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2012年1月

2012年1月22日 (日)

本の引用「内部被曝の脅威」・・・原爆による内部被曝

   

今日は1月22日。

う~ん、さっきまで時間をかけて作った長めの投稿が、なぜか消えてしまいました。

こういうのがつらい。

もっとこまめに投稿していかないと、ショックが大きい。

でもあらためて文章をうちます。

   

本「内部被曝の脅威」(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著/ちくま新書)より。

鎌仲ひとみさんは、昨年10月に映画を見て、トークを聴いてきた人。

その時のことは次の投稿に。

「脱原発の映画・トーク」0d 

   

肥田舜太郎さんについては知りませんでした。

どんな人だろうと読んでいて、すごい体験をしてきた人だと知りました。

   

1945年に広島で自ら原爆で被爆をしたお医者さん。

多くの被爆者を治療した体験があります。

その治療の体験記と、治療体験から内部被曝に気づいていく過程の話は迫力があります。

その一部を引用します。

   

ピカに遭った者には早い遅いはあっても、発熱から脱毛にいたる急性症状が現れ、

死ぬ者が多いことが経験的に頭に染み付いて、なんとなく馴れてしまった頃のある日、

軽症で治療することもなかった男性が突然、急変して鬼籍に入った症例に出会った。

駆け付けると、げっそり頬の落ちた顔に死相があらわれている。

跪いて(ひざまずいて)脈をとったが力がない。

二の腕に紫斑が目立ち、少し伸びた五分刈りの髪の毛が抜けて薄くなっている。

近くの者に聞くと、昨日から下痢と嘔吐がひっきりなしに続いて急に弱ったという。

前をはだけて腹部を触ろうと手を入れると、それまで瞑目していた男が眼を大きく開け、

私の手を力いっぱい引き寄せながら、意外な大声で、

「わしゃピカには遭う(おう)とらんのじゃ。

あの日の昼から中隊長の命令で広島に入り、怪我人を助けて運んだり、

死骸を運んだりした。

二晩、浅野邸で寝て、三日目に救援作業に出ようと思うたら気分が悪うなり、

ここへ運ばれてきた。

なして、わしの髪の毛は抜けるんじゃ、ピカには遭うとらんのに」

最後の方は息ぎれしてしどろもどろになったが、

ピカには遭っていないと繰り返し訴える通り、からだのどこにも火傷や怪我がなく、

衣服にも破れや焼け焦げはない。

本人の訴える通り、原爆の爆発時に市内にいなかった者に、

どうして死んでゆく被害者と同じ症状が現れるのか。

漠然とした疑問が頭の中に急に大きくふくれ上がってきた。

しかし、事を深く考えるには疲れ過ぎていたし、あまりに患者の数が多すぎた。

死因不明で私の手のなかで死んだこの人の名を私は知らない。

しかし、この人こそ、その後60年、

私が生涯かけて探求することになった原爆の内部被曝の最初の証人だった。(36-37p)

    

福島原発事故以後、「内部被曝」という言葉を聞くようになりました。

そしてこの本を読んで、福島原発と広島の原爆が、「内部被曝」でつながりました。

広島の原爆で、後になって症状が出て苦しんでいた人たちは、

体外被爆の症状が遅めに出たのだと思っていました。

しかし、内部被曝で徐々に蝕まれていった結果だったことがわかりました。

そして福島原発の場合も、拡散した放射性物質が何らかの形で身体のなかに入ったことによる内部被曝が心配されています。

内部被爆でそうなってしまかの症例を、日本は悲しいことに持っているのです。

次のブログでこんな文を見ました。「内部被曝の脅威」を読んだ感想文のなかにあった文です。

「散歩の変人 内部被曝の脅威」/

  

