2018年9月21日 (金)

「やばい」の意味は「警察につかまりそうで危険だ」だけだった

今日は9月21日。

 

前投稿に引き続きメルマガ関連。

毎週日曜日に届くメルマガ「言葉拾い」

※参考:まぐまぐ!「言葉拾い」

8月26日発行の№654より引用します。

  

■ やばい ■

若者の間で日々飛び交っている「やばい」。

ポジティブにもネガティブにも使える、

変幻自裁の「やばい」を取り上げてみました。


「やば」(形容動詞)

法に触れたり危険であったりして、不都合なこと。

江戸時代にも使われていた語です。


「やばい」(形容詞)

危険や不都合な状況が予測されるさま。あぶない。

「やば」の形容詞化。

元は、的屋・泥棒などが警察の手が及ぶ恐れのある時に

使われた隠語です。

  

この冒頭の文章で私は興味津々となりました。

江戸時代に使われていた「やば」(形容動詞)の

形容詞化が「やばい」

その「やば」の意味に驚き。

法に触れるような行為でした。

 

 

若者の間では、

“最高!”“すごくいい”の意にも使われます。

良くないことをいう否定的用法から

良いことをいう肯定的用法にどのように変化したのでしょう。

  

  

ここでメルマガの著者は、

国語辞典の記述の変遷をたどってくれます。

これが面白い。

  

  

<<新明解国語辞典>>

◇初版-1972年

警察につかまりそうで危険だ。

◇3版-1981年

1、警察につかまりそうで危険だ。

2、不結果を招きそうで、まずい。

◇4版-1985年

3班と同じ。

◇7版-2012年

1、違法なことをするなどして、

   警察の手が及ぶ恐れのある状態だ。

2、自分の身に好ましくない結果を招く様子だ。

3、最近の若者の間では、

   一種の感動詞のように使われる傾向がある。


<<岩波国語辞典>>

5版の1994年に初めて「やばい」が登場します。

危険や悪い結果が予測されるさま。

あぶない。まずい。

◇7版-2009年

1、危険や悪い事が起こりそうな形勢だ。あぶない。

2、近年は「すごい」の意味でも使う。


<<広辞苑>>

今年10年ぶりに改訂になった「第7版」で、

若者用法が追加されました。

1、不都合である。危険である。

2、のめり込みそうである。


だいたいの時代感覚がつかめましたでしょうか。

両面で使わるようになって20年くらいと思われます。

最近は、

「やば」「やべえ」「やべ」と短くなっています。

 

 

はい、時代感覚がつかめましたよ。

1972年の辞書には

「警察につかまりそうで危険だ。」しか

載っていなかった言葉だったのですね。

驚きです。

 

さらに著者は面白いことを書いてくれました。

   

  

正反対のことを表現する「やばい」。

気心の知れた仲間同士でないと、混乱をきたしますね。

  

最後に、

「やばい」だけで成り立つヤバイ会話を紹介します。

+ --- + --- +

A「やばい!ここの料理めっちゃやばい!」

B「ほんとだ。ガチでやばい!」

A「あー、もうお腹もやばいわ」

B「オイラ財布やばいからおごりね!」

A「ええ!? ていうか金額やばくね?

   やばい! 金ないし」

+ --- + --- +

A「この猫やばい!」

B「ほんとだ。やばいねー」

A「まじやばい! 連れて帰りたい!」

B「君のアパート、ペットやばいんじゃないの?」

A「やばいけど、この子をこんなやばいところに

   ほっとく方がやばくない?」

B「じゃさー、もらってくれる

  やばいくらいいい人を探そうよ!」

A「よし! 今からやばいいい人を探しにいこう!」

+ --- + --- +

 

まあー、めまぐるしく良い/悪いの意味が変わること。

これだけ使い倒されていると、あきられないでしょうか。

「やばい」の今後が気になります。

   

  

私も気になります。

いいネタを教えてくれて感謝。

 

Dly1703290032f1 産経フォト

2017年3月29日

  

目指す数が固定された「7419」

 今日は9月21日。

  

慌ただし日々。

そう言えば最近、「教育の鉄人」のメルマガを読んでいないと

気がつきました。

調べたところ・・・ビックリ!

7月27日に廃刊!

Photo  

2か月前に何があったんだろう。

「諸事情」とは?

  

このメルマガの発行数が、私の目標でした。

いつかは私のブログの発行数が追いつくぞと思っていました。

でも教育の鉄人の発行数は多く、

少しずつ引き離されていました。

それが突然止まった。

  

7419

  

教育の鉄人に勧められて始まった「ここでも道草」

目指す数が固定されました。

今回が5889本目。

それでも何年かかかります。

引退までには間に合うかな。

 

  

でも思います。

永遠なものはないんだと。

すさまじい発行数を誇ってきた「教育の鉄人」メルマガが

終わってしまうことがあるのですね。

ずっと昔、私のことも書いてもらったことがありました。

何度か、このブログにも文章を引用させてもらいました。

  

2か月近く経ってから廃刊に気づくのは失礼でした。

長い間ありがとうございました。

  

  

う~ん、諸事情って何だ?

