2020年3月 2日 (月)

「手洗い」にも歴史あり/「天声人語」

   

今日は令和2年3月2日。

  

出勤前に道草しておこうと思います。

最近の「天声人語」で、書き留めておきたいものがありました。

2月28日朝日新聞朝刊です。

  

手を洗う回数が日ごとに増えていく。悩ましいのは、どれくら

い洗えば新型コロナウイルスを防げるのか、確信が持てないこ

とだ。自分の手や指なのに疑いの目を向けてしまう▼感染症の

予防に手洗いが有効なことを知らない人はいまい。しかし医学

史をさかのぼれば、そんな常識が広まったのは19世紀も半ば

以降のことだ。ハンガリー生まれの産科医ゼンメルワイス(1

818~1865)が提唱するまで、医師の間にも手洗いの習

慣はなかった▼ゼンメルワイスは出産直後の女性が高熱に苦し

む産褥(さんじょく)熱の予防に取り組む。注目したのは医師

の手や指の汚れ。解剖や手術をしたばかりの医師から診察を受

けた産婦に患者が多かった。同僚に手洗いを熱心に呼びかけて、

石けんや爪切り、塩素水を常備した▼病原菌の正体すら謎に包

まれていた時代である。「産科医たちはまるで殺人者呼ばわり

している」と医学界は猛反発。大学を追われ、失意のうちに亡

くなったという。「感染防護の父」と称されるのは死後のこと

だ(南和嘉男/わかお著『医師ゼンメルワイスの悲劇』)▼「

入館時は手指消毒を」。わが勤務先にもそんな掲示がある。だ

が入り口に置かれた消毒液を見て考え込む。何人もが触れた容

器にウイルスの付着はないか。疑心暗鬼はとどまるところを知

らない▼〈はたらけど/はたらけど猶(なほ)わが生活(くら

し)楽にならざり/ぢつと手を見る〉と啄木は嘆いた。洗えど

も十分に清潔かどうか自信が持てない。毎回ぢつと手を見る。

  

 

何にでも歴史あり。手洗いにも歴史があったのですね。

本「医師ゼンメルワイスの悲劇」に興味を持ちましたが、

アマゾンで調べると1988年発刊の本で、新刊はなく、

中古で7900円でした。

ちょっと手が出せません。

近隣2か所の市の図書館で検索しましたが、ありませんでした。

残念です。

本1冊になるほどの、手洗いに関するお話を読んでみたかったです。

  

  

そしたら、類書がありました。

51yna8lklal__sx350_bo1204203200_ amazon

手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)

1980円。

 

これなら手を出せます。

手を出しちゃおう!

2020年3月 1日 (日)

2020福島報告(12)大熊町教育委員会で話を聞いてきました

  

今日は令和2年3月1日。

  

大熊町教育委員会に行ってお話を聞いてきました。

学校を休んでいる私が突然訪れたのに、

忙しい方が話を聞いていただき答えてくれました。

ありがとうございました。

  

私の目的は、2022年に開校予定の学校について

教えてもらうことでした。

ここでも道草 ゼロ歳児から百歳までを対象とした教育施設(2019年12月17日投稿)

いただいた資料のコピーです。

Epson268  

「学び直し」という言葉を聞きました。

幼保小中の子どもだけでなく、大人が「学び直し」の場となる

学校を目指しておられました。

これはこれからの教育の流れだと思います。

他の国では「学び直し」は普及しているのに、

日本ではまだまだです。

大学がそういう場になっていくと思っていましたが、

大学とは別の流れの学校もいいかな、

大学ではできないことができるのだと思います。

学ぶ人は、大熊町民に限らないとのこと。

どんな学校になるのだろう?

そして校舎はどのような形になるのだろう?

  

  

「少人数だからできること」という話にもなりました。

令和2年度の大熊中学校在校生は3人。

大熊町立小学校在校生は12人です。

大震災から9年経っての結果です。

少人数だから有利なこと、できることをしていくべきだと思うし、

もう実際にやられていると思います。

ICT機器を使うこと。

学びでは傍観者ではなく主役になりやすいこと。

学年をこえた学び合いができること。

学年にしばられず、自分にあった教育をしてもらえること。

私も新任で務めた小学校は、全校で12人だったので、

あの頃を思い浮かべます。

どんな教師が雇われるのかも聞きました。

「関心がある人ですね」と言われました。

そうですよね、新しい教育の学校だから、

関心をもって、いろいろアイデアを出せる柔軟な人でないと

困っちゃいますよね。

 

