2019年10月 8日 (火)

「中間貯蔵施設に消えたふるさと」①/中間貯蔵施設とは?

今日は令和元年10月8日。

  

9月14日放映の「ETV特集 中間貯蔵施設に消えるふるさと

~福島 原発の町で何が~」を見ました。

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この番組について書き留めておきたいと思います。

  

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〇中間貯蔵施設とは?

 2011年3月11日の東日本大震災で、福島第一原発が被害を受け、

 放射性物質が広く拡散した。その放射性物質を取り除く除染が行われた。

 福島県内の除染作業で出た放射性物質を含んだ土壌や廃棄物はとても多く、

 東京ドーム11杯分。

 それらの汚染物質は大きな袋に入れられて、

 除染した各地域に今までは置かれていた。☟

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 しかし、それらの汚染物質は不安感をもたらし、

 震災の復興を妨げるものとなっていた。

 そこで、国は、原発のある大熊町と双葉町に

 中間貯蔵施設を設けて、各地域にあった汚染物質を保管することにした。☟

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〇あくまで「中間」であるので、汚染物質は30年以内に

 福島県外で最終処分することが法律で決まっている。

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〇大熊町では今年4月大きな変化があった。

 避難指示が解除されて、一部地域で住民の帰還が始まった。

 27億円をかけて新庁舎も完成した。

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〇帰還した住民が住む市街公営住宅も造られた。

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〇しかし、大熊町の6割は帰還困難地域である。(赤で示された地域)☟

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〇帰還困難地域の中に、原発を取り囲むように中間貯蔵施設が

 造られることになった。☟

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〇その広さは1600ha。

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〇国は、土地を、持ち主(地権者)から買い上げて施設を造ろうと考えた。

 難航が予想されたので、30年国が土地を借りる「地上権」契約も

 できるようにした。

〇地権者のうち1569人が国に土地を売却。およそ66%。

 地上権契約が143人。約6%。

 国との交渉で折り合いがつかなかったり、地権者不明などで

 未契約が648人。約27%。

 つまり約7割が施設のために土地を提供したことになる。

〇施設の工事は4年前から始まっていて、汚染物質が各地域から

 運び込まれている。予定では2022年3月までに、ほぼ全てが

 運び込まれる。

 

除染による汚染物質の入った黒い大きな袋は知っていました。

それらが今、「中間貯蔵施設」と呼ばれる施設に集まってきていることを

初めて知りました。

地権者はどんな思いだったのか、番組では紹介していました。

次の投稿で書きます。 

  

2019年10月 7日 (月)

「いだてん」/小松勝と山下勝

今日は令和元年10月7日。

  

昨日放映の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」を

見ていて、もしやと思ったことがありました。

  

金栗四三の弟子で、マラソンで1940年の東京オリンピックに

出場を目指して練習に励む青年。

しかし、戦争でそれどころではなくなった東京は、

オリンピックを返上。

青年の夢は破れた。

そして青年にはさらに過酷なことが降りかかる。

学徒動員。

妻と幼い子を残して、戦場に行くことになる。

残念ながら青年は日本に帰ることはない。

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その青年の名前は小松勝(こまつまさる)(演:仲野太賀)

脚本家が生み出した架空の人物です。

しかし、「勝」で思いだすのは、山下勝選手です。

ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿)

☝ 詳しくはここを読んでください。

  

1万mで好成績をおさめ、東京オリンピックを目指していた選手。

オリンピック返上で夢は破れ、その後戦地へ。

昭和17年に24歳の若さで戦死。

その死を伝える記事の見出しは、

長距離の至宝 山下勝選手 河北で壮烈な戦死

 

脚本家は山下勝選手をイメージしたと勝手に思っています。

「小松」も誰かをイメージしたかもしれません。

昨晩、もしやと思ったことです。

  

  

  

  

ここでも道草 「いだてん」で嘉納治五郎の最期が描かれた(2019年10月3日投稿)

☝ ここで書いたことですが、オープニングの曲の時に、

五輪の輪の中の名前がどうなるか関心がありました。

嘉納治五郎(演:役所広司)亡き後、誰の名前がそこにあるか?

結果はこの写真。☟

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昨日は、嘉納治五郎(回想)でした。

次回は?

