2020年1月28日 (火)

「脳科学者の母が、認知症になる」⑥ 介護という状況自体が権力関係を作り出す

  

今日は令和2年1月28日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

役割については、ミルグラム実験と呼ばれるもので、強制され

たり、あまりにもこだわったりすると、非道な結果を引き起こ

すことがあると示されている。その現実的な例として、第二次

世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所の所長を務めた、アド

ルフ・アイヒマンがいる。彼は、権力者からその役割を任され、

数百万のユダヤ人を殺害してなお、着実に任務を果たしたこと

を誇った。彼がもともと極悪な人物であったのかといえば、そ

うではなく、ごく普通の、凡庸な人物だった、と哲学者ハンナ・

アーレントが分析している。普通の人物でも、自分に与えられ

た「役割」を背負いすぎて、本当に非道なところまで行ってし

まうことがあるのである。

(136p)

  

  

これが認知症の介護とどのように関係するかというのが、

下の文章です。

  

「できる人」「できない人」、「面倒を見る人」「見られる人」

という意味で、介護という状況自体が権力関係を作り出す可能性

がある。「介護者」「被介護者」という役割を担ううち、介護者

には「やってあげている」という意識が、被介護者には「やって

もらっている」という意識が、いつのまにか作り上げられて、「

私がやってあげているのだから逆らうな」「私が悪いのだから逆

らってはいけない」となってしまうことがあるかもしれない。

これは、病気になってしまった人の主体性の感覚、自由を奪うこ

とである。そして、介護者の自由も奪うことである。「なんで私

がやってあげなければならないの?私には私の生活があるべきな

のに、あなたのせいで奪われている」という気持ちになるからで

ある。

だから、互いを守るために、きっと何もかも大まじめに「私がや

ってあげなくては」と引き受けようとしない方がいいのである。

互いに一生懸命になってしまうことによる害というものもあるの

だ。負担にならないあ範囲で自分にできることをすればいい。そ

れを強調しておきたい。

(136~137p) 

  

陥りやすいことだと思います。

私自身もその危険もあるけど、他の人たちにも声かけをしていきたい。

「脳科学者の母が、認知症になる」⑤ 脳は徹底的に効率化を図るもの

  

今日は令和2年1月28日。

  

昨日の記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

  

脳の中では、他人と自分を同一視するのが基本ではあるのだが、

人間は発達するに従って、本当に他人のことを理解するために、

徐々に他人と自分との切り離していかなければならない。

この切り離しは、家族など、親しい間柄であればあるほど、難

しいのだと思われる。

脳の中には、たとえば、人が痛みを与えられているのを見ただ

けで、自分が実際に痛みを受けているように活動する部位があ

る。自分の体には直接痛みは受けていなくても、他人が痛がっ

ていると、本当に「痛い!」という反応が自分の中に起こる。

これがいわゆる「共感」の脳活動だ。

この「共感」の脳活動の度合いは、痛みを受けているのが誰か

ということで変わる場合があることが知られている。自分にず

っと優しかった人が、痛みを与えられているところを見れば、

自分に冷たかった人が痛みを与えられているのを見るよりも、

私たちの脳は、ずっと強く共感して「痛たたた!」という活動

をする。

同じように、自分のパートナーや、自分の子どもに何かが起こ

ったときは、赤の他人に対するよりもずっと強い共感を持つこ

とは、想像に難くないだろう。夫婦や親子は脳の中でがっちり

と一体になっていると考えられ、それゆえに、切り離しが必要

になったときには、難しいことがあると思われる。

アルツハイマー病になった後、もともとの関係性が親しければ

親しいほど、その人と自分との切り離しがうかくいかず、「こ

の人には伝わるはずだ」「自分が思っている通りに受け取って

くれるはずだ」と仮定し続けてしまう。

私は、母が自分の意図や感情を汲んでくれることはどうしても

当然だと思ってしまう。だからこそ伝わらなかったときのショ

ックが強いのである。

(129~130p)

