アクセスランキング

Powered by Six Apart

« 2014年7月 | メイン | 2014年9月 »

2014年8月

2014年8月28日 (木)

寝袋を買っちゃいました

 

今日は8月28日。

  

Rimg4421  

これは寝袋です。

左側が、今まで使ってきた寝袋です。

暖かくていいのですが、大きいです。

ザックに入れると、すごく場所をとってしまいました。

そこで・・・・奮発して買ってしまいました。

それが右の寝袋です。

体積で3分の1になったと思います。

空いた分、山で飲むビールが入るんじゃないかと思いきや、

なぜか入らない。なんで?

  

  

明日は早起きして山に行きます。

2泊3日です。

少しブログはお休みです。

2014年8月27日 (水)

毎日タブレットいろいろ10/ラジオとタイマーのアプリ

  

今日は8月27日。

  

またタブレットの情報が届いたので、ここに転載します。

  

スマホやタブレットでラジオを聴くなら、 いろいろありますが、私はこれをオススメします。

  

ワールドカップを学校で観戦しようと思ったら、テレビが映らず、 ラジオに変更。

子どもたちも静かに聴いてくれました。         

  

  

また新しいタイマーを見つけました。

今回の特徴は、10秒刻みで時間を教えてくれます。

  

子どもを焦らせること間違いなし!       

  

情報提供者はSHOさんです。

  

  

タイマーのアプリはいろいろあるようです。

先日は、同僚の先生が「こんなのがあったよ」と教えてくれました。

  

タブレットを買ってもらっ学校があるとのこと。

もうそういう時代ですよね。

買ってもらいたいなあ。

ポケットWi-Fiって、今はすごいのが出ていますね。

私が買った1年半前から進歩していました。

タブレットでテレビ番組が見れるようです。

それを「堺スタイル」と言っちゃうの?

 

今日は8月27日。

  

同業者の方々、こんな冊子が届いていませんか?

Jjjjjjj   

「学校とICT 8月号」(sky株式会社)です。

  

来るのが楽しみでした。

タブレットを使った教育の情報が得られます。

8月下旬に届きました。

  

  

大阪府の堺市の実践が載っています。

堺市では、教員が活用するタブレット端末を、

平成25年度に全小学校の全普通教室に1台ずつ、

計1500台整備したそうです。

教員がタブレット端末を指導用に活用し授業改善に取り組むスタイルを

「堺スタイル」と呼んでいるそうです。(自称かな?)
  

以前はノートパソコンと大型テレビをつないでの実践でしたが、

今はタブレットと大型テレビを無線でつないで行うそうです。
  

本年度、支援学級に500台配備するそうです。

特別支援学級担任としては、支援学級が後回しになっていることが気に入りませんが、

市を挙げての実践研究がうらやましいです。
   

教師がタブレットを持って、大型テレビと接続しての実践は、今、自分たちがやっていること。

それを「堺スタイル」と呼ばれ、それが全国に浸透したら、少々つまらないなあ。

  

いいアイデアを考えよう。堺市に負けたくない。

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用5/疎開先が上山田村に決まる

  

今日は8月27日。

 

前投稿のつづき。

  

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

  

戦争になり、「現地疎開」をしていた光明学校。

 

1945年3月10日の東京大空襲を、世田谷の学校から見ていた松本保平校長は、

危険を感じて決意します。

  

「遺稿集」より:

 

ここも安全な地ではない。これ以上とどまるのは危険である。

「太古では、生存のための闘争が激しかったので

足手まといの肢体不自由児や老人は常に取り残されて、

死ぬがままに任された」と記録にあるが、

いまは太古ではないはずだ。

疎開先は自分で見つけるしかないだろう。

しかし、光明の児童を引き受けてくれる県があるだろうか。

  

松本校長は疎開先を探しに出かけます。

向かった先は長野県。

紹介されて上山田村に行き、村長に会おうとしますが、

会うことすらできませんでした。

Rimg4400  

しかし、あきらめては子どもたちはもう生きていられないと思い、

さらに会うことをお願いしました。

さらに、上山田村の旅館・ホテルに直接交渉もしました。

松本校長の熱意に、温泉旅館の人たちが村長を説得。

村長と会うことになりました。

Rimg4401

松本校長と話した村長は、松本校長の一途さにほだされて、

疎開を受け入れることを了承しました。

何と、村長が経営する宿がその場所になりました。

いいぞ、村長!

