2019年12月17日 (火)

20191211報告① 明神山栃の木沢北尾根コースで登る

 

今日は令和元年12月17日。

  

12月11日に久々、明神山に登りに行きました。

そのコースは初めてのコースでした。

山仲間のKさんの案内で登りました。

地図で示すと以下の通りです。(国土地理院の地形図をベースに

しています) ☟

Epson170 栃の木沢という沢をはさんで、北尾根を登り、

南尾根を下りました。

いや~、すごい登りでした。

「直登尾根」という通称?は納得です。

明神山頂上というよりも、地図中の西峰目指してまっすぐ

登った感じでした。

写真では伝わらないと思いますが、載せます。

Rimg2312

Rimg2317   

このような坂を登って西峰に到達。

Rimg2318  

でもこれで終わりではありません。

明神山頂上に行くには、少し下ってから、またまた急登。

2時間30分ほどかけて頂上に行きつきました。

Rimg2323

Rimg2329  

頂上では長居をしました。

昼食を食べ終わった頃に、登って来られた男性2人組。

その1人の方が、とても詳しい方で、遠くに見える山々だけでなく、

すぐ足もとに見える山々にも詳しく、

もちろんその中間にある山々もよくわかっていて、

つまり360度全て大丈夫の方でした。

「今日はいいねえ。富士山も南アルプスもよく見える」

「白山まで見ることができるのは珍しい」

「あれが平山明神だ、あれもいい山だ」

「岩古谷山から鹿島山、大鈴山と歩くのもいいね。ただちょっと長い」

「熊伏かい?熊伏山は、ほらあそこだ」

「竜頭山はあの塔が小さく見える山だ」

「甲斐駒ケ岳が少し見えるね。仙丈の斜めになっているところから

ちょこっと出ているのが甲斐駒だ」

「あの屋根が東栄温泉だね」

「三ツ瀬の登り口はあそこだね。この尾根を上がってくるんだ。

昔は登山者の車が見えたけどなあ」

「南アルプスの雪が今年は少ないなあ」

「あなたたちは、鳳来湖の方から登ってきたんだね。急だったろう。

鳳来湖から登るのはたくさんのコースがあるぞ」

などなど、たくさんの話をしてくれて、それを楽しく聞いていました。

   

下山は、地図のように南尾根コースで下りてきました。

途中で道を見失うこともありましたが、

無事に歩き切りました。

日向山に登ってきた後だけに、明神山は硬い山だと思いました。

日向山はフワフワの山でした。

日向山は地面も真砂土でやわらかく、その上に落ち葉が積もっていて

フワフワでした。

明神山は、やっぱり岩山です。

足で踏んだ時にザラッと山の素肌に触っているような感触です。

実際に、手をついた時に手を擦りむきました。

 

地図に載せた丸木橋です。☟

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Rimg2333  

そしてゴールの駐車場。

Rimg2335  

およそ1時間50分かけて下りてきました。

登りでかなりエネルギーを使ったので、疲れました。

今回もいい登山ができました。

 

つづく  

 

横たわったままの原子炉/大間原発

今日は令和元年12月17日。

  

12月15日の朝日新聞朝刊です。☟

(読むときは、クリックして拡大して読んでください)

Epson167  

私も原子力発電所はもう新しく造らなくていいと思います。

危険です。絶対の安全はないと思います。

福島原発の事故の本を読んで、この意見になりました。

ここでも道草女川原発2号機、新基準「適合」(2019年11月28日投稿) 

☝ ここで示した記事を再掲します。

Epson139  

この記事で、たしかに大間原発は審査中です。確認。

東日本大震災がなかったら、稼働していた可能性が高いのですね。

グーグルアースでも場所を確認。

グーグルアース 大間原発

Photo

 

「千曲川のほとり」の作者、今西さん亡くなる

  

今日は令和元年12月17日。

  

訃報が届きました。

 

Epson168  

千曲川のほとりで~私の学童疎開・上山田ホテル~

(まごころの集い社発行)の作者である今西美奈子さんが

亡くなられました。

ここでも道草 「肢体不自由児たちの学童疎開」引用8/当時の上山田村村長(2014年9月7日投稿)

