「ももちゃんのピアノ」③ 沖縄戦が終了した日は1945年9月7日でした
今日は令和4年6月23日。
沖縄慰霊の日です。
前記事に引き続き、
「ももちゃんのピアノ 沖縄戦 ひめゆり学徒の物語」
(柴田昌平文/阿部結絵/ポプラ社)より。
沖縄慰霊の日は、1945年6月23日に、
日本軍が組織的戦闘を終了した日がもとにできた記念日です。
「ももちゃんのピアノ」から引用します。
戦争がいつ終わったのか、ももちゃんにはわかりませんでした。もも
ちゃんにとっては、収容所に入った日がこの戦争の終わりといえます。
あとでわかったことですが、ももちゃんが捕虜になった3日後、日本
軍の司令官、つまり沖縄戦の責任者は、ももちゃんがアメリカ兵につ
かまった場所の近くのどうくつの中で、おなかを切って死にました。
これで日本軍の組織的な戦いは終わりました。でも、司令官は死ぬ前
に、「みんな最後まで戦いつづけろ、生きて捕虜になることは最大の
恥だぞ」という命令を残したため、そのあと何か月にもわたって戦い
つづけた人もいました。そうして命が失われつづけたのです。
ももちゃんが捕虜になってからおよそ80日後の1945年9月7日
に、日本軍はようやくアメリカ軍への負けを認め、正式に沖縄の戦争
が終わりました。
(149~150p)
ここで注目は、沖縄戦が終了した日です。
日本が降伏した8月14日以降も戦っていたのでしょうか。
このサイトで見ると、8月14日の晩のことが書かれています。
日本は8月14日にポツダム宣言を受諾して降伏した。その夜には、祝砲
としてアメリカ軍のありとあらゆる火器が夜空へいっせいに撃ちあげら
れ、あたかも数千発の花火がいっせいにさく裂したかのような壮観さで
あったが、日本の降伏の事実を知らない日本兵たちは、アメリカ軍内に
異常事態が発生したものと考えて警戒を厳重にしている。
潜んでいた日本兵は、日本が降伏したことも知らずに、
9月7日まで、降伏しなかったのです。
このことは今まで知らなかったことでした。
「ももちゃんのピアノ」を読んで知ることができました。
今日の朝日新聞朝刊の「天声人語」は印象に残るものでした。
沖縄戦に関する文章でした。
次の記事で引用します。
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