2025年4月28日 (月)

2ボトル目のカマキリの赤ちゃんが産まれた

    

今日は令和7年4月28日。

  

今朝、教室に入ったら、カマキリの卵嚢のボトル1つに

変化があることに気がつきました。

カマキリの赤ちゃんが産まれていました。

これで2ボトル目です。

幸い、まだ産まれてすぐみたいで、どのカマキリも元気でした。

  

よく見たら、1ひきは蛹状態でした。

動画で撮影しました。

その動画は、またCapCutを使って編集して、

このブログ上に載せますが、今回は写真だけ載せます。

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蛹から脱出したカマキリの赤ちゃんは、

無事落下しましたが、もう1ひき、何かに引っかかって落ちません。

そこでボトルを揺すって、落下させました。

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カマキリの卵嚢の下にぶら下がっていた物体は、

カマキリの赤ちゃんが脱ぎ捨てた蛹だったのですね。

  

私が逃がそうとした時に、6年生の男の子と会い、

一緒に逃しました。

男の子の手の上に乗るカマキリの赤ちゃんです。

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どれだけ生き残れるかな。

2025年4月27日 (日)

2025年7月5日 すっかり忘れていたけど・・迫ってきた

今日は令和7年4月27日。

  

台湾からの旅行者が7月に向けて減っているというニュース。

なぜ?

その理由は、日本で7月5日に、大災害が起こると予言されていることが、

台湾では広がっていて、特に7月は訪日を敬遠しているそうです。  

2025年7月5日に日本に大災害。

これって、私が昨年、記事にしたものですね。

ここでも道草 「私が見た未来」(たつき諒)を知った晩(2024年3月4日投稿)

  

この記事で載せた動画が参考になりましたね。


YouTube: 【総集編】予言漫画「私が見た未来」の真実。2025年日本に起きる大災難とは…?【 都市伝説 作業用 睡眠用 聞き流し BGM 予言 私が見た未来 たつき諒 】

34分55秒からご覧ください。

動画の写真を何枚か載せます。

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高い津波が襲う災害のようです。

本の著者のたつき諒さんの予知夢によって見えたもの。

昨年知った時は、まだまだ先だと思ったけど、

いよいよ迫ってきたのですね。

  

7月5日は土曜日。

町内会の月例美化活動がある日だ。

皆さんはどこにいますが。何をしていますか。  




 

2025年4月24日 (木)

昔はナガミヒナゲシ/今はマツバウンラン?

今日は令和7年4月24日。

  

昨年も今頃、マツバウンランを見ています。

ここでも道草 4月26日にみた植物 マツバウンラン/いつか見たいハタザオ(2024年5月2日投稿) 

今年もお目にかかりました。

勤務校近くのハナミズキ並木を見に行った時。

4月21日撮影。

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翌日の4月22日にアップ写真を撮りました。

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この日、お墓参りに行き、そこでもたくさんのマツバウンランを目撃。

撮影しました。

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ちょっと前は、ナガミヒナゲシをあちこちで見かけましたが、

最近は数が減ったように思えます。

雑草の世界に、栄枯盛衰を感じました。

今日は木曜日。お休み。

なんと東京に行きます。

2025年4月23日 (水)

「松食い虫」とは誰?/マツを枯らすのは誰?

   

今日は令和7年4月23日。

  

マツ(松)の話の続き。

  

最近、聞いた話。

少し前に、松食い虫が大量に発生して、

住宅街の庭で育てていたマツが、あちこちで枯れてしまい

大変だったそうです。

そんなことがあったんだ?

マツに関心がなかったので、その大変だったことを

知りませんでした。

  

私が知りたいのは「松食い虫」とはどんな虫か?です。

勝手に頭で思い描いていますが、実際を知りません。

調べました。

鳥取県HP 松くい虫の生態と被害のメカニズム

ここを参考にしました。

  

ここに「松食い虫」の定義が書いてありました。

引用します。

  

松くい虫とは、松を枯らす原因となる「線虫類」を運ぶ虫のことを

言い、マツノマダラカミキリ(体長3cm程度)という昆虫のこと

をさしています。

  

マツノマダラカミキリの写真も鳥取県Hpより転載。

Img_1574  

マツを枯らす線虫類の有力候補がマツノザイセンチュウ。

これも写真を転載。

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マツが枯らす直接的な犯人は、このマツノザイセンチュウ。

しかし、マツを枯らした後に、他のマツに移動する能力を

マツノザイセンチュウは持っていません。

そこで利用するのが、マツノマダラカミキリ。

マツノザイセンチュウは、マツノマダラカミキリに寄生して、

移動するのです。

  