大熊町が被災して、会津若松市に幼小中学校がほぼ1カ月で

開校したことを教えてもらい、

詳しくは本「大熊町学校再生への挑戦」を読むことを

勧められました。

実際に読んでみて、その時のたいへんさがわかるし、

大熊町の教育について聞くなら、

新庁舎ではなくて、会津若松出張所に来るべきでしょうと思います。

不勉強の状態で、2月18日と19日は動いたなあと反省しています。

でも実際に行ったことで、より関心をもてたし、

大熊町のこと、福島県のことが好奇心のアンテナに

引っかかるようになりました。

学びは今からです。

  

 

最後にもう一つ。

「大熊町」のことを「おおくまちょう」と言っていたら、

おおくままち」ですよと教えてもらいました。

言われてみれば昨年の番組「中間貯蔵施設に消えたふるさと」でも

「大熊町(おおくままち)」と言っていたと思い出します。

ここでも道草 「中間貯蔵施設に消えたふるさと」①/中間貯蔵施設とは?(2019年10月8日投稿)

失礼なことをしました。

 

  

ここまでが自分主導の旅でした。

これ以後奥さん主導の旅になり、

次のところを訪れました。

  

猪苗代湖で遊覧船

飯盛山

鶴ヶ城

大内宿

  

福島県、よかった。

行けてよかったです。2020福島報告も終了です。

 

2020福島報告(11)実際に柏屋に行き、まんじゅうを食べました

  

今日は令和2年3月2日。

  

2月18日は郡山市内のホテル泊。

2月19日にレンタカーを運転して

最初に訪れたのは柏屋です。

ここでも道草 福島県に行くなら、郡山市の「柏屋」に行くことができるよ(2020年1月21日投稿)

☝ この記事で迫った「福島県郡山市朝日1-13-5」の

開成柏屋です。

 

Rimg2147

Rimg2148

最新号の585号の表紙の児童詩が飾られていました。

ストリートビューでみた掲示板の実物を見ました。

触りました。

店内に入りました。

どうもテレビ局の取材が入っているようで、

お菓子作りの様子をカメラで撮っていました。

Rimg2149

ちょっと静かにしないといけない雰囲気でした。

それでも「青い窓を30年程購読していて、

いつかは来ようと思っていて実行しました」と言いながら、

名物の薄皮まんじゅうを買いました。

30 柏屋HP

  

店内にも児童詩が飾られていると聞いていたので、

探しました。

あった~!

Rimg2150  

写真の左手の方にテーブルと椅子が置いてあって、

児童詩を鑑賞しながらまんじゅうを食べたりすることが

できるようになっていました。

実際にそうしました。

  

飾ってあった児童詩です。

  

ぼくは虫

          小学校4年男子

ぼくは「ヌクヌクボウシ」。

ふとんにくるまって、

「ぬくぬくー、ぬくぬくー、もうすこーし」

となく虫だよ。

セミのツクツクボウシじゃないよ。

あったかいから、このまま

出ていきたくないよ。

とても気持ちがいい。

お気に入りのタオルケットのなか。

ゴロゴロしてると、

セミのさなぎみたいになっちゃった。

それがヌクヌクボウシ。

  

ぼくは「コタツムリ」。

こたつに入って、出てこない虫だよ。

カタツムリににているけどちがうよ。

頭だけ出してゲームするの。

とても気持ちがいい。

姉に

「宿題しなさい」

と言われて、

頭もかくしてじっと動かない。

それがコタツムリ。

「コタツムリ」は特に楽しい。

  

まんじゅうを食べていたら、携帯に電話がかかってきました。

大熊町役場会津若松出張所の教育委員会に、

午前中までに行くことになりました。

時計を見ると午前10時。

郡山市から会津若松市までは1時間かかります。

柏屋の雰囲気を味わうのはここまで。

出発です。  

2020福島報告(10)フレコンバッグが流された現場付近を走る

  

今日は令和2年3月1日。

  

中間貯蔵工事情報センターを出発。

来た時と同じコースで、大熊町経由で、

国道288号線を東進して、

宿泊地である郡山市に向かいました。

  

行きは大熊食堂の閉店時間よりも早く行くことに

夢中だったためか気づかなかったことに、

東進している時には気がつきました。

  

