2018年9月29日 (土)

通算5900本目の投稿/「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/大陸から引き裂かれるシーン

 

今日は9月29日。

  

前投稿の続きで、昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」より。

  

第1の事件。大陸から日本列島が引き裂かれたシーン。

番組では次のように紹介されていました。

  

ナレーター:激動の始まりは、今からおよそ3000万年前。

  恐竜が絶滅した後の哺乳類の時代。

  8mもある地球史上最大の哺乳類たちが

  温暖な大陸で暮らしていました。

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  大地に亀裂が入っていきます。

  ここから、その後、数百万年の時をかけて

  大地はゆっくりと裂けていきます。

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  大陸の真ん中で大陸が割れることはあっても、

  大陸の縁(ふち)が引き裂かれるのは、

  地球史上でも稀な現象です。

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  そしておよそ2500万年前。

  大陸の裂け目はさらに広がり、

  ついに太平洋から海水が入り込んできました。

  日本海の元となる巨大な入り江です。 

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  さらに数百万年かけて、陸地が大陸から

  引きちぎられていきます。

  こうして日本列島の元が2つに分かれて、

  海へと出て行きました。

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  (中略)

  列島誕生、第1の大事件、それは大陸の縁が2つに分かれて

  引きちぎられるという、地球史上極めて稀な大激変でした。

  そうして生み出された日本列島は、1500万年前、

  こんな形の島々として、この位置に定まったのです。

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ここにたくさんの写真を載せましたが、

これが動画で見ることができます。

とても魅力的な動画でした。

 

  

この大陸から引き裂かれたシーンの中で、

大きな陸地が海の下に消えるところがあります。

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その名残(なごり)は大和堆と言われる

日本海海中にある大きな広大な浅い場所。

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↑ 赤枠の部分が大和堆(やまとたい)。

それを大陸側に移してみると、合致します。↓

A

(黄色の矢印は私が書き加えました)  

  

以上です。

第2の大事件は、明日の投稿で。  

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/日本列島はなかった

 

今日は9月29日。  

  

前投稿で孀婦岩のことで、

昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」のことを書きました。

以前から読み物化したいと思っていた番組です。

今回、いっきにやってみようと思います。

  

この番組は、授業で使おうと思って断念した番組です。

ここでも道草 3000年前の列島誕生から、マンモス復活に変更(2018年7月2日投稿)

子どもたちに見せたい内容ですが、

上手に紹介できないと判断して止めました。

  

でもいつかは授業で使いたい番組。

(と、言っても私に残された年数は少ない)

ここで読み物化しておくことは大事です。

いざ使おうと思った時に、どのような内容だったか、

読むことで短時間で思い出せます。

  

  

番組では、日本列島が誕生したのは、

地球史上稀な4つの大事件が起こったからだと言っています。

 

第1の事件は「引き裂かれた大地」・・・

 日本列島は大陸から引き裂かれました。

第2の事件は「火山島の連続衝突」・・・

 二本に分かれていた日本を一本にしました。

第3の事件は「(紀伊半島で起った)地球最大規模の噴火」

第4の事件は「(東北で突如として起こった)列島の大隆起」

  

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」では、

第1の事件・第2の事件を扱っています。

(残りの2つの事件は第2集)

  

それでは印象に残った部分の聞き書きをしていきます。

 

ナレーター:今から46億年前。太陽系ができた頃。

  当時地球の表面はドロドロに溶けていました。

  その後、冷えて大陸ができます。

  大陸は形を変えながら、移動を繰り返します。

  そしておよそ1億年前、ユーラシア大陸の東を見ると、

  あれ?日本がありません。

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  そう、日本は最初なかったんです。 

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  では、何が起こって、日本列島は産声をあげたのでしょうか。

   

大陸の一部だった日本列島が、大陸から引き裂かれたのです。

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その引きちぎられた時の様子を次の投稿で紹介します。

  

 

今晩、まもなく「孀婦岩(そうふがん)」を特集する番組放映

 今日は9月29日。

  

今晩から明朝は道草するぞ!

