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2018年9月 7日 (金)

「世界ふしぎ発見!」が33年続いている必然・・という記事を捉えた

今日は9月7日。

 

今朝起きて読んだYahoo!ニュース。

世界ふしぎ発見!」に関する次のニュースを

じっくり読んでしまいました。

「世界ふしぎ発見!」が33年も続いている必然(東洋経済ONLINE/9月6日配信)  

このニュースは、いずれ消えてしまいます。

それがすごくもったいない。

そこで、少々多めに引用します。

 

まず冒頭部分を引用します。

  

“ミステリーハンター”が世界中に飛び、

各地のユニークな話題を問題として提供する。

紀行系クイズバラエティの代表的番組である

「日立 世界ふしぎ発見!」(以下「世界ふしぎ発見!」)は

今年4月に放送33年目に突入した。

番組開始以来プロデューサーを務める重延浩氏に、

そのエピソードと番組に懸ける想いを披瀝してもらった。

  

 

そして魅力的な文章が続く。

  

でもクイズとは一体誰が発明したのだろうかと考えたことがあった。

私が最も同感したエピソードを記す。

アイルランドの首都ダブリン市で劇場支配人が

飲み仲間に提案した。

「意味のない言葉を一つ創って、

一夜でそれを有名な言葉にしてしまおうじゃないか」。

そこで支配人は「QUIZ」という4文字の言葉を選び、

その言葉を町中の壁に貼った。

町の人々はその謎めいた言葉の意味がわからず、

なんだ、なんだという噂が町中に広まり、

「QUIZ」は一挙に「わからない謎」という意味で

流行語になったという。

テレビに望まれているのはこの劇場支配人のような発想ではないか。

何か今までにないことを独創的に試みること、

それがクイズ番組の原点ではないか。

テレビ制作者は状況を演出する人でなければならない。

  

 

「クイズ」の語源が面白い。

参考:Wikoedia クイズ  

  

  

「世界ふしぎ発見!」は、クイズに「歴史」という

学術的なテーマを設定した。それが新しかった。

「歴史と遊ぶ」という今に続く番組キャッチコピーは、

最初の会議で発想された。

   

  

クイズと歴史はつながっていなかったのですね。

不思議な感じです。

今は歴史とクイズは切っても切り離せない関係です。

   

 

「毎週放送だから歴史テーマが続かないのではないか?」

と質問された。

私は「いえ、そんなことはありません。日本史だけでも

テーマは100以上あります。世界には数多くの国があります。

人がいるところには必ず歴史がある、私はそう信じています」

と答えた。

  

 

私も思う。

歴史のネタはたくさんある。

「日本史だけでもテーマは100以上」

当時はそう思ったでしょうけど、

時代も進むので、現在も過去になり歴史になっています。

今なら「無限にテーマはある」と

言い切ってもいいんではないでしょうか。

  

  

 

最初の放送は土曜夜10時から。1986年4月19日だった。

古代エジプト編から始まる。台本はガリ版刷りだった。

NHKを退社しフリーで活動していた草野仁さんを司会に迎える。

クイズという初めてのバラエティの司会には逡巡していたという。

だが草野さんは企画書を読み、

「あなたもインディ・ジョーンズになりませんか」

という明るい書き出しに、

今までの番組とはちょっと違う感覚と思わせる

“何か”を感じたという。

映画『インディ・ジョーンズ』シリーズが

そのころ日本で大ヒットしていた。

    

当時草野さんは、41歳。現在74歳。

   

黒柳徹子さんとはアメリカで

私のいろいろな番組に出演していただいていた。

ロサンゼルス、ラスベガス、ニューヨーク、ニューオーリンズ。

そこで食事したディナーのメニューをしっかり覚えていた。

その記憶の凄さを頼って歴史クイズ番組への出演をお願いした。

「これはただ正解を競う番組ではありません。

歴史をテーマにする番組で、クイズを考えながら

自分ならこう思うという、トークを大切にする

クイズ&トークショーです」と話した。

戦時中、黒柳さんの歴史の教科書は

検閲で真っ黒に消されていたという。

「私は歴史をしっかり勉強したい。

だからどこの国をテーマにするか、

どの人物をテーマにするかは教えてください。

それをきっかけに勉強します。それなら……」。

 私たちは方針を変えた。出演者にはその週のテーマを教えることにした。

だがどんな勉強をされても簡単にわからないアンサーを考えよう。

リサーチャーたちは燃えた。

だから日本で一番難しい、だけど面白いと言われるクイズ番組が生まれた。

正解を目的とするクイズ番組ではない。

そこで語られる人間の知恵に共感するような

知的エンターテインメント番組にした。

      

  

当時黒柳さんは51歳。現在85歳。

いやあ~すごい85歳です。

知的な衰えを見せないところを見習いたいというか、

知的好奇心を持っていたら衰えないという可能性を

示してもらっています。

     