2018年9月19日 (水)

今朝はうろこ雲が広がっていました

今日は9月19日。

  

今朝は東の空の朝焼けがきれいでした。

日の出に照らされて、東の空限定でうろこ雲が

赤く光っていました。(写真はなし)

 

東の空限定だったうろこ雲が、

出勤の頃には空の半分以上にまで広がっていました。

勤務校の駐車場で撮った写真です。

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見事なうろこ雲でした。

3年前の冬の投稿を思い出します。

ここでも道草11月16日~12月9日の雲の写真(2015年12月10日投稿) 

ここでも道草 「うろこ雲」「日暈」は天気が崩れる前兆(2015年12月11日投稿)

あの時のうろこ雲は、日本各地で見ることができました。

今回はどうなんだろう?

また数日したら調べてみよう。

 

「うろこ雲」が出ると天気が崩れる。

明日は雨降りのようです。

 

 

ここで解決しておきたいのが、

うろこ雲とひつじ雲の違い。

違いを説明してサイトはいくつかありますが、

このサイトがよかったかな↓

ウェザーニュース うろこ雲とひつじ雲を一発で見分ける方法とは?

  

この図がいい。転載します。

201709140195_box_img0_a  

文章も引用します。

  

うろこ雲は、いわし雲なんて呼ばれ方もしますが、

気象学的には巻積雲(けんせきうん)の一種に分類されます。

秋を代表する雲で、上空の高いところに発生します。

また、巻積雲は雲が薄く、太陽がすけるため陰ができません。

ではひつじ雲はというと、高積雲(こうせきうん)の一種です。

巻積雲と比べると、発生する場所が低く、

雲が厚いため、底に陰があります。

  

  

「底に陰がある」

そうか、そうなると、今朝の雲はうろこ雲ではなくて、

ひつじ雲なのでしょうか?

「うろこ雲が出ると、3日以内に雨」

「ひつじ雲が出ると、翌日が雨」

 

そうなると、やっぱりひつじ雲かな。

  

上記サイトを見ると、簡単に見分ける方法を書いてくれてあります。

参考までに見てください。

 

  

以上です。

通算5888本目の投稿記事。

本当は夏休み中に行きつきたかった本数です。

※参考:ここでも道草 この夏も充電しよう/風鈴の起源/有能な者は行動し、無能な者は・・(2018年7月21日投稿)

19日遅れ。

  

2018年9月18日 (火)

20180901報告その3 膝に手を置いて聴くのがいいのか?

今日は9月18日。

  

今日は再び青木ヶ原樹海に行きます。

8月に3回、富士山方面に行きましたが、

9月も行きます。

次の予定はないので、これがおそらくラストです。

今回は親戚の叔父さんと叔母さんを案内します。

70歳前後の方たちで、ふだん山歩きはしていないので、

無理のない山歩きをしようと思います。

紅葉台まで自動車で登り、展望台から景色を眺め、

その後三湖台までささやかに登山。

そこで8月のように富士山や樹海が拝めたらと思っています。

ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました 離れ難かった三湖台(2018年9月2日投稿)

そして富岳風穴体験。

元気があったら、樹海の中を歩いて鳴沢風穴までの往復。

そんな予定です。

出発もゆっくりです。

  

  

この時間を利用して、9月1日のキミヤーズ塾で学んだことを

やっとここに書き留めておこうと思います。

「20180901報告」シリーズとしては、3本目です。

ここでも道草 20180901報告その1 獨鈷抛山千手寺の参道を自動車で走る(2018年9月10日投稿)

ここでも道草 20180901報告その2 獨鈷抛山千手寺の境内でロケ地チェック(2018年9月11日投稿)

9月1日は京都でいい体験をした日でした。

  

  

キミヤーズ塾はおそらく9回目。

回数が多くなると、何回目だっかなと迷います。

次回は記念すべき10回目。

2月23日に行われます。

 

  

最初に赤木和重先生のお話。

日々の仕事。慌ただしいので、意外に考えていない。

常識・正解と思われているものを疑うことをした方がいい。

自らのやっていることを疑うのがいい。

ふだん何気なくやっていることを疑う。

たとえば、弁当を食べる時に、みんなで一斉に

「いただきます」を言うことは本当に正しいか?

