2022年6月25日 (土)

「ももちゃんのピアノ」⑤ 音楽に飢えていた時代

    

今日は令和4年6月25日。

   

昨日の記事の続きで、

「ももちゃんのピアノ 沖縄戦 ひめゆり学徒の物語」

(柴田昌平文/阿部結絵/ポプラ社)より。

   

たくさん引用したい本ですが、

今日図書館に午後6時までに返さなくてはいけない本。

  

戦後の音楽に飢えていた時の様子を引用します。

   

基地の仕事で家族のくらしが安定してきたころ。ももちゃんは、はた

らいて得た給料のなかから、自分のただひとつの楽しみとして毎月レ

コードを買うようになりました。

その数が10枚をこえたころ、大学生たちから「音楽鑑賞クラブをつ

くるから、あなたも入りませんか」と誘われました。彼らは、ももち

ゃんがレコードをたくさん持っていることを伝えきいて、声をかけて

きたのです。2週間に1回、夕方、音楽に飢えた学生たちが大学の教

室に集まって、みんなしんけんにレコードに耳をかたむけます。

(162p)

  

ももちゃんがたくさん持っているといっても、

10枚余りですよ。

そのレコードの曲を聴きたくて、教室に集まる大学生。

今は恵まれています。

じっくり曲を聴かずに、聞き流して消費していく感じです。

やっぱり私は、昨日の記事に書いたように、

1カ月に10曲程度をじっくり聴く方針でいきたいと思います。

縁があった曲を生活のBGMとして、

後に音楽を聴き直した時に、

その頃のやったことが思い出されるくらいに、

生活の中に曲を染み込ませたいです。

  

さあ、この本を図書館に返しに行ってこよう。

図書館では、次の次に読みたいと思っている本が、

予約本として待っています。

本との別れ。新しい本との出合いです。

  

  

もう一度書きますが、この本、

小中学校の図書館推薦本です。

2022年6月24日 (金)

「電脳ワールドワイ動ショー」の調子がいい

       

今日は令和4年6月24日。

     

土曜日晩の10時から放映されている

「電脳ワールドワイ動ショー」の調子がいい。

毎週1時間、確実に放映されています。

授業で使えるかという視点でもOK。

何度も授業で生徒たちに見せることができました。

「先生、この番組好きだね」と生徒に言われるほど。

世界のその国らしさを紹介する短い動画が豊富です。

自分の好奇心をくすぐる内容もあります。

明日は、午後6時56分から

「世界がわかる!動画祭り」というタイトルで、

特番で放映されます。

調子がいいのが高じて、2時間の特番になってしまいました。

もちろん録画予約しています。

  

6月11日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」の写真。

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日本と世界の値段比較。

台湾は物価が安いのに牛乳が高いことが、話題になりました。

台湾の土地が狭いので、放牧での牧畜はあまりできないのではないかとか、

温暖で湿った気候では、いい乳が出ないという意見もありました。

次は映画代の比較。

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先日映画館に行ってきたばかりなので、関心がありました。

インドが安いのに、みんなが驚いていました。

いとうせいこうさんが「ボリウッド」を紹介。

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※参考:ここでも道草 「ボリウッドダンス」で道草(2021年11月29日投稿)

 

さらに堤伸輔さんが、アメリカの映画代が安い理由を解説。

アメリカ人はポップコーンとか飲み物をたくさん買うので、

そちらの収入を計算していると言っていました。

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そしたら小峠さんが映画「きっと、うまくいく」の話。

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昨年度、生徒に見せた映画です。

この映画の字幕監修をいとうせいこうさんがやっていました。

ほ~。

   

動画に加えて、視聴したメンバーがやいやい言うのも楽しいし、

知的です。

   

