今日は令和6年3月18日。
今日は朝から越冬蛹から羽化したキアゲハを目撃して、
なかなかいい日になる予感がしました。
それは的中しました。
ずっと観察を続けていた勤務校のアーモンドの花が咲きました。
残念ながら、子どもたちと札をつけた冬芽は
開花まで至っていませんが、
同じ木で、あちこちで開花していました。
特に土曜日(3月16日)の暖かさが良かったのでしょう。
日曜日の催花雨(さいかう)も良かったと思いたいです。
開花したアーモンドの花の写真です。
ちなみに私が札をつけた冬芽の写真。
この木には、「アーモンド」という名前の札がありません。
昨年はウメだと思って収穫したら、
どうも形が違うようだと思って調べたら、
アーモンドだとわかった経緯があります。
ここでも道草 梅雨の晴れ間/ウメじゃなかった!(2023年6月13日投稿)
失敗からわかったアーモンドの木。
開花を見るところまできました。
こういう勉強が面白い。
今日はいい日になる予感があったと書きましたが、
アーモンドの開花を見たことも嬉しいことでしたが、
さらにプラスがありました。
次の記事で書きます。
今日は令和6年3月18日。
今朝、奥さんが「キアゲハがいるよ」と教えてくれました。
縁側から外に出るために置いてあるつっかけの上とのこと。
それはいいと思って、スマホと接眼レンズを持って、
現場に向かいました。
確かにキアゲハです。
新鮮な姿なので、越冬蛹から羽化したばかりなのでしょう。
昨日までの暖かさに誘われての羽化と思われます。
不幸なことに、今日は風もあって寒い。
2月下旬の寒さとのこと。
キアゲハはスリッパの上で、じっと寒さと風に耐えていました。
羽化したばかりなのか、飛び立ちません。
これは撮影のチャンスです。
写真を並べます。
動画にも挑戦してみました。
寒風に耐えるキアゲハになっています。
ハネを開くまで撮影しようと思ったら、
2分30秒くらいかかってしまいました。
風でバランスを失って、ハネを開いた感じです。
YouTube: 令和6年3月18日朝 越冬蛹から羽化したばかりと思われるキアゲハ
こうなると、勤務校の廊下で観察している
キアゲハとアオスジアゲハの越冬蛹もそろそろかな。
我が家でキアゲハが羽化したことを教えて、
子どもたちに注目させたいです。
この投稿が通算9200本目の投稿。
9100本目が1月31日だったので、
1ヶ月半余りでの100本。
いいペースです。
もうじき春休みなので、さらに加速するかな。
書き留めたいことはたくさんあります。
今日は令和6年3月18日。
前記事の続き。
ALSという残酷な病気を、
しっかり認識したのは10年前だと思います。
ヒロさんという方を知りました。
ここでも道草 “ヒロ”難病ALSとの闘い1/ALSのグロイとこ(2014年8月9日投稿)
ヒロさんは、本名は藤田正裕さん。
1979年生まれ。
ということは、今年45歳になられるのかな。
2010年11月に難病指定されます。ALSです。
ヒロさんは動きます。
2012年に一般社団法人END ALSを創設します。
その法人のミッションを、END ALS HPから転載します。
上記のように、法人のミッションは2つ。
①治療法の確立
②患者の生活向上の支援
どちらもとても大切なことだと思います。
ヒロさんは、頑張る人なんだと認識しました。
当時、活動に賛同して、
衝動的にEND ALSのTシャツを買いました。黒でした。
だいぶ着たので、ヨレヨレになり、処分してしまいました。
月日が流れたことを感じます。
ALSが注目されたのは、2014年夏に始まった
アイスバケツチャレンジ。
バケツに入った冷たい水を頭から被り、
ALSへの募金を行う活動。
私がALS、ヒロさんを知った直後にこの活動があり、
ヒロさんも、水を被っている映像を見ました。
ALSという病気があることを、多くの人たちが知った
活動だったと思います。
その後、ヒロさんが、モデルになって、
