2025年12月 2日 (火)

長年やってきたボーリング 今、最高記録を出せた

    

今日は令和7年12月2日。

  

地元のスポーツクラブに加入していて、

2週間に1回ペースで、レクリエーション吹き矢に

参加しています。

スポーツクラブにはいろいろな種目があるのですが、

私のように1種目に参加する人もいるし、

複数の種目に掛け持ちで参加する人もいます。

そのスポーツクラブの懇親会を兼ねて、

毎年ボーリング大会が行われます。

  

これで3年目の参加。

今年は調子が良かったです。

ストライクが続き、連続5本。

周囲が騒然となりましたが、私もびっくり。

前日に3時間現認校で伐採をして、筋肉痛だったのに、

どういうこと?

  

今まで越えたことがなかった200点に

手が届きそうになりました。

若い頃からボーリングをやってきましたが、

おそらく200点ごえは体験がなかったのでは。

結果的に200点を超えて、213点を奪取。

こんなにボーリングをやってきて、

64歳にして自己最高点。

ボーリングって年齢じゃないんですね。

そんなことを実感しました。

嬉しくてスコアボードを撮影しました。

Img_5393_2

ちなみに2ゲーム目はこんな成績。

Img_5394

崩れました。

アベレージは181。

2ゲーム目が崩れたこともあって、準優勝でした。

  

今回は自慢話でしたね。

私としては記録として残しておきたいと思った記事です。

読んでいただき、ありがとうございます。

スクールガード目撃談/道路の高いところを歩きたがる小学生

    

今日は令和7年12月2日。

   

昨日はサークルがありました。

こんな資料記事を書きました。

Img_5387

Img_5388

  

ここに書いたように、今回は電子回覧板「結ネット」の

記事を紹介しました。

そのうち「スクールガードで見かけた出来事3つ」を

こちらにも転載します。

  

11月19日(水)

1•2年下校。

この日は男の子2人が最後でした。 2人が横断歩道を渡ったのを確

認して、 スクールガードの仕事は終了。 私も新道を歩いて家に向

かいました。 ふと見ると、最後に横断歩道を渡った男の子2人が

新道で面白いことをやっていました。 新道の右側にはブロックが

あり、 一段高くなっていました。 その上を歩いていたのです。

高くなっているところを歩く。 子どもの頃はよくやりました。   

厄介なことに、このブロックが途中から 細くなり、まっすぐに歩

けない幅になりました。 仕方なく2人は、工場のフェンスにつかま

りながら、横歩きをしていました。 2人はとても楽しそうです。

「面白いことやっているね」と声をかけたら、

「落ちたら負けなの」と教えてくれました。

路面に落ちたらいけないのです。 もちろん自分たちで作ったルール。

なるほど。こんなことに夢中になる男の子2人が、 とてもいいなと

思いました。 私は2人を追い抜き、しばらくして振り向きました。

まだやっています。写真を撮りました。

載せた写真を見てください。

いかに面白いことをやっているか わかると思います。 

  

これがその写真。可愛い2人です。

Img_5390

地元で「新道」と呼ばれている道です。

後日、高くなっているブロックを撮影しました。

最初はこんな感じ。

Img_4017

ここは歩きやすいブロックです。

しかし、しばらくして過酷なブロックになります。

Img_4018

白い部分を歩くには、フェンスにつかまっていないと、

路面に落ちてしまうというわけです。

  

でもここを凌ぐと天国が待っています。

Img_4019

歩きやすく、そして一段と高いブロックになって、

新道のゴールを迎えることができるのです。

素晴らしい展開だと思いませんか。

最後まで2人を見ていませんでしたが、

きっとラストは意気揚々と歩いていたと思います。

2025年12月 1日 (月)

20241121千葉山登山⑥ 下山 出合った植物 リンドウ コマツナギ センニンソウ他

    

今日は令和7年12月1日。

  

前記事に引き続き、昨年11月に登った千葉山の報告です。

今回がラストの予定。

  

Img_9032

この分岐は、右に行きます。

   

Img_9033

この分岐。往路では右側の道を選んだので、

帰路は左側の道を選びました。

  

そちらには鉄塔がありました。

Img_9034

Img_9035

鉄塔には何か書かれたものが貼り付いていました。

一見しただけでは、すぐにわかりませんが、

よく見ると「お気をつけて、楽しい登山を!」

とあります。もう年代物なのでしょう。

いつまで残るのかな。

  

Img_9036

Img_9037

  

Img_9039

沼のある場所まで来ました。

Img_9040

  

Img_9041

Img_9042

「PJE」とは?