「電脳ワールドワイ動ショー」は、昨年30分間放送だったり、

今週は放送がないの?というのが続いて、

終わっちゃったんじゃないのと心配した時もありました。

特に4月以降は、たくましい番組になってきました。

これからも楽しみです。

「ももちゃんのピアノ」④ 東風平先生はももちゃんの記憶の中に生きる

   

今日は令和4年6月24日。

  

暑いですね。

暑いけど、これが日本の夏。

頑張りましょう。

  

昨日の記事の続きで、

「ももちゃんのピアノ 沖縄戦 ひめゆり学徒の物語」

(柴田昌平文/阿部結絵/ポプラ社)より。

   

東風平(こちんだ)先生はこのとき22歳で、初子姉さんよりひと

つ年上でした。先生は、子どものころから音感がよく、雨のしずく

の音程のちがいをきき分けられるほどだったといいます。貧しかっ

たけれど、ふるさとの島の人たちに援助され、東京の音楽大学を卒

業しました。「沖縄にもどるのは危険だよ、戦争に巻き込まれるか

もしれないよ」とまわりの人たちにいわれましたが、「沖縄の子ど

もたちが待っている。僕は行きたいんだ」と、反対をおしきって、

ひめゆり学園に赴任してきたのです。

(76~77p)

  

ももちゃんにピアノを弾いて聞かせたり、

男女が自由に行き来できなかった時代に、

女子生徒を男子校の音楽界に連れて行ったりした東風平先生。

沖縄に戻ることは反対されていたのだと知りました。

東風平先生は、沖縄戦で命を落とします。

でもももちゃんが生き残って、こうやって話したことで、

東風平先生のことが後世に残ります。

ももちゃんが捕虜になってでも生き残った価値があるというものです。

  

戦争の最中、ひめゆり学園の生徒たちの卒業式が行われました。

  

ももちゃんたちが不満だったのは、せっかくの卒業式のために東風

平先生が新しくつくってくれた歌があったのに、砲弾の飛びかう卒

業式では歌うことができなかったことでした。それは、『相思樹(

そうしじゅ)の歌」といい、戦争の時代の歌とは思えないとても美

しいハーモニーの曲でした。

  

♪ 卒業してあふれでる喜び

 ほほえみながら 巣だっていくんだ

 大好きな友たちよ 健康で幸福でありますように

  

かわりに歌わされたのが『海ゆかば』という軍歌でした。

 

♪ 海に行ったならば 水につかった死体になろう

 山に行ったならば 草のはえた死体となろう

 天皇陛下のおそばで死ぬんだ 後悔はしない

 

国のため、天皇のために命をおしまず戦うことをほめたたえる歌だ

ったのです。暗闇の中、ろうそくの明かりだけに照らされて、ぼん

やりうかぶ女生徒たちの顔、顔、顔。全員ひそめた声をあわせて、

「死のう、死のう」と歌うのです。それはまるで死への行進曲のよ

うでした。

(100~101p) 

  

「海ゆかば」は軍歌です。

哀愁をおびたメロディーがよくて、気に入った曲でした。

でも、こうやって歌詞をわかりやすく書かれると、

ドキッとさせられます。

  

4年前もこの曲の歌詞について書いていました。

ここでも道草 「海ゆかば」の作曲者が、校歌の作曲をしていた(2018年11月7日投稿)

その時、「死体」のことを「屍(かばね)」としていました。

「死体」と表現されると、よりこの歌詞はおかしいのではと

思えました。

 

生活のBGMは「孤悲」(さだまさし)

      

今日は令和4年6月24日。

         

昨日CDが届き、今日から生活のBGMはこのアルバムです。

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「孤悲」(さだまさし)

  

今の世の中、CDでアルバムを購入して、

アルバム1枚単位で聴く人は激減していると

新聞に書いてありました。

音楽はネットとつながっていれば、

スマホで数千万曲が聴けるようになっているとのこと。

私は時代遅れになっているんだろうなと思います。

でもアルバム1枚単位で聴くことはずっとやってきたこと。

アーチストが、CDを販売してくれている間は、

このやり方でいくんだろうなと思います。

  