絵を描く企画などをテレビで見ましたが、
最近は、ヒロさんのお顔を見ていませんでした。
今回の安楽死のニュースで、ALS患者が出てきたことで、
最新のヒロさん情報を得たいなと思いました。
昨年のヒロさんを、ここで見ることができました。
ALTERNA ALS発症から13年、「1日も早い治療法確立を」
昨年の6月の記事です。
ヒロさん、お元気でした。
何よりです。
ALS患者をモデルにして、絵を描くことで、
残酷なALSを知らしめるものだったのですね。
最後に、この動画。
END ASLチャンネルの動画です。
ALSの基本がわかります。
今日は令和6年3月18日。
前記事の続き。
16日放映のTBS「報道特集」で、安楽死のことが扱われました。
ALSを発症してしまった女性が、医師に安楽死を依頼。
医師は薬物によってその命を奪いました。
先日、京都地裁で医師に対して、懲役18年の判決が出ました。
日本では安楽死は認められていません。
前記事では、スイスで安楽死した日本人女性のことを書きました。
昨晩書いたその記事に、今朝、加筆しました。
女性が安楽死について語っていることを書き加えました。
安楽死の日本での合法化を望み、自ら安楽死した人の考えとして、
書き残しておきたいと思ったからです。
安楽死の合法化に反対する側として、
発言をしているのは、ALS患者の岡部宏生さん。66歳。
18年前にALSを発症。
岡部さんの意見は、私には刺さりました。
前記事と同じくYahoo!ニュースから引用します。
18年前の48歳の時にALSを発症した岡部さん。将来を悲観し、何度
も自殺することを考えたという。
岡部宏生さん(66)
「ここのベランダから飛び降りようと具体的に実行しようとしたので
すが、柵を乗り越えられるほどの筋力が残っていなかった」
病気の進行とともに、自力での呼吸ができなくなるALS患者。
このため、人工呼吸器をつけて生きるか、つけずに死を迎えるかの選
択を迫られるが、7割の患者が呼吸器をつけずに亡くなるという。
当初、岡部さんも呼吸器をつけずに死ぬことを考えていた。 だが、
「障害に縁がない人にも生きることについて考える機会を提供したい」
との思いから生きる道を選び、障害者の現状を訴えてきた。
日本で安楽死が認められることに危機感を抱いている。
岡部宏生さん(66)
「私も4割の時間は、死にたいと思うくらい辛いです。そんな時に『死
なせてあげよう』と言われたら、間違いなく『なら死なせて』と言って
しまうでしょう」
「安楽死が本当に必要な人以外に、どんどん広がってしまうことが恐ろ
しいです。だから安楽死に強く反対です」
介助士による24時間体制での介護が必要な岡部さん。介護していた妻が
うつ病になった時には、自身を責めることもあったという。
岡部宏生さん(66)
「こんなに介護が大変ならば、自分の家族の介護負担をなくすために安
楽死しよう、という人が必ず出てくると思います」
「死なせてあげようか」との誘いになってしまうのが安楽死。
納得するところです。
そしてもう一点。
周りに迷惑をかけるから、負担をかけるから、
死んだ方がいいと考えてしまう人が出てくるのは必至です。
これはおかしい。
これは社会が助ける仕組みを作らなくてはならないと思います。
私も、父親の介護はとても大変でした。
しかし、施設で面倒を見てくれたことで、
負担はなくなりました。
福祉が充実すれば、周りに負担をかけるから死を選ぶ人は
減ると思います。いや0にだってできると思います。
こういうことに政治はお金を使うべきだと思うのです。
岡部さんは「日本一外出するALS患者」と呼ばれている。
悩む他の患者たちの元をたずね、月の半分以上は外出している。
その岡部さんから生きる力をもらったのが、同じALSを患う佐藤
裕美さんだ。
「安楽死を認めるべきだ」との声が上がる度に、脅威をおぼえ、
生きづらさを感じていたという。
佐藤裕美さん