国道沿いの川が氾濫した跡、崖が削られた跡が見受けられました。

そういえば台風19号のために川が氾濫して、

フレコンバッグが流されたという

ニュースがあったことを思い出しました。

 

※河北新報 昨年10月14日のニュースです。☟

28    

ニュースでは、具体的にどこで起こったことかはわかりません。

国土地理院の地形図を見ると、田村市に古道川は流れていました。☟

赤い道が国道288号線です。

29   

ニュースの現場を走っていました。

フレコンバッグにはタグが付けられて管理されていたので、

きっと流された数が判明するのではないかと思います。

中間貯蔵工事情報センターに行った後なので、そう思えます。  

2020福島報告(9)中間貯蔵工事情報センター 運び込みは来年度に完了予定

  

今日は令和2年3月1日。

  

中間貯蔵工事情報センターの中で撮影したものです。☟

Rimg2136_2

除去土壌等の量を示しています。

グレーの市町村は、すでに輸送が完了した場所です。

予定では、2020年度中に完了するとのことでした。

輸送量については次のサイトで見ることができます。

中間貯蔵施設情報サイト 福島県全体の除去土壌の輸送量・割合

今日現在で次のように示されていました。

23

2019年度に計画された量の88%が、

中間貯蔵施設に運び込まれたようです。

  

中間貯蔵施設に運び込まれたフレコンバッグは

どのように処理されているのか。

センターでいただいたパンフレットには、

次のように説明されていました。

22   

 

受入・分別施設では次のような工程を経ます。

24  

フレコンバッグを破砕し、ふるい機を使って

可燃物と土壌に分けます。

その土壌は、土壌貯蔵施設に運び込まれます。

26  

今回、このセンターでは、係の方が丁寧に説明してくれて、

こちらの質問にも答えてくれました。

見学が有意義なものになったのもその方のおかげですが、

ひとつ解決できていないことがありました。

その時に説明を聞いたにもかかわらず、

後で振り返った時に、理解していなかったと思ったことです。

  

この土壌貯蔵施設は、しっかりした遮水シートが敷かれていて、

施設内の水が地下水に染みていくことを防いでいました。

土壌が保有していた水は、上の図で行くと保有水等排水管によって

浸出水処理施設に集められます。

この施設で、どのような処理が行われるかが、理解していなかったです。

お礼メールをした時に、失礼ながら再びお尋ねしようと思います。

  

   

中間貯蔵工事情報センターには次のようなコーナーがあります。

27 中間貯蔵工事情報センター

  

ここでかつての熊町小学校を見ました。

Rimg2143  

行くことが困難な場所の最新映像を見ることができるコーナーでした。 

  

以上で、中間貯蔵工事情報センターの報告でした。

  

2011年3月の福島第一原発の大事故は残念なことですが、

その後始末のために、廃炉であり、除去土壌の片づけであり、

現場は安全確実を心がけて、一生懸命取りくまれていることを

感じました。

2020福島報告(8)中間貯蔵施設への除去土壌等の輸送

   

今日は令和2年3月1日。

  

2月18日に中間貯蔵工事情報センターに行きました。

ここを訪れたいと思ったのは、昨年9月に放映された番組

中間貯蔵施設に消えたふるさと」で登場したからです。

ここでも道草 「中間貯蔵施設に消えたふるさと」③(2019年10月8日投稿)

中間貯蔵施設に立ち入ることはできませんが、

このセンターなら行けるかなと思いました。

 

実際に行くことができました。

Rimg2132  

思ったよりこじんまりした建物でした。

でもここで閉館時間の午後4時まで45分間教えてもらったことは

たっぷりありました。

  

 

除染作業によって生じた除去土壌は、

フレコンバッグに入れられて、各地に置かれていました。

そのフレコンバッグには、それぞれタグが付けられていて、

フレコンバッグの中身の種類、放射線量、搬出場所がわかるように

なっていました。

これに驚きました。

それをトラックに積み込みます。

どのフレコンバッグを、いくつ積んだのかは、

コンピュータによって記録されます。

トラックはフレコンバッグを中間貯蔵施設まで運びます。

積んだフレコンバッグが全数確実に運ばれたのか管理しています。

さらに驚きは、走行中のトラックの位置を、

GPSによって把握しているのだそうです。

それはネットで公開されています。

JESCO 除去土壌等の輸送車両の走行状況

3  

輸送は月~土曜日に行っています。

その他、輸送に関していろいろ配慮がされています。

環境省HP 中間貯蔵施設情報サイト 動画一覧

☝ このサイトの動画で知ることができます。

動画の写真を並べてみます。

「中間貯蔵施設への輸送 第Ⅰ部 第Ⅱ部」の写真です。 

5

6

☝ クレーンによってフレコンバッグは積み込まれます。

  