考える。もちろん、楽しく考える。楽しく疑う。

キミヤーズ塾は、「答え」を得る会ではない。

終わった後に、アイデアが湧き出てくる会。

 

※(この報告では、※印は私の感想)

 教師はアイデア勝負でいいのだと教えてくれたのが村上公也先生。

 だからキミヤーズ塾に出かけています。

 まだまだ世間の学校空間に比べると、キミヤーズ塾は異空間。

 その異空間に浸ることで、頭は活性化されて、

 ふだんの仕事で活用できるアイデアが浮かんできていると思います。

 年2回のキミヤーズ塾は、リフレッシュになります。

  

  

 

また裁判がありました。風刺劇は前回に引き続き、

村上先生のやり方をめぐる裁判劇でした。

今回は高等裁判所が舞台。

 

※村上先生の指導について考えるのに、

 裁判で考えるという発想がいい。

 裁判ネタになるほど、村上先生のやり方は、

 世間から見て賛否両論があるからです。

 学習規律の徹底は、村上先生から見たら必要のないこと。

 どんな座り方をしていても構わない。

 机の上に乗っていても構わない。

 世間では、そこまで踏み切れません。

 でも現状を疑うきっかけにはなります。

 教師の話を聴くときに、膝に手を置いて聴くのが本当にいいのか。

 しっかり聴くときは、私の場合は、右手はペンを持ち、

 左手はノートを抑えながら、メモをしながら聴きます。

 聴いたことを漏らさないようにです。

 だから、授業に限っては、子どもたちがそうなったらベストだと思います。

 もちろん、ペンでカチカチ遊び出したら、

 他の人に迷惑なので注意。それは大人も一緒。

 ただ、教師もプレッシャーがかかります。

 メモをするに値するほどの話ができるかどうかです。

 ここは教材研究の質・量が重要になってきます。

 2学期の社会科の授業は、メモをしながら聴くことを

 子どもたちに言いたいです。そのような聴き方ができる

 子どもたちにしたいです。それが将来生きる力になります。

 さらに、メモして聴いたことで疑問があれば、

 その授業中に尋ねることができるようになればさらにいいです。

 その質問に教師が答えます。

 子どもたちの質問力のアップになります。

 質問をするということは、理解できた証拠であるし、

 関心が高まっている証です。

 答えられなかったら、教材研究の質・量を考えなければなりません。

 あるいは、質問した子どもが調べていくきっかけになる可能性もありです。

 この子どもと教師のコミュニケーションは授業で大事です。

 膝に手を置いて聴くことを強調して、

 子どもたちに受け身を強調しすぎると、

 このコミュニケーションは期待できません。

 最近は、授業での子ども同士のコミュニケーションの重要性が

 増しています。

 もちろん重要です。

 同級生が自分と同じことを考えていることを知る体験、

 あるいは同級生でも自分とは違うことに目をつけて、

 別のことを考えている体験は貴重です。

 自分の思いを相手に伝えようと表現する機会としても大事。

 キミヤーズ塾のように、役割を与え「代わり番子」によって、

 自分の存在感を確認できます。

 でも、あらためて授業の基本である子どもたちと教師の

 コミュニケーションにも注目すべきだと思います。

 教材研究で変えることが容易(たやす)いのは、教師の話す内容です。

  

※ほらほら、キミヤーズ塾のいいところがさっそく出ました。

 上記の考えは、キミヤーズ塾の裁判の様子を見ていて浮かんだことが

 きっかけになっています。

 手を膝において聴くことは、教師だって学びの場ではやっていない。

 実際はメモしながら聴いている。これがベストではないのか。

 そう思っていました。

  

  

いかん、もうこんな時間です。

出かける準備をしなくてはいけません。今朝はここまで。

2018年9月17日 (月)

3種の好奇心/「拡散的好奇心」を「知的好奇心」へと移行させる

 今日は9月17日。

  

このサイトと出会いました↓

本は熱いうちに読む 知識こそが、好奇心の源泉「子どもは40000回質問する」(2016年の記事)

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この本からの引用をしつつ、

コメントが書かれています。

  

サイトから引用します。

  

 

子どもは「なぜ」「どうして」が口癖のように

なんでも思うことを聞いてくる。

これが好奇心であり、目新しいものすべてに

惹かれるこの好奇心を「拡散的好奇心」と呼ぶ。

そして、知識と理解を求める意欲へと変化していく好奇心を

「知的好奇心」と呼び、本書はこの知的好奇心がテーマとなっている。

また、知的好奇心の次に注目するのが「共感的好奇心」であり、

他者の考えや感情を知りたいというもの。

ただ、今の社会では拡散的好奇心を刺激するものばかりだそうだ。

  

「好奇心」を3種に分けるのが新鮮です。

「拡散的好奇心」「知的好奇心」「共感的好奇心」

なるほどです。

  

「ツイート、見出し、広告、ブログ、スマートフォンのアプリなど、

どれも満足したかと思うとすぐに物足りなくなり、

私たちは満足を得ることにかつてないほど性急になっている。

人気のテレビ番組や映画などはテンポよく展開し、

私たちの注意を捉えて離さないように入念に工夫されている。

アメリカ映画のワンカットの平均時間は、

1953年には27.9秒だったのが今では約2秒になっている。」

 

編集や撮影技術の進歩によって平均時間が短くなってるのではと思うが、

それでも短くなりすぎです。

  
  
テンポよく展開することが大事になってきた
 
時代だと思います。
 
映画もそうかもしれませんが、授業でもそうです。
 
でもいつかは過剰になる時が来ます。
 
その時にはどんな事態が起こるのでしょう?
   
