« 2023年11月 | メイン | 2024年1月 »

2023年12月

2023年12月27日 (水)

映画会に参加「黒部の太陽」/町内会の人が作った電報

   

今日は令和5年12月27日。

  

先日、話題にしましたが、町内会集会所で行われた映画会に

昨日参加してきました。

映画「黒部の太陽」(1968年)を見てきました。

豊川市に縁がある映画です。

主催者が「始まって1分で、豊川市が出ますよ」と言ったので、

スマホを構えて待っていました。

撮りました。

Img_3513

全国に市町村は数多ありますが、豊川市のみが協力市町村として、

クレジットされていました。素晴らしい。

黒部第4ダムの工事に実際に関わり、映画制作にも協力した熊谷組が、

当時、豊川市にあったのが、豊川市が協力した大きな理由でしょう。

   

この映画会が行われる前日には、電子回覧板で宣伝しました。

豊川市に縁がある映画なので、ぜひ映画界にご参加をと。

その記事に返信がありました。

これが電子回覧板の面白いところ。

その返信を一部修正して引用します。

  

私も携わりました。当時(地元の)電報電話局に勤務していました。

その職場へ撮影スタッフがきて「娘牧子の死を知らせる電報を作って

欲しい」との依頼でした。上司の指示により電報を作成し渡しました。

  

その電報が出るシーンを撮影しようと試みました。

Img_3512

主人公(三船敏郎さん)の娘、牧子の死を知らせる電報が

届いたシーンです。

この直後に、電報の全文がアップで映されましたが、

そのシーンは撮影できませんでした。

でもこうやって町内会の人が作った電報が映画で使われている

シーンを見るのは楽しかったですね。

   

映画「黒部の太陽」は、黒部第4ダム建設の映画でしたが、

その中で、「黒三」が登場しました。

黒部第3ダムです。

黒部第4ダムが目立っていますが、第4があるということは、

第3もあるということ。

この黒三も大変だったようです。

次の記事で書きます。

2023年12月26日 (火)

恐怖のシュトゥーカサイレン

    

今日は令和5年12月26日。

  

今朝書いたこの記事の続き。

ここでも道草 ナチスドイツが行った電撃戦(2023年12月26日投稿)

ナチスドイツが急降下爆撃で使った飛行機は、

上記の記事でも使ったこの写真の飛行機。

Img_3496_2

シュトゥーカと呼ばれます。

このシュトゥーカが、急降下するときに、

風切り音が、サイレンのように聞こえます。

シュトゥーカサイレンと呼ばれて、

攻撃を受ける側は、その音が恐怖だったそうです。

  

その音を聞くことができる動画です。


YouTube: ユンカースJU-87シュトゥーカ サイレン音

  

  

そしてこの音、映画で聞いていました。

映画「ダンケルク」(2017年)です。

ここでも道草 番画:映画「ダンケルク」(2017年)(2021年1月11日投稿)

この映画のシュトゥーカサイレンを集めた動画です。


YouTube: Dunkirk - All Stuka Bombing Scenes

ほぼ3年前に、この映画を見た時には、

この知識がありませんでした。

サイレンの音で、恐怖に陥る人たちの様子が

よくわかります。

戦争はやっぱり恐ろしいことなのです。

スズメとモズに舌はあるか/小さな猛禽類モズ

   

今日は令和5年12月26日。

  

前記事で鳥の舌について書きました。

鳥にも下があるのか?

あるんでしょうね。

「舌切り雀」があるからね。

Img_3507

amazon

「百舌鳥」と書いて、「モズ」と読むしね。

でも本当にスズメとモズに舌があるのか?

  

調べてみました。

  

この動画が、スズメの舌を見られました。


YouTube: 0217C【スズメの口の中がヤバい】電柱に巣作り物件探し。ヒヨドリはニンジン食べられる?まるい鳥ジョウビタキとシジュウカラ鳴き声【野鳥撮影】

7分10秒から注目。

Img_3508

小さな舌が動くのがわかります。

  

でもこの写真を見ると、けっこう長い。

Img_3509

X 鳥と歌う

  

モズはどうか?

  

1つだけ写真がありました。

Img_3510

日本の野鳥識別図鑑 モズ

わかりますか?

