2019年9月19日 (木)

「週刊ザテレビジョン」が20冊もありました!/お薦め番組3つ

今日は令和元年9月19日。

  

昨日は水曜日。

「週刊ザテレビジョン」の発売日でした。

今回は、少し遠い本屋まで行ってみました。

そしたら、ビックリの冊数の「週刊ザテレビジョン」が

店頭にありました。20冊! 数えちゃいました。

 

お薦め番組はいくつかあります。

 

9月22日(日)午後8時~

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~36 

前畑がんばれ」

 

「前畑がんばれ」の河西アナウンサー実況が有名な、

1936年8月11日ベルリンオリンピック、

前畑秀子選手の200m平泳ぎ、

金メダルのシーンがよみがえります。

それだけでなく、1940年開催が決定している

オリンピック東京大会の危機が描かれます。

1937年7月に北京郊外の盧溝橋で、

日本軍と中国軍の衝突が起き、

後に言う日中戦争が始まってしまいます。

オリンピックに戦争が暗い影を落とします。

今なら、次のサイトで、見ごたえある

予告映像(2分)を見ることができます。

大河ドラマHP

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ドラマを見ることで、歴史の復習ができます。

  

  

 

9月26日(木)午後1時~

映画「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」(1986年)

  

クリント・イーストウッド監督・主演の映画です。

1983年に起こったアメリカ軍の「グレナダ侵攻」という

出来事を学ぶきっかけになる映画だと思っています。

  

   

  

9月26日(木)午後10時~

カンブリア宮殿「学校の当たり前を改革!

麹町中学校校長 工藤勇一」

 

「週刊ザテレビジョン 2019 No.39」

(KADOKAWA)の写真 ☟

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工藤校長先生の本を読み、以前記事にしたことがありました。

ここでも道草 「学校の『当たり前』をやめた。」その1/教師は今も時代の最先端でありたい(2019年2月10日投稿)・・・・その6まであります。

実際に話をする工藤校長先生を見てみたいです。

2019年9月16日 (月)

通算6500本目の投稿/9月30日までの「かき氷街道」

  

今日は令和元年9月16日。

  

宣伝に加担します。

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いいアイデアだと思いました。

「街道」がつくネーミングが私にはとても魅力的でした。

街道を自動車で走っていて、

かき氷のシロップの香りを感じました。

(あくまでも個人の感想です)

今日、この企画を知りました。(今頃?)

「いづみ」で食べてきました。

9月30日までに、もう1回この街道を走り、

かき氷を食べてきたいです。

  

皆さんもいかがですか?

今晩「しめじとホタテの炒めもの」はどうですか?

 

今日は令和元年9月16日。

  

今日、奥さんと一緒にスーパーへ。

ホタテを見た時に、

8月20日放映の「教えてもらう前と後」のことを

思い出しました。

  

このような内容でした。しめじの話の中にホタテが出てきました。

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☝ しめじには快眠をサポートするオルニチンという栄養素が

 含まれているそうです。その量はしじみの5倍だそうです。☟

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ここで2択クイズ。☟

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どちらが効果的な調理方法でしょう?

  

  

  

 

 

正解はBの「しめじとホタテの炒めもの」でした。

ホタテにも快眠にいい栄養素があるそうです。

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きのこの栄養は水に溶けやすいのだそうです。

鍋にした場合、スープまで飲まないと栄養を

十分にとったとは言えないそうです。

  

 

 

 

今晩のおかずの一つは、さっそく「しめじとホタテの炒めもの」となりました。

 

 

 

ヤクルトスワローズの「スワローズ」の”いわれ”

今日は令和元年9月16日。

  

7月18日放映の「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

鉄道編」を見たら 、プロ野球のヤクルトスワローズがなぜ

「スワローズ」なのかが、意図せずにわかってしまいました。

  

そこに関係するところを読み物化したいです。

 

〇日本では、列車に愛称がついていることが多い。

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〇列車に愛称がつくようになったのは昭和の初めのこと。

〇昭和4年に、日本は世界恐慌のあおりを受けて大不況。

 鉄道業も経営不振となる。

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〇鉄道関係者はその対策を考え、列車に愛称をつけることになる。

