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2018年9月 4日 (火)

20180825樹海を歩いてきました 鳴沢歩道橋の上に立つ/せの海

今日は9月4日。

  

今朝起きた時(午前3時45分頃)に調べた時には

暴風警報が出ていませんでした。

そしたら、先ほど(午前6時20分頃)、家族から

暴風警報が出ていることを教えてもらいました。

午前4時20分に出たそうです。

私が調べてしばらくして出たのですね。

昨日は、勤務校のヒマワリ畑の大小のヒマワリに、

支柱を立て、ひもでしばりつけました。

この今世紀最強台風に耐えてくださいね。

  

暴風警報が出て、今日の授業準備をする必要がなくなりました。

そうなると、私は道草します。

出勤前にもう1本。

  

8月25日にぜひ行きたかったのが、鳴沢歩道橋付近です。

※参考:ここでも道草 「ブラタモリ 10」で勉強/鳴沢歩道橋付近にある溶岩の末端(2018年8月13日投稿)

↑ ここで書いた場所に実際に行ってみたかったのです。

  

富岳風穴見学の後に行ってきました。

 

Rimg0319  

実際にこの歩道橋近くに立って、

ここをスタートして坂道になっていることを

確認しました。

 

歩道橋の上にも登ってみました。

Rimg0323  

大室山付近の火口から、溶岩がここまで来たんだなあ。

その溶岩で、こんな坂が形成されたんだなあ。

その規模の大きさを歩道橋に登ってみて感じました。

 

歩道橋から逆方向を撮影↓

Rimg0326  

この地域は、その時、溶岩の被害を受けなかった場所。

この溶岩を出した貞観大噴火は864年に始まる。

この場所まで逃げ延びた人たちは、ホッとしただろうな。

  

貞観大噴火は、かつて富士山麓に東西に広大にあった湖「せの海」を

溶岩流で大部分埋めてしまったと言います。

埋らなかったのが、西湖と精進湖だそうです。

※参考:Wikipedia せの海

Yahoo!地図で確認。

Photo_10  

上記のWikipdiaには、噴火直後の様子を伝える文献が紹介されています。

引用します。

 

『日本三代実録』の「貞観6年7月17日」(ユリウス暦864年8月22日)に

甲斐国国司から京の朝廷に届けられた報告(貞観大噴火についての第2報)

(中略)

(現代語訳)
貞観6年7月17日辛丑(かのとうし)、甲斐国(の国司)が報じるところ、

駿河国の大山・富士が突如として火を噴き、山じゅうを焼き砕き、

草木は焦がれ死んだ。土石は溶け流れて、

八代郡にある本栖海(本栖湖)と剗の海(せのうみ)を埋めてしまった。

湖水はお湯のように熱くなり、魚や亀の類はみな死んだ。

人々の家屋は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、

そのような例は数え上げることもできない。

2つの湖の東には河口海(河口湖)という湖があるが、

火はこの方角へも向かっている。

本栖海や剗の海が焼け埋まる前には、大地が大きく揺れ、

雷と大雨があって、雲霧が立ちこめて暗闇に包まれ、

山野の区別もつかなくなった。

それらが起こった後にこのような災異が訪れたのだ。

  

 

非常に面白い話です。

よくぞ書き残しておいてくれました。

こうなるとかつての「せの海」の姿(予想図)を見たい。

また探してみます。

 

  

最後に鳴沢歩道橋の上から撮った富士山です。

Rimg0320

↑ 登っていったら、正面に富士山!

次は電信柱を少し外して撮影 ↓

Rimg0327

 

朝ごはんを食べて出勤します。

朝から3本道草。贅沢しました。

暴風警報のおかげです。

  

もう1回続く。

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