ここが舌ですよ。青い矢印。

Img_3511

  

スズメにもモズにも舌はありました。

でもニューホランドハニーイーターみたいに、

ちょろちょろ出てくる舌ではなさそうです。

  

  

モズを調べていて、ビックリしたのは、

モズが小さな猛禽類と呼ばれていること。

トカゲや虫を木の枝に突き刺しておく早贄は知っていましたが、

同じくらいの鳥も餌食にしているのですね。

次の動画を見てください。


YouTube: スズメがモズの早贄にされていた


YouTube: 衝撃映像:モズがウグイスを襲う

最後は、ぐったりしたウグイスを、

モズが持ち去ります。

実は一番上の動画【スズメの口の中がヤバい】でも、

スズメが、モズらしき鳴き声で退散するシーンがあります。

スズメはモズを恐れていることを、

今回、知りました。

オーストラリアの鳥① ニューホランドハニーイーター

    

今日は令和5年12月26日。

   

オーストラリアで2000年にホームステーをしたことがあり、

それ以来、毎年暮れには、ホストさんと、

カードとカレンダーを送り合っている、

と、いう話を以前書きました。

ここでも道草 今年はスズメのカレンダーにしました(2023年12月15日投稿)

その時に、今年は、日本のスズメのカレンダーを送ったと

書きました。

ホストさんから届いたカレンダーを見て、ビックリしました。

Img_3498

ホストさんが送ってくれたカレンダーも、

鳥のカレンダーでした。

  

ちなみに、表紙に載った鳥は、

New Holland honeyeatersです。

ニューホランドハニーイーター。

  

オーストラリアへ行った人が、撮影していました。

北の暮らし 札幌・宮の森から オーストラリアで出会った野鳥 ニューホランドハニーイーター

長い舌で蜜を舐めるらしいです。

その舌が見られるものはないか探したら、

動画がありました。


YouTube: The New Holland Honeyeater

この動画の1分ごろから、見ることができます。

Img_3505

写真で舌が見られるかな?

動画で舌を確かめてみてください。

  

来年は、オーストラリアの鳥の勉強を、

このカレンダーを使ってやってみたいなあ。

本 「現代に生きる二宮翁夜話」② バカなことをすれば馬鹿

   

今日は令和5年12月26日。

  

前記事に引き続き、

「現代に生きる二宮翁夜話」(中桐万里子著/致知出版社)

より引用します。

   

また無智の者はよく心がけて、馬鹿なことをしないようにするがよい。

生まれつき馬鹿でも、馬鹿なことさえしなければ馬鹿ではない。智者

でも馬鹿なことをすれば馬鹿であろう。

(91p)

  

以上の福住正兄さんの文章に、中桐さんは次のように書いています。

  

彼は徹底的に、「ひとがいまここでする行動」に注目をするのです。

生まれつき馬鹿でも・・・・・・なんて言い回しは、完全に金次郎節ですが、

それは彼なりの不器用な愛情表現だと感じます。金次郎は、何を持と

うが持つまいが、誰しもがすぐれた賢者や智者であり得ると考えてい

ます。 そこにおいて最重要なのは、ただ一点。「いま行動することが、

馬鹿なことではないか」。だからこそ、一つひとつの行為に注意を払

い、こころを配り、油断することなく歩むようにと語るわけです。

わたしもまた、あるとき言われました。ひとは生まれながらに「わた

しである」のではなく、日々の経験が、試行錯誤が、味わう感情が・・

・・・・ そうしたものが重なりゆくなかで少しずつ少しずつ 「わたしに

なる」のではないかと。わたしがその行動をしているのではなく、そ

の行動がわたしをカタチづくってゆく….....。

なんだかナゾナゾのような発想の転換ですが、そんな風に捉えてみる

と、これまでとは違った景色がみえてきます。

挨拶をすること、履物をそろえること、約束を守ること、丁寧にお掃

除をすること….….。日々の小さなふるまいが大切だと、さまざまな場

所でよく耳にします。もしかしたらそれもまた、金次郎のお話と通じ

ているのかもしれません。そう、わたしが挨拶をするのではなく、挨

拶という行為がわたしを磨いてゆく・・・・・・という具合に。

(92〜93p)