  
 
すぐ答えを知ることができる世界
  
 

本書ではインターネットによって好奇心が奪われると述べていて、

作家のケヴィン・ドラムは

インターネットは賢い人間をさらに賢くし、

間抜けをさらに間抜けにする」とまで言っています。

好奇心というのは情報の空白があることによって

かき立てられますが、インターネットは瞬時に

この空白を埋めることが可能です。

そして、この行為をミステリーからパズルに変えると表現しています。

 
  
 
インターネットは疑問をすぐに解決できるものだと
 
ずっと思ってきました。
 
そのインターネットの特徴を、
  
ミステリーをパズルに変えたと表現しています。
 
これもなるほどです。
 
今朝も「火が常に灯されている話」を調べて書きましたが、
 
情報の空白が次々に埋まっていきました。
 
すぐに情報のパーツは見つかり、手にできます。
 
そして空白を埋めることができます。
  
確かにパズルですね。
 
  
 
この世界には多くの謎があります。
 
そしてそれらについて知りたいと思い、考えることが大切なんだと。
  
  
 
知りたいと思うのはいいけど、
 
「考えること」が大切。
 
あれこれ想像することが、疑問をミステリーにするのでしょうか。  
 
この点については、イマイチ不明。
 
実際に本を読んでみたいところです。 
 
(すでに図書館に予約はしてあります)
  
  
  
  
  

幼児は、常に好奇心にあふれていて、すべての物事に興味を持っている。

そんなことを思う人がいる。

私もこの本を読むまではそんなことを思っていた。

 

だが、幼児も大人と一緒で、

好奇心旺盛な時とそうでない時があるらしい。

そして、好奇心が旺盛な子とそうでない子の差には、

2つの要因があると心理学者のビガスとグリガが言う。

それは「知能」と「幼児の問いかけに大人がどう応えるか」

 

子どもにとっては、あるテーマについて

思考をめぐらせるのに必要な基本的情報がないかぎり、

気まぐれな好奇心(拡散的好奇心)を持続的な好奇心(知的好奇心)へと

発展させることは難しい。(中略)

好奇心が失われるのは、親や教師から知識を与えられないときだ。

ほんの少しの興味が湧いても、十分な背景知識がなければ

「自分には向いていない」と思い、投げ出してしまう。

知識こそが、好奇心を持続させる力なのである。

   

幼児が「なぜ」「どうして」と聞いてきた時、

つい適当な答えを言ってしまう時がある。

しかし、その反応はよくない。

きちんとした答えや思考へと導いてあげることが

親や教師である大人の役目なのだ。

 

そして知識を蓄えてあげることによって好奇心が刺激され、

様々なことに興味を抱いていく。

知識。これは大人でも同じだろう。

気になったことに対しての知識が全くない場合、

興味を抱くのは難しい。

 

好奇心を持続させる力、それが知識であり、

好奇心を保つために必要なのである。

  

  

「知識こそが、好奇心を持続させる力なのである。」 

そう思います。

子どもたちが本来持っている「拡散的好奇心」をどうやって

「知的好奇心」に移行させるかが、教師の腕の見せどころ。

そのような視点をもらったサイトでした。

  

  

  

ただ、サイトの前半部分と後半部分がつながらない。 

前半でインターネットの弊害などを述べているのですが、

それが後半部分の「知識こそが、好奇心を持続させる力」と

いう説とどうつながるのか。

部分的にハッとさせられつつも、全体的には消化不良。

やっぱり「子どもは40000回質問する」を読んでみよう。

読んでからこのサイトを見たら、もっと理解ができると予想します。

でもこのサイトで「子どもは40000回質問する」が

読みたくなりました。

火が常に灯されている話/延暦寺の「不滅の法灯」

今日は9月17日。

 

前投稿に続いて「火が常に灯されている話」

 

今回は比叡山延暦寺の「不滅の法灯(ふめつのほうとう)」のこと。

 

そのことを扱った番組は、3月13日放映の

京都ぶらり歴史探訪SP 都に輝く偉人たちの物語」(BS朝日)です。

  

「不滅の法灯」に関係する最澄の話を聞き書きします。

  

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ナレーター:伝教大師(でんぎょうだいし)最澄。

  空海とともに唐に渡った日本の天台宗の開祖。

  (中略)

  京都の北東にそびえる比叡山。

  京の人々から長きに渡り信仰を集める聖なる山です。

  その山頂にあるのが、芝翫(しかん)さんが心動かされた

  延暦寺芝翫さん=中村芝翫 番組の案内人)

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延暦寺を案内してくれる方↓

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延暦寺総務部主事の磯村良定さん。

 

文殊楼という門をくぐると、根本中堂が見えてきます。

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クレーンが見えます。

現在、根本中堂は改修中。

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改修工事が終わって完成するのが、平成26年3月。

長期間の改修工事です。

  

