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2014年8月 2日 (土)

山下勝選手のドラマを見ました2

  

今日は8月2日。

今日もいろいろやるぞう。

  

前投稿のつづき。

ドラマ「幻の祝祭 ~1940東京オリンピック物語~ 前・後編」より。

  

ドラマのラストは、佐藤走(かける)記者が書いた原稿の朗読でした。

ここにこのドラマができた趣旨が入っています。

聞き書きしてみます。

  

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幻の祝祭 佐藤走

2020年、東京に二度目のオリンピックがやって来る。

しかしそれが。実は三度目だったかもしれないということを御存知だろうか。

1940年、昭和15年、東京は第12回オリンピックの開催地に決定していたのだ。

だが、日中戦争に突入していた日本は国際社会から孤立、

ついに、開催地の自主返上という結果におわった。

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幻の東京オリンピック。

そのかげで、夢破れた多くのアスリートたちがいた。

ロサンゼルス大会の乗馬で金メダルに輝いた西竹一・バロン西は、

硫黄島で壮絶な最期を遂げた。

過去にオリンピックに出場した選手で戦場に散った選手は34人にのぼる。

陸上長距離の英雄、村社(むらこそ)講平は、戦死こそまぬがれたが、

メダルを期待された祖国での大舞台を失い、戦火高まるなかで現役を退いた。

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山下勝くんという長距離ランナーがいた。

存命なら90歳を超える大先輩を、くんづけで呼ばして頂くことをお許しいただきたい。

山下君は、私よりはるかに若い、24歳で世を去ったのだ。

箱根駅伝で母校専修大学を初優勝に導き、

日本選手権で7連覇のかかった村社講平を打ち破った若きアスリートは、

日本長距離の至宝、とまで呼ばれた。

しかし、山下くんが夢見たオリンピックは幻と終わり、

昭和17年、中国戦線に散った。

もし、山下くんがオリンピックに出場していたなら、

その活躍は今に語り伝えられていたかもしれない。

しかし、今、その名を知るものは、ほとんどいない。

山下勝くん、純粋に走ることが好きな青年だった。

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今回、私は、不思議な縁に結ばれて、山下くんを知ることができた。

しかし、思うんだ。

あの時代には、もっと多くの山下くんがいたのではないだろうか。

その名前さえたどることができないたくさんの山下くんが。

そんな無名の山下くんたちに、あの時の東京は、日本は、

夢を見せてしまった。うたかたの夢を。

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2020年。オリンピックが再び東京にやって来る。

その時、東京や日本がそして私たちがそこで見るものは、

私たち自身の自画像かもしれない。

その自画像に、すばらしい笑顔があることを、

そして未来の東京オリンピックが、心からの祝祭とならんことを、(願う)

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以上です。

1940年に東京でオリンピックが開催予定だったことは、

以前聞いたことがあります。

そりゃあ、戦時中だったのだから、無理だよねぐらいの認識でした。

山下勝選手のことが、歴史の中から出てきたのはショックでした。

歴史の中に埋もれていた人が出てきたのです。

こんな人がいた、きっと他にもいるはずだという発見が、

このドラマをつくった趣旨だと思います。

「タイムスクープハンター」に似た発想だと思います。

  

  

原作は?脚本は?

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「毛利匡(ただし)」さんでした。

どんな人だろう?

 

監督・脚本家・プロデューサーのようです。

かかわった作品は、「ヨルかけ 映画『夜を賭けて』の日々」(2003年)、

「パンダフルライフ」(2008年)、「家路」(2014年)など。

ドキュメンタリーに強そうと思いつつも、充分調べられませんでした。

「タイムスクープハンター」の中尾浩之さんとともに、最近気になる脚本家です。

  

今までの作品、これからの作品が気になります。

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