7

☝ 字幕が上に出て見えにくいのですが、端末機をタグに当てて

管理している様子が見られます。

  

8

☝ 飛散・流出を防止するためにシートで覆います。

  

9

☝ 「除去土壌等運搬車」であることがわかるようにトラックは

 表示します。

  

10  

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☝ 輸送カードを発行し、係員とドライバーで確認します。

フレコンバッグにすべて容器番号がふられていることがわかります。

  

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☝ 通勤・通学の時間帯を避けて、高速道路を主に使用しています。

  

  

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☝ 運転手「交通事故、人的災害ゼロを目指している」

  

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18 

☝ トラックの走行状況をリアルタイムに把握し、

通行止めの場合はう回路を示したり、

事故の場合は対応を示したりと迅速にできます。

  

 

19

☝ 輸送路においては空間線量率をこの装置を使って実施。

結果を公開しています。

JESCO 輸送路における放射線量率の測定

 

放射性物質を含むフレコンバッグの輸送なので、

当然のことかもしれませんが、

私の予想以上に安全確実な輸送への配慮が行われていました。

知ることができて良かったと思います。

  

つづく  

2020年2月29日 (土)

「大熊町学校再生への挑戦」⑥ 相双/大熊町立小学校の表札/地球上から2度と

  

今日は令和2年2月29日。

おまけの日。

  

前投稿に引き続き

大熊町学校再生への挑戦」(竹内敏秀著/

福島県大熊町教育委員会編/かもがわ出版)より

引用します。2012年発刊の本です。

  

一つ疑問が解決しました。

  

137pに

「相双教育事務所」(相双=福島県相馬・双葉地区)

とありました。

相双ビューロー 大熊食堂

☝ このサイトを見て以来「相双」って何だろう?と思っていました。

わかりました。

読み方は「そうそう」でした。

   

  

引用を続けます。

   

Epson267 (162p)

この表札、いいですね。

地区の人(河東地区)のために校名が残っています。

熊町小と大野小の校名も受け継がれています。

  

私たち大熊町民のように放射線に追われ、踏むべき土も失って

しまうような境遇の人間を、日本からはもちろん、地球上から

2度と生み出してほしくありません。しかし、このような事態

を招いたのもほかならぬ人間(日本人)なのです。人間を育て

る教育の責任は大きいと考えております。

大熊町は、全町避難のなかでも、原点に焦点を当てた教育の挑

戦と実践を続けてまいります。そして、安心と学ぶ喜びに裏打

ちされた「子どもたちの笑顔」に満ちた学校を目指します。

教育は、子どもたちと人々の心に希望の灯をともし、理想を追

求し続けるいとなみです。

(213p)

 

 

「地球上から2度と生み出してほしくありません」

が印象に残りました。

大熊町が体験した非常に辛い出来事を知って、

その体験を将来誰も体験しないように

私ができることをやっていきたいです。

  

 

以上で「大熊町学校再生への挑戦」からの引用を終えます。

  

「大熊町学校再生への挑戦」⑤ 大熊中学校の現在地/JR大野駅付近避難指示解除

 

今日は令和2年2月29日。

おまけの日。

  

前投稿に引き続き

大熊町学校再生への挑戦」(竹内敏秀著/

福島県大熊町教育委員会編/かもがわ出版)より

引用します。2012年発刊の本です。

      

旧河東第三小学校で学校再開準備を進めて1週間がたったころ、

各校の児童生徒数が確定して、予想をはるかに超える状況になり

ました。避難先近くの学校に一時的に転校したが、大熊町の学校

再開の情報を聞き、会津若松市に移りたいと望む保護者も多かっ

たからでした。このままでは教室が足りない。そこで、大熊町教

育委員会が示した対応策は、中学校を旧会津学鳳中・高等学校

(旧若松女子高校)校舎に移して再開するというものでした。こ

こは、1階を大熊町役場として借り受けていたところで、2階を

中学校として使用することになりました。

(111p 早川良一/前・大熊中学校教頭)

  

私が2月19日に訪れたのが、旧若松女子高校を利用した

大熊町役場会津若松出張所でした。

そこに大熊中学校があったか?