  

今晩9時からの「NHKスペシャル」は注目です。

Photo NHKスペシャルHP

  

NHKスペシャル 東京ロストワールド 第2集 孀婦岩」です。

  

この孀婦岩に初めて注目したのは、昨年の7月23日に放映された

「NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」を見た時でした。

この番組については、ブログで読み物化しようと思っていましたが、

後回しにしていました。

今晩、孀婦岩が登場するのを機会に、

孀婦岩の部分だけ読み物化してみます。

  

東京都から南の海には、

たくさんの火山島があります。

それらの火山島は、関東方面に向かって一直線に

並んでいます。

これらの火山島は、太古の昔から北に移動していて、

日本列島の同じ場所付近に次々衝突していきました。

その結果、櫛形山地、御坂山地(この夏登った!)、

丹沢山地、そして伊豆半島ができました。

その火山島の移動は今も続いていて、その一つが孀婦岩なのです。

「列島誕生 ジオジャパン」の写真です。

 

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↑ ほらほら見えてきましたよ。

 

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圧倒される姿です。

こ孀婦岩の海底は下のようになっています ↓

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海の底から1200mも盛り上がった火山だったのです。

 

この番組で興味をもっていた孀婦岩を特集する番組が

もう少しで放映されます。

もちろん録画します。

楽しみです。

2018年9月26日 (水)

20180901報告その5 他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する

今日は9月25日。

  

前投稿の続きで、

9月1日に参加したキミヤーズ塾の報告です。

  

キミヤーズスタッフが、国語・算数の時間に、

それぞれのクラスで実践している教材・教具を

実演を交えて解説してくれる時間がありました。

  

「花びら学習」に興味をもちました。

中央に漢字を書いて、その漢字で見て思い浮かべることを

その周りにつなげて書いていくものです。

いきなり創作熟語が難しいと感じた時には、

このやり方がいいと説明してくれました。

出来上がった図は、漢字の意味を正しく説明するのではなく、

子どもの内にある漢字からいだくイメージの

「表現」になります。

  

 

赤木和重先生のお話より。

 

茶色が要項からの引用や聴いたことです。

※印は私の感想など。

  

最近、村上公也先生がよく怒っている。

学習規律や礼儀(返事「はい」)に嫌悪感を示している。

なぜか?不明。(村上先生は説明をする人ではない。)

ただ言えることは、教師が子どもを下に見て指導している。

子どもをコントロールしようとしている。

このことに村上先生は嫌悪感をもっているのではないか。

子どもに指導したことを対等(と考えている)の人間にしますか?

という自問。

  

※子どもを下に見ている。

 指導の時の言い方、やり方が、子どもを下に見ていないか。

 同等の人間に同じやり方ができるか?

 「教える」立場、「教えられる」立場はあると思うけど、

 それを上下感覚で指導することは、正直あると思います。

 でも感情的指導にならないようにしてはいきたい。

 子どものことを思い、どう言ったら気持ちよく浸透していくかを考え、

 指導にあたりたい。

  

 

・れっきとした子どもの人権侵害

 子どもの権利条約

 1:【人間としての尊重】

   子どもも1人の人間として尊重されなければならない。

   →他者の口に無理矢理ご飯を入れる行為の問題

 2:【子どもとして尊重】

   子どもの時期が、人間にとって特別な意味のある存在

   →一列歩行の問題(他:授業2分前に着席)

    特別支援学校小学部で、校舎周りを1列で黙って

    寄り道せずに歩く練習。実践意図は、社会に出て困らないように。 

   (子どもらしく遊ぶ・ブラブラする権利:31条)

   31条:締約国は、休憩および余暇についての児童の権利並びに

       児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を

       行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を

       認める。

 

※同等の人間に、無理やり口にご飯を入れることはしないでしょう。

 大人だったら、休憩時間が短ければ文句を言うでしょう。

 これらの指導は、疑問符のつく指導です。 

  

  

正しさが前面に出るときの先生の顔は、きつくなる。

優しさや面白さが出てこない。

(それがいいかどうかはまだ不明:赤木先生)

 

確かにそうなりやすいと実感あり。

赤木先生の用意された資料に、

赤木先生が書かれたコラムがありました。

これがまたいい。たっぷりここに書き留めます。

 

ある小学校5年生(通常学級)の授業をときどき見学するのですが、

 

そのクラスを訪れるのが楽しみです。

 

楽しみの理由の1つは作文。

 

掲示されている作文を読むのが楽しいのです。

 

生き生きしています。

  

文法や誤字など気にしないで

 

のびのび書いている様子が伝わってきます。

 

(実際、先生も、作文をみるとき、訂正や指摘は一切しないとのこと)

  

さて、ある思慮深い女の子の作文が目にとまりました。

  

大意を書くと、「担任の〇〇先生は変人だ。

 

〇〇先生以外にも、私の周りには変人がたくさんいる。

 

変人が多い分だけ、力や勇気をもらっているんだ」という内容。

 

え? 変人に力や勇気をもらう?・・・・

 

「変人」とか言わなさそうな子なのに、どうなってるの?