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〇さっそく愛称募集を実施。新橋~下関間を走る特急列車の愛称。

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〇結果は、①富士 ②燕 ③櫻

 特急列車の愛称は「富士」「櫻」となり、「燕(つばめ)」は

 昭和5年に開通した当時最高速度を誇った列車の愛称をなった。

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〇「つばめ」は大人気となり、「つばめ」を見たいがために、

 ホームにも人があふれた。

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〇雑誌のグラビアページにも「つばめ」が載るようになった。

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〇列車に愛称をつけるアイデアは、うまくいき、

 鉄道の人気は高まった。

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〇「つばめ」は戦争で廃止となる。戦後になって復活する。

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〇「つばめ」で働く女性は「つばめガール」と呼ばれた。

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〇「つばめ」人気は再び高まった。

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〇ヤクルトスワローズの前身、国鉄スワローズが創立したのは、

 昭和25年。「つばめ」の復活と同じ。

 列車の愛称として親しまれてきた「つばめ」を表す

 「スワローズ」がチーム名につく。

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〇列車に愛称をつけることは今も継続して行われている。

 

  

以上です。

来年、スワローズは球団創立70年。

スワローズのいわれは覚えておきたいです。

2019年9月15日 (日)

「石狩川」読破/春の初めの石狩平野

今日は令和元年9月15日。

  

 

石狩平野」(船山馨著/河出書房)に引き続き、

同じ北海道の開拓の物語である

石狩川」(本庄陸男著/新日本出版社)を読破しました。

二冊とも400pを超える本。

職を休んだことで、このような贅沢をさせてもらっています。

仕事をしている時には、本の読破をあきらめていました。

いいなと思う本でも、拾い読みでした。

読みたい本があり、見たいテレビ番組がありました。

仕事をしている時は、本よりもテレビ番組を取りました。

 

教師としては、もっと社会科教師としては、

今回の様に本をしっかりと読み、

北海道の開拓のことを勉強してから教えたなら、

深みが違ってきたと思います。

職を休んだりとか、退職してから勉強するのではなく、

仕事をしていても勉強できるような職業になってほしいと

こうなってみて思います。

  

  

「石狩川」から引用します。

こういう文章を読むと、本ならでは、テレビ番組では

味わえない表現だと思いました。

  

昔の石狩平野の春の初めの情景です。

  

春はうす緑の海から南の風を送って来た。

そして、日ごとにまぶしくなる太陽が原野の雪をおしつけた、

その明るい光りはしんしんと音立てながら降っている。

すると、あれほど積もっていた雪、

光りの重さに耐えきれないのだ。

少しずつ薄くなり、しかし、それだけまた密目も詰めて来た。

地上の凹凸が雪の表面にうかがわれた。

なお照りつける陽光に、ついに敗れて、じゅン、と、悲鳴をあげた。

白い雪の結晶が突然水に変った。

それは、その下にある雪にぷすッと浸みこんだ。

誘われてそのあたりが透明に溶けた。

上からは絶え間なしに陽が降っていた。

原野の雪は湿っぽくなり、どこからか生気のない

どんよりした色になって来た。

  

だが、夜になるや否や、どっと寒気が戻って来た。

晴れた星の夜は、殊にきびしかった。

ちかちかと青びかりしている酷(むご)いような冷たさであった。

濡れていた曠野(こうや)の雪はあわてて凍結した。

かちかちに固く凍えた。

深夜にはぴンぴンひび割れた。

雪の原野は巨大な一枚の氷盤に化していた。

 

その早朝、彼らは氷盤となった固雪(かたゆき)の上に立っていた。

(423~424p)

  

雪山での体験もベースに、この文章を読むと

想像力が働くことがよくわかります。

それが楽しいんだよなあ。

本ならではの表現なのかなと思いました。  

 

「あとがき」より引用。

 

一先(ひとま)ず作者はこれを『石狩川』の初編として上梓し、

つづいて、これら移住士族のその後の過程を書き進める予定である。

(431p)

  