   

この話を読んで思い当たることがあります。

一緒に住んでいる大学生の息子のこと。

結構無茶なことをします。

夜遅く出発して長野県まで自動車で出かけたりします。

気が気じゃなくて、お守りを渡したりして事故らないことを祈り、

無事に帰ってきたらホッとします。

もし、これがどこか遠くの大学に入学して、

そちらに住んでいれば、ここまで心配しないように思えます。

一緒に住んでいるが故に心配になっていると思うのです。

「共感」の度合いが強くなっていると思います。

父親とも長年同居しているので、

父親の変化は当初はショックであり、

早急にどうにかしなければと動いた覚えがあります。

一緒に住んで、顔を突き合わせている家族というのは、

自然と「共感」は強くなり、うれしいこともつらいことも

一緒に感じられるのでしょう。

  

  

そもそも脳は、徹底的に効率化を図るものである。

それはこんな実験から説明することができる。

美術館に行って、彫像を見て帰ってくる。このとき、ただ見て

帰ってきた人と、みた上で最後に写真を撮って帰ってきた人と、

どちらの方が後々までその彫像のことを細部にわたって覚えて

いるか、ということを調べた実験がある。

結果は、前者の、ただ見て写真を撮らずに帰った人の方が、彫

像のことを後々まで詳細に記憶していた。写真を撮ると、写真

に残っているから、わざわざ自分の中に残しておく必要はない、

と脳は記憶を手放してしまうのだ。

人の話を録音したり、メモしたり、ということも、写真を撮る

のと同様で、録音機やノートという、脳が記憶の外部装置とし

て使える物があることになるので、脳は記憶を手放してしまう。

(133p)

  

これは実感としてそう思います。

私はこうやって書き留めていますが、その分、

脳はきっとこれは覚えなくていいなと思っている可能性があります。

そうならないためにも、読み直しが必要なのです。

読み直すことで、脳が「これは必要な情報」と

認識してくれるでしょう。

  

  

う~ん、脳の話はやっぱり面白いなあ。

  

まだつづく。

  

2020年1月27日 (月)

「脳科学者の母が、認知症になる」④ 脳は記憶を編集し続ける

  

今日は令和2年1月27日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

「今これをやっているのは私だ」「これは私がやったのだ」と

いう感覚は、脳科学では、「主体性の感覚」と呼ぶ。これは、

人間の幸福に重大な影響をもたらすことが知られている。

主体性の感覚を奪われた人は、たとえば鬱病になりやすい。人

間は何にでも自分の作用を見たがるところがあり、自分が絶対

にコントロールできないランダムな事象、たとえば、宝くじの

ようなものにすら、「自分でよく考えて番号を選べば当てられ

る」と思い込んでいる。たとえ錯覚であっても、物事が自分の

おかげで良くなった、自分の影響を与えられた、と感じること

で、自分の意味を確認する。「自分で物事が決められている」

という実感は大切なのである。それが全く得られないと、自分

は無力だと落ち込んでいってしまうことになる。

(89p)

  

アルツハイマー型認知症の患者の主体性は奪われやすいのです。

父親は、ショートスティやデイサービスに行くことを、

「仕事」と認識しています。

家族のために働きに行っていると思っているのです。

「もう俺は身体が辛いから、そろそろお前が行けよ」

と父親から声をかけられることもあります。

父親なりに、出かけることに主体性を持たせているのだと

思いました。

  

 

全ての人の中に、忘れがたい大事な記憶があるだろう。そうい

う「絶対に忘れない」という自信がある、いつでも鮮明に蘇る

記憶でも、実は新しい経験と共に、また再び思い出すと共に、

変化を受けていると言われている。(中略)