☝ この記事で、今西さんからありがたいコメントを

いただきました。

今西さんの「千曲川のほとりで」を読んで、

上山田ホテルであったことを知りました。

  

いつかは行きたいと思っていた上山田ホテルに、

この12月にやっと行くことができました。

ここでも道草 2019年冬長野(2)ロビーにあった光明学校疎開に関するコーナー(2019年12月6日投稿) その他3記事

   

上山田ホテルの大女将さんから、今西さんが入院していることを

教えていただいて、心配していました。

 

昨日、上山田ホテルから、今西さんが亡くなったことを知らせる

コメントをいただきました。☟

ここでも道草 2019年冬長野(3)疎開児童の1人 今西美奈子さん(2019年12月6日投稿)

 

亡くなったのは12月4日でした。

私が上山田ホテルに泊まったのは12月2日。

その時はご存命でした。

 

上山田ホテルに行きましたよと伝えたかったけど、

かないませんでした。

光明学校の疎開を体験された生き証人が亡くなられました。

あの本を書かれた方は、もうこの世にいないのですね。

本が、より貴重なものとなりました。

  

ご冥福をお祈りします。

 

 

落語【遊山船】を聞く/ゼロ歳児から百歳までを対象とした教育施設

  

今日は令和元年12月17日。

  

12月7日(土)に第12回教育と笑いの会に参加しました。

勉強になったことを箇条書きで書いていきます。

 

〇子どもには3つの発言がある。

 「挙手」「表情」「ノート」 これは野口芳宏さんの説

 さらにもう一つある。それが「つぶやき

 

〇楽しさには3種あって、どれも大切

 「ファニー」・・・「ふとんがふっとんだ」的楽しさ

 「エクセレンティブ」?・・・シュートが入った時の楽しさ

 「インテリジェント」・・・知的な楽しさ  

              教師はこれだけになってしまいがち

 

〇野口芳宏先生のお話のなかで、耳の遠い人に聞き返されたら、

 強く早く言っても通じない。大きく優しく言い返してほしい。

 

メラビアンの法則 話し手が聞き手に与える影響は

 「言語情報」「聴覚情報」「視覚情報」の3つから

 構成され、それぞれの情報の影響力は以下の割合で

 あるというものです。

  言語情報  7%

  聴覚情報 38%

  視覚情報 55%

 だから読み聞かせの時の教師の表情は大事

 

〇子どもがどんな心理状態で学校に来たとしても、

 帰る時には笑って帰れるようにしよう

 と和田裕枝先生は心掛けていた。

 

〇池田修先生の話し方教室 大事なのは3つ

 ナンバリング 

 ラベリング 

 ジェスチャー

 推薦図書「あなたの話はなぜ『通じない』のか

 (山田ズーニー著/ちくま文庫)・・・さっそく図書館に予約

 

〇桂雀太(じゃくた)師匠 話している時に音の高低は大事

       般若心経とか「いろは」を聞かせて、

       聞く相手を心地よくさせればいい。

       意味のない?ことでも相手に聞かせるためには

       音の高低が大事。

 

〇落語教室で一番太鼓、二番太鼓、出囃子(でばやし)、バレ太鼓を

 教えてもらう。バレ太鼓は終演を伝えるもの。

  

〇そしてこの会のうれしいところで落語を聞きました。桂雀太師匠。

 昨年 ☟

ここでも道草 落語【佐々木政談】を聞く(2018年12月8日投稿)

ここでも道草 落語【夢の皮財布】を聞く(2018年12月9日投稿)

  

 今年の落語は、初めて聞くものでした。

 題目を教えてもらった。「遊山船

 面白かった。

 ざこば師匠の映像でもう一度聞いてみよう。


YouTube: 桂ざこば師匠の落語「遊山船」

 

〇司会者の玉置崇先生から福島県大熊町のことが紹介された。

 一部地域で帰還が可能になった町です。

※参考:ここでも道草 「中間貯蔵施設に消えたふるさと」①/中間貯蔵施設とは?(2019年10月8日投稿)