著者の本庄陸男は、「石狩川」を1939年5月に

単行本として刊行しました。

しかし、2カ月後の7月23日に肺結核のため

34歳の若さで亡くなっています。

「石狩川」はまだまだ二部、三部と書き続ける構想が

あったそうですが、叶わなかったのです。 

  

作中のお殿様、伊達邦夷のモデルは、伊達邦直

主人公の家老の阿賀妻謙のモデルは、吾妻謙。 

以前、記事に書いた伊達邦成は、邦直の実弟。

ここでも道草 北海道開拓と「てんさい」(2019年8月20日投稿)

兄弟で開拓を頑張ったということがわかりました。

武士だった人々が、北海道に移住し、

廃藩置県、西南戦争などの歴史の波を乗り越えて、

いかに開拓をしていったのか。

この本を読んで、ますます北海道開拓に興味をもちました。

  

巻末の解説で、津上忠さんが次のように書いていました。

  

それにしても、同じ北海道という風土のせいだろうか、

最近の「海霧のある原野」(窪田精)の原点が、

わたしにはこの「石狩川」にあるような気がしてならない。

1978年7月29日

   

こんなことを書かれると、

「海霧のある原野」が読みたくなりました。

20190911報告 鳳来寺山

  

今日は令和元年9月15日。

  

鳳来寺山の登ってきました。

鳳来寺山を甘く見てました。

その1 辛かった!こんなにしんどい山だったけ。

その2 こんなに景色のいい山だったんだ。

  

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☝ 駐車場から鳳来寺山。最も高いところの少し奥が頂上。

 

登山口までの道 ☟ 硯屋さんが暖簾をかけていました。 

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いよいよ登山口 ☟

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☝ この石段は見とれる景色でした。

鳳来寺山は、この石段が続きます。

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☟ しめ縄がしてあるのが傘スギ。

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景色を楽しめたのは、ここぐらいまででした。

この日はだんだん蒸し暑くなり、

汗だくになって登りました。

こんな日に山に登るなんてとんでもないと、

世間の人は思うだろうなあという日になってきました。

 

もう止めようかと何度も思いつつ、

石段をどっこいしょ、どっこいしょと登りました。

得意の登り方、100歩数えて顔をあげて小休憩の

くり返しをしました。

 

☟ ちょっとホッとした場所。平です。 

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でもまだ登ります。☟

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☝ 1316段とあります。

1425段で、鳳来寺本堂にたどり着きました。☟

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まだここは頂上ではありません。

もうここで登るのを止めようと、本気で思いました。

  

でも、大休止しているうちに、何も焦って帰る必要もないのだから、

ゆっくり登ろうと決めて、動き始めました。

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☟ 尾根道にたどり着いてほっと1枚。☟

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☟ 手前に登山道。向こうに岩場。見ごたえのある景色。

ここまで登ってきたから見ることができた景色。

やぱっり登って来てよかったと思いました。

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あともう一息。

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☟ 奥の院

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☟ 奥の院の近くから、下を見下ろせる場所があります。

ここで、駐車場にある自分の自動車を確認するのを

以前にもやったなと思い出しました。

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☝ 黄色矢印が私の自動車。あそこからここまで歩いてきました。

 

そしていよいよ頂上へ。

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標高684m。2時間かかりました。

ヘトヘトでした。

ここでパラパラと雨が降り始めました。

パラパラですんだので良かったのですが、

湿度はまた上がった感じでした。

滝のような汗という表現がありますが、

下山の時、その表現を思い出しながら汗をかいてました。

身体全体で汗をかいていました。

ベンチで休めば、ベンチにお尻の跡が残りました。

ベンチの写真も撮りましたが、

そんな写真なんて見たくないですよね。

 

石が積んであるところがあり、シルエットがよかったです。☟

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普通に撮ったら、こうです。☟

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岩場もよかったけど、瓦が気になりました。☟

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☟ 葵の御紋。さすが徳川家ゆかりの場所です。

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☟ 波の模様の瓦。何か理由がある模様なんですよね、きっと。