まさかの変人マニア? ドキっとしたのですが、

 

その担任の先生の様子を見ていると、

 

なんとなーく、文章の意味が見えてきました。

 

担任の先生はとてもユニークな方です。

  

社会の授業開始早々、1枚の写真(棚田の写真など)を見せて、

 

「これどう?』と子どもに問いかけるのみ。

 

「え、どうって言われても……」と固まるワタクシ。

 

それをよそに子どもたちは、自由にさまざまな意見を出します。

 

そして、子どもたちの意見を先生が拾いつつ、

  

授業が進んでいきます。 

 

子どもにとっても、見ている私にとっても、 

 

どこに話がいくか予想がつきません。 

  

予想がつかないのですが、不思議とそのなかから大事な問いが出てきて、

  

みんなで考えを深めていきます。とてもユニークな授業です。

 

ほかにも、「板書をそままうつさないこと。それは勉強ではない」

  

「本当に集中していたら姿勢なんて崩れる。

 

だから姿勢に気をつけすぎる必要はない」などユニークで、

 

でも本質的な哲学をもっておられます。

  

たしかに変人です。

 

こういう指導をするのは勇気がいることです。

 

他の先生と違うことをすれば、同僚や保護者のなかには

  

理解が難しい人がいたかもしれません。

  

でも、それでも自分の大事なことをまわりと調整しながらすすめていく。

  

そんな先生に、その子は魅かれたのだと思います。

  

他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する、

 

その姿勢に力と勇気をもらったのでしょう。

 

それに、そんな先生だから、きっと子どもの突き抜けた表現や

  

「おかしな」表現も大事にしてくれる、

 

そういう温かさと信頼も感じているのでしょう。

(後略)

「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」

(全障研出版部)より

 

「それでも自分の大事なことを

 まわりと調整しながらすすめていく。」

 自分の理想をしっかり持っていて、 

 それを周りと調整しながらすすめていくこと。

 すごいなあ。でも、感心してばかりではだめです。

 今のうちにやっておかないと、もう引退だぞ。

 ちゃんと理想を目指してやっているかい?

 自問したくなった文章です。

 

 今日の1時間目は、通常学級での社会科。

 何か一つ、理想としていることをやろう。

 聴くときには鉛筆を持って聞く。

 そのためには、メモする価値のある話をしないといけない。

  

 「他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する、

 

  その姿勢に力と勇気をもらったのでしょう。」

 

 教師の行為は、子どもに波及します。

 予想外の子どもたちの表現を楽しみたいです。

  

  

以上で、9月1日のキミヤーズ塾の報告終了。 

9月1日はいい日でした。

また異文化体験ができました。

 

岡本太郎さんが、かつてフランスの芸術に感化されて

日本に戻ってきました。

そしたら、日本のわびさびの世界がつまらなかったようです。

しかし、縄文時代の土器や土偶を見て、

大喜びをしたそうです。

岡本太郎さんが縄文時代に夢中になったのは、

このような過程を経たからなのですね。

・・・この話、誰がされていたかな?

キミヤーズ塾で聞いた話です。

最後に思い出しました。

  

 

2018年9月25日 (火)

20180901報告その4 枠を外して発想することをやってみたくなる塾

 

今日は9月25日。

  

体育祭の振り替え休日があったので、

勤務校は4連休でした。

やりたいこと、やらねばならないことを

いくつかやってきたけど、

なかなか終わらないなあ。

  

9月1日のキミヤーズ塾に参加した時の報告も、

4連休中にはできずに、今朝やり始めました。

ここでも道草 20180901報告その3 膝に手を置いて聴くのがいいのか?(2018年9月18日投稿)

↑ この記事の続きです。

  

※茶色の文字は要項の視写。あるいは聴いたこと。

※印は私の思ったことなど。

 教えてもらったことをここに書き留めていくことで、

 教えが私の血や肉になっていくことを願っています。

  

 

ほめる=良さの発見 価値の創造

・ほめないと、ほめることが上手にならない

 NTH(何はともあれほめる)