 しかし住民の帰還が少ない。

 その現状で新しく学校を作るかどうか教育長は迷った。

 アンケートもとって意見も聞いた。

 結果、学校は造ることになる。2022年開校。

 その学校は0歳から100歳までを受け入れる

 画期的な学校だそうです。

福島民報 多世代学ぶ拠点に 2022年春開校 大熊町の新設校 

 ここから一部引用します。

  

 大熊町教委は、二〇二二(令和四)年四月に町内大川原地区

 に開校を目指す新設学校について、ゼロ歳から十五歳までの

 教育を担う「幼保・小中一貫校」として整備する。町民の「

 学び直し」の場として百歳まで教育を受けられる機会も提供

 する。町は学校を新しいまちづくりの核に据え、子育て支援

 と幅広い世代の交流を促進し、住民帰還につなげたい考え。

 町教委によると、ゼロ歳児から百歳までを対象とした教育施

 設は全国的にも珍しいという。 

    

  

ますます大熊町に行きたくなりました。

 

以上です。

2019年12月16日 (月)

「インビクタス」④生きているうちに確認できたのがよかった

 

今日は令和元年12月16日。

  

前投稿に引き続き、「インビクタス 負けざる者たち

(ジョン・カーリン著/八坂ありさ訳/NHK出版)より

引用していきます。たくさん書き留めたい文章がありますが、

他にもやりたいことがあるので厳選します。

194p以降は、映画化されたところなので、

映像を思い浮かべながら読みました。

 

W杯決勝戦の朝のことです。

 

選手たちは耐えがたい緊張とプレッシャーと周囲の期待を感じ

ながら、朝食をとった。大きなシャボン玉に閉じ込められて、

宙に浮いているような気がしていた。離陸直前の宇宙飛行士の

ような気分、と言ってもいい。なにかで発散させなければ爆発

しそうだったので、キャプテンを先頭に、全員で体をほぐすこ

とにした。ロビーに集まり、ピナールのあとについてホテル周

辺を2キロほど走った。フランソワ(・ピナール)はそのとき

のことをこう語っている。

「みんなすごく神経質になっていました。ひとかたまりになっ

て走っていたんですが、ホテルを出て左に曲がったところで、

うしろからワアワアという声が聞こえてきた。新聞売りの黒人

の子どもが4人、ぼくたちに気づいて追いかけてきたらしく、

4人はぼくたちの名前を呼び始めましたーーほとんどの選手を

知っていたんです。ゾクゾクしました。字が読めるかどうかも

わからない小さな子が、ぼくたちのことをちゃんと知ってた。

あの子たちにとってスプリングボクスは自分のチームだったん

です。そのときでしたね。ほんとうに実感したのは。これはぼ

くたちの想像をはるかに超えた、すごいことなんだって」 

(259p) 

 

映画でこのシーンはあったのか覚えありません。

でも本を読んだ時には、グッときたシーンです。

南アフリカは決勝戦の朝、すでにすごいことになっていました。

  

W杯決勝戦で、スプリングボクスが延長で

オールブラックスを破って優勝!

1995年6月24日のことでした。

  

「あの日わたしたちが目にしたのは、革命です。」ツツ(大主

教)はうれしかった。自分の国が革命の新たな型をつくり出し

たのを、生きているうちに確認できたからだ。敵は排除されず、

囲いのなかに迎えられた。国民は分離するかわりに、そこでひ

とつになった。「1年、いや数か月まえでも、『スプリングボ

クスの勝利を祝って、ソウェトの住民が踊りだす』なんて言っ

たら、たいていの人に『南アフリカの太陽にあたりすぎて、頭

がおかしくなったんじゃないか』と笑われたにちがいありませ

ん」とツツ。「あの試合が国民のためにしたことを、政治家や

大主教が演説をもってしようとしてもできはしないでしょう。

わたしたちはあの試合に刺激を受け、同じ側に立つことは可能

なのだと気づきました。この国はひとつになれると、教えられ

たのです。」

(302p)

   

この本は、著者がたくさんの関係者から聴いた話を積み上げて

できあがったものです。この話もいいです。

1995年の南アフリカでは奇跡が起きていたのですね。

当時、中学校で社会科教師をやっていたのに、

全くアンテナにひっかかっていませんでした。

この本の引用、ここまで。

いい勉強ができました。

「インビクタス」③南アフリカの国旗について

  