核兵器実験、劣化ウラン弾の使用、核兵器の製造過程、原子力発電所や再処理工場、

原発事故、ウラン鉱山などから大量の放射性物質が排出され続けています。

それが気流や海流に乗って世界中に拡散し、貝や海草やプランクトンに取り込まれ、

食物連鎖のなかで生体濃縮され、食物としてわたしたちの体内に入り組織に沈着する。

わたしたちはみな「ヒバクシャ」であるのかもしれません。

   

そう思います。

もう原子力発電所はいらないです。

   

 

2012年1月21日 (土)

本の引用「気にしない技術」2・・・小さな書店で選んだ本

   

今日は1月21日。

本「気にしない技術」(香山リカ著/PHP新書)より。

   

この文章も印象に残りました。

   

じつは私は、書店、とくに大型の書店に行くのがあまり好きではありません。

なぜかというと、「世の中にはこんなに本があるのか。

ああ、これも知らないことだし、この本もまだ読んでいない・・・」と自分の知識のなさ、

学ぶべきことの多さに、ぐったりと脱力感を覚えるからです。(中略)

でもそんな私にも、好きな”書店”があります。

それは地方の空港や駅の売店の隅などの本コーナーです。

並んでいるのはせいぜい50冊、100冊くらいでしょう。

それくらいの本なら、圧迫を感じずに眺め、気軽に読みたいものをチョイスできます。

そう言うと、「えー、50冊しかなければ、そのなかに読みたい本がないかもしれないじゃない」

との声も聞こえてきそうですが、そんなことはありません。

「どうしてもこのなかから選ばなければならないんだ」と自分に言い聞かせ、

さして興味のない剣豪小説などを求めて飛行機の中で読みだすと、

感涙、爆笑、熟考でたいへんなことに・・・・という経験もよくあるのです。

つまりは、期待せずに手に取った本のなかに名著あり、ということです。(80-81p)

    

この発想に賛成。

全てのことを知ろうとか体験しようというのは無理です。

それを目指すと疲れちゃいます。

大事なのは「縁」です。今はこの考え方。

たくさんのなかから選ぶのではなく、偶然の出会い「縁」を大切したいです。

目に入ってきたことにこだわって深く知ろうとしています。

このやり方、大好きです。このブログがまさにそれです。

 

本の引用「気にしない技術」・・・「失敗した自分」を客観視するクセ

  

今日は1月21日。

本「気にしない技術」(香山リカ著/PHP新書)より。

ISBN978-4-569-79807-3
   

私のこの情けない一例でもわかるように、

「気になってどうしようもない」ケースのほとんどは、

じつのところ「気にする必要がない」か「気にしても意味がない」ことで、

むしろ「気にすることで、さらなる事態の悪化を招く」のです。

そうなると、悩み多き私たちの人生をうまく生き抜くために必要なのは、

「気にする原因がなくなるように、一つひとつ問題を解決していくこと」ではなくて、

「最初から気にしないようにすること」なのではないでしょうか・・・・。(8-9p)

「テレビで話題の〇〇を早く手に入れなければ」とか、

「☐☐をマスターしなければ職場で取り残されるかも」とか、

あるいは「あんなこと言っちゃって、どうしよう」とか、

自分をとりまくさまざまな情報や出来事について、

必要以上にあれこれと気にしすぎて、

心のエネルギーを消耗してしまうのだけは避けなければならないと思うのです。

困難な時代だからこそ、それを乗り切るために、気にしない。気にしすぎない。(10p)

       

この本の内容は、この考えからスタートしています。

そうだそうだと思いたい。

どっぷり気にするタイプなので、この本に期待したいと思って読みました。

   

責任感が強ければいいわけじゃない。

マイナスの感情のループにはまってはいけない。(49p)