Rimg4402

Rimg4403   

  

疎開先は決まりました。

上山田村はどこにあるのでしょう。

調べてみました。

  

う~ん、もう昼です。 午後からは出張で飲み会。

今日はここまでかな。最後までまとめたかったけど、中断します。

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用4/就学免除申請→認可の形

  

今日は8月27日。

  

前投稿のつづき。

  

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

番組はここで光明学校の歴史、というか肢体不自由児の教育の歴史に触れています。

これがまた驚きの内容でした。

  

昭和の初め、まだ肢体不自由児の学校はありませんでした。

ではでは、普通の学校に行っていたかというと、

そうではありませんでした。

明治19年の小学校令で、政府は初等教育を義務化しましたが、

障害のある子どもたちを受け入れる環境が十分の整っていませんでした。

なので・・・・ここが驚きです。

  

ナレーターの話:

 

ほとんどの場合、親は就学免除を申請して、

それを行政側は認可するという形がとられました。 

肢体不自由児など障害のある子供が教育を受ける権利は

保障されていなかったのです。

Rimg4388

Rimg4390

  

繰り返します。

親が就学免除を申請して、それを認可してもらう形!

こんなことが行われていたのですね。

  

そしてつらい思いをした人の声が出てきます。

花田春兆さんです。

Rimg4391  

花田さんが6歳の時、両親は就学免除を役所に申請しました。

その時の悔しさを著書「折れたクレヨン」に記しています。

  

親としても子どもとしても、入学を望んでいないわけではないのに、

そんなものを書かなければならない。

その時私はクレヨンで絵を描いていた。

学校へ行きたいという思いは、激しく募っていた。

描いているはずの絵が涙でぼーっと霞んでくる。

握りしめた手に余計な力が入ってくる。

ポキッと音を立てて手の中のクレヨンが折れた。私は、泣いた。

Rimg4392

Rimg4393   

中村尚子さん(立正大学准教授・肢体不自由児教育)の話:

 

知的障害に伴うような重度の(肢体不自由の)子どもたちの過ごしていた生活というのは、

外に出してもらえないということですね。

家で閉じ込められている中で、

短命に終わった子供たちというのもたくさんいるんじゃないかなと思います。

Rimg4394

  

これは、実は目の当たりにしています。

今から30年ほど前、勤務の関係で通るようになったある交差点で、

赤信号で止まると、すぐ横の家の格子がはめられた部屋に、

障害を持つ男の人がいてよくわからない声を発しながら、手を出していました。

その手が自動車に触れそうで、少々怖かったです。

何歳くらいの人だったのか?

30とか40くらいでしょうか?大人でした。

年齢不詳です。

でもその交差点に止まるのはとても辛かったです。

部屋に閉じ込められていた障害者なのだと思います。

5年ほどその状態でしたが、いつからか姿を見なくなりました。

どこかに引っ越したか、亡くなったか。

あの状態は、家族にとっても大変なご苦労だったと推察します。

そんなに過去のことではないのです。

  

  

そしていよいよ光明学校ができます。

 

ナレーターの話:

 

大正時代になると自由主義的な風潮が広がり、

それまで教育を受けられなかった子どもたちへの関心が高まります。

昭和7年、日本初の肢体不自由児のための学校、東京私立光明学校が開校しました。

入学者数34人からの出発でした。

Rimg4395   

先ほどの花田さんにとっても、待ちに待った開校でした。

昭和9年、花田さんは9歳で入学します。

花田さんの話:

 

ひとりぼっちでいたから、(光明学校が)できて、助かったと思った。

うれしかったよ。まさに光明だった。ひとりぼっちの世界から、抜け出せる喜び。

Rimg4396

Rimg4397   

光明学校では、手に職をつけるための授業も行われ、

男子も裁縫の授業に参加しました。

当時としては、とても珍しいことだったそうです。

Rimg4398

学校には看護師が配置され、治療も行われました。

教育と治療という2本柱を備えた画期的な施設でした。

Rimg4399

  

しかし、時代は戦争の時代に突入していきます。(つづく)

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用3/「良心に対して恥かしくありませんか」

  

今日は8月27日。

 

前投稿のつづき。

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

松本保平校長は、行動します。

 

ナレーターの話:

 