今日は令和元年12月16日。

  

前投稿に引き続き、「インビクタス 負けざる者たち

(ジョン・カーリン著/八坂ありさ訳/NHK出版)より

引用していきます。

  

マンデラの言葉。

  

「わたしの提案は、アフリカーナーの支援を確保するためのも

のでした。会合で何度もくり返したように、アフリカーナーに

関するかぎり、ラグビーは宗教なのです」

(149p)

 

アフリカーナーは、アパルトヘイト時代の支配層であった

白人をさす言葉。彼らにとってラグビーは宗教。

取り上げれば反乱が起きる可能性大です。

でも大切にすれば、アフリカーナーを新生南アフリカに

取り込めると、マンデラは考えました。

  

 

マンデラとデクラークはノーベル平和賞を受賞する。

(181p)

  

3cd6aef6558bce5041eaed2ecf82d09f 音楽、この不思議な時間の貯蔵庫  南アフリカの奇跡

  

この本を読むと、アパルトヘイト撤廃でノーベル賞を受賞した

1993年当時は、まだ南アフリカは不安定だったのだと

知りました。

  

  

マンデラは、アフリカーナーを味方につける方法、アフリカー

ナーの象徴(ここでは国歌でした)にどう敬意を示せばいいか

をメンバーに教えた。面倒かもしれないが、たとえ数語でもア

フリカーンス語を使って話しかけるというのもひとつ。「頭に

訴えてはいけません」とマンデラは言った。「心に訴えること

です」

(187p)

  

「頭に訴えてはいけません」「心に訴えることです」は

名言です。なるほどです。

  

  

新しい国旗が翻った。世界一色鮮やかなこの国旗は、黒、緑、

黄、赤、青、白のパッチワークを見ているよう。黒人抵抗運動

を示す三色と、旧国旗に使われた三色との組み合わせだ。

(194p)

  

ANC(アフリカ民族会議)の党旗です。☟

220pxflag_of_the_african_national_c Wikipedia アフリカ民族会議 

  

旧南アフリカの国旗です。☟ 

659a_2 ダディの国旗の世界

  

  

そして南アフリカ共和国の国旗です。☟

659b ダディの国旗の世界

   

この文章通りと考えていいのだろうか。

黄色とも言えるし、オレンジともいえる微妙な色。

これはANCの党旗に使われていた黄色であり、

旧南アの国旗に使われていたオレンジとも言えます。

オレンジは、オランダ系の住民の好む色です。

そして赤。これは白人の中のイギリス系の人たちへの配慮では

ないでしょうか。

ただ資料によっては、オレンジではなくて完全に黄色のものも

ありました。正式にはどうなのでしょう。

 

  

「インビクタス」②南アフリカの国歌について

  

今日は令和元年12月16日。

  

前投稿に引き続き、「インビクタス 負けざる者たち

(ジョン・カーリン著/八坂ありさ訳/NHK出版)より

引用していきます。

  

マンデラは長いあいだ有名であったが、顔のない存在だった。

(囚人だったため) しかし、いまやその顔は世界の隅々にま

で知れわたり、国内では、時を置かず至るところに姿を現して

いたような気がする。町から町への長旅は、大がかりなパーテ

ィか王の祭典のような雰囲気をもっていた。(中略)

ポップスコンサートの興奮とスポーツの決勝戦の熱狂、大ミサ

の厳かな熱気が入り混じっていたのはどこも同じで、闘争の中

心となったシスルおよび他の指導者とともにマンデラが壇上に

現れると、いっせいに歓声があがった。しかし、そのあとの式

はちょっと変わった順序で進行する。式次第は参加者全員が記

憶していた。

最初に壇上の司会者がコーサ語で「アマンドラ!(力を)」と

叫ぶ。集まった人びとは「アウェトゥ!(民衆に)」と応える

のだが、その声は、3回、4回、5回と連呼するうちに、だん

だん大きくなる。

それから黒人の指導者が「国歌」と呼ぶ「ンコシ・シケレリ」

の合唱。その悲しげな調べに、人びとは右の拳を高くあげ、喜

びと誇りを吹き込んだ。以前の歌声には感じられなかったこと

だ。プロの聖歌隊を思わせるみごとな歌唱は、この日のために

長いあいだ練習を重ねたかに聞こえたが、ある意味ではたしか

にそう。みな、何年間も次から次に抗議集会に出ていたのだ。

12万から20万の人びとが、歌詞を覚えていた。それだけで

はない。男性は自分たちが休んで女性だけに歌わせる箇所を心

得ていたし、女性は低く響きわたる男声にどこを任せればいい

か知っていた。

(124~125p)

