« おいしい焼き鳥学その7/なぜ竹串なのか? 生竹を湯釜に入れる? | メイン | おいしい焼き鳥学その9/竹串 皮の残している理由 »

2019年10月 7日 (月)

おいしい焼き鳥学その8/永井製竹 今年6月から新体制

  

今日は令和元年10月7日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の「二代目 和風総本家 

おいしい焼き鳥学」より。

  

焼き鳥の串を作っている永井製竹。

Rimg2126_2

湯釜に生竹を入れている職人さん。☟  

Rimg2129_2  

☝ この写真の、興味をひいたのは、職人さんの職人歴と年齢。

64歳で職人歴3年とくれば、他の仕事を終えた後に、

第2の人生で勤めていると想像しました。

気になって、「永井製竹」で検索したら、いろいろヒットしました。

永井製竹さんにとって、今年は大きな変革の年だったようです。

  

J‐Net21 存続を望んだ他社が経営に参加「永井製竹株式会社」

☝ ここに書いてあることを大雑把にまとめてみます。

 

〇経営者の高齢化と後継者不在で存続が危ぶまれていた

 永井製竹の事業は、卸業者と竹細工組合の共同出資による

 M&Aが成立し、今年6月から新体制で継続している。

〇永井製竹は、永井家が代々引き継いできて、

 2010年から4代目社長は永井貴美代さんだった。

 年齢89歳。

〇新社長には昨年3月に東京から転居し、従業員として

 「湯釜」の仕事を担当していた茶重之さん(57)が就任し、

 前体制から引き継いだ平均年齢73歳の職人集団を束ねている。

〇新社長の茶さんについて書かれた文章を引用する。☟

 

(前略)この「湯釜」に黙々と取り組んでいたのが、

東京で25年間のファンドマネージャー・証券アナリストを経て、

建築大工として現場で働いていた茶氏だった。

「別府竹細工東京教室に7年通っていたが、

伐採や湯釜の担い手が不足して教室で使う材料が

手に入り難くなっていた。

自分が転居して伐採から湯釜まで担えば、

この先5年か10年ぐらいは産業が続くだろうと思った」

と転身の理由を語る。

  

社長就任は、今では共同経営者となった竹苑の向社長と

組合の岩尾理事長の強い要請だった。

「社長になろうと思って転居してきたわけではなかったが、

運命だと思って引き受けた。

一番きつい湯釜に取り組んでいた私の姿を見ていた

古くからの職人たちが認めてくれた。

会社を買収しただけのよそ者では、

伝統産業の承継など認められなかっただろう。

事業を引き継ぐということは、人を引き継ぐということだ」

と事業承継の難しさを強調する。

 

 

永井製竹にはドラマがあり、新社長の茶さんにもドラマがありました。

調べてよかったと思います。

残念ながら、番組「二代目総本家」で紹介された神さんのことは

わかりませんでしたが、きっと3年前に何かドラマがあったのでしょう。

後継者がいないと知って、立候補したのでしょうか。

そのドラマがいつかわかる時があるかな。

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_7744
  • Img_7743
  • Img_7741
  • Img_7740
  • Img_7739
  • Img_7738
  • Img_7737
  • Img_7735
  • Img_7733
  • Img_7732
  • Img_7731
  • Img_7730

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