改修前の根本中堂↓

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Rimg0395  

ナレーター:門をくぐり、長い階段を下りた先に見えるのが、

  根本中堂(こんぽんちゅうどう)。

  通常のお寺で言う本堂に当たこの建物こそ、

  延暦寺でもっとも大切な場所。

  (中略)

  今から1200年以上前、平安時代の僧侶、

  伝教大師最澄が延暦寺の始まりとなる小さなお堂を建てました。

  それが根本中堂となり、今なお、寺の中心的な役割を果たしているのです。

  (中略)

  (根本中堂の)中には、荘厳な空気が張り詰めています。

Rimg0396  

上の1枚も含めて、今から載せる写真は、

実際に行っても現場で撮ることができないものです。

「撮影禁止」の場所です。

この番組の映像は貴重です。

  

ナレーター:正面にしつらえられた宮殿(くうでん)の中にあるのが、

  延暦寺の本尊。最澄自身が刻んだと伝わる薬師如来は秘仏とされ、

  手を合わせることができるのは、代わりに置かれた前立(まえだち)。

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ナレーター:現在、(秘仏の)御開帳の予定はありません。

  本尊の薬師如来以外にも、最澄の時代から大切に守られ、

  受け継がれてきたものがあると言います。

  それはいったい?

 

磯村さん:薬師様の前に3つの燈籠が並んでありますけど、

  私たちはそれを「不滅の法灯」と呼ばせていただいております。

  伝教大師様がご自身で灯されました灯りだと言われております。

Rimg0400  

ナレーター:最澄が薬師如来を祀った時に灯したという「不滅の法灯」

  それ以来、1200年以上にわたって、その火を絶やさないように

  僧たちが守ってきたんです。

 

磯村さん:非常に大きなお皿の中に油が入っておりまして、

  それに灯芯(とうしん)という芯があります。

  その芯を取り換えて油をつき足すというただそれだけの

  作業なので、誰でも簡単にできるんですけど、

  誰がこれをすると当番が決まっていないんですね。

  ですので、比叡山にいる者は全て、きちんと

  「不滅の法灯」が消えずに伝わっているんかどうか、

  常に気にしないといけないのです。

  だから、昔から延暦寺のお坊さんは、

  「油を断つな」と言うのが、それぞれの心の戒めとして、

  合言葉のようになってたそうで、

  その「油を断つな」というのが、

  「油断」という言葉の語源になっているのではないかと

  言われています。

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以上が、火が常に灯されている「不滅の法灯」の話。

ただこの延暦寺の「不滅の法灯」が一度だけ消えたことがあるそうです。

そのことを書いたサイトがここ↓

多摩湖畔日誌 「不滅の法灯」と「油断大敵」 (2010年の記事)

一部引用します。

  

比叡山の「不滅の法灯(ほうとう)」は、

天台宗を開いた最澄(さいちょう)の時代に始まり、

以来1200年以上にわたって途絶えることなく灯っている。

この「不滅の法灯」は、山形県の通称・山寺「宝珠山・立石寺」に

分灯されていることをご存じだろうか。

そして実際は、比叡山も山寺も戦国時代に一回づつ消えたことがあるが、

分灯していたことが幸いし、引き続き法灯を守り続けている。

油断大敵」の語源は種々あるが、この「不滅の法灯」を消さないように、

毎日、「菜種油」を注ぎ足している僧侶達の緊張感を思うと理解し易い。

光は、ただ漫然と守られている訳ではない。

天台宗を開いた最澄(さいちょう)は、

この法灯に

「明(あき)らけく後(のち)の 仏の御世までも 

光りつたへよ 法のともしび」と詠まれた。

仏教の難しい話は分からないが、

きっと、この光には後の世まで永遠に照らして欲しいとの

願いが込められているのだろう。
しかし、この法灯も一度づつ消えたことがある。 

いずれもだ。

「比叡山」は1571年(元亀2年)、織田信長の叡山焼き討ちで全山が消失。

山寺」は1521年(大永元年)、立石寺が伊達氏に味方したことで、

最上氏の軍勢に攻められ焼失している。

ここでも法灯を守り続けることの難しさと、

万が一に備える大切さ、そして「油断大敵」を教えている。

なお「法灯」は、現在、岩手の中尊寺等数カ所に分灯されている。

一箇所集中は危険であり、リスクの分散は大切なことだ。

 

以上です。

体育祭開会式で同僚の社会科の先生と話したことで、

ささやかな好奇心が湧き、いい道草ができました。

 

次は「好奇心」のことを書きます。

  

火が常に灯されている話/ヘスティアの祭壇

今日は9月17日。

  

昨日は勤務校の体育祭がありました。

2学期になって台風が来たりして、雨の多い日々でしたが、

幸いにも昨日は晴れ。無事に済みました。

 