今から1カ月くらいは聴き込むと思います。 

10曲前後を1か月聴くのがちょうどいい。 

1998年2月17日の白馬スキー場にいた人の文章

      

今日は令和4年6月24日。

   

昨日、この記事にコメントが届きました。

ここでも道草 ジャンプ団体戦の感動秘話/テストジャンパー(2014年1月26日投稿)

昨年、映画「ヒノマルソウル」が上映されたことで、

その映画を見た人が、コメントを届けてくれました。

これが2通目です。

私も映画「ヒノマルソウル」を一度見ておきたいですね。

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映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』上映中!

     

そんなこんなで、いろいろ検索していたら、

いいサイトに出合いました。

感動映画『ヒノマルソウル』 映画には描かれなかった「長野五輪ジャンプ団体」の現場の真実を語る

コラムニストの堀井憲一郎さんの文章です。

堀井さんは、「ヒノマルソウル」の出来事があった

1998年2月17日の白馬ジャンプ場に観客としていました。

映画「ヒノマルソウル」を見て、当時を思い出して書いたものです。

  

観客もたいへんだったみたいです。

シャトルバスで会場に向かうのですが、

かなり手前で降ろされて、

1時間!雪中行軍のように歩いて

観客席にたどり着いたそうです。

 

原田雅彦の1本目は、

雪のために視界が悪い中でのジャンプであって、

観客席から見ていた人は「しかたがない」と思ったそうです。

テレビで見ると、視界が悪いようには映っていなくて、

「原田はなにをやっているんだ」という声があがっていました。

 

1本目が済んだ後に、次々にジャンパーが飛ぶのを見て、

不思議に思っていたようです。

そのジャンパーが、テストジャンパーだったのです。

これが劇的ジャンプだと知ったのは、

映画「ヒノマルソウル」を見た時だったそうです。

天候は悪いままだったけど、帰る観客はいなかったそうです。

2本目が行われて、日本は4位から順位を上げることを

信じていたそうです。

  

最後に原田雅彦さんは、「おれじゃないよ・・・みんななんだ」には、

テストジャンパーだけでなく、悪天候の中で応援していたお客さんも

含めてのことだと知りました。

   

映画「ヒノマルソウル」を近いうちに見ると思いますが、

この文章を読むことができたのはタイムリーでした。

2022年6月23日 (木)

天声人語:ペリリューと沖縄の戦いを生き抜いたアメリカ兵の証言

   

今日は令和4年6月23日。

  

今晩、もう一仕事。

  

今日の朝日新聞朝刊の「天声人語」を書き留めます。

  

沖縄戦で命を奪われた人は20万を上回り、一人ひとりの名前が「平

和の礎(いしじ)」に刻み込まれている。糸満市摩文仁の丘に並ぶそ

の石碑には「国籍を問わず」の考え方のもと、1万4千人余りの米軍

兵士たちの名前もある▼志願であれ徴兵であれ、この地に送り込まれ

た若者たちである。歩兵として戦い、生き残った故ユージン・B・ス

レッジさんが『ペリリュー・沖縄戦記」に記録を残している。戦闘の

恐怖に耐えるため、自分にこう言い聞かせていたという▼「これは現

実じゃない。ただの悪い夢だ、もうすぐ目が覚めてどこか別の場所に

いることに気づくはずだ」。しかしすぐに、ごまかしようのない臭い

に襲われる。戦死した敵味方の兵士たちの腐臭である▼放置された死

体は、次の瞬間の自分の姿かもしれない。戦場で迫撃砲を撃ち続けた

が、それは日本軍の標的になることも意味した。前進すれば銃弾が頭

をかすめ、近くにいた仲間が倒れた。殺し殺される記録のなかには、

米兵が銃で民間人の命を奪う場面も出てくる▼戦後のスレッジさんは

戦争体験の重圧から、悪夢にうなされる日が続いた。「戦争は野蛮で、

下劣で、恐るべき無駄である」。そんな言葉は極限状態の記憶から吐

き出されたものだろう。きょうは沖縄慰霊の日▼始めてしまった無謀

な戦争を終わらせることができず、日本は本土決戦の時間稼ぎに沖縄

を使った。失われた命にはそれぞれに名前があり、全うすべき人生が

あった。いかなる戦争でも同じである。

  