確か、この登山が終わってすぐに調べましたが不明。

今回も調べましたが、よくわかりません。

ここまで頑張って彫ったものの意味が知りたいです。

意味付けしないと、彫られた木にも申し訳ないです。

  

Img_9043

Img_9044

「傾しいだ原」が転じて「柏原」になった説もあります。

この柏原も、若干傾しいでいます。

  

柏原にもドウダンがあり、紅葉を見ることができます。

Img_9045

  

ガマズミと思われます。

Img_9047

   

登る時には最も急登。したがって帰りは急降下。

下界が見えます。大井川を渡る新東名。

Img_9048_2

   

Img_9049_3

朝、登る時には閉じていた蕾も、昼過ぎの下山時には

開花しているものが多かったです。

  

Img_9051_2

  

Img_9052

Img_9053

  

ここに駐車できたらいいのになあと思いました。

Img_9054

往路ではこの赤松地蔵尊を出てから道を間違いました。

Img_9055

左手に赤松地蔵尊があり、そこから黄色の矢印で歩くのが正解。

一度下って登るわけです。

私は登るもんだと思って、青の矢印のように動いて、

人様の畑に侵入して、登山口はどこだろうと探してしまいました。

見つからず、今一度赤松地蔵尊の出口に戻って、

辺りを見まわして、判明しました。

  

大井川の河原にある駐車場を目指して歩きます。

その道沿いには、往路では気がつかなかった植物に、

気が留まりました。

Img_9056

Img_9057

Img_9061

コマツナギと思われます。

 庭木図鑑 植木ぺディア ウマツナギ

ここから一部引用します。

・本州、四国及び九州に分布するマメ科の落葉低木。草原や路傍

などで普通に見られ、ハギに似た花を咲かせるため、ノハギ、カ

ワラハギ、ウシハギ、クサハギなどの地方名で親しまれる。日本

以外でも韓国の済州島や中国に自生する。

 

コマツナギ(駒繋)という名は、太くて逞しい根が地中に張り巡

らされるため、枝に馬(=駒)を繋ぎ留めることができることに

由来するという説と、葉が馬の大好物であり、馬がこの木から離

れなくなることによるとする説がある。低木であり、枝や幹もそ

れほど太くならないことから後者の説が有力視される。

  

なるほど。確かに後者の可能性が高いと思われます。

ハギやクズの花に似ていると思いました。

上のサイトに載っていた花の写真を転載します。

Img_5386

  

葉っぱの写真も撮ったので載せます。 

Img_9064

Img_9065

やっぱり豆科の葉っぱです。


    

どこか愉快な葉っぱを見つけたので、接写レンズで撮影。

Img_9071

  

  

今年もよく見ます、この実。

Img_9075

タンキリマメ。

タンキリマメは、今年もっとアップで撮影しているので、

その時に詳しく書きます。

  

次の植物は興味津々です。

Img_9077

Img_9087

センニンソウのようです。
  

このセンニンソウの勉強にはこの動画がいい。


YouTube: 仙人草

センニンソウの群れて咲く様子は、よく見かけます。

来年はしっかり見ておきたい。

授業でも活かしたい。

  

Img_9092

駐車場のあるグラウンドゴルフ場に戻ってきました。

Img_9093

イタドリです。

  

戻ってきたのは14時14分。

午前8時50分に出発したので、

5時間36分歩きました。

  

以上で昨年の千葉山登山報告を終えます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。




  




   

2025年11月28日 (金)

20241121千葉山登山⑤ 帰路のどうだん原

   

今日は令和7年11月28日。

  

前記事に引き続き、昨年11月の千葉山登山報告です。

  

Img_9012

Img_9013   

  

舗装道路を選びました。

Img_9015  

この舗装道路から智満寺に行く道がありました。

でもちょっときつい坂ですね。

Img_9016

  