 

 

台風19号の中心気圧が915hPaになりました。

(午後6時現在)

尋常ではありません。

おいしい焼き鳥学その9/竹串 皮の残している理由

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

永井製竹で焼き鳥の串を作っているところです。

スポンサーの広告が映っていて見えにくいと思いますが、

竹を割っているシーンです。☟

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竹を薄く削っています。☟

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削っているところをアップで見てみます。☟

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右の刃によって、竹が削られ薄くなっています。

刃の下にある方が製品になります。

その時にこだわりがあります。

必ず竹の皮の部分を下にして削り、皮を残すのです。

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なぜか?

それは後で書きます。

次は竹を細くする作業の写真です。☟

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刃によって2つに分割されているのがわかりますか。

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こうして薄く細く削られた竹は、必ず皮が残っています。

その理由は2つあります。

 

①折れにくい

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②燃えにくい

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なぜ折れにくい、燃えにくいのかというと・・・・

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☝ 身が詰まっているために燃えにくく、

そして折れにくくなっているのです。

  

 

本当に皮が残った串を使っているかどうか、

焼き鳥屋さんに行って確かめたくなったでしょ。

 

タレ壺についても書こうと思ったけど諦めました。

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番組ではこの奇妙な?模様について説明していました。

  

  

これで「二代目 和風総本家 おいしい焼き鳥学」の読み物化完了。

  

おいしい焼き鳥学その8/永井製竹 今年6月から新体制

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

焼き鳥の串を作っている永井製竹。

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湯釜に生竹を入れている職人さん。☟  

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☝ この写真の、興味をひいたのは、職人さんの職人歴と年齢。

64歳で職人歴3年とくれば、他の仕事を終えた後に、

第2の人生で勤めていると想像しました。

気になって、「永井製竹」で検索したら、いろいろヒットしました。

永井製竹さんにとって、今年は大きな変革の年だったようです。

  

J‐Net21 存続を望んだ他社が経営に参加「永井製竹株式会社」

☝ ここに書いてあることを大雑把にまとめてみます。

 

〇経営者の高齢化と後継者不在で存続が危ぶまれていた

 永井製竹の事業は、卸業者と竹細工組合の共同出資による

 M&Aが成立し、今年6月から新体制で継続している。

〇永井製竹は、永井家が代々引き継いできて、

 2010年から4代目社長は永井貴美代さんだった。

 年齢89歳。

〇新社長には昨年3月に東京から転居し、従業員として

 「湯釜」の仕事を担当していた茶重之さん(57)が就任し、

 前体制から引き継いだ平均年齢73歳の職人集団を束ねている。

〇新社長の茶さんについて書かれた文章を引用する。☟

 

(前略)この「湯釜」に黙々と取り組んでいたのが、

東京で25年間のファンドマネージャー・証券アナリストを経て、

建築大工として現場で働いていた茶氏だった。

「別府竹細工東京教室に7年通っていたが、

伐採や湯釜の担い手が不足して教室で使う材料が

手に入り難くなっていた。

自分が転居して伐採から湯釜まで担えば、

この先5年か10年ぐらいは産業が続くだろうと思った」

と転身の理由を語る。

  

社長就任は、今では共同経営者となった竹苑の向社長と

組合の岩尾理事長の強い要請だった。

「社長になろうと思って転居してきたわけではなかったが、

運命だと思って引き受けた。

一番きつい湯釜に取り組んでいた私の姿を見ていた

古くからの職人たちが認めてくれた。

会社を買収しただけのよそ者では、

伝統産業の承継など認められなかっただろう。

事業を引き継ぐということは、人を引き継ぐということだ」

と事業承継の難しさを強調する。

 

 

永井製竹にはドラマがあり、新社長の茶さんにもドラマがありました。

調べてよかったと思います。

残念ながら、番組「二代目総本家」で紹介された神さんのことは

わかりませんでしたが、きっと3年前に何かドラマがあったのでしょう。

後継者がいないと知って、立候補したのでしょうか。

そのドラマがいつかわかる時があるかな。

おいしい焼き鳥学その7/なぜ竹串なのか? 生竹を湯釜に入れる?

