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2014年8月27日 (水)

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用/職員室の片隅での発見

 

今日は8月27日。

   

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から

引用していきます。

  

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川は長野県の千曲川。

ここに学童疎開した子どもたちの話でした。

  

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ナレーターの発言:

京世田谷にある都立光明(こうめい)特別支援学校。

日本で初めての肢体不自由児の学校として昭和7年に開校しました。

肢体不自由児とは、主に脳性麻痺や筋ジストロフィーなどによって

手や足などに障害がある子供です。

現在、光明学校では小学生から高校生まで、およそ150人が学んでいます。

  

光明支援学校の設立については、番組後半でくわしく出てきます。

ある教師が資料を発見したことがきっかけで、

光明支援学校の疎開のことが解き明かされていきます。

発見者はこの方。

Rimg4372  

松本さんの現職当時の写真です↓

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若いです。

現職時に資料を発見したそうです。

その時の様子を松本さんが語っています。

  

職員室の戸棚の片隅に、薄汚れた封筒があったんですね。

それをちょっと開けてみたら、光明学校の疎開の様子が書いてあって、

これは大変なものを見つけたなと…。

Rimg4374

  

 

ナレーターの話:

 

松本さんが見つけたのは、いまから70年近く前の

光明学校の疎開生活を記録した資料でした。

さらに学校の倉庫からは、2巻の16ミリフィルムも出てきました。

Rimg4375  

昭和の初期から昭和30年代までの学校生活の様子を収めたものです。

そこには太平洋戦争末期に、東京・世田谷の校舎で子供たちが

集団生活した様子も写されていました。

  

この集団生活のことを、校舎で避難生活をしていたため、

「現地疎開」と教員たちは呼んでいたそうです。

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田舎に疎開したくてもできなかった教員たちの、

皮肉を込めた言い方だったのでしょうか。

なぜ疎開できなかったかは、後の投稿で書きます。

   

光明学校の疎開については、松本さんの発見によって、

解明されるきっかけになりました。

職員室の戸棚の片隅で・・・とありましたが、

じつは先日、似た体験をしました。

勤務校の職員室。

しばらく片づけをしていなかった棚を整理処分していたら、

古いカメラが発見されました。

デジカメとは違って、35ミリフィルムを使ったカメラでした。

中にフィルムがありましたが、カメラのスイッチを押しても、

フィルムは巻き取れませんでした。

いったい何が写っているのか、とても興味を持ちました。

  

カメラを写真屋に持ち込み、暗室でフィルムを出してもらいました。

そしたら・・・全く使われていないフィルムでした。

残念。

すみません、番組から離れてしまいました。

  

松本さんの発見はとても良かった。

資料を作った人、映像を撮った人の気持ちが浮かばれます。

(つづく)

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