・3段ほめ はじめにほめ、プロセスをほめ、最後にほめる

・「遠ぼめ」遠いところからわざとほめる。参加者がわかる。伝わる。

・「振り返りぼめ」”先生と一緒にやったからできた”ではなくて、

  ”自分一人でやった”感を子どもにもたせるためのほめ方。

  途中まで一緒にやって、できそうだと判断した段階で他の子を見て、

  やり遂げた時に振り返って驚きながらほめる。自信をつけさせるため。

・「おびきぼめ」座っている子をほめることで、座っていない子もおびきよせる。

 

※「3段ぼめ」は「その気」にさせて、「やる気」にさせて、

 自信をつけさせる村上先生の基本につながる方法だと思います。

  

 

・「もう一人の自分」 怒られた時の圧迫感を減らす。

 

※久々、「もう一人の自分」の解説。

 真似したくてもなかなかできない村上先生の手法の一つ。

 なかなか作るのが難しい。

 このやり方がいいことは、最初に村上先生の話を聴いた時から

 思っています。 

  

  

・本の読み聞かせ 表紙の題名が隠されている。

 「題名は何でしょう」と聞くよりも、

 「ここに何と書いてあるでしょう」と聞くのが、発達障害の子にはよい。

  

※後者の方が具体的でワクワク感があります。

 村上先生は経験上、この結論に至ったのだと思います。

  

  

・支援は、徐々に外していく

 最も重要な支援は、支援を外すという支援

 常に、支援の外し方を考えておく

 支援の外し方の妙味をある(芸術的な外し方)

 障害特性を強めてしまわないように

 無意味に丁寧すぎないように 過干渉は×

 いつも新しい目で、子どもを見つめる

 細かくマイナーチャンジを試みる

 支援を外すことで、教材が染み込む

  

※「芸術的な外し方」に興味あり。どのような外し方だろう。

 「外し方」をあまり意識したことがないので、視点の一つに加えたいです。

 やっていることをやめていく・・そんな簡単な「外し方」でしか

 今のところありません。

  

  

・プリント学習の功罪

 ①見かけ上の成果が残せる   

 ②プリント学習は作業であって、考えることではない。

 ③解法の手順をおぼえるだけで、考えなくなる

 ④脳の刈り込みが起こる(シナプス刈り込み)

 ⑤人間関係を希薄にする(関係ぶつ切り)

  

※まずは「功罪」の意味調べ。「優れた成果と罪や過ち」の意味。

 でもプリント学習の「罪」しかありません。

 次のサイトには、「功罪」についてこうも書いています。

 意味ブロ - ちょっと難しい言葉の意味まとめ 功罪の意味

  

 優れた成果には、悪い面もある。

 「功罪」はどちらかというと、その悪い面を表すことが多いです。

  

 まさに村上先生はこの意味で「功罪」を使っています。

 計算を解ける子にするのではなく、考える子にするには

 プリントを解いていくだけの授業ではダメなのです。

 社会科教師としては、必要な知識を与えつつ、

 子どもたちに表現させる機会を与える必要があります。

  

  

・説明ではなく表現

 1.文字の学習で、子どもたちの豊かな感性や発想、

   そして意欲を妨げないように

 2.正確さや再現性だけを求めると、それは単なる説明になる

 3.うんち語文字をこき(書き)、それをもとに話すという

   一連のプロセスが、表現

 4.うんち語文字を介在させることで、子どもたちがつながり、

   表現の創発を引き出す 

 5.表現することで、創造を体験させる

  

※子どもたちに「創造を体験」させたいですね。

 そう願っていないと、教師もマンネリになっていくと思います。

 教師も創造し続けないと、創造の楽しさを伝えることはできないと思います。 

 そのためには「発想」できるかどうか。

 村上先生の発想は、枠がないのがすごい。

  

  

・発想を狭めるための大義

 正しいということ

 倫理的・道徳的ということ

 合理的ということ

 役に立つということ

 人間工学的に正しい

 基礎・基本ということ

 常識・良識・分別などなど

 保健・安全面からの見地など

   

  

※これらの大義を横に置けるから村上先生の発想は

 新鮮で、危険? だから魅力があるんだよなあ。

 100分1?くらい見習って何か考えて動くと、

 それは効果的で、周りの注目を受けます。

 教師は、自分で枠をはめて考えており、もったいないこと。

 村上先生に触れることで、少しは枠が外せます。

 前回の報告のように、膝に手を置いて話を聴くことが

 本当にいいのかと考えることができます。

  