Img_9017

この石碑がある場所には斜面があり、そこにドウダンがたくさん

植樹されていました。ここもどうだんの見どころのある場所です。

でもその様子を撮った写真がないなあ。

スカイペンションどうだんの前に置いてあった案内板。

Img_9019

スカイペンションどうだんHP

このサイトを見ると、修行をしてきたシェフが、

3代目のオーナーをやっているようです。

美味しいものを食べさせてもらえそうなペンションです。

  

さあ、再びどうだん原に戻ります。

  

Img_9020

Img_9021

Img_9022

Img_9023

Img_9024

紅葉は、太陽の光のあたり具合で、見え方が変わってきます。

往路では感じなかった、帰路の紅葉の良さを写真に撮りました。

Img_9025

長居したくなるどうだん原。

  

Img_9026

  

Img_9027

モミジも逆光がいいけど、ドウダンもいい。

   

Img_9028

Img_9030

Img_9031

たっぷり帰路もドウダンの紅葉を楽しんで、どうだん原を後にしました。

  

下山です。

つづく。












  

2025年11月27日 (木)

20241121千葉山登山④ 天台宗千葉山智満寺

   

今日は令和7年11月27日。

  

前記事に引き続き、昨年11月の千葉山登山の報告。

  

智満寺に向かいます。

Img_8969

野仏のある道でした。

背面に手がたくさん描かれているので、千手観音でいいのかな。

  

Img_8970

こんな道でした。

   

Img_8971

「スカイペンションどうだん」

登山道は、この建物の右に出てきます。

  

Img_8972

見晴らしのいい場所でした。

ちょっと写真は暗いなあ。

    

Img_8973

ここから智満寺はまだ歩きます。

  

Img_8975

智満寺へのコースは3択。

展望台を通る登山道。

展望台のある山をトラバースする登山道。

そして舗装道路。

    

私の選択は、当然ながら展望台のあるコース。

トラバース登山道が10分で、展望台コースが15分。

さほど違わないので、ここは天望台コース。

しかし、展望台は、かつては展望台だったのだろうなという

名残が残っていただけでした。

Img_8977

Img_8978

木が茂ってしまい、もう展望は効きません。

  

  

Img_8983

見えてきた智満寺。

私の思い描いていたお寺とは、スケールが違いました。

立派な建物でした。

  

Img_8986

Img_8987

これが予て(かねて)から聞いていた看板。

アップにしてみます。

  

Img_8987_2

ここからは登山者は入れないのです。

こんなところがあるのですね。

地元の人と話すことができ、その方が言うには、

登山者が山でカセットバーナーを使っているのを見て、

お寺の人が火事を心配し、登山者を止めたとのこと。

残念なことですが、火は恐怖なのでしょう。

本殿も藁葺き屋根ですからね。

   

Img_8988

禁止区域にある十本杉の説明板。

  

本殿周りの植物。サザンカ。

Img_8989

  

ナンテン。

Img_8990

   

鐘楼。

Img_8992

   

これもサザンカ。

Img_8994

Img_8995

  

本殿。

Img_8997

Img_8998

Img_8999

  

本殿からの景色。

Img_9002


   

Img_9003

  

Img_9004

ここになぜ「千葉山」なのか書いてありました。

天台宗 千葉山 智満寺HP

このサイトがより詳しかったので引用します。

  

源頼朝は千葉常胤を普請奉行として遣わし諸堂を再建し、 その功績

から当山が千葉山と呼ばれるようになりました。  

  

千葉常胤(つねたね)。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、岡本信人さんが

演じておられました。

Img_5332

千葉県の県名由来にも、千葉氏は絡んでいるそうです。

   

Img_9005

Img_9006

天井にいろいろな札が貼ってありました。

なんかいいなと思ったら、その札って

貼っちゃいけないのですね、

確かに建造物の景観には良くないのかな。

  

  

仁王門。

Img_9009

Img_9007

Img_9008

   

 

階段を下って、振り返って撮影。

Img_9010

智満寺でした。





  









  






  

  

2025年11月26日 (水)

20241121千葉山登山③ 往路のどうだん原

今日は令和7年11月26日。

  

前記事の続きで、昨年の千葉山登山の報告です。

  

どうだん原に来ました。

正直ピークを過ぎた感じでした。

でも木によって違うわけで、

紅葉がいいところを選んで撮影しました。

Img_8948

Img_8949

Img_8950

Img_8951

足元にはドウダンの落ち葉。

   