始まった当時の視聴率は無惨なものだった。

1回目6.6%、2回目5.6%、そして3回目は3.5%(ニールセン調査、当時)。

ある週刊誌は「プロデューサーは間もなく首になるだろう」と報じた。

改革案が飛び交うなか、報告に行った提供主、

日立の宣伝部長は私にこう言った。

「君が自分のプランを正しいと思うなら、そのままやると良い」。

番組は蘇った。

古代遺産を視聴者に教育するような番組の制作方針に

問題があったのだ。

だが8回目で「タイに日本とまったく同じ納豆がある」という

日常生活に近い意外な発見をしたことから、

人間を見るやさしい目線で歴史を語る番組に変わった。

視聴率は急上昇した。

   

なるほど。

これは社会科授業でも大事なこと。

  

野々村は20年間パーフェクトを取れなかった。

もしパーフェクトを取ったら帝国ホテルで

盛大にパーティをやってあげるという私の約束を信じる人はいなかった。

野々村初のパーフェクト! (2005年8月6日放送分)

私はその約束を果たした。

帝国ホテルも笑いながら豪華な孔雀の間をとってくれた。

TBSの社長も出席し、野々村家の家族を招いた盛大なパーティが開かれた。

みんなが感動するパーティだった。

黒柳さんは「私はたくさんパーフェクトを取っているのに、

一度もパーティを開いてもらってない」と笑わせる。

チームみんなが同じ思いで制作すること、それが継続の秘訣である。

1年目からいたスタッフが10名、昔のままに働いている。

   

 

「1年目からいたスタッフが10名」!

みんないい年だろうなあ。

私の新任は1985年4月。

番組はその1年後にスタートしています。

ほぼ同じです。

私がいい年なのだから、スタッフもそうだろうと

考えました。

  

  

私の尊敬するフジテレビ「オレたちひょうきん族」の

プロデューサー、横澤彪さんがある日私にこう囁いてくれた。

「君ね、僕は『世界ふしぎ発見!』をずっと見ているのだけど、

毎年少しずつ内容変えているね。

それも気がつかれないようにね。

それがすごいよ、僕は今、君の番組が一番新しい番組だと思うよ」。

嬉しい言葉だった。見事に私たちの戦略を見抜いている。

その数カ月後に横澤さんは亡くなった。

彼の遺言を私の大切な教訓として胸に残している。

  

  

これも教育に通じます。

マンネリではいけないのです。

変えていかなくては。

そのためには新しい情報を得ることを怠ってはいけないと思います。

新しい情報を加味して新しいものを作っていく。

少しだけ変える。

その積み重ね。 

   

「レギュラー番組をどのように継続できるか」

とよく聞かれるが、逆に私はこう質問する。

3択である。番組を制作していて一番難しいことは何か?  

①企画を通すこと、②番組を成功させること、③番組を続けること。

すべて難しいことばかりだが、正解は③である。

なぜか?  

番組を続けるにはかなりの経験と戦略がないとできない。

提供主、放送局、人事、視聴率、視聴者、裏番組、出演者、スタッフ、

そのすべてにいつも鋭敏に対応し続けなければならない。

そのためには正論を意識高く持ち続けなければならない。

自分の正論を理解してもらう力を持つこと。

安易に正論を曲げると、結局一番大切な視聴者、出演者、

スタッフを失うことになる。

   

 

番組作りのたいへんさが伝わってきます。

  

  

  

いつまでこの番組を続けるのか?  

ATP賞特別賞の受賞式で私はこう答えた。

「この番組が始まった1986年にハレー彗星がやってきた、

次にハレー彗星が来るのは2061年。その年まで続けたい。

だがそのときに元気でスタジオに坐っているのは黒柳徹子さんだけでしょう……」。

満場の笑いを受けて私は段を降りた。

クイズ番組「世界ふしぎ発見!」の最高の目的は視聴率ではない。

この番組で私たちの、そして提供企業、放送局の独創的なメッセージを

社会に発信することであると思っている。

それを多くの人々に見てもらいたい。

それがテレビ制作者の使命であると思っている。

  

  

ハレー彗星はやっぱり魅力的ですね。

1986年2月に新任の学校でハレーすい星を見ました。

その時に気がつきました。

今度ハレー彗星が来るときは、私はジャスト100歳。

そこまで生きていてもう一度見たいと。

ここでも道草 東京駅開業100年13/1910年の東京駅の記事の次はハレー彗星(2015年2月14日投稿)

その時に「世界ふしぎ発見」を見ることも忘れないようにしよう。

 

 

授業で「ふしぎ発見」の映像をたくさん使いました。

もしかしたら、授業のやり方にも影響を受けたかもしれません。

知的好奇心をくすぐられてきたので、

生徒たちにもこの体験をさせたいと思うようになってきたかも。

今日の授業でも、知的好奇心をワクワクさせるような内容をかんがえたい。

教材研究を頑張ろう。

  

 

以上、本当は今朝起きたらやりたいこと(やらねばならないこと)が

あったのですが、この記事を読んで、しっかり道草をしてしまいました。

記事がなくならないうちに、このブログに書き留めたいと思いました。

充実感あり。

今からがあわただしい。

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