  

・極意 

 子どもの自主性・自発性を徹底的に引き出す

 (仕掛け、罠にかける)(リアリティ)

 子どものモチベーションを上げる

 具合的に教具を考える(こじ付けでも)

 威圧的な指示語はダメ(命令口調×)

 子どもに対する興味を持ち続ける

 子どももワクワク、指導者もワクワク

 自由な創造性がカギに(アート)

  

※「具体的に教具を」は忘れてはならないこと。

 私には毎年2月に発表の場所があります。「わらしべ」です。

 子どもたちにこんな力を!と思ったら、教具に走る2学期にしたい。

 それが面白いから。

※子どもには知れば知るほど事情があり、能力があり・・・

 中学校で触れ合うことが少ないと、見えていないことが多いです。

 できるだけ触れあい、情報を集めることを諦めないで行こうと思います。

 上っ面だけのつきあいで終わりたくないですね。

※「創造」だよなあ。再び書くけど、子どもにも体験させたい「創造」

 そのためには教師も「創造」をしていかなくては。

  

つづく

  

 

 

  

 

  

  

  

  

 

2018年9月23日 (日)

国語の教科書に載っていたクニマス/もう一つの水路を発見

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、クニマスの話。

  

同僚の先生が教えてくれました。

新しい中学校の国語の教科書に、

クニマスの話が載っているよと。

1kxoxkl0_400x400 光村図書

幻の魚は生きていた」(中坊徹次著)です。

164~170pに載っていました。

  

中坊さんは、さかなクンにクニマスの絵を描いてよと

頼んだ人です。

ここでも道草20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿) 

2010年のクニマス発見に大きくかかわった人です。

  

この教科書の文章を読むと、

なぜ玉川の水を田沢湖に流したかの理由がわかりややすい。

  

クニマスは地元の民話にも登場する魚で、

田沢湖周辺の人々の生活や民話にも登場する魚で、

田沢湖周辺の人々の生活や文化に根ざした大切な

存在だったのだ。

にもかかわらず、クニマスが絶滅したのには、

次のような背景がある。

 

田沢湖の南に広がる一帯は、大きな川が少なく、

農業用水を確保することが難しかった。

近くを流れる玉川は、水量はあるが強い酸性の水で、

農業にも、また多くの生物の生活にも適さなかった。

 

ところが、その田沢湖一帯を巡る事態が

変わり始める。

1934年、東北地方を大凶作が襲うと、

食料の増産が人々にとって切実な課題となった。

そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、

それを農業用水として使うこと、また、

電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に

利用することが計画された。

酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の

生物に打撃を与えてしまう。

しかし、人々の生活のためにはやむをえず、

1940年、玉川の水は田沢湖に引き入れられたのである。

(166p)

  

ね、わかりゃすいでしょ。

さらに、教科書166pに載っていた図が

またよかった。

Epson865 前投稿で、玉川と田沢湖を結ぶ水路は、

田沢湖の北にあるのを見つけました。

しかし、田沢湖の南東にもありました。

きっとこれは、田沢湖から玉川に

流れ出す水路と思われます。

 

Yahoo!地図で探してみます。

ヒントは鉄道と玉川がクロスしている場所です。

そこには施設がありました。

生保内(おぼない)発電所です。

田沢湖をダム湖の代わりにしてできたという

発電所です。

Hatu04 秋田県・歴史・観光・見所

ここに田沢湖から水が流れ出て、発電に使われ、

そして玉川に流れ出る仕組みなのでしょう。

田沢湖から流出する場所と水路を予想して、

地図上に書いてみました。

Photo_11  

「おそらくここが流出口」をYahoo!地図の「写真」で

アップにしてみます。

Photo_12  

可能性大です。

いつか行くことがあったら確かめたいですね。

きっといつかは行く!

  

  

再び教科書の文章を引用します。

 

2012年、クニマスが西湖の湖底を悠然と泳ぐ姿が

テレビ放送された。

世界で誰も見たことがない野生のクニマスの映像であった。

(169p)

  

2012年の番組何であったか調べました。

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)にも、

この番組については書いてありました。

NHK取材班による撮影とありました。

それだけわかれば十分。検索しました。

判明しました。

 

2012年6月3日放映の

ダーウィンが来た 生きもの新伝説 

生きていた絶滅魚 クニマスを追え」でした。

もしやと思って、我が家の録画番組一覧表を見たら・・・・

自分を褒めたくなりました。

ちゃんと録画してあったのです。

すごいぞ自分!