  

「その行動が私を形作る」

「今やっていることが、馬鹿なことではないかチェックする」

誠実に生きろということですよね。

本 「現代に生きる二宮翁夜話」① 頑張れば報われる、ではなくて恩返しの発想で頑張る

    

今日は令和5年12月26日。

   

この本を読みました。

Img_3497

amazon

「現代に生きる二宮翁夜話」(中桐万里子著/致知出版社)

「二宮翁夜話」について少々調べました。

「翁夜話」は「おうやわ」と読みます。

コトバンクには次のように書いてありました。

  

二宮尊徳の高弟福住正兄(まさえ)が著した尊徳の語録。1845年(弘化2)

22歳で尊徳に入門,以後6年間随身し直接教えをうけた著者が,のちに

それをまとめたもの。50歳頃から起稿し,1884~87年(明治17~20)

に15巻本として出版。斎藤高行著「二宮先生語録」が漢文体であるの

に対し本書は平易な和文体で,尊徳の思想を広めるのに大きな役割をは

たした。

  

「現代に生きる二宮翁夜話」には、原文も載っていて、確かに和文体で、

読みやすそうです。原文をさらに読みやすくしてくれているので、親切です。

中桐さんは、「二宮翁夜話」について、

「はじめに」で次のように書いています。

  

作者である福住は、二十一歳のとき、五十八歳だった金次郎のもとに

弟子入りをします。そして五年間、金次郎が六十三歳のときまで彼と

生活をともにします。祖父と孫とは言いませんが、それでも他のお弟

子さんに比べたら、年齢差もかなりあります。さらに、六十九歳で亡

くなった金次郎にとっても、「次の世代」に目を向けざるを得ない時

期の、若き青年との出会いだったようにも思います。

だからなのか、他の書に比べると、彼が持っていたであろう厳しさや、

リジッドなまっすぐさや、猛烈な激しさよりむしろ、ユーモラスなあ

ったかさや、やわらかなまなざしや、よぉく練られたお茶目なおおら

かさや、たっぷりとした懐の深さが目立つ気がします。 そんな、未来

に向かう若人への希望やエールがあふれているようにも感じるのです。

もうひとつ、わたしがこの『夜話』を好きな理由があります。たとえ

ば金次郎を、宇宙の法則を貫くような深淵なる哲学や、立派で偉大な

る思想にたどりついた人物と捉える方もあるようです。しかし少なく

ともわたしは、金次郎のそうした部分にほとんど興味がありません。

むしろ圧倒的にかっこいいと感じているのは、彼の「現実(現場) 対応

力」です。 暮らしのなかの一つひとつの小さなできごとに、向き合う

やり方や、そこで生み出す工夫のユニークさ。ここに、彼の真骨頂を

感じ、ワクワクした憧れや感動をおぼえるのです。『夜話』には、そ

んな何気ない日常の一コマ一コマが鮮やかに描かれています。

この書のなかの金次郎のやり方も行動も言葉も、決して普遍的(不変的

)なものではありません。ここには、ひととしての真理や、誰にでも通

用する正義は、決して描かれていません。むしろ、あくまでその場面

だからこそ、そのとき、その相手とだからこそ、生まれた「やりとり

(応答)」ばかりです。場面が変わり、ときが変わり、相手が変われば、

彼はケロリと真逆のことさえ言うのです。

だとしたら、「一回きりのやり方なんて、意味ないじゃないか。結局、

金次郎にしかできないことなら、読んでも仕方ないじゃないか」と思

われる方もあるかもしれません。たしかに『夜話』は、正しい答えを

教えてくれるようなハウツー本やマニュアル本とはまったく違います。

そこにあるのは、答えを生み出そうとし続け、日々の営みにひたむき

に対面し続けた金次郎の姿であり、生きざまです。 それらを通して伝

えられているのは、むしろ「答え」は決して本のなかにあるのでも、

すでに誰かがもっているのでもないということ。 「答え」は常に、自

分自身が目の前のものと真摯に向き合い続けることで、その現実のた

だ中でしか生まれないということ。そんなことではないかと思います。

(2〜5p) 

  