「安楽に死ねる制度があるのに、あえて使わなかったのだから、
『使わなかったあなたは苦労して生きることを受け入れなさいよ』
と思われてしまいそう」
しかし、岡部さんに「生きているだけで価値がある」と励まされ、
自身も前に出てその活動を手伝うようになった。
佐藤さんが心配する安楽死を選ぶべきなんて思う人はいないと
信じたいです。
パーキンソン病、ALSも残酷な病気だと思います。
特に、以前勉強したALSは精神的にダメージが大きな病気です。
だんだん体が動かなくなってくるのですが、
脳は正常なのです。
最後は目も開けられなくなり、外部に発信できず、
闇の中に生きることになるALS。
ALSについて、もう1本記事を書きます。
今日は令和6年3月17日。
昨日のTBS局の番組「報道特集」で、
安楽死が取り上げられました。
安楽死が取り上げられたきっかけは、
ALS患者の女性の依頼を受けて、
医者が薬物を投与して殺害した裁判の判決が出たことです。
医師は、18年の懲役を言い渡されました。
番組では、安楽死に賛成で、自ら外国のスイスで安楽死をした
日本人女性のことを紹介していました。
日本では安楽死が認められていないので、
外国での安楽死を望んだのです。
彼女は若い時から海外に出て、
積極的な活動をされていたようです。
しかし、50代でパーキンソン病を発症。
婚約をしていたフランス人男性とは婚約破談。
その後、両親を看取り、1人で生きていくのが
難しいということで、安楽死を選択しました。
パーキンソン病の苦しみがわかっていないので、
簡単なことは言えませんが、
1人で生きていくのがたいへんなら、
福祉に頼ればいいのにと思ってしまいます。
他の人たちの助けを借りて生きていくべきであり、
まだそのような仕組みができていないなら、
福祉の充実を進めるべきだと思います。
ただその女性は安楽死を実行します。
64歳でした。
安楽死の直前に、記者が女性に安楽死について聞いています。
Yahoo!ニュース 「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】
このサイトから引用します。女性の名前は迎田良子さん。
迎田良子さん(64)
「安楽死に関して討論してほしいと思う。日本でもいつか、安楽死が
合法化されることを願っています」
パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの難病だ。
ただ、それ自体で死に至る病ではない。
迎田良子さん(64)
Q.安楽死が仮に認められていなかったら?
「辛くて身体が痛みが続きますから、だんだん動けなくなってくるの
で、首を吊って死んだかもしれない」
(中略)
迎田良子さん(64)
「不快さ、体の痛みを代わってくれるわけではないので、進行性の難
病なので、私はもう安楽死を選びますね」
(中略)
迎田良子さん(64)
「私って用意周到なのよ。ああいう家庭に育ったから。人に甘えると
いうのが下手くそなのかもね」
準備が進む中、あらためて安楽死を思いとどまることができないか尋
ねた。
迎田良子さん(64)
Q.今すぐに死が迫っているわけではないですよね。まだまだ生きられ
ると思うんです 「生きられるけど、何が嫌なのかというと、痛みなん
じゃないですか。痛みと不快感」
迎田さんの生い立ちは、両親と兄の4人家族。
両親は不仲で、母親が自宅に連れ込んだ交際相手に、暴力を振るわれ
るなどしたため、迎田さんは小学生の頃から、早く家を出て自立する
ことを夢見ていたそうです。
そして希望通りに、海外に出て活躍しました。
親に頼ることができなかったのは、甘える体験不足かもしれませんね。
福祉の力を借りて、生き延びる手を選べない理由かもしれません。
迎田良子さん(64)
Q.難病を抱えた人は福祉も少ないから「自分は本当は生きたいけど、
安楽死した方がいいのかな」と思ってしまう人が出ると思うがどうで
すか?
