交差点「五条別れ」の写真から勉強したこと
今日は令和8年3月26日。
前記事に引き続き、昨年9月6日に撮影した写真を使って
記事を書きます。
キミヤーズ塾に向かうために名神高速道路の京都東ICから出て、
一般道を走り出してすぐに撮影したもの。
交差点の名前「五条別れ」が面白いなと思い、
赤信号で止まったので撮影しました。
「別れ」が珍しいと思いました。
この交差点の位置を地図で確認します。
地図のベースはGoogleアースです。
昔は琵琶湖疏水について調査した頃があったので、
縁があります。したがって地図中にもうちこみました。
キミヤーズ塾に来るたびに、少しずつ調べた覚えがあります。
京都に限らず西日本では地名にルールがあって、
分岐のことを「別れ」と言うそうです。
「◯◯別れ」とあった場合は、本道から分岐した道の
行き先の地名が入るそうです。
したがって「五条別れ」は五条に向かうことになります。
上の地図に書き込みましたが、交差点の北に
五条別れ道標があるそうです。
この道標のおかげで、交差点の名前が「五条別れ」になったと
考えます。
Yahoo news. 【京都市】山科区 (旧)東海道にある『五条別れ道標』は大切な道しるべ…
ここから道標の写真を転載します。
この道標に書かれた文字をGeminiに読んでもらいました。
右ハ三条通 (右は三条通り)
※「条」は旧字体(異体字)で彫られています。
左ハ五条橋 (左は五条橋)
また、「左ハ五条橋」の左側には、さらにその先の目的地を示す
文字が少し小さく2行で刻まれています。
1行目:ひがしにし六条 大佛
2行目:今ぐ満きよ水 道 (※「満」は「ま」の変体仮名です)
現代の言葉で表すと、「右へ行けば三条通り、左へ行けば五条橋。
その先は東西の六条(東本願寺・西本願寺)、方広寺の大仏、
今熊野、清水寺へ続く道」という意味になります。
「大佛」は「方広寺大仏」、
「今ぐ満(ま)」が「今熊野」、
「きよ水」は「清水寺」
ということですね。
上の写真では道標の2面しか見えていませんが、
他の面にこの道標を作った人物の名前が書いてあるそうです。
その人物についてGeminiが教えてくれました。
この「五条別れ道標」は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に、
沢村道範という人物によって建立されました。
• 人物像: 山科の四ノ宮(しのみや)周辺の住人であったと伝え
られています。
• 建立の目的: 当時の旅人が道に迷わないよう、自らの私財を投
じて道標を建てた篤志家です。道標の下の方をよく見ると「願主
沢村道範」という名前が刻まれています。
• その他の功績: 五条別れ道標だけでなく、山科六地蔵の近くに
ある「伏見六ぢざう」への案内など、山科周辺の要所にいくつも
の道標を建てたことで知られています。
このような人がいたんですね。
Geminiは道標の下の方に刻まれているとありますが、
見つかりません。
ここに載っていた写真を転載。
下ではなく、他の面でした。Geminiも間違えます。
ここが本当に分岐だったのかが興味ありです。
現在の地図ではよくわかりません。
そこでこのサイトを参考にしました。
現代の地図と昔(1892〜1910年)と
2枚の地図で比較できる便利なサイトです。
関連地図をスクリーンショットで撮影して載せます。
旧東海道を東から来たら、この道標で左に分岐するのですが、
私の予想は赤字で示したルートです。
確かに道標のある部分で分岐すると、京都の南の方に用事の
ある人たちにとっては都合がいいなと思います。
左の地図は明治時代の地図ですが、
江戸時代から大きくは変わっていないと思って参考にしました。
そして明治時代にあった道は、現代も残っていることがわかります。
道標から左に道をとって、清水寺まで歩いたら面白そうです。
ちなみに「今昔マップon the web」を見るといいよと
勧めてくれたのはGeminiです。







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