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

焼き鳥に欠かせない串について書いていきます。

 

串を使った料理は、古くからあったそうです。

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江戸時代、スズメの串焼きが人気だったそうです。

今も、伏見稲荷大社の参道では、スズメの串焼きを売っているそうです。

マイナビニュース 伏見稲荷になぜスズメの丸焼きがあるのか--

☝ このサイトで紹介されていたお店 ☟

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ひさしの「国産すずめ」に注目。店名は「稲福」です。

ちょうど、上のスズメの串焼きの写真を提供している店でした。

  

皿や箸が必要がない串料理は広がり、

以前にも書きましたが、焼き鳥屋は江戸時代に生まれました。

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焼き鳥屋では竹串が使われます。

なぜ竹串なのか?

それにもちゃんと理由がありました。

 

鳥繁さんによると、金串だとすぐに熱くなって良くないそうです。

焼き鳥の場合、外側は炭火で直接焼きますが、

内側は、竹串を通してゆっくり焼き上げるのだそうです。

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そこまで考えているのですね。驚きです。

  

その竹串を作っているところも、番組で見せてくれました。

場所は大分県別府市。

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永井製竹です。

ここで竹串が作られます。

その作業にビックリです。

 

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切り出してきた竹を、職人さんが、長いままどんどん突っ込んでいました。

私も「これは?」と思いました。

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生の竹の6mの長さの湯釜に入れていました。

何のために?

湯釜の中で煮沸することで、余分な油が浮き出て、

それを拭きとるのです。

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油を抜く前 ☟

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油を抜いた後 ☟

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油を抜かないとどうなるか?

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☝ 職人さんが教えてくれました。カビが生え、腐ってしまうそうです。

大事な作業です。

 

気になったのが、この職人さんの年齢と職人歴。

部分アップします。

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64歳で職人歴3年でした。

他の仕事を終えて、第2の人生でこの仕事に就いたと予想しました。

予想すると確かめたくなります。

調べました。

そしたら興味深いことがわかりました。

そのことは次の投稿で。   

 

おいしい焼き鳥学その6/鶏皮 肉の厚みが等しい

  

今日は令和元年10月7日。

   

10月5日の記事の続きで、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

今日で読み物化を完了させたい。

  

メニュー名の続き。

鶏皮(とりかわ)

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「鶏皮」はどこの部位の皮だと思いますか?

最も動くところの部位だそうです。

 

  

  

首周りの皮だそうです。

鶏繁さんが言うには、「旨味も違うし、肉の厚みも違うし、

繊維質もちょっと違う」そうです。

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「違う」の3連発。

この違いは、やっぱり食べてみないとわかりませんね。

  

  

 

おいしい焼き鳥は肉の厚みが等しいのだそうです。

「肉の厚み」とは?

実際に、串うち(串をさすこと)作業を見させてもらうことに。

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「肉の厚み」とは ↕ ↕ ↕ のことです。

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なぜ肉の厚みが等しいとおいしい焼き鳥になるか?

  

  

こういう理由です。☟

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言われてみれば、なるほどです。

焼き鳥屋さんに行ったら、肉の厚みをチェックしましょう。

厚みが等しい店は、おいしい可能性が高いそうです。

  

つづく

  

川村たかしさんは「サーカスのライオン」の作者でした

  

今日は令和元年10月7日。

  

川村たかしさんの「新十津川物語」シリーズの第5巻である

朝焼けのピンネシリ」(偕成社)を読み始めました。

全10巻のシリーズなので、半分までやってきました。

 

「川村たかし」さんの名前を聞くと、

私のように愛知県に住む身ですと、

名古屋市市長の河村たかしさんが思い浮かびます。

Face_side 河村たかしHP

  

でも「川村たかし」さんの名は、実はもっと私にとって身近でした。

東京書籍の小学3年国語の教科書に、

教材として載っている「サーカスのライオン」の作者が

川村たかしさんだったのですね。

「新十津川物語」を4巻まで読んで、初めて気がつきました。

  

「サーカスのライオン 川村たかし 作・・・・」

と、子どもたちと一緒に速音読を何度もしたと思いますが、

思い浮かびませんでした。

  

 

サーカスのライオン」(ポプラ社)から名場面を引用します。

炎に包まれたアパートから、ライオンのじんざが男の子を助けるシーン。

 