開会式で聖火ランナーが運動場を走り、聖火台に火を灯します。

その時に、隣にいた同僚の社会科の先生が、

「アテネの聖火って、ずっと燃えているんですかね」

と聞いてきました。

「どうなんでしょうね」

2人で、遠いギリシャの聖火に思いを馳せていました。

実際どうなんでしょう。

調べました。  

  

結論は、オリンピックの聖火については、

毎回採火され、聖火ランナーにに引き継がれ、

大会会場に届けられるそうです。

Wikipedia オリンピック聖火から引用します。

  

古代ギリシア人にとって、火はプロメーテウスが

神々の元から盗んできたものだと考えられており、

神聖なものだった。

このため、火はオリンピアの多くの神殿に見られるのである。

火はオリンピアにあるヘスティアーの祭壇で燃え続けた。

オリンピック開催期間中は、ゼウスとゼウスの妻ヘーラーの

神殿に火がともされ、ゼウスを称えた。

近代オリンピックにおける聖火は、

かつてヘーラーの神殿が建てられていた場所で採火されている。 

  

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Otr016jpp021257300 JIJI.COM リオ五輪(2016年)・聖火リレー 写真特集より

 

こんな採火式の様子は、以前見たことがあります。

 

   

ここで気になった記述が「ヘスティアの祭壇で燃え続けた」です。

オリンピックの聖火には関係ないけれど、燃え続けている火があるの?

ヘスティアについて、調べました。

ファンタジィ事典 ヘスティアー

  

 

ヘスティアーは古代ギリシアの竈(かまど)、あるいは炉の女神。

ゼウスやポセイドン、ハーデースら6人兄弟の長女。

炉は家の中心であり、彼女は家庭を守護する女神として崇拝された。

また、生け贄を捧げる祭壇も彼女の管理下にあるとされた。

都市の神殿には彼女の祭壇があり、常に火が灯されており、

ヘスティアーは都市の守護者と考えられた。

新しい植民地を建設する際には、この祭壇から火が運ばれ、

植民地にもたらされた。 

  

 

火が常に灯されているという発想はあるようです。

以前、番組で見た比叡山延暦寺の

不滅の法灯(ふめつのほうとう)」を思い出しました。

これも火を常に灯す発想です。

いい機会なので、この番組について、次の記事で読み物化してみたい。

  

2018年9月16日 (日)

「それぞれの街に、それぞれの沢村さん」田部武雄さんのこと その5

今日は9月16日。

  

前投稿の続きで、

天才野球人 田部武雄」(菊池清麿著/彩流社)より引用。

  

田部さんは沖縄戦で戦死しました。

現場は摩文仁の丘。

その最期の様子を書いた文章を引用します。

  

 

田部の部隊は、海岸まで追い詰められていた。(中略)

後方から米軍歩兵と戦車軍が迫ってくる。

海からは哨戒艇の攻撃が容赦なく行われた。

万事休す。

田部は完全に追い詰められ、もはやこれまでと思った。

(215p)

  

海は哨戒艇で埋まっているが、波の音は穏やかだった。

ゆっくりと奏でられる静かな波音が田部の記憶を蘇らせた。

やがて、その音は球場の歓声のようにも聞こえてきた。

田部は死を覚悟していた。

だが、もう一度人生最後の盗塁を決めてやろうと思った。

かつて、アメリカの観衆はスピード満点の田部の俊敏無比の

韋駄天ぶりに驚き、興奮し熱狂した。

そして、そのスリリングな走塁へ惜しみない拍手を送った。

アメリカ女性からも方々でサインを求められた。

もしかしたら、敵の米兵のなかにも、かつて球場で

田部の快足を見た者がいるかもしれない。

今一度、己の健脚を見せてやる。

そう思うと老兵は、一瞬、軽く目を閉じた。

アメリカの青い空が浮かんだ。

果てしなく広がる紺碧の空、思い出は美しい。

「タビー・ストロング・ベース」

アメリカ人は田部をこう呼んだのだ。

 

田部は海岸に向かって走り出した。

かつてアメリカの広大な大地を走りまくった頃の

自分に戻っていた。

アメリカの青空の下でおもしろいように盗塁を決めた。

二盗、三盗、ホームスチールと、小兵の田部は

大男揃いのアメリカ内野手のあいだを俊敏無比の

疾風の如くくぐり抜けたのである。

 

我が野球人生に悔い無し。田部は走った。

日米の野球ファンを魅了した生涯最後のベースランニングである。

猛然とダッシュした。加速がつく。

脚力はいささかの衰えもない。

機関銃の火のような掃射を巧みにかわした。

まずは二盗に成功。次は三塁だ。

田部は二盗よりも三盗を得意としていた。

田部は三塁も陥れた。最後は本塁である。

 

田部は人生の締めくくりをホームスチールで決めてやろうと思った。

「タビー、ホーム、ホーム」という歓声が聞こえてきた。

投手の足が上がった瞬間、田部はさらに加速し一気に駆け抜けた。

摩文仁海岸には紺青の海が広がっていた。

日本野球界、希代の天才野球児・田部武雄は、

穏やかな平和の時代を求め、静かに消えて行った。

(215~216p)