Epson866_2

まだその番組を見ていません。

近いうちに見て、またブログに書いてみたいです。

 

 

田沢湖に玉川の水はどこから流入しているのか

今日は9月23日。

  

内容は前投稿の続きです。

田沢湖に玉川の水を導入している水路がどうなっているのだろう?

気になったので調べました。

  

このサイトが参考になりました。

廃線リポート 玉川森林鉄道  その3

  

廃線を探索していた方が、

玉川から分岐して田沢湖に導水している水門に

遭遇していました。

Photo_4

Photo_5  

この水門がある場所を、地図で探しました。

見つけました。

Yahoo!地図で示します。

Photo_6

玉川の水は導入口より取り入れられ、

地下を流れて田沢湖へは「流入口」から流れ込みます。

「流入口」より「流出口」の方がよかったかな?

  

Yahoo!地図の「写真」で「玉川流入口」付近のアップ。

Photo_7

青い矢印で示したようにして、玉川の水は導水路に導かれます。

 

今度は「流入口」付近ののアップ。

Photo_8  

何と、ちょうど玉川の水が勢いよく

田沢湖の流入いている最中でした。

 

次はグーグルアースで迫ります。

ストリートビュー 玉川導入口付近

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中央の遠くに見えるのが、「廃線レポート」の写真にある

水門と思われます。

次は、「流入口」付近をストリートビューで迫ります。

ストリートビュー 流入口付近

Photo_10  

この時には流れ出ていませんでした。

  

「廃線レポート」さんのおかげで、

玉川の水を導入している水路が判明しました。

感謝。

自宅に居ながら、このようなことができる

インターネットのおかげでもあります。

  

最後に玉川温泉の「大噴(おおぶけ)」を

動画で。


YouTube: 玉川温泉「大噴」

 

 

なぜ「毒水」が田沢湖に導入されたのか?なぜ今でも導入が止まらないのか?

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)より引用します。

  

田沢湖の湖水酸性化によって、クニマスは絶滅します。

酸性化には戦前の水力発電所建設という国策が関係します。

引用します。

  

水力発電所を建設する計画とは、

国力を強化する目的で、田沢湖を発電および灌漑のための

ダム湖にするというもの。

そして、田沢湖から流出する湖水をまかなうため、

玉川の水を引き込むというものでした。

(47p) 

  

この「玉川」が問題でした。

  

玉川は全長が103キロで、雄物川の支流としては

最長の川で水量はあるものの、玉川温泉か非常に強い

酸性の水が流れこんでいます。その源は玉川温泉の

「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口で、98度の温泉が

毎分8トン以上も噴き出していました。

この玉川の「毒水」が田沢湖に導水されたら、

一体どうなるのでしょうか。湖がどのように変化するかは、

だれでも容易に想像できることでした。

この計画には、漁師だけではなく、地域の人たちだれもが

憤慨せずにはいられませんでした。

 

久兵衛の父の正善さんと祖父の金治郎さんは、

丸木舟の修理をしながら、息をひそめて話をしています。

「新しいダムを造るとなれば、かなりの費用が必要になるし、

何年もかかる。だから、田沢湖が目をつけられたわけだ・・・・。」

「電力会社は、田沢湖には60本もの沢の水が流れこんでいて,

 『毒水』が十分に薄められるから問題はねえと考えているらしい。」

「でも、それをだれが保証できる?『毒水』の毒は

徐々にたまっていくはずだし、魚はいずれ死に絶えてしまうんでねえが。」

「これは、国を挙げての計画だ。国に逆らって反対の声を上げれば、

国賊とか非国民とか言われ、どんな処分を受けるかしれねえ。

家族も親族も巻きこんで、大変な迷惑をかけることになってしまう。」

「大きい声では言えねえが、田沢湖に『毒水』を入れるなんてことは、

断じて許されねえことだ。でも、今は何もかもが戦争のため、

お国のためだと言われる。どうすればいいんだべ・・・・。」

「お国のためか ・・・・。」

どこにも怒りのぶつけようがなく、ふたりの心は深く沈んでいきました。

  

日本は戦時体制のもと、総力を結集しなければならない時期。

戦車や軍艦、鉄砲や弾丸などを作るためには,

大量の電気が必要とされていました。

(中略)

