2019年冬長野(3)疎開児童の1人 今西美奈子さん
今日は令和元年12月6日。
戦時中の光明学校の疎開を後世に伝えるために
千曲市の上山田ホテル前に建立された記念碑。
そのことを伝える記事のコピーを2つ載せます。
(読まれる時は、クリックして拡大して読んでください)
2017年(平成29年)5月22日 読売新聞です。☟
2017年(平成29年)5月22日 毎日新聞です。☟
読売新聞に名前が出ている若林和子さんが、
私を記念碑のところまで案内してくださった方です。
前記事で「女将さん」と書きましたが、「大女将さん」でした。
そして車椅子に乗られた方が今西美奈子さん。
疎開のことを伝える本「千曲川のほとりで~私の学童疎開・
上山田ホテル~」(まごころの集い社)の作者。
私のブログに、コメントを寄せてくださった方です。
※ここでも道草 「肢体不自由児たちの学童疎開」引用8/当時の上山田村村長(2014年9月7日投稿)
この記事で再会できました。
大女将さんが言われるには、今は入院されているとのこと。
ご高齢なので、心配です。
誠に残念なご報告をさしあげる事となりましたが
12月4日にご他界され6日が告別式でございました。
心よりご冥福を申し上げます。
投稿: 上山田ホテル | 2019年12月16日 (月) 09:05
連絡をありがとうございます。
残念です。
私もご冥福を祈ります。
投稿: いっぱい道草 | 2019年12月16日 (月) 15:25