※ループ=ここではらせん状の輪のことを言っていると思います。

私の診察室にも、「仕事の失敗がきっかけでうつ病になった」という人がたくさんいらっしゃいますが、

その”失敗”のレベルはほんとうにさまざま。

「コピーがズレて用紙を10枚ムダにちゃって」という人から、

「投資判断を誤って数千万円の損を出した」といった人もいます。

つまり、失敗の大きさと、それが招く個人的なダメージには、

はっきりとした相関関係はないのです。

では、どうしてこの人たちはみな、同じようにうつ病になってしまうのかといえば、

それは、「ああ、しまった、失敗しちゃった。自分ってダメだなあ、ミスばかりだ・・・」と、

どんどんマイナス感情のループにはまってしまうからです。

いったんそうなると、入り口が「コピー10枚の失敗」でも

「損害額5000万円」でも、出口は同じということになってしまう。

だから、まずはマイナス感情のループの入口に近寄らないようにすることが大切なのです。(52-53p)

   

賛成します。私はこのマイナス感情のループにはまりやすかったです。

大きな病気になって、それ以後「さあ、どうやって切り抜けるか」「まあどうにかなるか」と

考えられるようになってきました。

香山リカさんはこう書いています。

    

「失敗した自分」を客観視するクセ(53p)

「結果は結果として事実をクールに受け止め、そこから感情を切り離す」(53p)

失敗がわかった際に、「マズイ」とか「困った」といったマイナスの感情が勝手に動き出さないよう、

脳にストップをかけることが大切なのです。

具体的にどうしたらいいかというと、

「もう一人の自分が、ちょっと高いところから今の自分を見下ろしている」様子をイメージするといいでしょう。

そうして失敗した自分の姿を客観視することで、

一時的に感情をフリーズできます。

そうすれば、おのずとやるべきことも見えてくるはずです。(53-54p)

ここで気をつけなければならないのは、感情を切り離すあまり、

調子に乗って失敗の原因をほかになすりつけてしまうこと。(54p)

    

「さあ、どうやって切り抜けるか」と考えるのは、少しは客観視できた時のセリフだと思います。

「さあ、どうやって切り抜けるか」「きっとどうにかなる」のセットでものごとを考えられる時は、

大丈夫だ。

(つづく)   

     

   

2012年1月19日 (木)

「うた魂♪」のラストシーンの曲「あなたに」

   

今日は1月19日。

映画「うた魂♪」を子どもたちと見ました。

「うた魂♪」は以前2回投稿しました。

待ってました「うた魂♪」html(2008年)

映画「うた魂♪」html(2011年)

いい映画です。

ラストシーンの「あなたに」の大合唱は感動です。

  

何と、そのラストシーンがyoutubeで見られました。

  

卒業式を思い浮かべてしまいました。

卒業式の最後は、この映像のように、式場内のみんなで大合唱してみたいなあ。

「あなたに」がいいけど、卒業式には合わないなあ。

        

この映像を職員室でこっそり聴いていたら、

隣の席の先生が、「あなたに」のもと歌を教えてくれました。

モンゴル800というグループの2001年の曲だそうです。

全く違うイメージの曲なので、合唱になっていてビックリとのこと。

もっとアップテンポのにぎやかな曲だそうです。

こうなるとさっそく聴きたくなります。

   

youtubeで発見!ありがたいねえ。

 

 この曲もいい。

やっぱりさびがいいなあ。

「あなたに 会いたくて~ 会いたくて~」

   

今晩はこの曲とより馴染めました。

2012年1月18日 (水)

西宮研修8・・・西宮神社の福男選びの現場へ

 

今日は1月18日。

15日以来の西宮研修のつづき。

   

西宮神社。十日戎開門神事福男選び

2012年1月10日のニュース番組「朝ズバ!」で、福男選びの様子が実況中継されました。

午前6時に表大門(おもてだいもん)が開かれ、外で待っていた参拝者は、

一番福を目指して230m離れた本殿へ「走り参り」をし、

本殿へ早く到着し­た順に1番から3番までがその年の「福 男」として認定されます。

  