国も県も、田沢湖の地元の人々が反対し嘆き悲しんでいることを

知りながら、いっさい取り合ってくれませんでした。

当時は、田沢湖の自然よりも、そこに生きる魚類の命よりも、

国力の強化が何よりも優先されている時代だったのです。

(中略)

しかも、1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争は、

長くなることが予想され、また、その翌年に「国家総動員法」が

導入されたことにより、政府の統制はさらに厳しくなりました。

そんな中、玉川水系を利用した電源開発は計画通り進められることになり、

生保内(おぼない)発電所と神大(じんだい)発電所の工事が

次々に始まりました。

(48~51p) 

  

  

今だったら、

玉川の水が田沢湖に入る可能性はなかったでしょう。

戦争前、戦争中だったから行われたことだと、

この文章で思いました。

  

玉川の水を田沢湖へ導く水路が気になります。

現在もなぜか玉川の水は流入しているそうです。

なぜ?

 

田沢湖の南に広がる仙北平野穀倉地帯は、

玉川の水を田沢湖で薄めて農業用水として利用

することで栄え、「米どころ」の秋田を支えてきました。

けれども予想以上の速さで湖の水が酸性になったため、

湖から魚が姿を消したばかりか、

周辺の土壌も酸性化してしまい、稲の病気が発生したり、

米の収穫が減少したりしました。

(139p) 

   

ここにまだ玉川の水の田沢湖への流入を止めることができない

理由があるように思えます。

やはり酸性の玉川の水を薄める効果が

期待されているのでしょうか。

 

 

1989年(平成元年)10月に「玉川酸性水中和処理施設」が

完成し、1991年4月から本格運転が始まっています。

石灰石を毎日約40トンを使って、酸性水を中和する施設です。

この施設のおかげで田沢湖のpHは改善はされているようですが、

しかし、現在も田沢湖はクニマスが住むには、

向いていない状態だそうです。

 

田沢湖を玉川の「毒水」が引き込まれる前の姿に

よみがえららせようと、住民団体の

「田沢湖に生命(いのち)を育む会」が結成されたのは、

2002年(平成14年)1月のことでした。

(中略)

当時、石灰石を使った中和処理により、

湖のpHは少しずつ改善しているものの、

石灰成分が湖に沈殿したり、

湖の透明度を低くしたりする

恐れがあるのではないかとの声がありました。

そのため、会員たちは、田沢湖を元に戻すには、

酸性水の源である玉川からの導水をただちに止め、

何十年、何百年かかろうとも、自然の力で

湖が復活するのを見守るのが最良の方法ではないかと

提言をしたのです。

(141p)

 

  

「田沢湖に生命を育む会」の提言する玉川からの

導水停止は、依然、実現していません。

問題を解決するのは容易ではないということを、

会員たちは深く受け止め、

解決の道を模索し続けています。

「クニマスが生きていることがわかった今が、

田沢湖の環境を見つめ直す、言わば最後の機会と

言えるのではないか。」

「今こそ、田沢湖の復活を真剣に呼びかけていかなければ・・・。」

西湖で70年ぶりにクニマスが発見されたことは、

会員たちの田沢湖再生への思いをより強いものにする

できごとでした。

(143p)

 

  

クニマスのこと、田沢湖の水質だけを考えたら、

玉川からの導水ストップは可能でしょう。

でも何か事情があるのでしょう。

この本から感じたのは、米作りの灌漑に今も

利用しているので、止められないと推測します。

課題図書だった「クニマスは生きていた!」読破

 今日は9月23日。

  

西湖の畔にあったクニマス展示館に寄ったのがきっかけで、

2冊の本を読みました。

※参考:ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました クニマス展示館で長居(2018年9月2日投稿)

Photo_3 amazon

釣りキチ三平 平成版1 地底湖のキノシリマス

(矢口高雄作/講談社)

 

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クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)

  

「クニマスは生きていた!」は第64回(2018年)

青少年読書感想文全国コンクールの課題図書でした。

ブログにクニマスのことを書いたことで、教えてもらいました。

小学校勤務だと、課題図書がなんであるかは、

目に入りやすかったのですが、中学校勤務になって、

全く疎かったです。

  

この2冊を読んで、クニマスの歴史がだいぶわかってきました。

2010年の西湖でのクニマスの発見が、

たいへんな出来事だったことが、いまさらながらわかってきました。

  

「クニマスは生きていた!」には、「地底湖のキノシリマス」について

書いてあるところがありました。引用します。

  