ペリリューの戦いについては、ずっと以前に調べたことがあります。

日米の兵士にとって、悲惨な戦いになりました。

ここでも道草 「ペリリュー」その2/瓶の中の2匹のサソリ(2014年8月19日投稿)

☝ この記事で、ペリリュー戦を生き残った土田喜代一さんの言葉は

印象に残ります。

  

激戦だったです。

瓶の中にサソリとサソリを入れて蓋をして

殺し合いをしたような格好じゃなかったですかね。

どちらが死ぬか、逃げ場所がない戦い。

  

そのペリリューと沖縄の戦いを生き残ったスレッジさんの、

「これは現実じゃない」と思いこもうとしたことは、

現実があまりに悲惨だったことなのでしょう。

2つの戦いを生き残ったスレッジさんの証言を読みたくなりました。

「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社)をさっそく図書館に予約しました。

「ももちゃんのピアノ」③ 沖縄戦が終了した日は1945年9月7日でした

     

今日は令和4年6月23日。

   

沖縄慰霊の日です。

   

前記事に引き続き、

「ももちゃんのピアノ 沖縄戦 ひめゆり学徒の物語」

(柴田昌平文/阿部結絵/ポプラ社)より。

   

沖縄慰霊の日は、1945年6月23日に、

日本軍が組織的戦闘を終了した日がもとにできた記念日です。

  

「ももちゃんのピアノ」から引用します。

  

戦争がいつ終わったのか、ももちゃんにはわかりませんでした。もも

ちゃんにとっては、収容所に入った日がこの戦争の終わりといえます。

あとでわかったことですが、ももちゃんが捕虜になった3日後、日本

軍の司令官、つまり沖縄戦の責任者は、ももちゃんがアメリカ兵につ

かまった場所の近くのどうくつの中で、おなかを切って死にました。

これで日本軍の組織的な戦いは終わりました。でも、司令官は死ぬ前

に、「みんな最後まで戦いつづけろ、生きて捕虜になることは最大の

恥だぞ」という命令を残したため、そのあと何か月にもわたって戦い

つづけた人もいました。そうして命が失われつづけたのです。

ももちゃんが捕虜になってからおよそ80日後の1945年9月7日

に、日本軍はようやくアメリカ軍への負けを認め、正式に沖縄の戦争

が終わりました。

(149~150p)

   

ここで注目は、沖縄戦が終了した日です。

日本が降伏した8月14日以降も戦っていたのでしょうか。

Wikipedia 沖縄戦

このサイトで見ると、8月14日の晩のことが書かれています。

  

日本は8月14日にポツダム宣言を受諾して降伏した。その夜には、祝砲

としてアメリカ軍のありとあらゆる火器が夜空へいっせいに撃ちあげら

れ、あたかも数千発の花火がいっせいにさく裂したかのような壮観さで

あったが、日本の降伏の事実を知らない日本兵たちは、アメリカ軍内に

異常事態が発生したものと考えて警戒を厳重にしている

   

潜んでいた日本兵は、日本が降伏したことも知らずに、

9月7日まで、降伏しなかったのです。

このことは今まで知らなかったことでした。

「ももちゃんのピアノ」を読んで知ることができました。

   

今日の朝日新聞朝刊の「天声人語」は印象に残るものでした。

沖縄戦に関する文章でした。

次の記事で引用します。

「ももちゃんのピアノ」② まだ死語ではない「庭球」

     