  

マンデラが大統領に就任する前に、南アフリカの国歌は「ディ

ー・ステム」という曲でした。白人が政権を握っていた時代で

した。その時代に、国民は黒人解放および白人支配への抗議の

しるしとして「ンコシ・シケレリ」を歌っていました。そして、

リーダーのマンデラが解放された喜びを集会で上記のように歌

ったのでしょう。

南アフリカの国歌は、「ディー・ステム」と「ンコシ・シケレ

リ」を統合したものになったらしいけど、詳細は不明。

現在の南アフリカ国歌はこれです。いろいろな言語が登場しま

す。☟


YouTube: 南アフリカ共和国 国歌「神よ、アフリカに祝福を/南アフリカの呼び声」 日本語訳/National anthem of South Africa

  

  

マンデラが釈放された5日後に、首都プレトリアで白人による

集会が開かれた。(中略)集まった人びとは、いまにも一切合

財(いっさいがっさい)が奪われるような気がしていた。官僚

は職を、商店主は店を、農民は土地を、失うのが怖かった。そ

して、だれもが恐れたのは、自分たちの旗、自分たちの国歌、

言語、学校、オランダ改革派教会、ラグビーを失うこと。表面

下にあってすべてをゆがんで見せていたのは、犯した罪と同等

の報復を受けるのではないか、という恐怖だった。

(127~128p)

  

ラグビーの存在は、白人にはとても大きかったと、この本で映

画以上によくわかりました。

  

  

ANC(アフリカ民族会議)の一部では、自分たちの力でトラ

退治できると、いまだに信じられていた。が、マンデラはでき

はしないと思っていた。敵はあらゆる銃器、空軍、後方支援に

加え、資金にも事欠かない。マンデラの政治行動の指針は、ず

っとまえからーー刑務所にいたときからーー決まっていた。

トラを退治するには飼いならすしかないんだ。ポール・クリュ

ーガーの像の下でうなり声をあげていたアフリカーナーも、ロ

ベン島で服従させたのと実質的には同じ人間だった。

(130p) 

  

ANCはマンデラが所属するグループ。トラは白人をさします。

白人と戦うのではなく、話をして取り込んでしまうというマン

デラの発想。仲間が殺されているにもかかわらずです。それを

27年、刑務所にいる時に気づいて実践したのです。刑務所の

27年を無駄にしなかったすごい人です。

  

  

コンスタント・フィリューンについて書かれた文章。  

  

名声を不動のものにしたのは、70年代なかごろに指揮官とし

てアンゴラに遠征していたとき。南アフリカ軍はジョナス・サ

ヴィン率いるアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に味方

して、当地の左翼政府と戦った。これも冷戦の代理戦争のひと

つだったが、この種の争いは世界中で起きていた。アンゴラ政

府を支援したのはキューバとソ連で、UNITAには合衆国が

ついた。南アフリカがこの内戦に加わったのは、アメリカに負

けないくらい指導者が共産主義に反対していたから。そして、

アンゴラ政府がANC(アフリカ民族会議)を支援していたか

らだ。   

(136~137p)   

  

この文章を引用したのは、東西冷戦の代理戦争に最近関心が

高いからです。先日、代理戦争の一つ、グレナダ侵攻を

扱った映画「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」

(1986年)を録画しました。まだ録画したのみですが・・・・。

ここでも道草 お薦め番組3つ(2019年9月19日投稿)

この機会に、アンゴラの位置を確認します。

ここでも道草 干上がったビクトリアの滝(2019年12月14日投稿)

☝ ここで使った地図を再掲載。

Photo_2 グーグルアース アンゴラ

  