全部覚えている方が良い、記憶は正確である方が良い、と思う

人もいるかもしれない。しかし、脳のサイズが有限だからこそ、

膨大な量の情報の中から少しでも有用なことを抽出しようと、

脳は記憶を編集し続けるのだ。

記憶内容が変わることは、脳が私たちがうまく暮らすために工

夫した結果なのである。

(99~100p)  

  

過去の記憶は都合よく変わっているもんなあ。

自分のために編集されているのだと思いました。

  

  

  

アルツハイマー型認知症で、大きな問題になっているのは、そ

の人の役割を家族は肩代わりすることが増えて、自立した者同

士の関係でなく、依存関係にどうしてもなってしまうというこ

とだ。つまり、アルツハイマー病を患った本人(自己)と家族

(他者)との区別があいまいになってしまうのである。

(中略)

その人の仕事を家族が引き受けすぎて、互いの線引きができな

くなることは、互いにとって、精神的にも、体力的にも苦しこ

とは事実だ。

本人にとって、自分で自分の生活を営めなくなることは、非常

に自尊心を傷つけられる。また、家族にとっても、自分の時間

がとれなくなっていくこと、相手に合わせた生活になっていく

ことは、病気の本人と同じくらい、「自分で自分の人生を導い

ている」という感覚を感じにくくなる。

(中略)

アルツハイマー病では、家族以外のたくさんの人にかかわって

もらって、本人も含め家族一人ひとりが、自分自身の時間を作

ることは、とても大事だ。

(中略)

本人は「家族に自分のことを管理されている」という気持ちか

ら解放されるだろうし、家族の方も自分の人生をちゃんと進め

ている気持ちになれる。

(114~116p)

  

  

老々介護のように、2人だけで介護する・介護される状況は、

危険なんです。

  

  

まだつづく

「脳科学者の母が、認知症になる」③ 現在の認識が弱まるために昔との区別ができない

  

今日は令和2年1月27日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

  

 

頭は集中して使えば使うほど活性化すると思われているかもし

れないが、実はそうではない。集中すればするほど活動する領

域はもちろんあるが、休めば休むほど活動する領域もあるので

ある。では、休んでいるときに一体脳が何をしているかという

と、主に記憶の整理だ。(中略)

眠っている間、休んでいる間だからこそ、経験の整理整頓がで

きるのである。集中することも大事だが、休憩も、脳は同じく

らい必要としている。

(55p)

  

これは知っているぞ。今まで勉強してきたことの復習。

  

  

アルツハイマー型認知症で委縮するのは「海馬」である。すな

わち、長期記憶の中では、宣言的記憶(言葉で語れる記憶)へ

の影響は深刻だ。しかし同じ長期記憶でも、大脳基底核や小脳

が司る、言葉でなく体で覚えた非宣言的記憶には影響がないは

ずで、覚えているはずだし、思い出せるはずなのである。

(78p)

   

身体で覚えたことは忘れない。

私だったら何がそれにあたるのだろう。

自転車に乗ること。

道草をすること(ブログを書くこと)。(これは無理か?)

  

  

昔のことが現在のことと混ざり合って区別が付かない、という

問題はどうだろう。

これは、海馬の委縮のために、母の中では、「今ここ」のこと

を覚えられず、「現在」についての認識が弱まっていて、だか

ら相対的に、「昔」の記憶が強烈になっているせいだ、と考え

ることができる。母にとっては、今よりは、昔の方が鮮やかで、

頼れるのである。

(85p)

    

父親と話していて、いきなり父親の父親の話が出ることがあります。

私にとって祖父であり、私は全く覚えがない祖父です。

私がものごころつく前に亡くなっています。

「おれの親父はどうなってる?」と聞いてきます。

「もうだいぶ前に死んじゃったよ」

「そうか、死んだか」

きっとその時には、父親は祖父の顔を思い浮かべているんだろうなと

思います。

  

  