今日は令和4年6月23日。

   

前記事に引き続き、

「ももちゃんのピアノ 沖縄戦 ひめゆり学徒の物語」

(柴田昌平文/阿部結絵/ポプラ社)より。

  

アメリカと戦った最初の1年、つまりももちゃんが学園の1年生の

ときは「アメリカに勝った、勝った」というニュースばかりでした。

でも、ももちゃんが2年生になるころには、日本軍がアメリカ軍に

各地で負けはじめたのです。そして、日本が負けてくるにつれて、

国民のくらしはきびしく制限されるようになりました。「あれをや

ってはいけない、これをやってはいけない」と、学校生活もだんだ

ん息苦しくなっていったのです。

まず、「アメリカ文化は敵の文化だ」といって、いろいろなことが

禁止されていきました。たとえば、英語はすべて日本語にいいかえ

られました。バレーボールは「排球」に、テニスは「庭球」に、バ

スケットボールは「籠球」に、といったぐあいです。(中略)

さらに、あこがれの曲『銀波』も禁止されました。敵国アメリカの

音楽家がつくった曲だからという理由で、ひくこともきくことも許

されなくなってしまったのです。

ーーーひめゆり学園のグランドピアノで『銀波』をひくことが夢だ

ったのに・・・・。

ももちゃんはがっかりです。

(58~59p)

   

戦争の時の様子がわかる文章です。

私のチェックポイントは「庭球」です。

私は数年前に、中学校で、生徒に「庭球部」と言って

通じなかった体験があります。

「庭球」が死語になりつつあるんだと思いました。

 

その「庭球」という言葉が生まれたのは、戦時中だったのか。

それとも昔からあった言葉なのか。

そこに疑問を持ちました。

  

調べてみました。

このサイトを参考にしました。

早稲田大学庭球部 庭球部の歴史

庭球部という名前のチームが存在します。

まだ死語ではありません。

創部されたのが1902年(明治35年)です。

庭球という言葉は、明治には存在しました。

テニスが敵国の言葉だからと言って、

無理やり生み出された言葉ではなかったのです。

  

そういえば、このサイトにも載っていた次の言葉。

  

この一球は絶対無二の一球なり

されば身心を挙げて一打すべし

この一球一打に技を磨き体力を鍛へ

精神力を養ふべきなり

この一打に今の自己を発揮すべし

これを庭球する心といふ

  

早稲田大学庭球部のOB福田雅之助さんが部に贈ったものだそうです。

この言葉、最近の勤務校の校長先生の便りに引用されていました。

テニスをやる人にとっては、大事な言葉だと聞きます。

ここにもしっかり「庭球」の言葉が記されています。

  

「庭球」は死語ではない。

そう思って、これからも胸をはって「庭球」を使っていこう。

「?」と思われたら、ちゃんと説明しよう。

「テニス」のことを「庭球」とも言うんだよと。

知識として教えてあげちゃおう。

2022年6月22日 (水)

「ももちゃんのピアノ」① ももちゃんを感動させた『銀波』を聴く

         

今日は令和4年6月21日。

    

この本を読みました。

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「ももちゃんのピアノ 沖縄戦 ひめゆり学徒の物語」

(柴田昌平文/阿部結絵/ポプラ社)

     

いきなりですが、「あとがき」から引用します。

  

僕が「ももちゃん」とはじめて出会ったのは2004年ーー与那覇

百子(よなはももこ)さんが76歳になって埼玉県から沖縄にもど

ってすぐのことでした。そのころ、僕はひめゆり学園から戦争に行

き、生きのこった人たちの体験を映像で記録する仕事をしていまし

た。21人の方がたの証言を記録したあと、最後に与那覇百子さん

の戦争体験をインタビュー記録し、2006年に長編ドキュメンタ

リー映画『ひめゆり』として完成させたのです。

この映画『ひめゆり』の完成後も、僕はひめゆりのみなさんの人生

の記録を続けました。とくに、戦争中のことだけでなく、生まれ育

ったときのこと、そして戦争が終わったあとのことを中心に、たく

さんの話をききました。

この本は、その記録をもとに書いたものです。

(185p)