「釣りキチ三平」は、秋田県雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)出身の

漫画家・矢口高雄氏の代表作で、1973年(昭和48年)から

約10年間に渡って「週刊少年マガジン」に連載されました。

 

その連載が終了してから18年後の2000年(平成12年)、

矢口氏の「漫画家生活30周年」を祝うパーティーで、

多くの関係者やファンから「三平君に会いたい」というアンコールを

受けたことから、「平成版・釣りキチ三平」が再始動されることになりました。

(中略)

  

この漫画「地底湖のキノシリマス」が単行本として

出版されたのは2002年(平成14年)でしたが、

実際に西湖でクニマスが発見されたのは、

それから8年後の2010年(平成22年)のこと。

クニマスの卵が別の湖に移植されていたこと、

また、クニマスが人知れず命をつなぎ、

何十年も経ってから発見されたことなどが報道されると、

「釣りキチ三平のドラマが現実になった!」

「まるで今回のことを予見していたようだ」と、

大きな反響を巻き起こしました。

 

メディアの取材に対して、矢口氏は

「クニマスは必ずどこかに生きていると思っていた。

その願いを託して漫画にしたのだが、思い通りになって、

うれしい限り。田沢湖への里帰りを早く実現させてほしい」と

語っていました。

(114p)

  

 

  

西湖でのクニマス発見の8年前というのがいいなあ。

ドラマチックです。

その「地底湖のキノシリマス」にも登場していた三浦久兵衛さんの

ことも、「クニマスは生きていた!」で詳しく書かれていました。

「最後のクニマス漁師」と呼ばれている人でした。

西湖にクニマスの卵を送ったという証拠も、

久兵衛さんが持っていました。

本栖湖と西湖の漁業組合から田沢湖のふ化場に届いたはがきとか、

卵10万粒が西湖へ送られた時の荷物受領証です。

この資料があって、田沢湖と西湖が正式につながったのです。

久兵衛さんが、代々クニマス漁をしてきた三浦家に保管されてきた

資料を探したことで、発見されたものです。

地味ですが、こういう活動が大事なのだと思います。

  

久兵衛さんは西湖とか本栖湖などの湖に出向き、

クニマスがいないか探したそうです。

 

「湖を殺した」「魚を殺した」という後ろめたい歴史を

背負いながら、資料を繰り返し読んでいた久兵衛さんは、

古い文献を調べれば調べるほど、クニマスに

生きていて欲しいという思いが募りました。

(71~72p)

  

では、久兵衛さんは、西湖でのクニマス発見(2010年)を

知ることができたのか・・・・

  

2006年(平成18年)5月20日、心臓の病気が原因で、

84歳で静かに息を引き取りました。

クニマス漁師として働いたのは、ごくわずかの年数でしたが、

クニマスに関わり続けた人生でした。

(89p)

  

 

残念です。

でもきっと将来まで、クニマスの歴史に欠かせない人として、

語り継がれることでしょう。

でも不思議です。

2010年の大発見に関わったはずのさかなクンが、

この本にも登場しません。

マスコミは取り上げましたが、

それ以外の研究者はあえて名前を書かないのかな?

避けているのかな?

2018年9月21日 (金)

定礎箱を開封/旧東海銀行本店ビル

今日は9月21日。

  

少し前のニュースで、

気になっていたものをここに書き留めておきたいです。 

定礎箱の話でした。

 

名古屋市にある旧東海銀行本店ビルは、

1961年完成の建物でした。

私の生まれた年です。

老朽化のために取り壊され、新しいビルが建つそうです。

(1961年に建った建物は老朽化なのですね)

(まあそうでしょうね)

解体が始まった9月13日、定礎板が外されて、

そこに保管されていた銅製の定礎箱が取り出されました。

1960年8月に準備されたもので、

当時の朝日新聞を含む新聞各紙や硬貨、

旧東海銀の貸借対照表など計6種の品が収められていました。

※参考:朝日新聞DIGITAL 58年前の決算書や新聞発見 旧東海銀本店ビル解体

 

Photo_2 朝日新聞DIGITAL

 

定礎については、以前調べました。

検索してみました。ここです↓

ここでも道草 「定礎」とは?(2013年8月14日投稿)

自分で書いた記事ですが、忘れていました。

いいことが書いてあります。

「礎石」を置く習慣から生まれた言葉だったのですね。

このニュースのおかげで、再確認しました。

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