光明学校が集団疎開から取り残される中、

松本校長は思いもよらない代替策に踏み切ります。

  

昭和19年7月のことでした。

当時はまだ、農地が広がっていた世田谷の校舎で

子どもたちと合宿生活をすることにしたのです。

都心から通う子供たちが多かったため、

ここに避難させる方が安全だと考えてのことでした。

当時、光明学校に通っていた子どもたち111人のうち、

半数を超える59人が親元を離れて学校に寝泊まりすることになりました。

校庭にはこうした防空壕を4つ作り、

子どもたちと教職員およそ150人が避難できるようにしました。

Rimg4385  

これが番組冒頭で言っていた「現地疎開」だと思います。

集団疎開ができないから、実行した「現地疎開」でした。  

  

しかし!ここで松本校長は非常に厳しいことを言われます。

合宿生活を見に来た隣の区の国民学校の先生たちが、

帰り際に言った言葉は、耳を疑う言葉でした。

※絵は、森田拳次さんの描いたものです。

 

Rimg4386  

見学者:

 

お見かけしたところ、先生は五体満足にそろって、立派な体をしておられる。

それなのに先生は、この子どもらの相手をして、

毎日腹いっぱい食べて日光浴を楽しんでいる。

いま、日本は非常時です。

われわれの同朋は極寒の満州で寒さをこらえ、

飢えに耐えて戦っているのです。

先生はこの勇士に対して申し訳ないと思いませんか。

良心に対して恥ずかしくありませんか。

  

そのとおり。そうだ、そうだ。

  

すぐにこの子供らを親元へ返し、この立派な施設をお国の役に立てたらどうです。

Rimg4387   

最初の一人が言った後に、誰か制する人がいるかと思いきや、

「そうだ、そうだ」の声。ドキリとしました。

このような雰囲気だったのです、戦時下の日本は。

「良心に対して恥かしくありませんか」まで言うのか。

戦争は、弱者への考え方をこうも変えてしまうのかと驚きました。

こんなに変えてしまうんだと言うことを、

ここにも書きとめておくのは意義あることだと思いました。

人間の予想以上に人間を変えますよ。

  

  

後に、松本校長はこの時の気持ちを子どもに語っていました。

子どもの一人、秋山孝さんの証言:

  

教育関係者が見学に来て、こんな子どもたちを教育するのは無駄だって。

非国民っていわれたらしいですね、その時に。

それがすごく悔しかったって言ってましたね。

校長先生にしてみれば、その非国民という言葉にすごく傷ついたんですね。

情けなくて涙がこぼれるって言ってました。

  

ぐっと噛みしめていたのでしょうね。

そういう時代だと理解していたのでしょう。

(つづく)

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用2/疎開は戦闘配置・松本校長の信念

  

今日は8月27日。

  

前投稿のつづき。

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

空襲が行われるであろうという予想から、

東京都は昭和19年1月に、大都市の工場や家屋の疎開を決定します。

空襲に備えて、一部の木造住宅密集地の建物を壊したり、

工場の移転を行ったそうです。

建物を壊す映像もありました。

この辺りは、関東大震災を体験した地域ならではの発想なのでしょうか。

あらかじめ建物を壊していたというのは、初めて知りました。

  

ナレーターの話:

 

さらに(昭和19年)6月、閣議決定で大都市の児童たちを

学校ごとに地方に集団疎開することを決めます。

その実施要領により、東京都など対象の都府県が疎開の手はずを整えることになりました。

宿泊施設、移動手段、引率教職員の体制、疎開先での教育内容を整え、

そして経費の一部も国が工面したのです。

ところが、国が推し進めるこの学童疎開の対象から外される子どもたちがいました。

  

「集団疎開参加不適当疾病異常標準」なる文書です。

とんでもない文書です。

1.伝染力濃厚なる疾患

2.喘息

3.癲癇

4.夜尿症

そして5番目に書かれているのが「肢体不自由」です。

Rimg4377_2   

光明学校の子どもたちは、肢体不自由児。

したがって集団疎開に不適当とされたのです。

  

  

なぜこんな文書ができたかというと、当時の国の疎開に対する考え方が反映されています。

Rimg4378

上田誠一:

疎開によって人的にも物的にも、いわゆる戦闘配置を整えて、

国家戦略の増強に寄与せしめることを狙っておるのであります。

  