「難病だから誰でも(安楽死をして)いいというものではないですよ
ね。病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない」
「基本は生きることですから。でもそれがやむを得ないときに安楽死
があるってことだから。そこのジャッジをね、しっかりしないと」
迎田さんは、難病の痛みを安楽死の理由にしていましたが、
じゃあ、他の人も安楽死の道を選ぶべきとは言っていません。
安楽死はどのような時に許されるのか。
迎田さんも明確な答えを持っているわけではなさそうです。
そうでしょうね。
安楽死について考える時に、迎田さんの発言は大事と思い、
ここに記録しておきました。
安楽死に反対する側として、ALS患者が声をあげていました。
次の記事で。
昨日の「報道特集」ですが、
安楽死に関する部分はYouTubeで早くも見ることができました。
関心のある方は、見てみてください。
今日は令和6年3月17日。
金土日(15〜17日)の3日間は暖かかったです。
町内会のお花見が行われる予定の会場のサクラの冬芽。
3月3日から定点観察して、写真を撮影してきました。
なかなか変化が見られませんでしたが、
この3日間は変化が見られました。
15日(金)
16日(土)
そして今日、17日(日)
今日は午後から雨が降ってきました。
柔らかい雨でした。
「催花雨(さいかう)」という言葉を知りました。
意味は「桜をはじめいろいろな花の開花を催(もよお)す雨」です。
催すというと、人を集めて行事を行うような意味しか浮かびませんが、
「催促」で使われているように、
「せき立てる」意味もありました。
今日の雨は催花雨でしたね。
定点観察している冬芽ですが、
3つの冬芽があります。
真ん中だけ形がとがっています。
両側は丸っぽい形です。
どう違うのか。
これは体験があります。
2008年4月に入ってからの、
当時の勤務校の校庭で撮ったサクラの写真です。
16年前です。
今年と同じようなことをやっています。
写真を並べます。
両側の花の真ん中に、とがった冬芽があるでしょ。
それが変化してきますよ。
16年前の体験が教えてくれます。
中央のとがった冬芽は葉っぱが仕込まれています。
両側の丸っこい冬芽には花が仕込まれているのです。
16年前と同じように、花が可憐に咲いて、
その後に中央から新緑の葉っぱが出てくるのが、
今回も見られますように。
サクラの冬芽の写真は、
町内会の電子掲示板で毎日公開しています。
どれくらいの方が見ていてくれているのでしょう。
どれくらいの方が関心を持ってくれているのでしょう。
動画でも、花になる冬芽、葉っぱになる冬芽の
解説をしてくれている動画があります。
参考までに見てみてください。
YouTube: 小学4年 理科 さくらの冬芽が開く様子 Flowering of winter buds of cherry blossoms
今日は令和6年3月16日。
3月3日(日)に映画館で映画を観ました。
「ゴールデン・カムイ」です。
原作漫画を読んでいたので、どう描かれるのか
興味がありました。
きちんと再現されていて、ビックリでした。
特に熊が気になっていました。
今回描かれた北海道の森林の場面では、
熊が重要でした。
熊のゾッとする怖さ、出てましたよ。
次に映画館で見る映画は決めています。
左上の「オッペンハイマー」です。
3月29日上映スタート。
ここでも道草 コンビニと寺院の数はどっちが多い?(2024年3月4日投稿)
ここでコンビニのことを書きました。
ファミリーマートの看板について。
左が元からファミリーマート。
右がサークルKとサンクスがファミリーマートになったもの。
7月7日(木)、実際に確かめてきました。
サンクス小坂井伊奈店の現在です。↓
ファミリーマート豊川小坂井伊奈店になりました。
看板はどうなっているか?
青でした!
これは、ファミリーマートになるにあたって、
建て替えが行われたので、青なのだと予想します。
サークルK豊川伊奈町店の現在です。↓
ファミリーマート豊川伊奈町店です。
看板は?
赤でした!