Img_8953

これなんかいい色だと思いました。

紅葉というと、まずはモミジが浮かびますが、

ドウダンの赤もいいなと思います。

  

Img_8954

これもいい。

おそらく木全体としては、イマイチだったけど、

部分的にはよかったので撮影したと、

1年前の私の意図を想像します。

  

Img_8955

この案内板にあるように、秋だけではなく、

春のドウダンの花もいいんだよなあ。

  

Img_8956

Img_8957

これが実ですよね。

花は下向きですが、実は上向きになるのが特徴だと

書いてあるサイトもありました。

庭木図鑑 植木ぺディア ドウダンツツジ

このサイトには次のように書いてありました。

引用します。

  

枝分かれの様子が、かがり火をたく「結び灯台」という燭台(昔の

ライトスタンド)に似ていることから、「トウダイツツジ」、それ

が転訛して「ドウダンツツジ」となった。秋に紅葉し果実が裂け始

めた頃の姿が、最も結び灯台に似る。

  

落葉した頃ですよね。

近所でドウダンツツジのある場所で観察したいですね。

  

  

Img_8962

どうだん原にはトイレが設置されていました。

ゆっくりドウダンを楽しめる場所でした。

  

Img_8963

こうやって上むきに炎のように色づくドウダンの紅葉は、

やっぱりいいですね。

  

Img_8964

私が登った登山道だけでなく、もっと短いコースもあり。

高齢者になっても、楽しめるところです。

実際に高齢者が多かった記憶があります。 

  

Img_8965

Img_8967

接眼レンズで撮影したものと思います。

  

以上が往路でのどうだん原でした。

ここから智満寺に向かいます。  











  

2025年11月23日 (日)

20241121千葉山登山② 尾根道ほぼ1本道を登る/ドウダンの漢字

   

今日は令和7年11月23日。

  

前記事の続きで昨年の11月21日千葉山登山の報告です。

  

登山口に到着が午前9時3分。

赤松地蔵尊が午前9時5分。

この後、尾根を登る入り口がわからず、探しました。

少し道を下りたところに、登る階段を発見しました。

この階段を登って、いよいよ尾根道です。

Img_8910

Img_8911

森の中で、自由に成長している樹木。

この樹木は目に入るようで、私が昨年参考にしたサイトの方も、

この樹木の写真をアップしていました。

気まぐれ書店員の日記帳 千葉山(赤松〜)①赤松地蔵尊〜柏原

この写真です。

Img_5099

ねえ、一緒でしょ。

2016年の撮影。8年経っても樹形は変わらず。
   

Img_8912

Img_8913

分岐は「柏原」を選択。

  

急登の途中にリンドウを見かけました。

Img_8916

Img_8922

1年前の写真。センニチコウの仲間でしょうか。
   

Img_8923

急登の終わりが見えてきました。

  

Img_8924

Img_8925

柏原という場所でした。

いきなりの広っぱ。

なぜここに広っぱがあるのかな。

Img_8928

登山道に突然現れた広っぱ。

ここからの景色も良かったです。↓

Img_8926

  

再び森の中の登山道を登っていきます。

Img_8929

Img_8930

沼って感じかな。

Img_8931

まだこんな積雲が出るんだと思って撮影したのでは。

1年経つと、撮影した時の意図を忘れちゃうのが残念。

Img_8933

  

Img_8934

Img_8935

Img_8936

Img_8937

Img_8939

この記号、すぐにわからず。

どちらに行ってもいずれ合流する意味なんですよね。

ちょっと迷って、あ、そうかと気がつきました。

  

Img_8940

つる植物に破壊された木の残骸ではないでしょうか。

Img_8941

Img_8942

歩いていると、いろいろ気になります。

   

Img_8943

  

Img_8945

分岐。

ここを左に行きます。

右からくる登山者は多かった。

右からのコースがメイン登山道なのでしょう。

  

Img_8946  

そうだ、先日岐阜県美濃市の誕生山〜天王山を歩いた時に、

ドウダンの看板に、「ドウダン」を漢字表記したのが

「満天星」とありました。

Img_3762

そうか漢字で書くとこうだったけな。

何か他の漢字を見た覚えがあります。

調べました。

「ドウダンツツジ」を「灯台躑躅」としていました。

「トウダイツツジ」が「ドウダンツツジ」になったとのこと。

でも正確を期すなら、こうしたことにした方がいいのでは。

  