この本を全部読み終えると、この「はじめに」の文章が

理解できます。

二宮尊徳さんは、そのように言ったけど、

そのように考えたけど、私はちょっと違うなと思うところも

ありました。

でも二宮尊徳さんが、出来事に真摯に向き合っていることは、

読んでいて伝わってきました。

  

ある人が、「一飯に米一勺(しゃく)ずつを減らせば、一日に三勺、

一月に九合、一年に一斗余(あまり)、百人では十一石、一万人で

は百十石になります。この計算を人民に論して、富国の基を立てる

のはいかがでしょうか」と言った。翁はそれに対してこう言われた。

[中略]富国の道は、農を勧めて米穀を増産することにある。それを

どうして減食のことを言えようか。下等の人民は、平日の食事も十

分ではないから、十分に食いたいというのが平常の願望である。そ

れゆえ、飯の盛り方の少ないことすら快く思わないものだ。それを

一飯に一勺ずつ少し食えなどということは、聞くも忌々(いまいま)

しく思うだろう。[中略] 下等の人民を諭すには、十分に食って十分

に働け、たくさん食って根かぎり働けと諭し、土地を開き米穀を増

産し、物産の繁殖することを勤むべきである。労力を増せば土地が

開け物産が繁殖する。 物産が繁殖すれば、商も工もそれにつれて繁

栄する。 これが国を富ます本当の原理である。

(31〜32p) 

この福住正兄さんの文章に対して、中桐さんは次のように

書いています。

 

金次郎というと、どうも「質素倹約、我慢、忍耐」のイメージを持た

れやすいようです。 しかし、本人はここで主張しています。「そんな

忌々しいことをすべきでない」と。彼はいつだって、それが生産的か

どうかという点にこだわり、より大きくより豊かに······を考えます。

ひとを抑圧し、我慢させる方向ではなく、むしろ一貫して、たっぷり

満たし、大いに押し出す方向をとるのです。

この金次郎のやり方を、彼が敬愛してやまない大久保公は「報徳」と

名づけてくださいました。彼はこれを大いに気に入り、以後、積極的

に自らもそう表現します。

報徳。それは時に「忍耐をし、善きことをしていれば幸せになれる」

といったイメージで捉えられ、「がんばれば報われる」と訳されます。

しかし、これは完全な誤訳です。徳に「報いる」という語は、どう考

えても「報われる」とはならないからです。

がんばれば報われる…...。 一見すれば正論のようですが、 しかしこ

れは「見返り」の発想です。我慢を強いられてがんばるほどに、「報

いて欲しい」と求める力もつよくなってしまいます。 だからこそ、金

次郎はむしろこれを嫌い、否定するのです。

現実をみれば、わたしたちは、すでにたくさんのものを持っています。

使える命が、体力が、時間が、知恵があります。さらには、同時代を

生きる同志たちの懸命な働きに支えられ、先人先輩たちからの恩恵も

あふれるほど受け、日々の生活を営んでいます。そんな風に、すでに

たっぷり「徳を受ける」ことで暮らしが成立していると、彼は捉えま

す。そしてだからこそ、 受けた徳に「報いよう」と考えるのです。そ

れは 「幸せだからがんばろう」という呼びかけであり、「恩返し」の

発想です。

お腹いっぱいにご飯を食べること、日常の幸せを再認識すること・・・

・・・。 質素、倹約、我慢、忍耐といった犠牲の先にではなく、そうし

た幸福感の先にこそ、報いようとする実践が生まれ、世界が豊かにな

ると彼は信じていたわけです。

(33〜34p)

  

なるほど、確かに二宮金次郎というと、質素倹約、我慢、忍耐の

イメージがあります。

働きながら本を読んでいる銅像の姿から、

勝手に思っていることかもしれません。

でも本人はそんな忌々しいことはすべきではないと言っています。

頑張れば報われる、ではなく、もう十分幸せなのだから、

恩返しの発想で頑張る、そんな発想をすべきということです。

これは深い。

ナチスドイツが行った電撃戦/初めてメンバーシップになった

    

今日は令和5年12月26日。

   

冬休みに入って、一段と動画を見る本数が増えています。

そして初めてメンバーシップに参加しました。

毎月料金を払ってでも、見たいチャンネルがあったのです。

「大人の教養TV」です。

毎月290円払います。

  