「今度行く西宮市にある神社なんだ」

と思って、この実況中継を録画しました。

そして録画映像を写真に撮ってみました。

RIMG0537西宮神社1

RIMG0538西宮神社2

RIMG0539西宮神社3

RIMG0540西宮神社4

RIMG0541西宮神社5

RIMG0542西宮神社6

RIMG0543西宮神社7

RIMG0546西宮神社8

RIMG0544西宮神社9
 

映像もありました。   

 

 

そして、13日に西宮市に行って、小学校で一日を過ごした後、

キッキョさんに西宮神社に連れていってもらいました。

興味を持った場所、その「現場」に行くというのは、

何回やっても面白い体験です。

その時の写真を載せます。

  

RIMG0523

RIMG0524

RIMG0525

RIMG0529

RIMG0530

本当に同じ場所?

そう思えるほど、普通の場所でした。

   

キッキョさん曰く、「西宮神社は商売上手」

福男選びは、充分、西宮神社の宣伝になっています。

 

 

 

2012年1月17日 (火)

山は雪景色/飛鳥鍋

   

今日は1月17日。

昨晩から今朝まで雨。

朝明るくなるとともに雨も上がりました。

下界は雨でしたが、山には雪が積もっていました。

良かったです。

今からでも登りに行きたいと思いつつ、朝読書の時間でした。

勤務校の3階の廊下からの撮影。

RIMG0554

     

久々日めくりより。

まだ昨年の日めくりのコピーが3枚残っています。 

その1枚。

EPSON049 

「入れる飲み物は何?」と聞かれて、牛乳だとなぜか思いました。

正解。

きっと「醍醐(だいご)」を思い浮かべたのだと思います。

でも乳製品「醍醐」は、平安時代からのものだから、飛鳥時代には関係なし。

偶然の正解でした。

09024_00377
 http://gohannojikan.jp/html_out/09024_00377.php?SSID=17400cd9073d76ab2677f68ad766652d&url_back_to=http%3A%2F%2Fgohannojikan.jp%2Findex.php%2F

   

太いネギは、私の最も苦手なもの。

そのネギさえなかったら、おいしそうな鍋です。 

 

 

2012年1月15日 (日)

久々の「担々」「坦々」調査・・・土偏だとうれしい

   

今日は1月15日。

息子の野球の練習が終わるのを待って、家族でラーメン屋に行ってきました。

豊川市の「らく笑」という店。

メニューを見ていて、「坦々麺」の文字が目に入ってきました。

土偏だとなぜかうれしい。

デジカメを持っていない、携帯も持っていない。

奥さんも携帯を持っていない。

何と息子が携帯を持っていて(おじいさん名義)、写真を撮ってもらう。

その写真がこれ。

TS3Y0006
    

通算結果。

「坦々」5票  「担々」7票  「タンタン」1票

   

ちなみに前回の「担々」「坦々」調査は8月18日でした。間が空きました。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2011/08/%E6%8B%85%E3%80%85%E5%9D%A6%E3%80%85%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%90%8C%E3%81%98%E5%BA%97%E5%86%85%E3%81%AB%E4%B8%A1%E6%96%B9%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F.html

 

西宮研修7・・・いい飲み会でした

   

今日は1月15日。

前投稿のつづき。

   

もし私の学級を1日見させてと言ったら、躊躇してしまうだろうなあ。

でもキッキョさんは見させてくれて、さらにすごいのは、

他の学級も快く見させてくれたことです。

どの先生も、子どもたちも平気な顔でした。

オープンスクールなので、開放感たっぷりです。

校長先生も見て回っていました。   

そんな学校でした。ありがたかったです。

この場をかりて、学校の先生方にお礼を言いたいです。

そうそう守衛の方にも親切に案内してもらいました。

げた箱は「21番ですよ。覚えておいてくださいね」と言われ、

そこに革靴をしまいました。

忘れやすい私ですが、夕方ちゃんと覚えていて、迷いませんでした。

   

私の学級は1日ほぼ自習で、子どもたちには申し訳ないことをしました。

でも、あと45日ほどですが、今回研修してきたことを、少しでも子どもたちに返したいです。

やる気をもらいました。

    