田部さんがアメリカ遠征で活躍したのが、

1935年(昭和10年)のこと。

そして、戦死したのが10年後の1945年6月。

(日にちは不明)

たった10年で、アメリカ人の歓声を受けていた田部さんが、

アメリカ兵の撃つ機銃掃射で命を落としました。

摩文仁で追い詰められた時に、田部さんはどう思ったでしょうか。

今自分に起こっている現実を、現実と思っていたのでしょうか。

あのアメリカを憎しとは思っていなかったと思います。

なぜこんなことになってしまったのだと思い、

悪夢と思いたかったろうなと思います。

 

本の著者は田部さんのことを「薄幸」と書いていました。

活躍するのですが、「優勝」に縁が少なかった田部さん。

田部さんがそのチームを離れると「優勝」が来ていました。

巨人を解雇され、プロ野球から追放されてしまった田部さん。

そして奥さんの子どもを残しての戦死。

やっぱり無念だっただろうなあ。

  

全く知らなかった田部武雄さんの人生を知りました。

ここに書きとめることができました。

今も日本で盛り上がっている野球の歴史には、

このような野球人がいたのですね。

  

2018年9月15日 (土)

「それぞれの街に、それぞれの沢村さん」田部武雄さんのこと その4

今日は9月15日。

 

9月12日の投稿の続きで、

天才野球人 田部武雄」(菊池清麿著/彩流社)より引用。

  

田部さんが華々しく活躍した時の一つが、

1935年(昭和10年)の東京巨人軍アメリカ遠征です。

  

たとえば・・・

 

10回表、(一番)田部は外角を巧く流してライト前ヒットで出塁。

初球、田部はいきなり走った。

脱兎(だっと)のごとく走り二塁ベースに滑り込んだ。

二番の矢島は左打者である。

そのために相手バッテリーはまさか田部が三盗はしないだろうと思った。

だが、田部は巧みにリードを取って三塁を陥れた。

隼のごとく三塁に滑り込んだのだ。

矢島の第四球目、本塁の砂煙が舞い上がった。

田部の姿が煙の中から出てきた。

猛烈な拍手が起きた。

試合は結局巨人軍が9対5で勝利した。

田部はヒットだろうが四球だろうが、

一塁べース上に立てば後は一人でホームに帰ってくる。

もし、田部がヒットを放ったところでトイレに立った客がいれば、

席に戻ってみるとスコアボードに1点が掲示されているのを

眺めて怪しむに相違ない。

なぜなら、矢島がそのままバッターボックスにいるからである。

投手がたった四球の球数を投げるあいだに

ベースを一巡してしまう走者がいようとは

誰が想像したであろうか。

不思議な現象に遭遇し頭が混乱しただろう。

だが、田部の快足を知れば納得するであろうし、

同時に塁間を駆け巡りホームスチールを見られなかったことを

悔しがるにちがいない。

(146~147p)

  

こんな具合です。109試合で105盗塁を記録しました。

Wikipediaには次のように書いてありました。

  

本場アメリカ野球相手にホームスチールを成功させ

「田部がスチールできないのは一塁だけだ」と、

アメリカ人を驚かせ「タビー」と呼ばれた。

  

痛快じゃないですか。

アメリカ遠征時の映像と思われる動画がありました。


YouTube: 田部武雄 

和数字の背番号「三」を背負った田部さんが映っていました↓

Photo

   

 

(昭和15年)首位打者は最後まで川上(哲治)と争った

鬼頭数雄(中京商業)が獲得した。

鬼頭は快足を活かしセーフティーバンドを決めるなど、

好打で川上に競り勝った。

鬼頭は打率・321の結果を残し首位打者の栄冠を手にした。

鬼頭は中京商業夏の甲子園三連覇のメンバーである。

その後、日大で活躍した。

その鬼頭も太平洋戦争が始まると応召(おうしょう)され、

歩兵第135連隊陸軍兵長として激戦のサイパンに従軍し

消息を絶った。

米軍の猛爆撃のさなか消えたのである。

(193p)

  

私が子どもの頃に野球に夢中だったときは、

巨人軍、川上監督、王貞治選手、長嶋茂雄選手が、

プロ野球の中心でした。

川上監督が昭和15年に首位打者を争った鬼頭選手。

注目したい。

(ちなみに昭和14年、16年に川上選手が

首位打者になっています。)

  

地元愛知県勢が夏の高校野球で3連覇していて、

それが中京商業であることは子どもの頃から知っていました。

昭和6年~8年のことでした。

そのチームにいたのが鬼頭選手でした。

名古屋市生まれ。

この人の特徴の一つに、左利きの2塁手だったことがあるようです。

※参考:鬼頭数雄:左利きの内野手

今に至るも、左利きの2塁手は珍しいようです。

 

 

上記サイトによると、鬼頭選手が戦死したのは、

マリアナ諸島沖とあります。

サイパン島はマリアナ諸島の一つ。

サイパン島に向かう移動中に亡くなったのか?