へやの中で、男の子は気をうしなってたおれていた。

じんざはすばやくだきかかえて、外へでようとした。

けれども、おもてはもうほのおが

ぬうっとたちふさがってしまった。

石がきの上のまどから、首をだしたじんざは、

おもわずみぶるいした。

高いのでさすがのライオンもとびおりることはできない。

じんざは力のかぎりほえた。

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その声で気がついたしょうぼう車が

下にやってきて、はしごをかけた。

のぼってきた男の人にやっとのことで子どもをわたすと、

じんざは両手で目をおさえた。

けむりのために、もうなんにもみえない。

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見あげる人たちが、声をかぎりによんだ。

「早くとびおりるんだ。」

だが、風にのったほのおは、まっかにアパートをつつみこんで

火のこをふきあげていた。

ライオンのすがたはどこにもなかった。

やがて人びとのまえに、ひとかたまりのほのおがまいあがった。

そいて、ほのおはみるみるライオンのかたちになって、

空高くかけあがった。

ぴかぴかにかがやくじんざだった。

もう、さっきまでの、すすけた色ではなかった。

金色にひかるライオンは、空をはしり、

たちまちくらやみの中にきえさった。

(30~33p)

 

「サーカスのライオン」について、川村たかしさんは、

あとがきで次のように書ています。

  

町にサーカスがやってきたのは、3~4年前の冬の初めのことです。

わたしはもうわくわくして、小屋がけのときから、

あたりをうろつきました。

  

無造作においた鉄格子のはまった箱には、

動物たちがはいっていました。

上にかぶせたシートをそうっとめくると、

古びた一つの箱にぼろぞうきんをつくねたように、

ライオンが眠っていました。

  

やがて、いよいよサーカスが始まると、年とったライオンは

点火した火の輪の中を何回もとびました。

調教師が合図をしないうちから、もうジャンプをするのです。

鉄のわくを組み合わせた檻の中で、調教されているのは

まるで人間のようです。

演技が終わると、ライオンはまたごろりと横になっていました。

  

そのすがたから、

「ああ、こうして年をとっていく」

と、いうライオンの声がきこえました。

  

その倦怠(けんたい)にふしぎに心を魅かれました。

まるでそれは、この全体に年とったサーカス団の

象徴のようでもあり、わたしたち人間に通じる

やりきれなさにみちていました。

  

この絵本はそのときから小さな芽を育てていました。

そしてわたしにとって、おいぼれたライオンは、

やはり燃えて天翔(あまが)ける一塊(かい)の

炎でなければならなかったのです。  (36p)

 

  

このあとがきを読んで、川村たかしさんが

どのような気持ちで「サーカスのライオン」を書いたのか

今さらながらわかりました。

 

このまんま年をとって朽ちていってはダメなんだ。

言われたことだけやっていて、

あとはのんべんだらりとしていては

ダメなんだ。

そんな生き方をしてはいけない。

せめて最後は輝いてほしい。

  

川村さんは昭和6年生まれ。(おっと私の父親と同じだ)

「サーカスのライオン」が発行されたのが昭和47年。

およそ40歳の意気盛んな川村さんは、

サーカスのライオンに象徴される倦怠感を嫌い、

ドラマチックにしたかったと思います。

2019年10月 6日 (日)

今度の台風19号を私はマークします

今日は令和元年10月6日。

  

今晩のニュースで、台風が発生したことを知りました。

Photo_2 Yahoo!ニュース

記事によると、9日(水)15時の中心気圧は915hPa

最大風速は55m/s、最大瞬間風速は75m/sとなる予想と

言っていました。

先日まで伊勢湾台風の勉強をしていて、

伊勢湾台風が中心気圧929hPaだったと知りました。

それを下回る気圧。

こんな低い気圧で上陸していたとしたら、

単純に大きな被害が出るのではと予想します。

   

気象庁の記録です ☟

Photo_5

今年、千葉県を中心に多大な被害をもたらしている

台風15号は、上陸時には中心気圧960hPaでした。

昨年、大阪府を中心に多大な被害をもたらした

台風21号の上陸時の中心気圧は950hPaでした。

  

この2年の体験上、上陸時に中心気圧950~960hPa

非常に危険なのです。

それ以下の気圧で上陸した台風も、

上記のようにいくつもあるのです。

教訓を生かさなくてはなりません。

  