疎開は人的な戦闘配置なのです。

いずれ戦争参加させるための子どもたちを育てる目的だったのです。

なので、戦争に参加できないできないであろう肢体不自由児は

不適当とされたのです。

ある意味、分かりやすい理由です。そして残酷です。

  

  

ナレーターの話:

 

光明学校のあった世田谷区では、

国民学校33校のすべてが長野県や新潟県に疎開が決まりました。

唯一光明学校だけが取り残されていました。

  

当時の光明学校校長、松本保平(やすひら)さんは、強い危機感を抱きました。

何とか光明学校も集団疎開に入れてもらおうと、東京都に直接掛け合います。

Rimg4379  

  

その時の様子を、松本校長は手記に書いています。

「肢体不自由児とともに~松本保平遺稿集~」

  

都の学務課に相談しても全くのお手上げ。

一般学校の疎開事務に忙殺されて、光明までは手が回りかねるという。

同じ学校でありながら、肢体不自由児学校は都の厄介者か。お荷物か。

Rimg4380

Rimg4381

Rimg4382

Rimg4383  

カメラは、「遺稿集」の文字「厄介者か」「お荷物か」までアップに映していて、

インパクトがありました。

松本校長の憤りがにじみ出ています。

私は思わずこまめに撮影しました。

   

熱血漢の松本校長は動きます。

この松本校長の信念が語られています。

 

ナレーションの話:

松本校長には肢体不自由児の教育について、ある信念がありました。

1個の生命が顧みられないところに、すべての個性は軽んじられる。

教育は、すべての者の教育である。

肢体不自由児も教育を受けることによって有能な社会人となる。

Rimg4384

今は当たり前のことだと思います。

時代が進歩したのでしょう。

しかし、肢体不自由児が集団疎開不適当される時代に、

この信念は孤高だったと思います。

今の時代、この信念が当たり前になったのは、

松本校長のように考えて行動した人がいたからでしょう。

特別支援教育に携わる者は、知っていないといけない歴史だと思いました。

(つづく)  

 

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用/職員室の片隅での発見

 

今日は8月27日。

   

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から

引用していきます。

  

Rimg4370  

川は長野県の千曲川。

ここに学童疎開した子どもたちの話でした。

  

Rimg4371  

ナレーターの発言:

京世田谷にある都立光明(こうめい)特別支援学校。

日本で初めての肢体不自由児の学校として昭和7年に開校しました。

肢体不自由児とは、主に脳性麻痺や筋ジストロフィーなどによって

手や足などに障害がある子供です。

現在、光明学校では小学生から高校生まで、およそ150人が学んでいます。

  

光明支援学校の設立については、番組後半でくわしく出てきます。

ある教師が資料を発見したことがきっかけで、

光明支援学校の疎開のことが解き明かされていきます。

発見者はこの方。

Rimg4372  

松本さんの現職当時の写真です↓

Rimg4373  

若いです。

現職時に資料を発見したそうです。

その時の様子を松本さんが語っています。

  

職員室の戸棚の片隅に、薄汚れた封筒があったんですね。

それをちょっと開けてみたら、光明学校の疎開の様子が書いてあって、

これは大変なものを見つけたなと…。

Rimg4374

  

 

ナレーターの話:

 

松本さんが見つけたのは、いまから70年近く前の

光明学校の疎開生活を記録した資料でした。

さらに学校の倉庫からは、2巻の16ミリフィルムも出てきました。

Rimg4375  

昭和の初期から昭和30年代までの学校生活の様子を収めたものです。

そこには太平洋戦争末期に、東京・世田谷の校舎で子供たちが

集団生活した様子も写されていました。

  

この集団生活のことを、校舎で避難生活をしていたため、

「現地疎開」と教員たちは呼んでいたそうです。

Rimg4376

田舎に疎開したくてもできなかった教員たちの、

皮肉を込めた言い方だったのでしょうか。

なぜ疎開できなかったかは、後の投稿で書きます。

   

光明学校の疎開については、松本さんの発見によって、

解明されるきっかけになりました。

職員室の戸棚の片隅で・・・とありましたが、

じつは先日、似た体験をしました。

勤務校の職員室。

しばらく片づけをしていなかった棚を整理処分していたら、

古いカメラが発見されました。

デジカメとは違って、35ミリフィルムを使ったカメラでした。

中にフィルムがありましたが、カメラのスイッチを押しても、

フィルムは巻き取れませんでした。

いったい何が写っているのか、とても興味を持ちました。

  

