「肢体不自由児たちの学童疎開」引用/職員室の片隅での発見
今日は8月27日。
8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から
引用していきます。
川は長野県の千曲川。
ここに学童疎開した子どもたちの話でした。
ナレーターの発言:
京世田谷にある都立光明(こうめい)特別支援学校。
日本で初めての肢体不自由児の学校として昭和7年に開校しました。
肢体不自由児とは、主に脳性麻痺や筋ジストロフィーなどによって
手や足などに障害がある子供です。
現在、光明学校では小学生から高校生まで、およそ150人が学んでいます。
光明支援学校の設立については、番組後半でくわしく出てきます。
ある教師が資料を発見したことがきっかけで、
光明支援学校の疎開のことが解き明かされていきます。
発見者はこの方。
松本さんの現職当時の写真です↓
若いです。
現職時に資料を発見したそうです。
その時の様子を松本さんが語っています。
職員室の戸棚の片隅に、薄汚れた封筒があったんですね。
それをちょっと開けてみたら、光明学校の疎開の様子が書いてあって、
これは大変なものを見つけたなと…。
ナレーターの話:
松本さんが見つけたのは、いまから70年近く前の
光明学校の疎開生活を記録した資料でした。
さらに学校の倉庫からは、2巻の16ミリフィルムも出てきました。
昭和の初期から昭和30年代までの学校生活の様子を収めたものです。
そこには太平洋戦争末期に、東京・世田谷の校舎で子供たちが
集団生活した様子も写されていました。
この集団生活のことを、校舎で避難生活をしていたため、
「現地疎開」と教員たちは呼んでいたそうです。
田舎に疎開したくてもできなかった教員たちの、
皮肉を込めた言い方だったのでしょうか。
なぜ疎開できなかったかは、後の投稿で書きます。
光明学校の疎開については、松本さんの発見によって、
解明されるきっかけになりました。
職員室の戸棚の片隅で・・・とありましたが、
じつは先日、似た体験をしました。
勤務校の職員室。
しばらく片づけをしていなかった棚を整理処分していたら、
古いカメラが発見されました。
デジカメとは違って、35ミリフィルムを使ったカメラでした。
中にフィルムがありましたが、カメラのスイッチを押しても、
フィルムは巻き取れませんでした。
いったい何が写っているのか、とても興味を持ちました。
カメラを写真屋に持ち込み、暗室でフィルムを出してもらいました。
そしたら・・・全く使われていないフィルムでした。
残念。
すみません、番組から離れてしまいました。
松本さんの発見はとても良かった。
資料を作った人、映像を撮った人の気持ちが浮かばれます。
(つづく)
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