今回の台風19号が、915hPaからどのように変化して

日本に迫ってくるのかをしっかり見ておきたい。

どんな被害が起こる可能性があるか予想して、

予防できるものは予防し、準備できることは準備していきたい。

 

 

今度の台風19号を私はマークします。

20191001報告 鳳来寺山 小耳にはさんだ言葉

  

今日は令和元年10月6日。

  

鳳来寺山の石段を登っている時に、

2人ずれの女性登山者が一休みをしていました。

挨拶をして横を通り過ぎました。

後ろで2人が話しているのが聞こえてきました。

こういうところに来ると、

体力が落ちたことがわかるのよねえ

40歳代くらいかなと思った2人。

なるほど、いいことを言うなあと思いました。

山に登ると、それも鳳来寺山のように階段の連続だと

きついですからね。

  

  

東照宮でお参りした時に、見つけました。☟

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戦場に召されし兵の守りとて 身を削られき狛犬われは

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削られてしまったとは驚き。

削った石片を、お守り袋に入れて渡したのでしょうか。

そんな想像をかきたてるものでした。

「北風にゆれる村」/フキとあやの別れのシーン

 

今日は令和元年10月6日。

  

また本が読めました。

北風にゆれる村~新十津川物語4~

(川村たかし著/偕成社)です。

51wrcmehl amazon

  

主人公の中崎フキの娘のあやは、高等科3年、そして

滝川で裁縫塾を1年終えて15歳になりました。

明治45年のこと。あやは小学校の代用教員に採用され、

家から遠い地なので、校長先生の家に住み込んで

働くことになりました。

  

いよいよあやが赴任地に向かう日、フキが途中まで送り、

見送ります。そのシーンがよかったので書き留めておきます。

  

あやはひょいとこうり※を背負った。

ふろしきづつみを胸のまえにぶらさげると、

にもつの中にかくれてしまいそうだった。

「そんなら母ちゃん、いってきます。

父ちゃんやら弟のことたのみます。」

「気つけての。家のことは心配いらん。」

「あんまり根つめて、ぶったおれたらあかんよ母ちゃん」

「わかってる。おれはもう百姓や。百姓はくよくよせんの。

ひとりでいくら気ばっても、

まわりにある空も土も大きすぎるさけの。

おれはちんまり家を守っていく。正作もいることやし。」

「じゃあけんど、あの子はまだなんやらたよりないしの。」

あやはひょいとこうりをゆすりあげた。

それから母とのあいだをひきちぎるように、

とっとと歩き出した。

フキはほほえみながら見おくっていた。

娘もだんだん大きくなっていくと思った。

女の子らしい思いやりが、ただよってのこった。

坂道はいちど山かげにかくれて、やとこさで

すがたが見えたときあやはもう小さくなっていた。

背なかのにもつにおしつぶされそうに、

ちょこちょこと歩いている。

「おーい。」

フキはたまりかねて二、三歩ふみだした。

「おーい。」

あやが立ちどまった。

「ええ先生になれよう。」

「はーい。」

かすかな返事が聞こえると、だしぬけにフキは

ぽろぽろと涙をこぼした。

あまりにあぶなっかしい先生だった。

初めから師範学校へでもいれておけばよかったのだ。

それなら便利な市街地で先生ができたろう。

そのことを思うとあやがふびんだった。

涙が見えるはずもないのに、

のぞかれたようにフキはあわてて、ぱっとわらった。

「水に気をつけろや」

あやは手をふっている。声はとどかなかった。

娘のすがたが見えなくなってからも、

フキはゆがんだ棒くいのように、

長いこと残雪の道に立っていた。

(37~39p)

※こうり=行李 

 竹や柳、藤で編んだ籠。

Kouri 府中家具木工資料館

 

この文章を読んで、フキの立場で思いました。

うまくいけば、令和3年春から、娘と息子は就職します。

それに向けて実習に行ったりしていますが、

まだまだ「あぶなっかしい」です。

そう思うのが親なんですよね、きっと。

  

そしてあやの立場。

私も1985年春に山奥の学校に赴任しました。

教員住宅から通いました。

新鮮でしたね、あの頃。

いいスタートが切れたと、今、思います。

もうじき教員生活も終わりが見えてきました。

いい終わり方ができるかな。

 

 

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