20190223報告 キミヤーズ塾終了後に閉門後の六波羅蜜寺へ
今日は3月9日。
ご無沙汰です。3日間、空きました。
今日と明日は、どんどん投稿したいなあ。
3月3日以来の「20190223報告」です。
キミヤーズ塾が終わったのが、
確か午後5時20分くらいだったと思います。
村上公也先生も執筆されている
新刊本「ユーモア的即興から生まれる表現の創発」
(赤木和重編著/クリエイツかもがわ)に、
赤木先生と村上先生のサインを頂いて、
会場を後にしました。
向かった場所は、六波羅探題跡です。
そこには跡地であることを示す石標があるそうです。
参考:ここでも道草 BS歴史館最終回/尊氏が鎌倉幕府を裏切った決定打 六波羅探題跡(2019年3月5日投稿)
残念なのは、その石碑は六波羅蜜寺というお寺の境内にあり、
その境内に入れるのは、午後5時までということです。
しかし、前投稿でも紹介した写真を見ると、
境内の囲いは柵になっているので、
道路から見ることが可能かなと期待し、向かいました。
やっと六波羅蜜寺にたどり着いたのは午後6時30分過ぎでした。
門は閉ざされ、境内内も静まりかえっていました。
柵に設置されたお寺の説明板も、暗くて読みづらかったです。
柵の外から、六波羅探題跡の石標を探しました。
あった、あった。
柵の間から写真を撮りました。
↑背後から見て左側面(南面)と背面
↑右側面(北面)
ここには次のように彫られているそうです。
今出川
寄付者 田中
※「田中」の下は埋没していて見ることができません。
上記サイトでは、「富子」と書かれていると予想しています。
寄付者の名前です。
さらに、石標はもともとは六波羅蜜寺にはなく、
洛東中学校校内にあったそうです。
中学校移転に伴い、ここに移されました。2011年のこと。
洛東中学校にあった時の様子は、ここに書かれています。
ここには次のように彫られているそうです。
大正四年十一月建之 京都市
※「京都市」の下は埋没していますが、上記サイトによると
「教育会」と書かれていると予想しています。
移転したのだから、埋没された部分もきっと公になったはずです。
どこかに記録はないか探しましたが、わかりませんでした。
上から40cmのところに切断された痕跡がありと
上記サイトにはありました。
写真でもしっかり確認できました。
残念ながら、柵の外からでは正面を
撮影することはできませんでした。
目的を達成して帰ろうと思ったら、
ふと目にとまったものがありました。
むむ、この案内で紹介されているものは何だ?
柵の外にいるので、近づいて見ることはできません。
フラッシュをたいて撮影しました。
何と、教科書でおなじみの
平清盛と空也上人の像ではありませんか!
初めて知りました。
このとても有名な像は、六波羅蜜寺にあるのですね。
また来たい。
今度は開門している時に来たいと切に思いました。
ありがたことに、再訪の機会は、思ったより早く来ました。
それは昨日(8日)のこと。
そのことについては、また後で書きます。
今から部活動に出向きます。
今日は1年生大会があります。
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