「肢体不自由児たちの学童疎開」引用3/「良心に対して恥かしくありませんか」
今日は8月27日。
前投稿のつづき。
8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。
松本保平校長は、行動します。
ナレーターの話:
光明学校が集団疎開から取り残される中、
松本校長は思いもよらない代替策に踏み切ります。
昭和19年7月のことでした。
当時はまだ、農地が広がっていた世田谷の校舎で
子どもたちと合宿生活をすることにしたのです。
都心から通う子供たちが多かったため、
ここに避難させる方が安全だと考えてのことでした。
当時、光明学校に通っていた子どもたち111人のうち、
半数を超える59人が親元を離れて学校に寝泊まりすることになりました。
校庭にはこうした防空壕を4つ作り、
子どもたちと教職員およそ150人が避難できるようにしました。
これが番組冒頭で言っていた「現地疎開」だと思います。
集団疎開ができないから、実行した「現地疎開」でした。
しかし!ここで松本校長は非常に厳しいことを言われます。
合宿生活を見に来た隣の区の国民学校の先生たちが、
帰り際に言った言葉は、耳を疑う言葉でした。
※絵は、森田拳次さんの描いたものです。
見学者:
お見かけしたところ、先生は五体満足にそろって、立派な体をしておられる。
それなのに先生は、この子どもらの相手をして、
毎日腹いっぱい食べて日光浴を楽しんでいる。
いま、日本は非常時です。
われわれの同朋は極寒の満州で寒さをこらえ、
飢えに耐えて戦っているのです。
先生はこの勇士に対して申し訳ないと思いませんか。
良心に対して恥ずかしくありませんか。
そのとおり。そうだ、そうだ。
すぐにこの子供らを親元へ返し、この立派な施設をお国の役に立てたらどうです。
最初の一人が言った後に、誰か制する人がいるかと思いきや、
「そうだ、そうだ」の声。ドキリとしました。
このような雰囲気だったのです、戦時下の日本は。
「良心に対して恥かしくありませんか」まで言うのか。
戦争は、弱者への考え方をこうも変えてしまうのかと驚きました。
こんなに変えてしまうんだと言うことを、
ここにも書きとめておくのは意義あることだと思いました。
人間の予想以上に人間を変えますよ。
後に、松本校長はこの時の気持ちを子どもに語っていました。
子どもの一人、秋山孝さんの証言:
教育関係者が見学に来て、こんな子どもたちを教育するのは無駄だって。
非国民っていわれたらしいですね、その時に。
それがすごく悔しかったって言ってましたね。
校長先生にしてみれば、その非国民という言葉にすごく傷ついたんですね。
情けなくて涙がこぼれるって言ってました。
ぐっと噛みしめていたのでしょうね。
そういう時代だと理解していたのでしょう。
(つづく)
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