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2011年3月28日 (月)

番組で遠藤未希さんのことが紹介される

  

今日は3月28日。

昨晩の番組「池上彰の緊急報告 大震災のなぞに答える 第2弾」を見ました。

そこに宮城県南三陸町の遠藤未希さんのことが紹介されました。

私も2回ぐらい遠藤さんのことを記事に書きました。

「残したいニュース/遠藤未希さんの頑張り」.html  

「東日本大震災新聞スクラップ2/3月15日」.html  

   

テレビの写真を並べます。

RIMG0016

RIMG0017※3階建ての建物の上に自動車。

RIMG0018※佐藤仁町長

   

遠藤さんの写真も出されました。

写真で彼女が掲げているのは婚姻届。

なんと秋には結婚が予定されていました。

自然は容赦ない。

RIMG0019 
RIMG0020

      

遠藤未希さんが防災無線で避難を呼びかけた防災対策庁舎。

非常階段を使って屋上に避難する途中に、

未希さんは津波にさらわれたそうです。
 
RIMG0022
    

番組では未希さんのお母さんの言葉を紹介しています。

お母さんは今、避難所で暮らしているそうです。

   

娘の声を聞いた人が、「最後は声が震えていた」と話してくれました。

娘は怖かったと思います。

防災無線のおかげで助かった人も多くいたと思います。

それがせめてもの救いです。

      

声が震えていたんだ・・・・身につまされる話です。

この庁舎であったことは、他のニュースに詳しい。

町長生還のニュースです。

  

「生きていたのか!」。たどりついた避難所で町民に驚かれた。

庁舎が津波の直撃を受け、安否不明になっていた宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)が生還した。

骨組みだけになった庁舎3階の鉄骨の上で夜を明かし、避難所にたどりついたという。 (中略)

地震が起きた11日は町議会3月定例会の最終日だった。

閉会のあいさつで前々日の津波に触れ、

「引き続き災害に強いまちづくりを進めよう」と訴えている最中に、激しい揺れが襲った。

「ついに来た。宮城県沖だ」と確信。町議らとともに総合防災庁舎に移動した。

津波が見えるとの連絡を受け、3階建ての庁舎の屋上に上がった。

間もなく、津波が防潮堤を超えて押し寄せた。
 
津波は第1波で庁舎をのみ込み、全ての壁と天井を打ち抜いた。

佐藤町長の体は偶然、外の非常階段の手すりにぶつかって止まった。

第2波、第3波は鉄骨の上で無線アンテナなどにしがみついて耐えた。

「屋上には30人ほどいたが、気が付けば8人しか残っていなかった」

夜は雪の中、8人が鉄骨の上で、

流れ着いた発泡スチロールや木っ端で火を起こし、暖を取った。

12日の朝、庁舎に絡まった漁業用ロープを使って地上に下りた。(後略)

「河北新報社ニュース」.htm 

   

防災対策庁舎には30人ほどいたのです。

今は佐藤町長と遠藤さんの2人の名前が知らされています。

他にも避難のために頑張った人たちがいて、8人しか残りませんでした。(10人のこったというニュースも)

佐藤町長と遠藤さんの頑張りをたたえ、

さらにまだ名前が伝わっていない人たちの頑張りにも思いをはせたいです。

「よく頑張った!怖かったですよね」

    

本当は亡くなった人たちみんなに声をかけたい心境。
 

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