  

この文にある通り、ももちゃんの小学生の時からのお話です。もも

ちゃんはピアノが大好きでした。でも家でピアノを買ってもらえる

余裕はありませんでした。ももちゃんは、紙に鍵盤の絵を描いて、

それを机の上に置いて練習をしました。次の日、小学校に登校して、

オルガンで音を出して楽しんでいました。

12歳になった時に、ひめゆり学園での音楽発表会の客席に座るこ

とができました。男の先生がピアノで弾いた曲に、ももちゃんは感

動します。ももちゃんは、あのピアノで弾いてみたいと思います。

勉強嫌いだったももちゃんですが、ひめゆり学園に入学するために、

猛烈に勉強を始めます。そして難関を突破して合格をするのです。

入学して、すぐにピアノに触れることができませんでしたが、音楽

の東風平(こちんだ)先生の協力もあって、念願のピアノを弾くこ

とができました。

しかし、時は戦争の時代。中国との戦争が終わらぬうちに、アメリ

カやイギリスと戦争を始めた日本。その沖縄。ももちゃんたちは、

戦争の悲惨な体験をしていきます。

  

ももちゃんを感動させたピアノ曲が気になります。

 

さあっと風が流れるような音色。水面(みなも)がきらきらっとか

がやくような装飾音。

なめらかに動く指の間から、しずくがあふれ出てくるように、いく

つもの小さな音がつらなります。

ももちゃんには、音のつぶたちが鍵盤の上でみずみずしくきらめい

ているように感じられました。

ーーーこんな美しい曲、これまできいたことがないわ。何という曲

かしら?

プログラムに目をこらすと、『銀波(ぎんぱ)』とかかれていまし

た。

アメリカの作曲家がつくったピアノ変奏曲で、光が波にはねかえっ

て、きらきらとかがやくようすを表現した曲でした。

(40~41p)

   

ありがたい事です。その曲を聴くことができました。


YouTube: 【高音質】 ワイマン作曲 『銀波』

   

挿絵もとってもいい。

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(40~41p)

  

この曲を聴くと、当時のももちゃんに共感できます。

ももちゃんの胸はドキドキしたんだろうなと想像できます。

この物語にさらに入り込めた体験ができました。

  

  

この本についてはまだ書いていきます。

いい本です。

小学校や中学校の図書館にぜひ入れたい本ですね。

2022年6月20日 (月)

石川清さんが亡くなったという知らせを受ける

       

今日は令和4年6月20日。

       

石川清さんが亡くなったことを、

コメントで私に教えてくれた人がいました。

この記事のコメントです。

ここでも道草 「ひきこもり支援 石川清」⑤ 取材者から支援者になった(2020年3月10日投稿)

ビックリしました。

ひきこもり支援のエキスパート。

まだ若い。自分よりも3歳若いはず。

激務が命を削ったのでしょうか。

  

「プロフェッショナル 仕事の流儀」で石川さんのことを知り、

著書「ドキュメント・長期ひきこもりの現場から」(洋泉社)も

読み、引用もたくさんしました。

ここでも道草 「長期ひきこもりの現場から」⑱ ひきこもりの最後は”餓死”か”自殺”か”事件”(2022年8月14日投稿)

   

昨年度、担任していたひきこもりの不登校の生徒のもとに、

会うことができなくても、毎週金曜日に通い続けたのは、

石川さんの実践が原動力でした。

10年も通っているのに会うことができない状況でも、

諦めない。すごいことです。

  

石川清さんのことを忘れないように、

今晩はもう遅いけど、

石川さんに関して書いた記事を

全部読み直して寝ようと思います。

冥福をお祈りします。

 

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