「長期ひきこもりの現場から」⑱ ひきこもりの最後は”餓死”か”自殺”か”事件”
今日は令和2年8月13日。
前記事に続いて
「ドキュメント・長期ひきこもりの現場から」
(石川清著/洋泉社)より引用します。
大学時代にフィリピンに滞在したことによって、当初の目的でも
あった、グローバル社会の両端の弊害を目の当たりにできたことは、
印象深かった。つまり、アジアのスラムという物質社会の一歩の端
である、貧困のさなかにかつて身を置いて、そこの問題を体感した。
そしてその反対側の、物や人のつながりのたどり着いた豊かさの
先にある、グローバル社会のもう一つの端では”心の貧困”と”孤独と
いう地獄”に生きる人たちに出会えた。”ひきこもり”の人たちとの出
会いである。
(291p)
生きる困難さという意味では、むしろ日本の”ひきこもり”のほうが
ずっと厳しい。アジアの貧しい人たちは、好むと好まざるとにかかわ
らず、お互いに助け合って生きていく術を知っている。しかし、日本
の”ひきこもり”は、社会保障の網の目にもかからずに放置されれば、
孤独地獄のなかで生涯喘ぎ続ける。
「このまま何もしなければ、ひきこもりの最後は”餓死”か”自殺”か
”事件”か。いずれかになります」
これは全国ひきこもり親の会(KHJ)を結成した故・奥山雅久さ
んから僕が聞いた言葉だ。この言葉はいまだに胸の奥にひっかかって
いる。
(292p)
「ひきこもりの最後は”餓死”か”自殺”か”事件”」
厳しい言葉です。
なぜこんなにひきこもりが増えてきたのか。
最近、ドラマ「BG~身辺警護人~」でも
20年ひきこもっている人物が登場しました。
それはひきこもりが普遍的になってきた証拠だと思います。
学校の場合、
「不登校」と「ひきこもり」の区別が難しい。
その生徒が、家庭でどのように家族と接しているかなど、
くわしく知らなければならなくなってきます。
「不登校」なら環境の変化で大きく変わる可能性があります。
短期作戦です。
「ひきこもり」ならば、焦りは禁物です。長期戦です。
見極めなくては。
以上で、「ドキュメント・長期ひきこもりの現場から」
からの引用を終えます。18回!
この本、購入して手元にあったほうがいいかも。
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