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2026年3月 5日 (木)

20250126金勝アルプス① 「湖南アルプス」「金勝」を解明

  

今日は令和8年3月5日。

  

近日、湖南アルプスに仲間と一緒に登ってきます。

この機会に、昨年1月に登った山の記録をまとめたいです。

  

昨年の1月26日に登りました。

歩いたコースを地図に表してみました。

Img_7422

青い線で示したのが、歩いたコースです。ほぼ周回コースです。

   

駐車場です。午前7時54分の撮影です。

Img_7427

まだ駐車場にとまっている自動車はまばらでした。    

建物には立派な地図が掲示されていました。

Img_9854

この地図には「近江湖南アルプス」とあります。

近日登る予定の湖南アルプスには堂山などがあるのですが、

この地図には載っていません。

「湖南アルプス」の範囲について調べておこうと思います。

Geminiの回答は、私の予想と合致。

引用します。

  

結論から言うと、「琵琶湖の南側(大津市・栗東市周辺)に広がる、

花崗岩の奇岩や巨岩が連なる標高400〜600m前後の山々の総称」と

説明するのが一番しっくりきます。

地理的・ガイドブック的な分類では、主に以下の2つのエリア(山群)

に分けて呼ばれることが多いです。

1. 北側エリア:金勝(こんぜ)アルプス

昨年行かれたエリアです。

• 主な山・名所: 鶏冠山、竜王山、天狗岩など

• 特徴: 栗東市と大津市にまたがるエリアです。登山マップ等では

「金勝アルプス」として独立して紹介されるのが一般的ですが、広い

意味で「湖南アルプス」という大きな枠組みの中に含まれる(あるい

は別名として扱われる)こともよくあります。

2. 南側エリア:湖南アルプス(田上山地)

今回行かれる堂山があるエリアです。狭い意味(本来の呼称)での

「湖南アルプス」は、こちらを指すことが一般的です。

• 主な山: 堂山、太神山(たなかみやま)、笹間ヶ岳、矢筈ヶ岳など

• 特徴: 金勝アルプスから見て南側、瀬田川の東側に広がる大津市の

エリア(田上山地)に位置します。

人に説明する時のわかりやすいフレーズ

もし一緒に登る方やご友人に「どのあたり?」と聞かれたら、このよ

うに説明してみてはいかがでしょうか。

「琵琶湖の南側にある岩山のエリアだよ。去年行った天狗岩がある北

側の『金勝アルプス』と、今回行く堂山がある南側の『湖南アルプス』

に分かれているんだけど、全部まとめて『湖南アルプス』って呼ばれ

ることも多いんだ」

  

以上です。予想と合致したので、これ以上調べずにこれが結論です。 

昨年登ったのは、湖南アルプスではあるのですが、

金勝アルプスと言ってもいいのです。

それに伴って、今回の記事のシリーズは、

「20250126金勝アルプス」とします。

「金勝」は「こんぜ」と読みます。

これは読めません。難読地名。

語源を調べました。

山の会Rocky 2015年10月 金勝アルプス

このサイトから引用。

  

金勝を「こんぜ」と読むのは難しい。由来をネットで調べてみると、

昔、朝鮮半島から銅の採掘や、青銅の細工を生業とした一族、金勝

族が活躍していたことから名付けられたそうだ。また金青(きんし

ょう、又はこんぜと読む)、銅を打ち出せる山という意味らしい。

  

この説明でOKだと思いますが、この説の出典がわかりません。

遡れば、2007年のブログでも、この記述が使われています。

山好き的日々@京都北山 2007年4月15日 金勝アルプスを行く

  

少し付け足すと、

奈良東大寺の大仏の建立には多くの銅が必要であり、金勝族が活躍し

たと言われている。

という説明がありました。

 

原典を記した記事はありませんでした。

原典を見つけたいです。

  

原典についてGeminiに聞いてみました。予想以上にいい回答でした。

引用します。

  

ご指摘の通り、「金勝=朝鮮半島から渡来して銅を採掘した金勝族」

という説明は、金勝アルプスの由来としてネット上の登山ブログや

ハイキングマップで非常によく見かけますが、原典が明記されてい

ないことがほとんどです。

この「金勝族」と「青銅・渡来人」の由来説を広く一般のハイカー

や歴史ファンに定着させた大元の原典(発信源)は、随筆家・白洲

正子(しらす まさこ)さんの名著『かくれ里』(1971年刊行)で

あると言えます。

さらに、その歴史的背景を学術的に補強したものとして、民俗学者

・谷川健一(たにがわ けんいち)さんの著作『青銅の神の足跡』

(1979年刊行)などの影響も強く受けています。

具体的にどういうことか、その背景を紐解いていきましょう!

1. 原典としての白洲正子『かくれ里』

白洲正子さんは、日本各地のひっそりとした美しい歴史の里を歩き、

その魅力を綴ったエッセイ集『かくれ里』の中で、「金勝山をめぐ

って」という一編を執筆しています。

彼女はこのエッセイの中で、金勝アルプスの山中にある巨大な石仏

「狛坂磨崖仏(こまさかまがいぶつ)」などを訪ね歩き、以下のよ

うな歴史ロマンを展開しました。

• 金勝山の麓には「金勝族」という青銅を業とする集団(渡来人)

が住み着いていたのではないか。

• 奈良・東大寺の初代別当(大仏建立に尽力した僧)である良弁

(ろうべん)は、この金勝族を統率しており、大仏造立に大量の銅

が必要だったからこそ、この地の金属資源と技術集団が重要だった

のではないか。

2. 民俗学からの裏付け:谷川健一『青銅の神の足跡』

白洲正子さんのエッセイと並んでよく引用されるのが、民俗学の大

家である谷川健一さんの研究です。

彼は『青銅の神の足跡』や『白鳥伝説』などの著作で、古代の金属

採掘や鍛冶を行う集団の足跡を追い、「金勝(こんぜ)」という

読み方や地名、そして良弁僧正の伝説が、古代の鉱脈探しや金属精

錬を行う技術集団と深く結びついていることを指摘しました。

なぜ原典が消えてネットに溢れているのか?

白洲正子さんの『かくれ里』は、近江の歴史を愛する人々やハイカ

ーの間で「バイブル」のように読まれ続けてきました。

そのため、長年にわたり地元自治体の観光パンフレットや、ハイキ

ング同好会の案内文などが、金勝アルプスを紹介する際に「あの白

洲正子も書いている説」としてこぞって引用しました。

しかし、インターネットが普及しブログ等で個人が発信する時代に

なると、「白洲正子のエッセイに書かれている」という出典(ソー

ス)部分だけがスッポリと抜け落ちてしまい、「由来は金勝族とい

う渡来人集団らしい」という分かりやすい結論部分だけが独り歩き

しました。それが孫引きを繰り返され、あちこちの記事に定着して

しまった……というのが真相です。

  

なぜ原典が示されないかまで推理しているところがすごい。

さっそく図書館で白洲正子さんの「かくれ里」を見つけたので、

予約しました。

「金勝」に関する部分を読んで見たいと思います。

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