健康な人の場合は、現在の物事も鮮やかに知覚され、認識され

ており、現在と昔との区別がされるのだが、アルツハイマー病

で海馬に問題が起こっている母には、現在の認識が弱まるため

に、昔との区別がうまくつかないことがあるのだと思われる。

むかし、私と兄が子供だった頃の母の記憶や、そのさらに昔の、

母自身が子供だった頃の記憶が現在にそのまま侵入してくる。

(88p)

 

なるほどです。

非常にわかりやすいし、父親にあてはまります。 

12年前に亡くなった私の母親の話はほぼ毎日でます。

「お母さんはまだ帰ってこないのか」

「お母さんは調子が悪くて寝ているのか」

などと聞いてきます。

「お母さん」というのが、父親の奥さん。私の母親です。

  

  

つづく 

  

「脳科学者の母が、認知症になる」② 85歳以上では2人に1人はアルツハイマー病

  

今日は令和2年1月27日。

  

前記事に引き続き、

脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。

   

アルツハイマー型認知症とは、ドイツの精神科医、神経病理学

者のアロイス・アルツハイマーにちなんで付けられた名前であ

る。1907年に彼によって初めての症例「アウグステ・Dと

いう名前の女性)が発表された。つまり、アルツハイマー病は

発見されてからまだ100年少々しか経っていない病気なので

ある。

(35p)

  

Epson224 (37p)

   

アルツハイマー病の一番のリスク・ファイターは年齢である。

年齢が上がれば上がるほど、誰でもなる可能性がある。85歳

以上では2人に1人がアルツハイマー病になると言われる。年

齢が上がると、異常なタンパク質の蓄積が増え、発症しやすく

なると考えられる。

(39p)

 

アルツハイマー病の基礎勉強。

  

  

海馬は、大脳皮質に蓄えられている記憶を呼び起こそうとする

時にも使われる(このプロセスを「リトリーブ」と呼ぶ)。海

馬が損傷しても、記憶は大脳皮質という別の場所に保存されて

いるのだから、記憶自体がきえてしまうことはないのかもしれ

いが、その記憶にうまくアクセスすることができなくなる。

れゆえに昔の記憶が「思い出せない」という現象も起こるこ

があるのだ。

(42~43p)

  

  

回想療法も、思い出を語り合い、他人とコミュニケーションを

取ることで、アルツハイマー病に伴う「孤独感」を減らすこと

ができる。また、大事な記憶を思い出すことによって、昔との

つながりがかんじられて「安心感」を味わったり、その記憶の

中で感じていた様々な感情が蘇ってきたりする。記憶力の改善

は期待できないが、残っている古い記憶を使って、ポジティブ

な感情を活性化できる可能性があるのが回想療法である。

(48p)

   

う~ん、イメージが浮かぶ。誰かと共通の思い出を語り合うことは、

心地いいものだと思います。

  

  

現段階で言えるのは、(中略)脳の前頭葉が損傷してしまえば、

人格が変わる可能性はある。しかし、そのようなことは、もし

も起こるとしても、アルツハイマー病では、大分進行してから

である。だから、少なくとも初期のアルツハイマー病患者、そ

して周囲の人たちが戸惑っているのは、本当にその人の人格が

変わってしまったからではなくて、まずは海馬の問題により、

ただ「できない」ことが増えるから、今までの「その人」では

ないように「感じられる」ということなのだ。

(49p)

  

その通りだと思います。

こうやって分析してくれると、客観的に見ることができて

ありがたいです。

  

  

つづく

  

「脳科学者の母が、認知症になる」① 人間にはコントロールできないことがあるのだ

  

今日は令和2年1月27日。

  

またすごい本に出合い、読み終えることができました。

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脳科学者の母が、認知症になる

(恩蔵絢子著/河出書房新社)です。

  

図書館に返す本です。たくさん書き留めるつもりです。

認知症について現時点で関心のない方はすっ飛ばしてください。

認知症に関心をもったときに、思い出してここを読んでみてください。

いや、この本を読んでみるといいと思います。

この本については、以前記事にしていました。

ここでも道草 「脳科学者の母が、認知症になる」/「認知症の第一人者が認知症になった」(2020年1月18日投稿)