ザンビアのすぐ隣です。

頭の中で、少しずつアフリカの地図を作成中です。

                           

  

つづく                            

「インビクタス」①原作後半3分の1が映画化されていました

今日は令和元年12月16日。

  

昨晩2つのことを成し遂げました。

1つ目は、1年間放映されてきた大河ドラマ「いだてん

~東京オリムピック噺~」の最終回を見たこと。

全47回。全てを見終わることができました。

これまた印象深かった大河ドラマでした。

いろいろなところが、道草してみたいと誘ってきます。

また近いうちに書きます。

  

 

もう一つは本を読破することができました。

インビクタス 負けざる者たち」(ジョン・カーリン著/

八坂ありさ訳/NHK出版)です。

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この翻訳本が出版されたのは2009年12月でした。

この本を原作にした映画が日本で公開されたのは

2010年2月です。

  

「訳者あとがき」の最後に、次のように書いてありました。

  

2019年には、ラグビーワールドカップが日本で開催される。

本書を通してラグビーに興味をもたれる読者もおられるかもし

れない。ずいぶん先のことだが、私も十年後のそのときが楽し

みになった。

2009年11月 

                       八坂ありさ

  

2019年の今年、ラグビーワールドカップは日本にやってき

て、たくさんのにわかファンを生み出し、熱狂しました。思い

出深い1年になりました。

ラグビーW杯→映画「インビクタス」→単行本「インビクタス」

この順番で私は進めてきましたが、八坂さんが想定した流れと

真逆でしたね、きっと。

※関連:ここでも道草 ラグビーW杯決勝をきかっけに南ア共和国の歴史の勉強(2019年11月29日投稿)

 

2時間ほどの映画で、原作本のすべてを表現することは難しい

と思っていましたが、原作本を読んでやはりそうかと思いました。

全325pの本でしたが、映画で表現されていたのは、195

p以後でした。原作後半3分の1の映画化でした。映画がよか

ったと思ったら、その状態に至るまでのことを原作本で読むと、

さらにいいかと思います。

  

この本は図書館に返す本です。困ったことに、手元に留めてお

きたい文章が山のようにあります。(付箋だらけ)厳選して書

きうつしていきます。

  

マンデラは刑務所で2年ほどアフリカーンス語を学ぶ。その間

はあらゆる機会をとらえ、習熟度をあげることに努めた。「す

こしもためらわずに、アフリカーンス語であいさつしたり、看

守に通じるか試してみたりしました。ほかの囚人には不信の念

や心理的な抵抗があったのですが、ネルソンにはそれがなかっ

た。アフリカーナーのことをほんとうにしりたかったのでしょ

う。看守たちは、ネルソンが求めた役割を充分果たしましたよ」

言語の習得に役立っただけではなかった。マンデラは看守を至

近距離で観察できる敵ととらえ、ひとつの目標をみずからに課

したーーー看守たちにはたらきかけて、自分への扱いに敬意を

もたせてみよう。それがうまくいけば、いつか広い世界ですべ

ての白人を相手に同じことができるのではないか、その確率は

高くなるはずだ、と考えたからだ。

(52p)

  

この発想を思い浮かべて実行したのがマンデラ。

  

世相に敏感になったジャスティスは、アフリカーナーにとって

どれほどラグビーが重要なのかを理解する。教会を除けば、ラ

グビーはなによりもアフリカーナーの宗教心に結びついていた。

彼らが信じるのはオランダ改革派と呼ばれるプロテスタントの

一派だが、教会を離れたところで信仰していたのはラグビー。

(68p)  

 

アパルトヘイトは言うまでもなくきわめて非人道的な政策だが、

スプリングボクスはその象徴として、実によく機能した。チー

ムの緑のジャージが機動隊や国旗および国家、黒人にとって憎

むべきものになったのは、そのためだ。

(69p)

  

マンデラが刑務所で学んできたことのひとつに、長期的なもの

の見方である。それは差し迫った恐怖に目を奪われず、遠い目

標にしっかり視線を定めておくことだった。

(87p)

 

映画の中でもマンデラのこの考え方が出てきました。マンデラ

の強みは、長期的にものが見ることができたことだと思います。

  