「ドウダンツツジ」を漢字表記するなら「灯台躑躅」と「満点星」

「満点星」と書いて「まんてんせい」と読むこともあり、

意味は「ドウダンツツジ、ドウダン」の意味があるそうです。

「ハクチョウゲ(白丁花)」を意味することもあるとのこと。

なかなか複雑です。

Img_8947

さあドウダン原です。

  

続く
  






















  

20241121千葉山登山① 難読地名「相賀」/赤松地蔵尊登山口

   

今日は令和7年11月23日。

  

唐突ですが、昨年11月21日の千葉山登山の

報告を書いていきます。

千葉山は静岡県島田市にあります。

  

昨年、ドウダンツツジを見に行ったけど、

ちょっと鮮やかさがイマイチでした。

今年また行こうと計画しています。

行く前に昨年の登山は記録に残しておきたいと考えました。

  

駐車場はここにしました。

グーグルアースで示します。

Img_5097

航空写真です。

Img_5098

航空写真だと、広場のような茶色の場所の横にある

駐車場です。

実際に行ったら、緑がまぶしい場所でした。

Img_8899

Img_8900

看板に「相賀グラウンドゴルフ」と書かれています。

実際に下山してきた時には、グラウンドゴルフをやってました。

「相賀」この地名の読み方が難しいのが

すぐにわかりました。

  

Img_8901

この看板を見てください。

「相賀」は「おおか」と読むようです。

これは難読地名です。

佐賀県唐津市にも「相賀」という地名があり、

読み方は「おうか」です。

地元愛知県半田市にも「相賀」という地名がありますが、

「そうが」です。これは自然な読み方の一つです。

三重県紀北町にある「相賀」という地名は、

「あいが」です。これも順当な読み方だと思います。

「相」を「おお」「おう」と読むことは、

滅多にありません。

ふと「相応」が浮かびましたが、「おう」と読むのは

「応」の字の役割であって、「相」は「そう」です。

  

Img_8902

グーグルアースで茶色の場所だったところは、

こんな緑まぶしい場所でした。

県道64号島田川根線の歩道を歩いて、登山口に向かいました。

この県道、けっこう交通量が多い道でした。

   

Img_8903

県道の上を新東名が交差する場所。

その付近に登山口があります。

Img_8904

こんな雰囲気、好きですね。

Img_8905

上を見上げたら新東名の高架。

ね、真下に登山口があるでしょ。

  

Img_8906

「千葉山ハイキングコース」の看板。

  

Img_8907

登ったところにあったのが、赤松地蔵尊。

今回わかったのですが、

ここの空き地に自動車を駐めていいようです。

次回はここに駐車しようかな。

  

続く  






 

  

 





  

2025年11月21日 (金)

20251109額田SS観戦/ラリーコースはどんな道なのか

     

今日は令和7年11月21日。

  

ここでも道草 20251109額田SSで初めてラリー観戦をする(2025年11月14日投稿)

この記事の続きです。

  

「WRC  額田SS」(WORLD RALLY  CHAMPIONSHIP  

額田スペシャルステージ)を11月9日に初めて観戦しました。

ラリー観戦をするきっかけは、奥さんの実家のある設楽町に行くのに、

旧額田町や旧下山村を通過するコースを使うようになったからです。

額田SSに関心を持った時のことは、この記事で書いています。

ここでも道草 設楽町への新ルートでの新発見 地名編「千万町」(2024年12月30日投稿)

この時の思いを実現させました。

    

今回のラリーのコースを、パンフレットの地図で示します。

Img_5092

これを普通の地図に落としたいです。挑戦。

しかし、難解です。

中央の観戦会場の左手(西側)はわかるのですが、

右手(東側)が特定できません。

でもこの動画がヒントになりました。


YouTube: ラリージャパン2024 額田SS のルートをドライブしてみました。

この動画の10分ごろが、観戦会場の千万町楽校です。

そこからコースを見ていったら、思わぬところで左折。

あんなところを!とびっくりするところを曲がりました。

これじゃあ、地図に落とすのは難解な訳です。

予想以上にラリーは、とんでもない道を走ります。

観戦エリアの道は、スピードを上げるにはいいところだったんだと

今回地図に落とす作業、そして動画を見て思いました。

この動画を見たのは、2回目ですが、

経験を積んだ分、道が見当がついたようです。

それでは完成した地図を下に載せます。ベースはGoogleマップ。

千万町楽校から東側のコースです。

Img_5094

黄色の線がラリーコースです。

青色の線が、設楽町へ往復するときに走るコースです。

また一度、私も自動車で走ってみたいと思います。

急なカーブもいくつもあり、いやはやとんでもない。

やはり運転が上手くないと無理ですね。

2025年11月20日 (木)