大人の教養TVで、最近良かったと思うのが、

これです。


YouTube: 【電撃戦】ナチスドイツの最強戦術をわかりやすく解説

  

「電撃戦」という言葉。

今までも何度か聞いていましたが、

とにかく素早く攻撃することだろうなと思っていただけで、

具体的なことがわかっていなかったことが、

この動画でよくわかりました。

   

第一次世界大戦での敗戦国だったドイツは、

新しい戦法を考えました。

それが電撃戦です。

雷のように素早く進軍を行なったことから名付けられたものです。

  

第一次世界大戦までの戦いの中心は歩兵でした。

両軍の歩兵がお互いに前進し、ぶつかったところで戦う。

一進一退の戦いで時間がかかりました。

第一次世界大戦中に、機関銃が生まれ、

機関銃の攻撃を防ぐために戦車が誕生しました。

その戦車は、時速6kmほどであり、

あくまでも歩兵の補助でした。

  

第二次世界大戦でのナチスドイツは、

戦車のスピードを飛躍的に速くしました。

時速40kmほどでした。

その戦車を、戦いの中心にしました。

  

まず航空機を使い相手の防衛戦を偵察。

防衛戦の弱いところを見つけます。

そしてその場所を一点突破で攻めるのです。

戦車のための歩兵がおり、

戦車が走れるように、道作りや橋造りをする歩兵です。

戦車と一緒に、歩兵はトラックで運ばれました。

ドイツ軍は、無線電話を戦場で使いました。

戦車によって、戦いの展開が早くなったに伴って、

刻々と変わる戦場の様子を伝えるには、

無線電話は重要な役割を果たしたのです。

  

ナチスドイツは、航空機の発想も変えました。

それまで、大きな航空機にたくさんの爆弾を積んで、

敵の上空から、その爆弾を落とすことをしていました。

その航空機を、ナチスドイツは戦車の補助と考えました。

戦車の天敵は大型の大砲でした。

その大砲を壊すのが、航空機の役目になりました。

ピンポイントで大砲を壊すために、

急降下爆撃という戦法が生み出されます。

こうして大砲を破壊して、戦車が高速で攻めるのを電撃戦と言います。

  

ナチスドイツは、こうして周囲の国との戦いに勝って、

領土を広げていきました。

  

電撃戦のことがよくわかりました。

  

電撃戦に関連した、メンバーシップの動画の内容は、

有料なので、そのままここには書けません。

1つ書くなら、ナチスドイツの急降下爆撃のエース、

ルーデルを紹介してくれました。

関連動画です。


YouTube: 【世界史】ひとりでソ連軍戦車を500輌以上破壊…人類史上最強の爆撃王・ルーデル/魔王降臨

とんでもない人がいました。

戦車519両。装甲車やトラックなどを800両以上を撃破。

30回も撃墜され、右足を失っても飛び続けた撃墜王。

Img_3496


   

勉強になりました。

2023年12月25日 (月)

レーピン筆「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」

    

今日は令和5年12月25日。

   

他の家を多く知っているわけではないのですが、

我が家は押し入れが多いと思います。

それは、この家を建てた父親、母親の性分によります。

捨てることができない両親なので、

家を建てるときに、押し入れをできるだけ増やしたのだと予想します。

結果、たくさんのものがしまい込まれています。

  

母親が死んで15年、父親が死んでまもなく1年。

少しずつ押し入れの中身を片付けてはきたのですが、

なかなか完遂しません。

先日は、寝室だった部屋の天袋と呼ばれる押入れを片付けました。

5つのゴミ袋が出ましたが、綺麗な品物もあって、

リサイクルショップで売ったらいいなというものもありました。

   

何枚かの絵が出てきました。

雑誌の付録のようです。

ほとんど捨てましたが、気になったものを2枚、残しました。

その1枚。

Img_3480_3

「ざぼろじえの人たち レーピン筆 国際写真情報12月号付録」

と書いてあります。

  

国際写真情報は、Wikipediaによると、大正11年から、

戦中戦後の休刊をはさんで、昭和43年まで発刊された

月刊グラフ誌でした。

グラフ誌というのは、写真が中心の雑誌です。

レーピンは、ロシア帝国時代に活躍した画家・彫刻家。

  

