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2014年8月27日 (水)

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用3/「良心に対して恥かしくありませんか」

  

今日は8月27日。

 

前投稿のつづき。

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

松本保平校長は、行動します。

 

ナレーターの話:

 

光明学校が集団疎開から取り残される中、

松本校長は思いもよらない代替策に踏み切ります。

  

昭和19年7月のことでした。

当時はまだ、農地が広がっていた世田谷の校舎で

子どもたちと合宿生活をすることにしたのです。

都心から通う子供たちが多かったため、

ここに避難させる方が安全だと考えてのことでした。

当時、光明学校に通っていた子どもたち111人のうち、

半数を超える59人が親元を離れて学校に寝泊まりすることになりました。

校庭にはこうした防空壕を4つ作り、

子どもたちと教職員およそ150人が避難できるようにしました。

Rimg4385  

これが番組冒頭で言っていた「現地疎開」だと思います。

集団疎開ができないから、実行した「現地疎開」でした。  

  

しかし!ここで松本校長は非常に厳しいことを言われます。

合宿生活を見に来た隣の区の国民学校の先生たちが、

帰り際に言った言葉は、耳を疑う言葉でした。

※絵は、森田拳次さんの描いたものです。

 

Rimg4386  

見学者:

 

お見かけしたところ、先生は五体満足にそろって、立派な体をしておられる。

それなのに先生は、この子どもらの相手をして、

毎日腹いっぱい食べて日光浴を楽しんでいる。

いま、日本は非常時です。

われわれの同朋は極寒の満州で寒さをこらえ、

飢えに耐えて戦っているのです。

先生はこの勇士に対して申し訳ないと思いませんか。

良心に対して恥ずかしくありませんか。

  

そのとおり。そうだ、そうだ。

  

すぐにこの子供らを親元へ返し、この立派な施設をお国の役に立てたらどうです。

Rimg4387   

最初の一人が言った後に、誰か制する人がいるかと思いきや、

「そうだ、そうだ」の声。ドキリとしました。

このような雰囲気だったのです、戦時下の日本は。

「良心に対して恥かしくありませんか」まで言うのか。

戦争は、弱者への考え方をこうも変えてしまうのかと驚きました。

こんなに変えてしまうんだと言うことを、

ここにも書きとめておくのは意義あることだと思いました。

人間の予想以上に人間を変えますよ。

  

  

後に、松本校長はこの時の気持ちを子どもに語っていました。

子どもの一人、秋山孝さんの証言:

  

教育関係者が見学に来て、こんな子どもたちを教育するのは無駄だって。

非国民っていわれたらしいですね、その時に。

それがすごく悔しかったって言ってましたね。

校長先生にしてみれば、その非国民という言葉にすごく傷ついたんですね。

情けなくて涙がこぼれるって言ってました。

  

ぐっと噛みしめていたのでしょうね。

そういう時代だと理解していたのでしょう。

(つづく)

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