☝ この時に読みたいと思い、実行しました。

  

  

一緒に暮らしている脳科学者は、医者よりも、至近距離で患者

に接することができる。医者が患者を診るように、第三者とし

て「病気」に向き合うのではなく、脳科学者であり、もともと

の母の性格をよく知っている娘だからこそ、気付く変化がある。

私は動揺しながらも、母の様子を観察して、どんな行動が現れ、

何が原因でそのような行動になるのか、脳科学の見地から考え

ることを試みた。

日々母にはどんな変化が起きているのか、それは脳の仕組みか

ら考えるとどういうことなのか、二年半の間、日記として記録

し、考えていった。

母を「症例」として見るのではなく、徹底的に母という「個」

に向き合うことによって、「認知症」という病の普遍に触れよ

うと試みた。

「脳にはどんな変化が起こっているのか」という視点から母の

行動を観察し続けていくと、やがて不可解に見える母の言動も、

脳の働きからすると自然なことに御眼てくるようになった。

(10p)

  

やがて私は、「母らしさ」とは、何かについて考えることにな

る。つまりこういう問いだ。

人は、以前で来たことができなくなったら、それは「その人ら

しさ」を失うことになるのだろうか?

その人の記憶こそが、はたして「その人らしさ」をつくってい

るのだろうか?

(11p)

 

このような難しい「問い」に対して、

恩蔵さんは答えを求め続けます。

その答えはとても深かったです。

  

  

母は、かつては1分だって落ち着いて座っている時間がないほ

ど活発で、社交的な人だった。趣味もいっぱい持っていた。そ

んな人がアルツハイマーになるのだから、病気は無慈悲だとい

うことだ。「そんなにだらだらしているといつかボケるからね

!」とか「ボケ防止に趣味をもとう!」とか、世間では自分が

なんとかすればアルツハイマーにならないと思われているよう

なところがあるけど、母のせいなどではなかった。人間にはコ

ントロールできなことがあるのだ。

(25p)

  

だれもがなる可能性のあるアルツハイマー型認知症。

  

  

アルツハイマー型認知症は、初期に、記憶を司る「海馬」の委

縮が起こり、新しいことが覚えにくくなることが特徴である。

それに対して、レビー小体型認知症は、初期に、大脳皮質の中

の「後頭葉」という、視覚を主に司る部位に問題が起こるので、

主要な症状が幻覚で出る。つまり視覚認識に異変が起こる認知

症なのだが、こちらは病気になってから何年も経ってから記憶

障害が現れないことがある。すなわち「認知症」だからといっ

て、必ずしも記憶障害を伴うわけではないのである。

(33p)

 

父親の場合、認知症ではあるが、ルビー小体型認知症の症状も

出てきていると言われています。

  

  

つづく

2020年1月26日 (日)

日めくりより/日本で最初にレコーディングした人物

  

今日は令和2年1月26日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

  

日本で最初にレコーディングした人物は誰?

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新冠町HP レ・コード館 レコードの歴史年表

☝ このサイトによると、

明治12年の3月28日のことだったようです。

1879年のこと。141年前のこと。

 

今では録音だけでなく、

簡単に録画もできてしまいます。

タブレット端末でちょちょいのちょいです。

そして録画したものを世界に発信できてしまいます。

 

  

新聞はまだ残っています。

でも141年前に、今の状況は予想できなかったことでしょう。

福地桜痴(源一郎)さん、今はすごいことになっています。

※参考:Wikipedia 福地源一郎

 

 

「アナログすぎる日本の授業形式」という「声」

今日は令和2年1月26日。

  

今日(1月26日)朝日新聞朝刊の「声」の記事です。

Epson222

日本の教育はやっぱりもっとIT化すべきだと思います。

アナログのいいところは維持しつつ、

1人1台のタブレット端末を使っての授業を

私はやってみたいです。

間に合わないかな。

 