この絵について調べたく、Googleレンズを使いました。

どうやらこの絵には、レーピンによる同じような構図の

絵画があるようです。

この絵です。

Img_3492

そのスピードで イリヤ・レーピンにはロシアのすべてがある

ここから転載しました。

作品名は「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」

この絵の詳細な解説は、このサイトが良さそうです。

日本のルーブル美術館を目指すサイト イリヤ・レーピンの『トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック』解説~ロシア美術館所蔵

  

引用します。

  

時は1667年ロシア。

黒海に近いドニプエル川下流の地ザポロージャに、ウクライナ・コサッ

クが本営を置いていると、トルコが攻めてきました。激戦のさなか、敵

のスルタン、メフメト4世が「降伏して臣民になれ」と勧告してきたの

に対し、誇り高いコサックたちの怒りは爆発。さっそく返事を出すこと

に。

とはいってもコサックのアタマン(頭目)は字が書けません。いつも通り

書記に口述筆記を頼みます。

「おまえらが悪魔の糞を喰らおうと、こっちの知ったこっちゃねえ。

だがな、善きクリスチャンたる俺たちを支配できるなんて考えは、金

輪際持つなよ。このブウタレ音たれる肛門ロバ野郎め。肉屋の野良犬

ふぜいが!」

以下、延々続く下品きわまりない罵詈雑言に周りの仲間が腹を抱えて

いるという図。(中略)

この作品は発表後たちまち人気を呼び、レーピンは本作以外に二点の

ヴァージョンを描くことになりました。コサックらしい自由闊達とユ

ーモア感覚、豪胆さと仲間意識、そうしたものへのレーピンの強い共

感が見るものを魅了してやみません。

  

以上です。

この作品が最初のものであり、押し入れから出てきたのは、

別バージョンだということです。

  

レーピンはウクライナの人でした。

降伏しろと言ってきた王に、降伏してたまるかという

手紙を書くのは、今のウクライナ・ロシアの戦いにも共通します。

こんな写真をネット上で見つけました。

Img_3493

ケネディスタンプクラブ日記 ロシア絵画とウクライナ情勢  

 

明らかに、レーピンの絵の真似をしています。 

引用します。

  

で、これを今ウクライナ兵が写真に撮ってネットに上げる、それだけて

「プーチンのクソッタレ」という意思を表しているわけで、ウクライナ

側の士気の高さと教養を感じさせてくれます。

   

現代と繋がりました。

  

  

レーピンは、この絵で知っていました。

Img_3494

Wikipedia

「ヴォルガの船曳き」(1870-73年)

  

圧倒される画家です。

2023年12月24日 (日)

映画「黒部の太陽」と豊川市

   

今日は令和5年12月25日。

   

火曜日(26日)に、町内会の集会所で映画会があります。

上映されるのは、「黒部の太陽」(1968年公開)です。

町内会の回覧板によると、

映画「黒部の太陽」と豊川市は関連があるそうです。

でも、その回覧板には、どのように関連したのかの答えが

ありませんでした。

こういうのに、私は弱い。

ほっとけない。

豊川市がどう関連したのか、ネットで調べました。

  

ここがとても参考になります。

東三河を歩こう 「黒部の太陽」記念石  豊川市穂ノ原2丁目

ここから引用します。

  

昭和42年(1967年)9月から11月の3ヶ月間、三船敏郎・石原裕次郎

主演で黒部ダム建設の物語を描いた映画「黒部の太陽」のロケが、穂

ノ原にある熊谷組(現在のテクノス株式会社)で行われた。当時、黒

部ダムは大変話題になり、わざわざ見に行った人も多かったはず・・・

黒四ダム建設当時と同じトンネルを造り、その時にセットで使われた

石の一つが、テクノス株式会社の門を入ってすぐ左手に展示されている。 

豊川工場は熊谷組で使用する大型の建設機材や資材が豊富にあっことか

ら、ここで撮影が行われたのではないかという。

  