あの朝倉市に、片男波部屋の宿舎があることを知る

   

今日は令和7年11月20日。

  

大相撲九州場所今日が12日目。

大詰めです。

2敗が、横綱の豊昇龍、大ノ里。

関脇の安青錦(あおにしき)。

3敗が時疾風(ときはやて)。

4敗が霧島、義ノ富士、一山本、狼雅(ろうが)、錦富士、千代翔馬。

さあどうなるかな。

注目はウクライナ出身の安青錦。

「安青錦」を「あおにしき」と読むのは難しい。

そのいわれを調べました。

  

Wikipedia 安青錦新大(あおにしきあらた)

このサイトから引用。

本名はダニーロ・ヤブグシシン。(中略)

「安青錦新大」の安と錦は師匠安治川の現役時代の四股名「安美錦」

から、「青」はウクライナの国旗や自身の目の色、「新大」は日本

で一緒に生活した当時関西大学相撲部主将山中新大から取られた。

  

そうか「安美錦(あびにしき)」由来なんですね。

それに倣うなら、「安青錦」は「ああおにしき」になります。

それでは言いにくい。したがって、最初の「安」は読まずに、

「青錦」で「あおにしき」と考えればいいようです。

納得です。

  

  

今場所の取り組みを見ていて、

玉鷲の取り組みの時に、

玉鷲の所属する片男波(かたおなみ)部屋が、

福岡県朝倉市に宿舎を置いていることが紹介されました。

玉鷲にとって第二の故郷なのだそうです。

朝倉市といえば、我が家のダイニングチェアを作ってくれた

メーカー「ナガノインテリア」がある市。

「ある」なんてもんじゃなく、

ナガノインテリアは世界に「朝倉市」を売り込もうとしています。

片男波部屋が宿舎を置いたのは2010年。

もう長い。玉鷲の初土俵は平成16年1月。

平成16年は西暦で2004年。

したがって、朝倉市の宿舎は最初から体験しているわけです。

時事通信社 第二の故郷に支えられ 玉鷲関、福岡県朝倉市と絆―大相撲九州場所(11月16日)  

このサイトから一部引用。

  

宿舎は廃校となった朝倉農業高校を使用。その校舎は、自治会組織の

「三奈木地区コミュニティ協議会」が市から無償で借り受けた。そん

な縁もあって玉鷲関は朝倉市の親善大使も務める。協議会の別府常幸

会長(65)は、その活躍が「(地域の)活力になっている。われわれ

も楽しみにしている」と述べ、声援を送る。  

朝倉市は17年の九州北部豪雨で大きな被害を受けた。玉鷲関は同年の

九州場所前に小学校や避難施設などを慰問。復興に取り組む姿に心を

打たれ、行く先々で勝ち越しを誓った。同場所は11勝と大勝ちし、

「約束を守れてよかった」。目を赤くして言った。  

毎年、九州場所中に誕生日を迎える。41歳となった今年も、協議会は

いつものようにケーキを準備して祝福。「もっと朝倉市(の話題)を

出したいから、星を重ねないと。皆さんに良い報告がしたい」。固い

絆を力に、まだまだ元気な姿を見せるつもりだ。

  

写真を見たぞ・・と思って探しました。

Img_5082  

  

朝倉市。

私はこの秋、2つのことを知りました。

ナガノインテリアがあること。

片男波部屋の宿舎があること。

縁があります。こういうのが楽しい。

最近の写真

  • Img_5515
  • Img_5473
  • Img_5498
  • Img_5497
  • Img_3193
  • Img_3192
  • Img_5496
  • Img_5491
  • Img_5490
  • Img_5489
  • Img_3189
  • Img_3188

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