山下勝選手のドラマを見ました2
今日は8月2日。
今日もいろいろやるぞう。
前投稿のつづき。
ドラマ「幻の祝祭 ~1940東京オリンピック物語~ 前・後編」より。
ドラマのラストは、佐藤走(かける)記者が書いた原稿の朗読でした。
ここにこのドラマができた趣旨が入っています。
聞き書きしてみます。
幻の祝祭 佐藤走
2020年、東京に二度目のオリンピックがやって来る。
しかしそれが。実は三度目だったかもしれないということを御存知だろうか。
1940年、昭和15年、東京は第12回オリンピックの開催地に決定していたのだ。
だが、日中戦争に突入していた日本は国際社会から孤立、
ついに、開催地の自主返上という結果におわった。
幻の東京オリンピック。
そのかげで、夢破れた多くのアスリートたちがいた。
ロサンゼルス大会の乗馬で金メダルに輝いた西竹一・バロン西は、
硫黄島で壮絶な最期を遂げた。
過去にオリンピックに出場した選手で戦場に散った選手は34人にのぼる。
陸上長距離の英雄、村社(むらこそ)講平は、戦死こそまぬがれたが、
メダルを期待された祖国での大舞台を失い、戦火高まるなかで現役を退いた。
山下勝くんという長距離ランナーがいた。
存命なら90歳を超える大先輩を、くんづけで呼ばして頂くことをお許しいただきたい。
山下君は、私よりはるかに若い、24歳で世を去ったのだ。
箱根駅伝で母校専修大学を初優勝に導き、
日本選手権で7連覇のかかった村社講平を打ち破った若きアスリートは、
日本長距離の至宝、とまで呼ばれた。
しかし、山下くんが夢見たオリンピックは幻と終わり、
昭和17年、中国戦線に散った。
もし、山下くんがオリンピックに出場していたなら、
その活躍は今に語り伝えられていたかもしれない。
しかし、今、その名を知るものは、ほとんどいない。
山下勝くん、純粋に走ることが好きな青年だった。
今回、私は、不思議な縁に結ばれて、山下くんを知ることができた。
しかし、思うんだ。
あの時代には、もっと多くの山下くんがいたのではないだろうか。
その名前さえたどることができないたくさんの山下くんが。
そんな無名の山下くんたちに、あの時の東京は、日本は、
夢を見せてしまった。うたかたの夢を。
2020年。オリンピックが再び東京にやって来る。
その時、東京や日本がそして私たちがそこで見るものは、
私たち自身の自画像かもしれない。
その自画像に、すばらしい笑顔があることを、
そして未来の東京オリンピックが、心からの祝祭とならんことを、(願う)
以上です。
1940年に東京でオリンピックが開催予定だったことは、
以前聞いたことがあります。
そりゃあ、戦時中だったのだから、無理だよねぐらいの認識でした。
山下勝選手のことが、歴史の中から出てきたのはショックでした。
歴史の中に埋もれていた人が出てきたのです。
こんな人がいた、きっと他にもいるはずだという発見が、
このドラマをつくった趣旨だと思います。
「タイムスクープハンター」に似た発想だと思います。
原作は?脚本は?
「毛利匡(ただし)」さんでした。
どんな人だろう?
監督・脚本家・プロデューサーのようです。
かかわった作品は、「ヨルかけ 映画『夜を賭けて』の日々」(2003年)、
「パンダフルライフ」(2008年)、「家路」(2014年)など。
ドキュメンタリーに強そうと思いつつも、充分調べられませんでした。
「タイムスクープハンター」の中尾浩之さんとともに、最近気になる脚本家です。
今までの作品、これからの作品が気になります。
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