 

ふつう30メートルも投げる人はいなかったですよ。

 

沢村さんは続けて投げられていましたから、

 

そりゃ痛めるはずですよ。」

(37p)

  

こういうことがあったのですね。

  

「上官も沢村の将来を思って無理に投げさせなければと

悔やまれてなりませんでした」

(40p)

 

沢村の全盛期に対戦した小野田柏さんの言葉です。

でも、戦時中、個人のことはなかなか

配慮できなかったのではないでしょうか。

まずは生きのびること。

そのために、良かれと思ったことは、

優先的に行われたと思います。

将来野球をやるために・・・まずは生きのびなければ。

  

つづく

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