マツノザイセンチュウは、マツの中に入ると、

マツが水分を吸い上げることを阻害し、

枯らしてしまうそうです。

この枯れかけたマツに卵を産みつけ、

成虫になると、マツに穴を開けて出てくるのがマツノマダラカミキリ。

この時にマツノザイセンチュウは寄生するのです。

 

「松食い虫」

確かにマツノマダラカミキリは、成虫の時にマツの樹皮を食べ、

幼虫の時には、マツの木の中の柔らかい部分を食べます。

その意味で、確かに「松食い虫」です。

じゃあ、「松食い虫」がマツを枯らすのかと言われると、

とどめを指しているのは、マツノザイセンチュウです。

「松食い虫が大量に発生して、松食い虫がマツを枯らした」

という表現は、正確には間違い。

松食い虫が大量に発生して、マツノザイセンチュウが多く発生。

その結果マツが枯れた」ならいいのかな。

  

この動画、勉強できました。


YouTube: #樹木医 が松枯れを解説

  

マツの世界に少しずつ入って行きます。

今度の金曜日に、マツ(松)の雄花・雌花の観察を始めます

   

今日は令和7年4月23日。

  

最近のマツ(松)に興味が出てきました。

いろいろなところにマツが植えてあります。

勤務校にもありますし、いろいろな家の庭で見かけます。

今は、マツからスッと黄土色の棒がニョキニョキと生えてきています。

あれはマツの花なのか?と思っていたら、

今日、その棒の先に耳みたいに2つの突起があるのに気がつきました。

またまた不思議。

あれはなんだ?

  

調べることにしました。

蒲田中理科通信WEB版1年生授業用 

どなたか先生が、ネット上に授業で使う資料を置いていました。

ここにあった写真が、まさに私が見たものです。

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2つの突起を目撃していましたが、あれが雌花だったのですね。

そして棒の根元には雄花があるようです。

私はそこまでじっくり見ていないので、

今回の勉強をきっかけに、学校のマツで確認してみようかな。

  

雌花が受精から2年かけて種子ができ、

松ぼっくりが完成するそうです。

2年かあ。現任校に2年いることができたら、

観察できるでしょうか。

明日は木曜日で休みなので、金曜日に実行します。

マツの雄花、雌花をじっくり観察します。

  

しかし、今回のマツの花の観察は、

中学校1年生の理科の勉強でやっているようです。

私が中学生の時にやったっけなあ。

今時の理科なんだと思います。

  

中学生1年生に負けない、

大人の?観察をしてみたいですね。

2025年4月22日 (火)

名豊道路国坂トンネル東手前の桐の花/墓地の現在の桐の木

    

今日は令和7年4月22日。

  

今回は桐(キリ)の花について。

4月20日に名豊道路を走りました。

豊川市の為当ICから入って蒲郡ICまで走りました。

国坂トンネルの手前で、ちらっと右側に紫色の花を見かけました。

む、あれは「桐の花」では?

自動車道だったので、停まって確かめるわけにはいかないのですが、

ほぼ確実にそうだと思いました。

あの樹形は間違いない。

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地図(Googleマップ利用)で表すと赤丸のところです。

詳しく見たい人は、地図をクリックして、

拡大してみてください。

  

行って、桐の花だと確認して、写真を撮りたいと思いました。

実行したのは、翌日の4月21日の午後。

同じく仕事終わりの奥さんと出かけました。

名豊道路には、近所の小坂井御津ICから入って、

御津金野ICから下りて、西に向かいました。

そして見つけました。

  

これです。

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この写真の部分的トリミング。

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桐の向こうにある道路が名豊道路。

実は脚立を持参していました。

できたら花のアップが撮りたくて。

でも谷底に生える木であって、そこに下りていくのはまず不可能。

下りたとしても、背丈が高い桐の木なので、

花のアップ撮影は無理でしょう。

iPadのカメラの撮影ですが、やっぱり望遠レンズで撮影したいですね。

  

  

今日(4月22日)も、気になる桐の花を見に行くことにしました。

我が家の両親の眠る墓地です。

豊川市金沢にあるお寺です。

母親が墓地に入って、何度かお墓参りに行った時に、

墓地の傍にある木が、桐だとわかりました。

花が咲かないと、桐だと気がつかないのですが、

春にお墓参りに行って気がつきました。

撮影もして、このブログに記事にしています。

例えば・・・

ここでも道草 H25 5月の花々2 キリ(2013年5月20日投稿)  

 

この記事から遡るとわかるのですが、

墓地の桐の花を見たのは、前年の2012年。

平成24年でした。

その記事から、13年前の桐の木の写真を転載します。

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この写真によると、桐の木は2本あります。

2本だったけ?