なかったです。

現在はどこにあるか調べてみました。

大熊町HP 大熊中学校

☝ ここで住所がわかります。

  

福島県会津若松市一箕町八幡字門田9-2

  

住所がわかればグーグルアースで迫ります。

グーグルアース 大熊町立大熊中学校

1   

ストリートビューで下りてみます。

ストリートビュー 大熊町立大熊中学校 

2   

大熊中学校は移転していました。

それはいつか?

  

大熊町立大熊中学校ブログ

☝ かなり膨大な量のブログです。

これで過去をさかのぼってみました。

見つけた!

大熊町立大熊中学校ブログ 会津若松仮設校舎の開校式

開校式をやっていました。

2013年4月9日でした。

  

  

このブログの最新記事です。☟

大熊町立大熊中学校ブログ その先の未来へ・・・

ここに次のように書いてありました。

  

大熊町では、JR大野駅周辺の避難指示が

3月5日(木)の午前0時に解除され、

3月14日(土)には、JR常磐線が約9年ぶりに

全線で運転が再開されます。

  

 

よかった! もうじきです。

「大熊町学校再生への挑戦」④ 4月5日から全職員で準備作業が始まる

  

今日は令和2年2月29日。

おまけの日。

  

前投稿に引き続き

大熊町学校再生への挑戦」(竹内敏秀著/

福島県大熊町教育委員会編/かもがわ出版)より

引用します。2012年発刊の本です。

   

いろいろな立場の人たちの文章です。

  

会津若松市よりお借りした園舎は2010年度末まで使用され

たものであり、施設設備をはじめ、備品や消耗品まで、そのま

ま使わせていただくことになりましたので、年度初めの準備作

業の手間は、大幅に省けました。ただ、新年度の学級数は5ク

ラスでしたので、不足の2クラスは、3キロメートルほど離れ

た大田原保育所跡を借用することになりました。

園舎が2つになることで、一体感がなくなる等のデメリットは

ありますが、それよりも大熊町の幼稚園として出発できること

の喜びのほうが、はるかに大きいものでした。2011年度が

スタートしても園児数は減少し、2012年度4月までの1年

間で、園児数は(130名ほどから)92名にまで減少してし

まいました。主な原因は、家族の仕事の事情にともなう転居に

よるものであり、やむをえないことでした。

(74p 林洋一/熊町・大野幼稚園園長)

  

  

夢のような1年が、夢のように過ぎました。

「これは、まぼろしではないのか」と、幾たび思ったことか。

今、私たち大熊町民は、子どももおとなも、1人の例外もなく、

「想定外の地」で、「想定外の時間」を過ごしています。故郷

大熊町にもどれたとしても、失った時間は取りもどせるわけで

はありません。しかし、現在の一瞬一瞬は、決して「仮の日々」

ではなく、紛れもなく「ほんものの人生」を生きているのです。

子どもたちと過ごす日々もまたしかりです。日々の保育は、ほ

んものの時間であり、「真剣勝負」の時間です。子どもたちや

職員とともに、今この時を精いっぱい生きていこうと思ってい

ます。明日を信じて。

(77p 林洋一/熊町・大野幼稚園園長)

  

こういう思いだったんだなと思って読みました。

  

  

学校としての全町避難後の最初の大きな仕事は、教職員や児童

の避難先の確認です。まず、全教職員の避難先を調べ、全児童

の避難先確認を全教職員が分担しながら行いました。

町として集団で避難している避難所へ行けば手がかりも大きい

と判断しましたが、行こうと思ってもガソリンが手に入らず、

バスや電車も止まり、困難をきわめました。確認作業はほとん

ど携帯電話で行われ、職員の通話料金も大きく跳ね上がりまし

た。全児童の避難先確認をおえるまでにかなり時間がかかりま

した。

(84p 大清水久雄/前・大野小学校校長)

  

このことに限らず、震災後に学校立ち上げにあたって

さまざまなことが行われていたことを、この本で初めて知りました。

  

  