つづく

2019年12月15日 (日)

20191205報告③ 日向山復路10枚

  

今日は令和元年12月15日。

  

日向山登山。復路で出合った景色の写真10枚です。

  

Rimg2261

☝ とにかく気持ちのよい登山道でした。

  

Rimg2269

☝ 樹間から見えた富士山。本当は頂上のビーチからも見ることが

できたのですが、事前勉強不足でできませんでした。また行きたい

理由です。

  

Rimg2270

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☝ タイヤを使った土留めは。この登山道の特徴でした。

  

Rimg2273

Rimg2274

☝ 登山道の高速道路みたいな道です。

  

Rimg2280

☝  兀岳では、豚コレラを広めないために靴底を洗いましょうと

呼びかけていました。ここでは他の理由で靴底をきれいにして帰

ろうと呼びかけています。けっこう、靴底は影響力があるのかな。

   

Rimg2284

☝ 新しい案内板 お気に入りの写真。

 なぜか案内板がひきたつ写真です。 

  

Rimg2291_2  

時々立ちどまって、大きく深呼吸していました。

もちろんフィトンチッドを体内に入れるためです。

もうじきゴールになってしまう頃は、

特に深呼吸をたくさんしてました。

  

Rimg2293

☝ 最後はまた落ち葉道。

  

Rimg2295 

1時間30分ほどかけて下山。今回もいい登山でした。

紅葉と雪山の間の山らしい景色でした。

報告終了。

  

 

  

20191205報告② 日向山往路13枚

  

今日は令和元年12月15日。

  

前記事に引き続き、12月5日に登った日向山の報告です。

推薦してくれた人は、登山道がふかふかしていて、温かい

気持ちになれる山だよと勧めてくれました。

石がごろごろしているわけでなく、花崗岩の崩れた真砂土

が積もった道だそうです。そして現地に行って、さらに

ふかふかの理由がわかりました。多くの落ち葉です。

いい景色がたくさんありました。写真をたくさん撮りました。

その中から往路・頂上13枚。帰路11枚を厳選して載せます。

出発は午前9時10分頃でした。

  

Rimg2197

☝ この景色だけでも、来たかいがあったと思いました。

こんないい道をカサカサ音を立てて歩きました。

  

Rimg2199

Rimg2201

☝ いいでしょ? 紅葉はもうないけど、落ち葉の登山道も気持

ちがいいです。

 

Rimg2202

☝ 矢立台駐車場 ここに駐車して登ると、1時間短縮できます。

しかし、あの落ち葉道を十分に堪能できません。

  

Rimg2212

☝ こんな土留めがあちこちにありました。

 

Rimg2219_3

☝ 葉っぱが落ちていて、圧倒的に日向が多かったのですが、

日陰には霜柱がありました。

  

Rimg2220

   

  

Rimg2229

Rimg2230

☝ この植物の名前がなかなか覚えられません。「サル・・・」

までは浮かびますが、その続きがダメです。

調べました。

ここでも道草 サルオガセ(2012年10月8日投稿) 

サルオガセ」!

    

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☝ 頂上 三角点  2時間ほどで到着。

  

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☝ 日向山は、頂上の先に素晴らしい場所があります。

  

   

ビーチです。☟

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☝ 遠くは甲斐駒ヶ岳。

  

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☝ 雲がかかっていますが、雄大な八ヶ岳連峰です。

  

登る時に、少し一緒に登った人がいました。

その方は、私より少々年齢は上で、すでに退職されています。

お父さんと2人暮らしで、そのお父さんは93才だそうです。

「大正生まれですか?」と聞いたら、

「大正15年です」と教えてくれました。

お父さんは元気で、デイサービスなどは利用していなそうです。

残念ながら奥さんは亡くなられたそうです。

もし奥さんがご存命なら、この山も一緒に登られたでしょうね。

日々の食事とか世話がたいへんだろうなと想像しました。

この日は、妹さんにお父さんの世話を頼んで山に来たそうです。

「いつ登るかは自由なので、天気を見て今日は登りに来ました」

とのこと。

確かにこの日は素晴らしい日でした。

 

   

 

  

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