キッキョさんの自動車に乗せてもらって、学校を出ました。

福男で有名な西宮神社にたのんで連れて行ってもらいました。

そこで参拝。また「現場」に来れました。

そしてその後、六甲道駅近くの飲み屋さんで乾杯。

おいしいビールとおいしい料理を食べて、

たくさん教育の話をしました。

34歳のすごい方と話せて、楽しいひと時でした。(年齢、公表しちゃったよ)

今まで講座で何回も会いましたが、ここまで話したのは初めて。

やっぱり人と出会い、話すのは楽しい。酔っ払い万歳。

   

「西宮研修」シリーズは、まだ西宮神社のことを後日書きます。

それまではしばらく中断。    

 

西宮研修6・・・できていない子に今一番アドバイスができるね

  

今日は1月15日。

前投稿のつづき。

    

〇かけ算の筆算。なかなかできなかった子ができた。

 キッキョさんに丸をうってもらっていました。

 その時にキッキョさんがこう言いました。

 「できていない子に今一番アドバイスができるね。

 どうやってやったらできるか言えるね」

 そうだよね。できなかった子ができた時の喜びを最新に味わっているし、

 どうやったらできるか体験したばかり。できない子の気持ちもよくわかる。

 最も優れたアドバイザーです。いいこと言いますね。 

   

〇子どもが荒れるのは、周りの仲間から離れてしまった時。

 存在場所がなくなって自暴自棄になったり、他の校区の同じような子と結びついてしまう。

 教師と子どもの付き合いは。1年か2年。

 でもキッキョさんの勤務校は、中学校もそのまま上がり、他の小学校からは来ない。

 つまり、小中学校の9年間は、同じメンバーということです。

 だから学び合いによる横のつながりが必要になってくるそうです。

 周りのメンバーとつながっていたら、生徒指導上の問題行動も減少する。

 キッキョさんの考えでもあり願いでした。

   

学び合いを知ってから、私も横のつながりを特に意識するようになりました。

 学び合いを意識して始めた昨年度、6年生の担任でした。

 最初は、人を馬鹿にしたりするギスギスした学級でした。

 学び合いの実践は十分できませんでしたが、

 横のつながりは作ろうと自然と言ってたり、指示をしていたのでしょう。

 最後は和やかな学級になったと思います。

 中学校は4つの小学校から子どもたちが集まります。

 「中学に行って、だれか困っていたら、幼馴染のみんなが声をかけてあげりんよ」

 そんなことを言っていました。

   

〇キッキョさんが何度も授業中に「みんなができるように」と言っていました。

 これが基本。

 ずっと言ってきたんだろううな。

   

〇6年生の国語の授業を見せてもらいました。

 一人一人指名されて音読。読み終わった時に、他の子どもたちから自然に拍手。

 決して大きな声ではない音読だけど、周りの子はわかっているのです、進歩を。

 だから自然に拍手が出るのでしょう。

 その後に、担任の先生がいくつかほめ言葉。

 そのほめ言葉が、自然と次に読む人の注意点になっていきます。

 いい感じの音読でした。

 「読みたい人?」と先生が聞いたら、ほとんどの子が挙手。そりゃあそうだ。

 読んだ後、気持ちよくなれるから。

  

〇同じく6年生の国語で思ったこと。

 音読後、課題に向けて子どもたちが動き始めました。学び合いのスタート。

 与えられた時間がけっこう多い。15分とか20分とか。

 これは他学級でも感じました。

 5分とか短い時間でどんどんやっていった方がいいと考えていましたが、

 この学校では違うようです。

 キッキョさんがまた教えてくれました。

 「時間をたくさん与えたほうが、子どもたちの力がより発揮されます」

   