車で10分ほどで行ける場所です。

明日、行ってこようと思います。

入らしていただけるなら、テクノス株式会社の門を入って

すぐのところにある削岩機で穴があけられた石を見てきたいです。

どんな石なのかは、上記のサイトを見るとわかります。

  

本物と同じトンネルの写真も、熊谷組のサイトに載っています。

熊谷組HP 「黒部の太陽」~黒部川第四発電所・大町トンネル工事

その写真を転載します。

Fd4d2329ccf2979d7c662c781a19db43

この中で、映画は撮影されたのですね。

まだ見たことがない映画なので、見てみたいです。

  

他にも豊川市の関連を教えてくれるサイトがありました。

ませぎ商店 ブラタモリ、黒部ダム編!映画「黒部の太陽」は愛知県豊川市で撮影したんですよ。  

ませぎ商店は、豊川市諏訪(すわ)にあるお米屋さんです。

このサイトに、次のように書いてありました。

  

黒部ダム完成から5年後、1968年、昭和43年に映画「黒部の太陽」

が完成したそうです。石原裕次郎さんと三船敏郎さんが主演した有

名な映画ですよね。

実は、この映画、愛知県豊川市と深いかかわりがあります。黒部の

太陽のトンネル掘削工事のシーンは、豊川市の海軍工廠跡地の旧熊

谷組の敷地で撮影したのです。昭和42年9月から3か月間。

石原裕次郎さんと三船敏郎さんと、豊川市の地元の消防団のエキス

トラの皆さん。私の父も、仕事の合間に撮影現場をなんどかのぞき

に行ったそうです。

豆知識ですが、豊川市の諏訪商店街と黒部の太陽かかわりがあるの

です。それはというと、、、。

撮影現場の「食堂の運営」は、諏訪商店街のメンバーでやっていた

のです。うちの父曰く「諏訪商店街のエライ人が運営していたよ。

俺はまだ若かったから全然関われなかったけど」と聞いています、

笑。

撮影終了後、しばらくすると(昭和44~46年頃)、地元で大人気の

「スーパープラサ」の誕生です。食堂運営のメンバーの多くが、ス

ーパープラサに関わっていました。

  

映画の中に、当時の豊川市民が映っているのです。

本人はわかっているだろうな。

現在、諏訪町には、大きなプリオという商業ビルがあります。

それができたのが1989年(平成元年)。

そしてその場所には、スーパープラサがあったそうです。

う~ん、ネット上では、諏訪にあったスーパープラサの記述を

見つけることはできませんでした。

スーパープラザのことが知りたいです。

  

古い写真を見たら、スーパープラサが写っているものが

あるやもしれまぜん。

現在、豊川市は、市制80周年で盛り上がっています。

昔の豊川市の写真集も発刊されていたと思います。

明日は図書館にも行こう。

ませぎ商店でも話を聞こう。

火曜日は休みなので、集会所にもお邪魔できます。

映画もしっかり見たいです。   

今年亡くなった人 ラクエル・ウェルチさん

    

今日は令和5年12月24日。

  

昨晩の「情報daysニュースキャスター」で、

今年亡くなった人たちを紹介していました。

その時に、三谷幸喜さんが名前をあげた人が、

女優ラクエル・ウェルチさん。


YouTube: 20世紀最高のグラマー ラクエル・ウェルチさんのフォトアルバムです。

映画「恐竜100万年」(1966年)という映画で、

ラクエル・ウェルチさんを見て、

それまで頭で描いていた原始人のイメージが変わったとのこと。

どんなんだろうと思ってネットで調べました。

上記のYouTubeの写真です。

Img_3482

Img_3483

Img_3484

Img_3485

Img_3486

Img_3487

三谷幸喜さんが言ったことがよくわかりました。

こんな美しい人にも、死が来るのですね。

 
同じ年に制作された「ミクロの決死圏」にも出演しています。

こちらの映画は見たことがあります。

出ていたのですね。

この機会に「恐竜100万年」を見たいですね。

人間と恐竜の戦い・・・実際にはありえないことですが、

注目です。  

 

最近の写真

  • Img_5483
  • Img_5482
  • Img_5475
  • Img_5474
  • Img_5481
  • Img_5480
  • Img_5479
  • Img_5472
  • Img_5471
  • Img_5470
  • Img_5469
  • Img_5468

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