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9月に入ってこれで2回目の登山。

予想より辛い登山でしたが、

あきらめずに頂上まで行けてよかったです。

終わってしまえば、いい汗をかいたと思います。

涼しくなったら、また鳳来寺山に来たいです。

 

山で見かけた花 アケボノソウだとわかる

  

今日は令和元年9月15日。

  

9月4日で山で見かけた花の名前が一つわかりました。

※参考:ここでも道草 20190904報告 長者峰~悪沢山~見晴台(2019年9月9日投稿)

この花です。☟

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一緒に登ったKさんが、9月13日の中日新聞に載っていたと

教えてくれました。

我が家は朝日新聞なので、ありがたかったです。

その記事の写真を載せます。

190913

こういう偶然の出合いが楽しい。

   

    

愛知県の最高峰、茶臼山のアケボノソウの群生地は

けっこう有名みたいです。

「アケボノソウ 茶臼山」で検索すると、

いくつかサイトに出合えました。

アケボノソウを見るために、茶臼山に登ったような人もいます。

ヤマレコ 茶臼山高原のアケボノソウ

茶臼山高原 矢筈池のアケボノソウ(曙草)

 

 

2019年9月14日 (土)

「瓜二つ」がクイズになって登場

今日は令和元年9月14日。

  

「瓜二つ」がテレビ番組でクイズになっていました。

 

「瓜二つ」ついては以前、記事を書きました。

※参考:ここでも道草 マクワウリで「瓜二つ」をやってみた(2019年7月29日投稿)

  

そのテレビ番組は、8月20日放映の「教えてもらう前と後」です。

小学生から、大人に対してのクイズでした。

こんなクイズ。☟

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答えを知っている身としては、なるほど~、こうやって

クイズにしたら面白いなあと思って見ていました。

 

ザキヤマさんはロープを使っていました。☟

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滝川クリステルさんは「切ってみようかな」発言。

発問者の小学生の男の子(画面中央)が、”思わず!”の表情。☟

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でも、クリステルさんの切り方が違いました。☟

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小学生が実際に切って、正解を見せました。☟

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教育アドバイザーの清水章弘さんからコメント。

聞き書きします。

清水:もちろん、他の果物でもいいんですけど、

  古くから瓜というのは、良いイメージを持たれているんです。

  例えば、「瓜実顔(うりざねがお)」って聞いたことありますか。

  昔から、卵型の美人を表すような時に

  「瓜実顔」と使ったりします。(中略)

  瓜には良いイメージがあるので、他の果物ではなく、

  瓜が選ばれたのではないかと思いますね。

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ムム、瓜の種?

瓜の実ではなくて種?

瓜を切った時に、果肉の中にある種?

「色白」かもしれないけど、

「鼻筋が通り、やや面長な顔」はあてはまるかな。

でも実だとしたら、「色白」はあてはまるかな。

やはり実は緑のイメージがあります。

疑問が残りましたが、今日はここまで。

  

2019年9月12日 (木)

『日本外史』が三好長慶の評価を下げた?

 

今日は令和元年9月12日。

  

日本外史』という本について、

ブログに書きたいと思っていたら、

今読んでいる「石狩川」(船山馨著/河出書房)に

登場しました。ビックリ。

  

椿の花の下で、山陽の日本外史を読み耽(ふけ)り、

胸をときめかした。

(265p) 

  

石狩川」は明治初期のお話。

日本外史』は、Wikipediaには次のように書いてありました。

  

『日本外史』(にほんがいし)は、江戸時代後期に

頼山陽が著した国史の史書(外史とは民間による歴史書の意)。

源平2氏から徳川氏までの武家盛衰史で、

すべて漢文体で記述されている。

文政10年(1827年)、山陽と交流があった

元老中首座の松平定信に献上され、2年後に大坂の秋田屋など

3書店共同で全22巻が刊行された。

明治以後、日本語口語体に訳された本も数社から刊行されている。

幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書である

  

 

石狩川」の記述は、Wikipediaの説明と合致します。

  

では、なぜ『日本外史』を書きたいと思ったかというと、

次の番組を見たからです。

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6月19日放映の「信長より20年早かった男

最初の『天下人』三好長慶(ながよし)」です。

 