4月5日、幼稚園、小・中学校の全職員が、体育館に集合し、

町教育委員会教育総務課の指導主事から、これからなすべきこ

との指示を受けて、いよいよ学校再開の準備です。学校は、業

者の手できれいに磨かれ、寒さの厳しい地域なので、ストーブ

が急ピッチで設置されていました。しかし、他の物は一切あり

ません。でも、驚いたことには、6日には、地域の方々が、4

年ぶりに使用することになった学校の環境整備のために一生懸

命作業してくれました。花壇を作ったり、樹木を剪定したりし

て、子どもたちや我々を大歓迎しようとしている姿に感銘しま

した。地域の方々も、「1度廃校になってしまった私たちの校

舎がよみがえり、とてもうれしく思っています」ということで

した。会津若松市、河東地区のみなさんの心温まる歓迎を受け、

新任地での不安も薄れ、大きな希望がわいてきました。

(85p 大清水久雄/前・大野小学校校長)

  

廃校した学校が、地域の人たちの協力を得て復活するという、

ドラマチックなことがあったのですね。

指導主事さんが体育館で話したことは、

指導主事さんの記述にありました。

   

「御覧のとおり、何もありません。ゼロからの出発です。いつ

までここにお世話になるのか、いつ帰れるのかわかりませんが、

大熊町が用意してくれたこの河東第三小学校で、子どもたちが

笑顔を取りもどし、安心して、楽しく学べる学校をつくるべく、

一致団結してがんばりましょう」と話して、早速、作業に入っ

てもらいました。

(140p 鈴木恵一/大熊町教育委員会教育総務課指導主事)  

   

  

つづく

「大熊町学校再生への挑戦」③ 4月16日に合同入学式の実施 

  

今日は令和2年2月29日。

おまけの日。

  

前投稿に引き続き

大熊町学校再生への挑戦」(竹内敏秀著/

福島県大熊町教育委員会編/かもがわ出版)より

引用します。

  

3月26日、改めて星教育長の案内で(会津若松)市内の廃校

を見せていただきました。できれば、いわゆる間借りではなく

校舎、体育館、校庭が自由に使えること、また入学する児童・

生徒数を各学年40名として、小1から中3までの9学年で計

360名と予測し、それに見合う器の廃校を希望したからです。

旧河東第三小学校が私の心を動かしました。360名が学ぶこ

とが可能な校舎ですし、体育館、校庭も備わっていました。さ

らにダメを押されたのが、校庭のまわりに広がる豊かな田園風

景でした。それは、大熊町の小・中学校周辺を似た風景であり、

ここなら子どもたちも違和感なく学校生活に入ることができる

と思えたのです。「学校は日当たりよりも周囲の風景がたいせ

つ」ーーーこんなことばを思い出しておりました。借用する学

校が決まりました。

(47p 竹内敏英/大熊町教育委員会教育長)

  

廃校を利用していたことを、今回の旅行で旧県立若松女子高にあった

教育委員会に訪れて初めて知り、この本を読んでいきさつを知りました。

少しでも早く学校を立ち上げるためにはいいアイデアです。

すでに3月26日。被災後2週間で決まっていました。

  

課題の1つは、入園・入学式をいつ、どういう形で行うかという

ことです。

立ち上げ作業が進むにつれ、入園・入学式はできるだけ早いほう

がよいという意見と、準備がある程度進んでからのほうがよいと

いう2つの意見が出ておりました。

教育委員会としては前者の意見を採りました。大きな地震、津波

にあい、そして原発事故で自分の家も、自分たちの学校も捨てざ

るをえなくなった子どもたちです。子どもたちには、それまで習

っていた先生方や友だちと会うことがたいせつであり、このこと

が心のケアの側面からも重要ととらえていたからです。

また、「校舎があり、先生がおり、読む本があれば学校教育はで

きる」との思いも前者を採る後押しもしたのです。

4月7日に(会津若松市の)星教育長と相談。4月16日に、会

津若松市文化センターをお借りして、幼稚園、小・中学校合同の

入学式を行うことを決めました。

(51~52p 竹内敏英/大熊町教育委員会教育長)  

  

4月16日に合同入学式!素晴らしい早さだと思います。

準備のために、たくさんの人が動いたことは、この本に書かれていました。

それはまた後で。

  

  

2学期から中学生には寄贈された自転車を生かし、自転車通学

を認めることにしました。自転車通学は「初雪まで可」という

のは(会津若松)市内の中学校に同じです。

(53p)

  

大熊町がある浜通りに比べて、会津地方は雪の多いところ。

「初雪まで可」というルールは雪国らしいなと思いました。

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