カメラを写真屋に持ち込み、暗室でフィルムを出してもらいました。

そしたら・・・全く使われていないフィルムでした。

残念。

すみません、番組から離れてしまいました。

  

松本さんの発見はとても良かった。

資料を作った人、映像を撮った人の気持ちが浮かばれます。

(つづく)

庭で見かけたチョウとガ

 

今日は8月27日。

  

午前中、予定の変更で少し余裕ができたので、道草します。

  

2日前に、自宅の庭で大きなものが飛んでいるのを見かけました。

よく見たら、ナミアゲハが交尾していました。

これは珍しいと写真撮影をしました。

カメラはいつも手元にあるので、すぐに撮れました。

 

Rimg4364

Rimg4365

Rimg4366  

おそらく上がメス、下がオスです。下のサイトを参考にしました。

あおむしくん日誌 アゲハのオスとメスの見分け方

  

5・6月にナミアゲハの幼虫を飼育して、成虫になるまで観察をしました。

交尾まで見ることができた今年は、ナミアゲハを勉強しなさいという年なのでしょう。

交尾後メスは、約200個の卵を産みつけるそうです。

  

  

  

自宅の庭で、初めて見た蛾の撮影に成功していました。

8月4日のことでした。

壁に何か付いているぞと思って、よく見たら蛾でした。

小さい!でも堂々としていて動じません。

お尻を上げた姿が凛々しかったです。

Rimg4135

Rimg4134

Rimg4132a

Rimg4130   

名前を知りたい。

そういう時には、ここです↓

新・蛾像掲示板

ここに写真を送ると教えてくれます。

先ほど送ってみました。名前を教えてもらったら、この下に書いておこうと思います。

2014年8月26日 (火)

「全編文字起し」「写真237枚」に驚きました

  

今日は8月26日。

   

驚きました。

このブログには驚きました。

みなと横浜みなみ区3丁目 「”戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」【NHK ETV特集】全編文字起し

  

昨晩、録画してあった「ETV特集 ”戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」を

見ました。

これはいい番組だと思い、映像の写真を撮りました。

そして聞き書きをしながら、ブログに番組のことを書いていこうと思いました。

その前に少し調べていたら、このブログに出会いました。

全編文字起し!そして237枚の写真!(私は51枚でした)

  

でもいい番組を見た時にこういうことをやりたくなる気持ちはすごくわかります。

見ただけでなく、きちんと書きとめておきたいという気持ちになります。

それをここまで実行される方に驚き、尊敬しちゃいます。

  

私もちょくちょく番組の聞き書きをしてきました。

でもなかなか番組全部を聞き書きすることはありませんでした。

なかなか時間が取れません。全部聞き書きするのはけっこう時間がかかります。

  

でも、この番組は全部聞き書きしてもいいなと思っていました。

特別支援教育に携わっている人間としては、

見ただけでは終えたくない内容でした。

  

ブログ「みなと横浜みなみ区3丁目」の管理者オジロワシさんの文字起しを

参考にさせていただき、写真を使って自分なりにまとめていきたいと思います。

(明日の朝、実行します)

ちなみに次のサイトで番組が見られます。

いつまで見られるかわかりませんが・・・・・

とらちゃんの動画大集合!ETV特集「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」 2014年8月9日

そのサイトには、こんな一言も書いてありました。

  

皆さんにごらんいただきたい良質な番組ほど

分けワカラン時間に放映されてしまう、。。。。。

   

8月9日の晩11時からの放送でした。

先日聞き書きした「君が僕の息子について教えてくれたこと」も同じ時間でした。

気がついて録画できたことがラッキーでした。

最近の写真

  • Photo_14
  • Photo_13
  • Photo_12
  • Photo_11
  • Photo_10
  • Photo_9
  • Photo_8
  • Photo_7
  • Photo_6
  • Tokaido34_yoshida
  • Rimg1253
  • Rimg1251

教材・教具のネタ帳 (特別支援の教材倉庫)

朝の豊邦420

taronokoのブログ

iPadとiPhoneで教師の仕事をつくる

いま ここ 浜松

凛々しく前へ

目指せ幸せな生き方

楽餓鬼