サイパン島での戦いは1944年6月15日から7月9日。

鬼頭選手が亡くなったのは1944年7月となっていて、

日にちは不明。

もう少し詳しく書いたサイトはないか調べました。

このサイトがよかった↓

職業野球異色列伝 鬼頭数雄

首位打者争い、戦死のことが詳しかったです。一部引用。

 

鬼頭と川上の首位打者争いがあったのは昭和15年のことだ。

この年のリーグ打率は2割0分6厘、チーム打率1位の巨人は2割3分7厘

という数字が如実に物語る通り、稀に見る「投高打低」のシーズンで、

一説によれば「最も粗悪なボール」を使ったとされる。

戦時下体制の影響から、連盟規定に沿う正規の使用球を作製できず、

使い古したボールや質の悪い代替品で作ったボールを用いて

公式戦をおこなっていたのだ。

このような状況下にありながら、鬼頭と川上は

シーズンを通して打率3割台を維持し続けた。

シーズン開幕の3月から対決の火ぶたが切られた。

中盤戦を終えた8月までの成績は、1位・鬼頭の3割2分4厘9毛に対し、

2位・川上は3割2分4厘6毛と、たったの3毛差。

球史初の〝厘〟と〝毛〟の差を争う死闘を展開、

川上をして「いっそのこと軍隊に入ったほうがマシだ」と

言わしめたほど熾烈を極めた。

そして、抜きつ抜かれつの大熱戦の末、

鬼頭が首位打者のタイトルを掌中に収めた。

だが、今日に至るまで「打撃の神様」に勝利した実績は語り継がれず、

歴史の影に埋もれたままである。

昭和17年2月、歩兵第18連隊第7中隊に入営し、

その後は歩兵第135連隊に配属。

昭和19年7月、マリアナ諸島サイパン島に消息を絶つ。

白木の箱には「鬼頭数雄」と書かれた、

薄くて小さい木板が1枚だけ入っていたという。

  

  

歴史の影に隠れて私には見えていなかった鬼頭選手を、

天才野球人 田部武雄」を読んだことで、

日の当たる場所に引っ張り出すことができました。

  

  

    

 

2018年9月14日 (金)

父親に米寿のお祝いが届く

今日は9月14日。

  

昨日、地区の民生委員の方が来訪。

父親に米寿(88歳)のお祝いを届けてくれました。

地元の市社会福祉協議会からいただきました。

お祝い金と、白木箸とお茶でした。

添えられた手紙には、

「長年にわたり、社会にお尽くしいただきましたことに、

心から感謝」とありました。

ありがたいことです。

今使っている箸は、だいぶ使い古してきていたので、

さっそく朝食から使うことにします。

   

先日87歳になった父親。

まだ88歳ではないがと思いましたが、

「数え」であるから88歳でした。

 

「米寿」を調べました。

豆知識PRESSより一部引用します。

 

米寿の「米」という漢字を分解すると、

八(ひっくり返して)、十、八となり、

末広がりの八が2つ重なることで大変めでたい年とされ、

昔からお祝いをされてきました。

  

米を分解すると八十八になることから、

米寿は数え年で88才を迎える年にお祝いをします。

  

数え年では、生まれた年を1才と考え、元日に1つ年を取ります。

このため、最初から満年齢よりも1才ほど多く年を重ねています。

つまり、生まれた年を0才と数え、

誕生日に1才年を取る満年齢にあてはめると、

米寿は87才に迎えることになります。

  

米寿では、金色、もしくは金茶色、

黄色のちゃんちゃんこや座布団、扇子、頭巾など

用意してお祝いします。

お祝いの贈り物として、ちゃんちゃんこや扇子を

贈る方が多いようですが、同様に金色や金茶色の衣類や

日用品を贈る場合もあるようです。

さらに、米寿にちなんでお米に

纏(まつ)わる物を贈る方もいらっしゃるようです。 

  

  

そうか、このようなお祝いを用意するんだなあ。

父親は”ぼけ”がこのところひどくなり、

身体も思うように動けません。

いろいろな病院に通い、

朝昼晩、薬を飲んでいる生活です。

家の中には転倒しないように補助具がいろいろ増えました。

デイケアサービスも使うようになりました。

我が家にはすっかり「介護」という言葉が浸透しています。

子どもの世話がすんだら、次は親の世話とはよく言ったものです。

実感する日々です。

  

それでも父親は頑張って生きています。

生き延びています。

毎日新聞を読んでは、必要なことをノートに視写しています。

たいしたものです。

やっぱりお祝いするべきことだと思いました。

考えないとなあ。

数えだから、今年中に。

 

Photo 京扇子の井ノ口松寿堂

 

こんなのいいなあ。でもちょっと高価。

 

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