無線ランの設置を強く願いします。

私のブログで「無線ラン」が初登場したのはいつなのか

検索してみました。

6年前でした。

ここでも道草 タブレットが役立つ状況 「NHK for school」(2020年1月13日投稿)

この時にも「教室の無線ラン化が必要です」と書いています。

来年度はどこまで進むのか。

「貸出禁止の本をすくえ!」あらすじは内緒

今日は令和2年1月26日。

   

昨日は浜松市に行って、

大学時代のメンバーとの飲み会に参加。

休職している私の身体を心配してくれていました。

ありがたいことです。

見かけは「なんで休んでいるの?」と

いぶかしがられるほど自然とニコニコできています。

私のブログにも日々目を通してくれていて、

これまたありがたいことです。

読んでくれている人がいることは、

励みになります。 

 

今朝も、読み終えた本のことを書こうと思います。

昨日の飲み会の後、浜松からの帰りの電車の中で

読み終えることができました。

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「貸出禁止の本をすくえ!」(アラン・グラビッツ著/

ないとうふみこ訳/ほるぷ出版)

  

主人公の名前はエイミー・アン・オリンジャー。

女の子です。

この女の子に事件が起こります。

図書館にあったお気に入りの本を今日も

借りたいと思って出かけたら、本棚から消えていました。

お気に入りの本の名前は「クローディアの秘密」

その理由を図書館員のジョーンズさんに聞いたら、

「あの本は、棚からはずさなきゃならなかったの」

「なぜかというと、保護者が何人かで話し合いをして、

あの本が小学校の図書館にふさわしくないという結論を出し、

教育委員会もそれに同意したからなの」

(9p)

という答え。これがお話の始まり。

ここからどのようなお話になるかは、内緒にしておきたいです。

なぜなら、予想を上回る面白い展開になるからです。

これから読む人は、その展開を楽しんでほしいのです。

 

したがって引用も、あらすじがわからない部分のみにします。

  

 

うそみたい。頭で考えていたことを口に出していって、そのせ

いでみんなが動くなんて、はじめてだ。少し胸がどきどきする。

まるでジェットコースターでレールをのぼっていって、てっぺ

んから下を見おろす、あの瞬間の気持ちみたい。

(32p)

  

思っていることを口にしないで

我慢することが多かった主人公が、

この時は口にしました。

そしたら、家族が動き出しました。

主人公の変化が始まった時です。

何と言ったのかは内緒です。

  

   

なんで「   ※内緒    」なんか始めちゃったんだろう

と思った。こんなふうによびだされたりしないよう、これまで

はずっとおとなしくして、なにもしないできたのに。自分の考

えをはっきりいったり、やったりする人ほど、めんどうなこと

に巻き込まれるんだから。

(114p)

何を始めたのかは内緒。114pの時点では、

自分のやったことを後悔しています。

  

   

ラストの文章。

  

スペンサーさんは、私の大好きな『クローディアの秘密」を貸

出禁止にしたとき、あの本が子どもいうそつきや、ぬすみや、

大人への反抗のしかたをおしえるから、といっていたし、たし

かにわたしは、その三つをぜんぶやらかした。でも、本でおそ

わったからやったんじゃない。本を貸出禁止にされたから、う

そをついたり、ぬすんだり、大人にさからったりしたんだ。そ

う考えるとすごくおかしくて、パパとママにもそのことを話し

たくなった。

だから、話したんだ。

(326p)

  

どんなお話なんだと興味をもった方は読んでみてください。

小学校中学年以上なら読めてしまう本です。

登場人物は小学四年生だったと思います。

子どもたちにもお薦めの本です。

  

「訳者あとがき」からの引用です。

 