この時の撮影で気になったのが、
壁にあるリードフックです。
部分をアップします。
ここに「サークルK」の名残がありました。
そして私はこのリードフックを記事にしたことを思い出しました。
ここでも道草 11月23日オープンだとわかる/リードフック(2012年11月18日投稿)
その時に撮ったこの看板。
12年の歳月を感じました。
3月13日(水)に撮影しました。
「親より、いまは信号をみて。」
エコワークス豊川営業所には、
面白い人がいるようです。
福祉用具・介護用品のレンタル・販売をする会社。
「み」が緑色なのはなぜか。
この会社のイメージカラーのようです。
HPを見て思いました。
信号での右折待ちの時に撮影しました。
今日は令和6年3月15日。
毎日見ている動画。
人生の多くの時間を、現在は動画を見ることに使っています。
これはいいことなのか、悪いことなのか、
現時点ではわかりません。
唯一課金している動画「大人の教養TV」より。
6日前に発信した動画は、ノルマンディー上陸作戦を
扱っていました。
その時に、「チェコの針鼠(ハリネズミ)」という兵器の
名前を知りました。
映画「プライベート・ライアン」の戦闘シーンでも、
この兵器は出てきました。
あまり隠れるところがない連合軍が、
チェコの針鼠に身を隠していたシーンがあったと思います。
でも、体を隠すには、鋼材は細いので、充分ではありませんでした。
チェコはなぜこの兵器を造らざるを得なかったのか。
調べてみました。
ここから引用します。
チェコの針鼠とは、第二次世界大戦頃に開発された防御用対戦車障害物
である。通常、L字鋼またはH形鋼を組み合わせて作られ、その形状から
爆発等で転がったとしても障害物としての価値を損なわないという特徴
がある。(中略)
第二次世界大戦直前のチェコスロバキアでは、対独国境にチェコスロバ
キア国境要塞線として知られる大規模な要塞線の構築を行っていた。こ
の要塞線に用いられた障害物がチェコの針鼠の起源とされている。なお、
この要塞線は完成を待たぬまま1938年のミュンヘン会談とズデーテン地
方の割譲を迎え、ドイツ側へ譲渡された。
ナチスドイツに対しての防衛のために造られたのですね。
この動画でも説明されていました。
YouTube: 【ゆっくり解説】チェコの針鼠(チェコスロバキア)【マイナー兵器?】
弱小国の奮闘兵器と言われたら、
確かにそうだと思います。
弱い国だけど、どうにか守らなければという気持ちから
造られたのでしょう。
強力でたくさんの武器を保有する国は、
このような武器を造る発想はすぐには浮かばないでしょう。
他にこの動画で勉強になったこと。
そうか、やっぱり敵歩兵の遮蔽物にならないように、
工夫されてきたんだ。
「切り欠き」?
これも調べました。
ここの説明を引用します。
何らかの都合で材料を一部カットして溝や穴を作ることだよ。
有刺鉄線を張られてしまうと、歩兵は突破が困難になるよなあ。
今日は令和6年3月14日。
2本前の記事で紹介した1月18日放映の
「楽しく学ぶ!世界動画ニュース 2時間SP」より、
もう1本、動画を紹介します。
これは、番組としては異色の100年ほど前の動画です。
このリチャードさん。
自分が殴打に強いことを示すために、
いろいろなことをします。
ちょっとピンボケですが、左の人はハンマーを持ち、
リチャードさんの腹部を殴っています。
元世界ヘビー級王者に殴らせ、「あなたの勝です」と言わせています。
MCのバイキングの小峠さんが、この映像にハマってしまいました。
No.1の“痛い映像“だと評していました。
アナウンサーの方が、リチャーズさんは、それでも大砲の球は
痛いようで、1日2回までにしていたことを伝えました。
それに対して、小峠さんが言いました。
フランク・キャノンボール・リチャーズさん。
大道芸人でした。
1887年2月20日生まれの、1969年2月7日没。
81歳で亡くなっています。
もうすぐ82歳の年齢。
あんな体を酷使したのに、長生きされました。
私が生まれた時には、ご存命だったんだ。(1961年)
ネットにこの人の映像がないか探しました。
ある確率が高いと感じました。
ありました。
番組とまるっきり一緒ではないけど、ほぼ一緒です。
YouTube: The Man Who Could Take A Cannonball To The Stomach
アメリカの大道芸人フランク"キャノンボール"リチャーズ(1887年2月20日- 1969年2月7日)