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2019年10月 8日 (火)

「中間貯蔵施設に消えたふるさと」③/売却を説得した渡辺さん 遺骨探しを続ける木村さん

今日は令和元年10月8日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の

ETV特集 中間貯蔵施設に消えるふるさと

~福島 原発の町で何が~」より。

   

渡辺信行さん。66歳。

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 農業に適した土地が少なく、

 冬は出かせぎのたよる寒村だった大熊町。

 高度経済成長から取り残されないように、

 原発を誘致することを大熊町が決めたのは、

 渡辺さんが8歳の時。

 渡辺さんが、大熊町で小さな工務店を開いたのは、27歳。

 原発が営業運転を始めてから9年後のことだった。

〇原発や原発関連の企業の従業員が大熊町に流入。

 建築の発注は増えて、渡辺さんの会社も潤った。

〇渡辺さんは50歳に町会議員となり、3期12年を務めた。

〇中間貯蔵施設が造られることになった時には、率先して

 国に土地を売却した。

 そして知り合いの地権者には、国との交渉をするように説得した。

〇なぜそのように動いたか。

 渡辺さんは次のように語っている。聞き書き。

  

原発の恩恵にあずかってきた責任がある。

先祖が誘致したと言っても、我々に責任がある。

原発を受け入れた町として、町民として、1人の個人として。

  

〇しかし、こうも言っている。

 

(将来)最終処分場に(大熊町が)なるなら、

自分は協力しなかった。

自分は反対です。

   

今、私は原発賛成ですとは言わないですよ。

こういう悲劇は2度と起こしてほしくない。

他の原発立地域でもこういうことが起こってほしくない。

  

  

大熊町に住んでいる人たちの複雑な気持ちが伝わってきました。

    

  

木村紀夫さん。54歳。

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 2011年の震災で父親、奥さん、次女を津波で失う。

 父親と奥さんの遺体は発見されたが、次女は発見されなかった。

 木村さんは次女の遺体(遺骨)を探し続けていた。

〇そんな時に、中間貯蔵施設の話が出てくる。

 遺骨があるかもしれないのにとても土地を手放す気になれないと、

 国の説明会で発言した。

〇施設の建設を進めたい国は、木村さんの次女の遺骨探しのために

 一斉捜索を行った。震災から5年が過ぎていた。

 結果はすぐに出た。

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 次女のマフラーが発見され、マフラーには首の骨の一部があった。

 あごの骨も見つかった。

 それ以後、定期的に一斉捜索を行っているが、結果は出ていない。

〇木村さんは、生き残った家族は、汚染されていない場所で

 過ごさせたいと、長野県白馬村に移住している。

〇白馬村から300kmの距離を6時間かけて大熊町に通い、

 次女の遺骨探しを今も継続している。

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〇木村さんは次のように言っている。聞き書き。

 

よく今、大熊町はどうなってるのと聞かれるんですけど、

ニュースであがってくるのは、役場ができたりとか、

いいことばっかしで。

だけど、大熊が今、やらなければならないことは、

ありのままここがどういう所で、それを本当に教訓として

伝えることが大熊の役目。

  

ドラマ「監察医 朝顔」で、

遺骨探しをするために被災地に通う万木平。

Photo ドラマ「監察医 朝顔」HP

実際に被災地に通っている人を知りました。

 

社会科教師として、

東日本大震災の被災地に行っていないことを

後ろめたく思っていました。

渡辺さんのように、白馬村から通っている人を知ると、

自分がとっても恥ずかしい。

今回、大熊町のことを知ったので、

この目で確かめたいと思うようになりました。

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☝ このような場面がありました。

中間貯蔵施設を見に行くことは難しいけど、このセンターなら大丈夫?

  

今まで知らなかったことをたくさん知った番組でした。

読み物化完了。

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