作者のアラン・グラッツは、1972年、アメリカのテネシー

州で生まれました。2006年に『サムライ・ショートストッ

プ』(未訳)でデビューしたあと、第二次世界大戦を題材にし

た歴史物や、19世紀アメリカを舞台にした歴史改編ファンタ

ジーなど様々な作品を書いています。昔から日本に関心があっ

て、広島カープのファンだというグラッツさん。邦訳は今作が

初めてですが、これからも注目の作家です。

             2019年6月 ないとうふみこ

(331p)

  アラン・グラッツさんの次に読む本は決めています。

 

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/福音館書店)です。

図書館に入らないかなと期待しています。

※参考:ここでも道草 来年読みたい本9冊(2019年12月31日投稿)

 

2020年1月25日 (土)

「山海記」④ こんな終わり方をする小説があるんだ

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

   

次は「長殿」です、というアナウンスに続いて、十津川村の歴

史にひじょうに古く、とふたたび女声の説明が流れた。伝説に

拠りますと、神武天皇御東制の際に、道案内に立った八咫烏(

やたがらす)が祖先ともいわれています。672年の壬申の乱

の折には、天武天皇の吉野御軍(みいくさ)に参加し、戦功に

よって租税を免除されたといわれ、これは明治の地租改正まで

続き、これだけの長期にわたる御赦免地であることは全国でも

珍しいことです。

(151p)

   

何度も書いてしまいますが、これは小説ですが、

このような社会科の勉強がたっぷりできる内容です。

  

  

最後に、明治二十二年の十津川豪雨災害によって、

北海道移住を決断した人たちが交わした

移民誓約書を引用します。

 

そこには、集団移住した者たちが交わした誓いの冒頭部が記さ

れてあり、それに続く七箇条の誓約条目を資料で見ると、移住

住民ハ故郷ヲ去リ骨肉ヲ別レ遠ク絶海ニ移住スル上ハ、と始ま

る第一条(原文は條)には、以下現代語に意訳すると、頼れる

者は移住者同士だけなのだから、これまでにも増して一致団結

すること、とある。第二条には、移住住民は、移住・開墾の費

用として政府から破格の恩賜を受けたのだから、それぞれ五千

坪の土地を開墾するまでは、他の仕事に従事してはならないこ

と。第三条には、恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、

新十津川村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを

各自に分割して消費すべきものではないこと。第四条には、質

素倹約に努めることとして、具体的には、不急のものは購入し

ない、家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さな

い、家族以外に二人以上加わる会席・酒宴に行ってはならない

(ただし、新村の記念日大祭祝日はその限りではない)、村内

に飲食店を開いてはならない、衣服はなるべく木綿のものを着

ること。第五条には、学校を興して教育を盛んにし、児童を就

学させることを怠ってはならないこと。第六条には、各自が礼

節を厚くして、いやしくも風儀を乱し世間の笑いを受けるよう

なことがないようにお互いに慎み合うこと。第七条には、各条

項に背く者があるときは、村のリーダーたちがこれを懲戒し、

改悛の見込みがない者は、官に請うて米や金の支給を減らし、

それでも直らなければ村中から交友を絶つものとすること。そ

れらが事細かく取り決められ、全員の署名捺印があるというこ

とだった。

(206~207p)

 

集団移住を絶対に成功させたいという気持ちが伝わってくる

誓約書だと思いました。

  

  

「山海記」は、途中で2年のジャンプはありますが、

基本、バスから見える景色と、その景色をきっかけにして

著者の体験や思い、知識が書かれている私小説でした。

ページが少なくなるにつれ、心配になってきました。

最後はバスの終点の新宮駅に着いて

旅の終わりが小説の終わりになるのか。

でも、このペースだと新宮駅は遠いぞ。どうするんだろう?

  

そして最後の1ページ。

最後の文章を見て、仰天しました。

  

ではまた。

(262p)

   

  

あっけなく終わってしまったのです。

この終わり方はすごい!

笑っちゃいました。

このような本もあるのですね。

  

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