私の記憶は手前の1本であり、2本目をわすれていました。

当時のブログの記述によると、桐の木は貧弱でした。

大丈夫かなと心配するほどでした。

  

ところがここしばらく、その墓地の桐の花を見た覚えがありません。

自動車で片道30分と遠いので、

月に1回墓参りに行けば上出来くらいのペースですので、

ちょうど咲く頃を逸しているのかとも考えました。

でも花が散った様子もなく、これから咲くような蕾を見た覚えが

とんとありません。

今はあちこちで桐の花を見かけるので、

今、墓参りに行けば、墓地の桐の花を見られると思いました。

 

そこで今日、また午後から奥さんと墓参りに行きました。

そこで目撃したのがこれです。

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花は咲いていませんでした。

もしかしたら、木が死んでしまったのか?

でもよく見ると、枯れ木のような幹や枝から新しい葉っぱが

出ていました。

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これはどう理解すればいいのでしょう。

桐の木は少なくとも死んではいませんでした。

しかし、花を咲かせることはできなかった。

花を咲かせるには、木が老いたのでしょうか。

土壌がよくないのでしょうか。

木の元は道路やコンクリです。

最近の夏の暑さで、木が弱っているのでしょうか。

  

墓参りに行った時には、桐の木の観察をしよう。

20240606富士山登山③ 雪面をアイゼンを使って登っていく 

    

今日は令和7年4月22日。

  

前記事に引き続き、昨年6月6日の富士山登山のことを

書きます。

  

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振り返れば、こんな景色。

高いところにいるんだなと思うけど、

この斜面がアイスバーンだったら、

滑ったら、止めてくれるものがないので、

簡単に滑落してしまうなと感じました。

  

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九合目の山小屋。  

午前7時40分。登り始めて3時間10分。

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ここまで確か、登山道は雪があまりなかったと思います。

この雪面は、下山時に、駆け降りることになります。

6月で雪が凍っていないのがありがたいです。  

  

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九合五勺(しゃく)にある山小屋と思われます。

立派な石造りの壁がありました。

午前7時46分。

  

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ここからは登山道が見えないので、雪面の踏み跡をたどって、

登っていきました。

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振り返った写真。

遅いのに、写真は撮っていました。

  

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ちょっとひと休み。

ここでも高いところに来たことを実感できます。

  

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頂上近くで、ロープの柵があり、登山道がわかりました。

  

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登っていく左側の景色。

斜面のキツさがわかるのでは。

アイゼンのおかげで、登っていける状態でした。

  

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この鳥居は、頂上が近いことを知らせてくれます。

頂上が近づくにつれて、坂が急になり、

ヘトヘト状態でした。

  

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富士宮ルートも間もなく終了。

向こうに見えるのが、富士山の最高峰。

  

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振り返ると、富士宮ルートの下山口。

ここを登ってきました。

午前9時12分。まもなく5時間が経とうとしていました。

頂上に行くためには、左折して時計回りでお鉢を歩きます。

  

今回はここまで。

  











  

20240606富士山登山② いよいよ出発 日の出を見る

今日は令和7年4月22日。

4月15日の記事の続きで、昨年の富士山登山について書いていきます。

昨年6月6日午前4時30分。

いよいよ歩き始めました。

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登山口にある階段の手前には、柵があります。

まだ山開き前なので、柵があります。

この柵の右側の部分から、入りました。

おそらく18年ぶりの富士山登山のスタートです。

  

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富士山の標高は、最近5cm高いことがわかって、

3775m56cmとなっていて、四捨五入して3776mとのこと。

そうか、ずっと3776mと思ってきたけど、

四捨五入してギリギリの3776mだったんだなと思いました。

今回の登山は、1376m登ります。

この高さをみたら、日帰りでも行けるなと思う数字です。

  

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辺りがだんだん明るくなってきました。

振り向けば雲海。

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前を進むNさん。

Nさんは70歳ですが、ずっと置いていかれました。

 

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頂上方面。雪が待っています。

  

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朝日が出てくる直前。朝日の反対側には、雲の上にうっすらと

富士山の影が見られました。

影がわかりますか?