〇6年の課題は、他の子の意見を10人は聞いてくること。

 そしてその後に、心に残った意見をメモして、

 それらの意見をあげながら自分の意見をまとめる。

 「Aさんはこう言っている、Bさんもこう言っている、しかしCさんはこう言っている。

 自分はCさんの意見に近くてこういう意見だ」といった具合に。

 う~ん、こんな感じだと思います。学び合いならではの意見づくりだと思いました。

 こういうことができる発問である必要はあるなと思いました。

  

〇1年生の音読を見ました。

 穏やかに読めていていいなと思いました。

〇2年生の国語で、班学習を見ました。

 いろはうたの中から「あいうえお」をみんなで探していました。夢中でした。

〇4年生の算数を見ました。

 難しい発問に、子どもたちが一生懸命考えていました。

 そんなの無理~とうちの学級なら出そうです。

   

〇掃除も給食も、キッキョさんのクラスで体験。

 いろいろ話ができて 

 すっかり顔なじみになれてよかったです。

 みんなが4年生になったらまた会えるかも・・・・1年後の1月に研究発表があるそうです。

 給食の時間に、各係が、みんなの前でいろいろなことを発表していました。

 ほとんどの子が発表していました。

 授業中だってみんなが交流している学級だから、ある程度平気なんだろうなあ。(つづく)

西宮研修5・・・前より進歩していることを周りがわかっているから

   

今日は1月15日。

前投稿のつづき。

キッキョさんの勤務校体験記のつづきを書いていきます。

   

〇俳句づくりの授業でも、かけ算の筆算の授業でも、

 すでに予習で俳句は作ってあり、筆算も全問解けている子がいました。

 その子たちが教えたりしていました。

 「予習」と聞いて、ムッシュさんのブログを思い出しました。

 ムッシュさんも、キッキョさんのクラスに昨年6月に訪問して参観記を書いています。

 ※「『学び合い』の授業参観記 その1」 16

 ※「『学び合い』の授業参観記 その2」17

 ムッシュさんが

 「課題達成できない子が少なくなった場合、他の子はどうしますか」

  とキッキョさんに聞きました。

  キッキョさんは次のように答えたそうです。

 できない子を誰かが教え、他の子は予習をしている。

   

 うちの学級の場合は読書。

 読書もいいかもしれませんが、次の授業につながることを考えると、

 予習も大事だと思いました。

 どんどん吸収していこうとい受け身ではない子どもが育つし、

 学び合いでは、予習をしてきた子が活躍してくれます。

    

〇学力が心配な〇〇〇〇さん。前日にはキッキョさんとかけ算の筆算の特訓をしたとのこと。

 昼のほうかにも、キッキョ先生は、その子を呼んで、筆算の練習をしていました。

 そして5時間目算数。〇〇〇〇さんは、TTの先生に教えてもらったり、

 進んで男の子に聞いたりして、計算を解いていました。

 途中で、集中力がなくなって、少しぼっとしていて注意もされましたが、

 最後はやりとげました。 

 2年の時や1学期は、わからないと切れてどこかに行ってしまった子だったとのこと。

 落ち着いていました。うんと。

   

〇学級で学び合いを進めていくと、互いによくわかってきます。

 そうなると、学力が低かったり、少々行いが悪くても、

 以前はどうであって、それよりは進歩していることが、

 周りの子どもたちにはわかっているのです。 

 だから離れていかない、馬鹿にしない、可能性を感じて声をかけることができる。

 そんな話をキッキョ先生から聞いた・・・と思ったけどな。

 学級の雰囲気から感じ取ったのか?

    

〇杉渕先生の授業はすごく濃度が濃い授業。

 それに比べたら密度が薄い授業だとキッキョ先生。

 確かにそう思います。しかし、ゆったりした時間の中で、

 子どもたちはよく声をかけあい、話をしていました。

 キッキョ先生も子どもと話していました。

 1日学校にいても、同じ学級の子と話さないですんでしまうことは、

 キッキョ先生の学級ではあまりないだろうなあと思いました。

 子ども同士の横のつながりが、授業で作られていることを感じました。(つづく)

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