「天下人」というのは、戦国時代には、

京都を含む五畿内を支配した武将の肩書でした。

戦国時代最初の天下人は織田信長であり、

それを継いで豊臣秀吉、徳川家康と3人の名前が浮かぶのは

もう当たり前のことになっています。

しかし、信長よりも先に天下人となり、

信長よりも早く鉄砲を導入したり、

キリスト教を保護したりと革新的なことをしたのが

三好長慶でした。

もしかしたら、将来、歴史の教科書に載ってしまう人かなと

予感してしまう人でした。

 

それではなぜ、そんな三好長慶のことを、

私たちは知らないのか?

(アナウンサーが、自問していました)

 

番組によると、江戸時代中期までは、評価は高かったようです。

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☝ この文献の様に、三好長慶は高く評価されていました。

 

三好長慶の評価を下げたのが、実は『日本外史』だと

考えられているのです。

日本外史』は織田信長に重きを置いて書かれていました。☟

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☝ 信長の無慈悲な性格も肯定していました。

しかし、三好長慶については、次のような記述。☟

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日本外史』が読まれれば読まれるほど、江戸末期・明治時代に

織田信長の評価は上がり、三好長慶の評価は下がり、

三好長慶は戦国時代に何も功績をあげていないと思われて

今に至っているというのです。

  

  

坂本龍馬が今のように高く評価されたのは、

司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」がベストセラーになったからだと

聞いたことがあります。

 

 

歴史は流動的です。

三好長慶がどのような人物だったのか、

これを機会に勉強していきたいと思いました。

 

さっそくいい番組があります。

9月16日午後10時からBS-TBSで放映される

にっぽん!歴史鑑定 信長よりも先に天下人になった男

三好長慶」です。

Photo にっぽん!歴史鑑定HP

  

テレビ番組はいつも私の味方です。勉強、勉強。

「健康診断 戦艦大和」その6/対空砲で作った弾幕が、乗組員を襲う

  

今日は令和元年9月12日。

  

前記事に引き続き、8月22日放映の

「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

の読み物化をしていきます。

いよいよラスト。

  

  

〇レイテ沖海戦に、大和は 姉妹艦 武蔵と共に挑んだ。

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〇この戦いで、連合艦隊は、米軍の戦闘機 およそ1000機による

 大規模な攻撃を受けた。

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〇敵戦闘機の容赦ない攻撃が始まり、大和の医務室には

 大勢の負傷者が運ばれてきた。

 止血に追われた軍医の祖父江さん。

 負傷兵たちの中に、不思議な傷があることに気付く。

 それは 敵の攻撃によるものではなかった。

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〇大和は、対空砲を撃って、艦の上空で炸裂させていた。

 常に弾幕を作って、敵戦闘機が突入できないようにしていたのだ。

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〇炸裂した時の破片が、すごい勢いで落ちてきて、

 乗組員を襲ったのである。

 破片は、人間の身体を貫通するほどの勢いであった。

 

〇増え続ける負傷者を前に、軍医たちは ある決断を迫られる。

 トリアージだ。

 災害や事故現場で行われるトリアージでは、

 助かる見込みのある重傷者から優先的に対処する。

 しかし 戦場では全く逆。

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〇すぐに戦線復帰できる軽傷者から治療をした。

  

  

〇大和も最期の時を迎える。

 沖縄に上陸した米軍を食い止めるため、

 捨て身の特攻という任務を与えられたのである。

 300機を超える戦闘機の攻撃を受ける大和。

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〇戦艦大和は 3063人の乗組員と共に鹿児島県

 坊ノ岬沖に沈没した。

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戦艦大和が、自らの対空砲で弾幕を作っていたことに驚きです。

たくさんの弾幕が写った写真は見たことがありましたが、

敵戦闘機の突入を防ぐためだったのですね。

そして自らの乗組員を襲っていたなんて。

  

 

  

戦艦大和を乗組員の健康の視点で分析した番組。

知らないことばかりでした。

これで「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

読み物化完了。

  

 

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