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2019年12月16日 (月)

「インビクタス」②南アフリカの国歌について

  

今日は令和元年12月16日。

  

前投稿に引き続き、「インビクタス 負けざる者たち

(ジョン・カーリン著/八坂ありさ訳/NHK出版)より

引用していきます。

  

マンデラは長いあいだ有名であったが、顔のない存在だった。

(囚人だったため) しかし、いまやその顔は世界の隅々にま

で知れわたり、国内では、時を置かず至るところに姿を現して

いたような気がする。町から町への長旅は、大がかりなパーテ

ィか王の祭典のような雰囲気をもっていた。(中略)

ポップスコンサートの興奮とスポーツの決勝戦の熱狂、大ミサ

の厳かな熱気が入り混じっていたのはどこも同じで、闘争の中

心となったシスルおよび他の指導者とともにマンデラが壇上に

現れると、いっせいに歓声があがった。しかし、そのあとの式

はちょっと変わった順序で進行する。式次第は参加者全員が記

憶していた。

最初に壇上の司会者がコーサ語で「アマンドラ!(力を)」と

叫ぶ。集まった人びとは「アウェトゥ!(民衆に)」と応える

のだが、その声は、3回、4回、5回と連呼するうちに、だん

だん大きくなる。

それから黒人の指導者が「国歌」と呼ぶ「ンコシ・シケレリ」

の合唱。その悲しげな調べに、人びとは右の拳を高くあげ、喜

びと誇りを吹き込んだ。以前の歌声には感じられなかったこと

だ。プロの聖歌隊を思わせるみごとな歌唱は、この日のために

長いあいだ練習を重ねたかに聞こえたが、ある意味ではたしか

にそう。みな、何年間も次から次に抗議集会に出ていたのだ。

12万から20万の人びとが、歌詞を覚えていた。それだけで

はない。男性は自分たちが休んで女性だけに歌わせる箇所を心

得ていたし、女性は低く響きわたる男声にどこを任せればいい

か知っていた。

(124~125p)

  

マンデラが大統領に就任する前に、南アフリカの国歌は「ディ

ー・ステム」という曲でした。白人が政権を握っていた時代で

した。その時代に、国民は黒人解放および白人支配への抗議の

しるしとして「ンコシ・シケレリ」を歌っていました。そして、

リーダーのマンデラが解放された喜びを集会で上記のように歌

ったのでしょう。

南アフリカの国歌は、「ディー・ステム」と「ンコシ・シケレ

リ」を統合したものになったらしいけど、詳細は不明。

現在の南アフリカ国歌はこれです。いろいろな言語が登場しま

す。☟


YouTube: 南アフリカ共和国 国歌「神よ、アフリカに祝福を/南アフリカの呼び声」 日本語訳/National anthem of South Africa

  

  

マンデラが釈放された5日後に、首都プレトリアで白人による

集会が開かれた。(中略)集まった人びとは、いまにも一切合

財(いっさいがっさい)が奪われるような気がしていた。官僚

は職を、商店主は店を、農民は土地を、失うのが怖かった。そ

して、だれもが恐れたのは、自分たちの旗、自分たちの国歌、

言語、学校、オランダ改革派教会、ラグビーを失うこと。表面

下にあってすべてをゆがんで見せていたのは、犯した罪と同等

の報復を受けるのではないか、という恐怖だった。

(127~128p)

  

ラグビーの存在は、白人にはとても大きかったと、この本で映

画以上によくわかりました。

  

  

ANC(アフリカ民族会議)の一部では、自分たちの力でトラ

退治できると、いまだに信じられていた。が、マンデラはでき

はしないと思っていた。敵はあらゆる銃器、空軍、後方支援に

加え、資金にも事欠かない。マンデラの政治行動の指針は、ず

っとまえからーー刑務所にいたときからーー決まっていた。

トラを退治するには飼いならすしかないんだ。ポール・クリュ

ーガーの像の下でうなり声をあげていたアフリカーナーも、ロ

ベン島で服従させたのと実質的には同じ人間だった。

(130p) 

  

ANCはマンデラが所属するグループ。トラは白人をさします。

白人と戦うのではなく、話をして取り込んでしまうというマン

デラの発想。仲間が殺されているにもかかわらずです。それを

27年、刑務所にいる時に気づいて実践したのです。刑務所の

27年を無駄にしなかったすごい人です。

  

  

コンスタント・フィリューンについて書かれた文章。  

  

名声を不動のものにしたのは、70年代なかごろに指揮官とし

てアンゴラに遠征していたとき。南アフリカ軍はジョナス・サ

ヴィン率いるアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に味方

して、当地の左翼政府と戦った。これも冷戦の代理戦争のひと

つだったが、この種の争いは世界中で起きていた。アンゴラ政

府を支援したのはキューバとソ連で、UNITAには合衆国が

ついた。南アフリカがこの内戦に加わったのは、アメリカに負

けないくらい指導者が共産主義に反対していたから。そして、

アンゴラ政府がANC(アフリカ民族会議)を支援していたか

らだ。   

(136~137p)   

  

この文章を引用したのは、東西冷戦の代理戦争に最近関心が

高いからです。先日、代理戦争の一つ、グレナダ侵攻を

扱った映画「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」

(1986年)を録画しました。まだ録画したのみですが・・・・。

ここでも道草 お薦め番組3つ(2019年9月19日投稿)

この機会に、アンゴラの位置を確認します。

ここでも道草 干上がったビクトリアの滝(2019年12月14日投稿)

☝ ここで使った地図を再掲載。

Photo_2 グーグルアース アンゴラ

  

ザンビアのすぐ隣です。

頭の中で、少しずつアフリカの地図を作成中です。

                           

  

つづく                            

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