  

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何度も雲海の写真に付き合ってもらっています。

普段の生活では見られない景色です。

  

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また頂上方面の写真。

  

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ついに日の出。時刻は午前5時2分。

  

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もう1年経ってしまったので、何という山小屋なのか

不明です。この時時刻は午前6時17分。

Google検索で判明。

「元祖七合目 山口山荘」でした。  

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今回はここまで。

少なくとも、前任校のNさんが読んでくれているので、

頑張って富士山登山について書いていきたいです。
















  

2025年4月21日 (月)

堆肥の中から立派なカブトムシの幼虫が出てきた

   

今日は令和7年4月21日。

  

現在の小学校に転勤した日に、

校内を歩いて堆肥があることを知って、

ワクワクしました。

堆肥がある学校って、いつ以来でしょう。

  

堆肥の中に、カブトムシの幼虫がたくさんいるよと、

用務員さんに教えてもらいました。

前任校の時から、カブトムシの幼虫は3匹飼っていましたが、

堆肥の中の幼虫はどのくらいに成長しているのだろうと

興味を持ちました。

堆肥の中のカブトムシの幼虫探し。

18日(金)に実行しました。

  

長靴はいて堆肥の上に立ち、スコップでほじくりました。

葉っぱの積もった堆肥からはなかなか発見できませんでした。

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でも、ヤギの糞をためた堆肥は、すぐに結果が出ました。

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2匹の幼虫がすぐに見つかりました。

これがなかなか大きい。

栄養がたっぷりな場所なのでしょう。

私が飼っていた幼虫は貧弱に見えました。

今まで飼ってきた幼虫がかわいそうに見えてきました。

そこで、飼っていた3匹をこの堆肥に逃し、

堆肥に住んでいた立派な2匹の幼虫を飼育箱に入れました。

これがその2匹です。

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これが巣箱です。

  

  

明日から、いよいよ・・・やっと通級指導教室が始まります。

待ってましたです。

最初はどんな授業をしようか。

昨年開発したネタは、全て使えるわけで、迷います。

昨年同様、カブトの幼虫との対面からスタートしよう。

ここには堆肥がある。勤務校の特徴です。

そんな勤務校の魅力を教えつつ、カブトの幼虫と対面させたい。

これがいずれ蛹になり、成虫になる過程を、

子どもたちに見せたいです。

もし、やってみたいのなら、後日堆肥で幼虫探しをするのもいい。

こうやって面白い体験をさせたい。

  

知的好奇心をくすぐり、学校が面白いことを感じさせ、

子どもたちの積極性を高めたいです。

さあ、これから1年間の通級指導教室、どうなるかな。

きっといい1年間になるように思えます。

ドラマで平賀源内が獄中死し、翌日に山口崇さんの死を知る

   

今日は令和7年4月21日。

  

今日から読み始めたのが、この本。

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「平賀源内 『非常人』の生涯」(新戸雅章著/平凡社)

  

何で読みたくなったかというと、

今年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」を見て、

初めて平賀源内が、人を殺めて牢獄で死ぬという、

とんでもない末路をたどっていたと知ったからです。

平賀源内に何があったのか、知りたくなったのです。

昨晩放映の「べらぼう」第16話で、平賀源内の死が描かれました。

  

今日になってびっくりしたのが、

俳優の山口崇さんが亡くなっていたというニュース。

この記事をそっくり転載しちゃいます。

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実は平賀源内を初めて知ったのは、

ドラマ時代劇「天下御免」でした。

1971年10月から1年間、46話のドラマ。

当時10歳だったけど、楽しんでみたよなあ。

山口崇さんが演じた飄々とした平賀源内が、

50年以上経った今も、私の平賀源内のイメージです。

三谷幸喜さんは私と同じ1961年生まれ。

10歳で「天下御免」を見ていた同世代です。

三谷幸喜さんが影響を受けたように、程度は違うけど、

私も影響を受けました。

なので、「べらぼう」での平賀源内の死はショックでした。

  

  

朝の連続テレビ小説「あんぱん」が4月からスタート。

アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが、

幼い時にお父さんを亡くされ、お母さんに捨てられるという実話が、

立て続けて放映されました。

さらに、調べてみたら、

優秀だった弟は戦死しています。

乗っていた船が潜水艦の魚雷で爆破され、

海の藻屑となっています。

そんな過酷な家族にまつわる体験をしたことを知って、

こちらも本を読みたくなり、すでに読み終わっています。

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「慟哭の海峡」(門田隆将著/角川文庫)

  

またこの本についてはブログで書きます。

  

テレビドラマを見ることで、勉強が始まった2つのことです。

  

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