2020年3月10日 (火)

「ひきこもり支援 石川清」④ 「解決は容易ではない」「人は、人に癒される」

今日は令和2年3月10日。

  

昨日の記事の続きで、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

ナレーター:一人の人と心を通わせるには、

  想像を絶するほどの時間と労力を要する。

  たとえひきこもり対策の予算を倍に増やしたとしても、

  解決は容易ではないと石川は言った。

  

それだけひきこもりの人たちの人数が多いということ。

どのような人たちや団体が、ひきこもりに対して動いているのか

私はまだまだ知りません。

この番組をきっかけに勉強をしていきたいです。

私の身近にもひきこもりの子はいます。

何かしてあげたい。

  

  

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石川さんは言います。

 

石川:ひきこもりの人は、他の人にとって普通と思われることが

  できないんですもん。

  やっぱり情けなくなるし、自分なんて消えてしまいたくなるっていう、

  心理的には飢餓状態となります。

  そういう人たちに必要なのは癒されることなんですね。

  いろんな人と接する機会を持ってもらって、

  その中にいろんな人間いますし、いいことたくさんありますからね。

  それを肌で実感してほしいです、

  五感六感で全部。

  シャワーのように受け取ってほしい気はしますね。

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番組では、石川さんは、4年をかけて言葉を交わすことができた

ひきこもりの男性を、沖縄に連れて行きます。

そして石川産の知り合いとの飲み会に出席させます。

そこで、ひきこもりの男性は、優しい言葉をかけてもらいます。

「人は、人に癒される」

男性は、一人沖縄に残って旅を続け、

新しい出会いを楽しむことができました。

彼は癒されて、前進を始めることができたようです。

  

  

なぜ石川さんは、ひきこもりの支援者になったのか。

番組では、石川さんの過去にさかのぼって紹介しています。

次の記事で。

 

 

「独ソ戦」① 空前絶後の第二次世界大戦の主戦場

今日は令和2年3月10日。

  

次の本を読みました。

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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)

  

冒頭部分を引用します。

  

1941年6月22日、ナチス・ドイツとその同盟国の軍隊は、

独ソ不可侵条約を破って、ソヴィエト連邦に侵攻した。以後、

1945年まで続いた、この戦争は一般に「独ソ戦」と呼ばれ

る。ドイツ、ないしは西欧の視点から、第二次世界大戦の「東

部戦線」における戦いと称されることが少なくない。いずれに

せよ、この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、

まさに第二次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろ

う。

独ソ戦においては、北はフィンランドから南はコーカサスまで、

数千キロにわたる戦線において、数百万の大軍が激突した。戦

いの様態も、陣地に拠る歩兵の対陣、装甲部隊による突破進撃、

空挺作戦、上陸作戦、要塞攻略等々、現代の陸戦のおよそあら

ゆるパターンが展開され、軍事史的な観点からしても、稀な戦

争であった。

(i P)

 

「独ソ戦」というと、映画でも見た「スターリングラードの

戦い」をうを思い出します。

でもこの本を読んで、独ソでのたくさんの戦闘のなかでの、

ひとつにすぎないことがわかりました。

それはそれは、ドイツもソヴィエトも多くの死傷者を出した

過酷な戦争だったことを知りました。

  

  

独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大き

さだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼ

されるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、

それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の

本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイ

ツとソ連とのあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代

以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ

思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。

(ⅱ~ⅲp)

  

  

なぜこのような惨酷な闘争が行われたのか。

まずはドイツ側。

  

こうした悲惨をもたらしたのは何であったか。まず総統アドル

フ・ヒトラー以下、ドイツ側の指導部が、対ソ戦を、人種的に

優れたゲルマン民族が「劣等人種」スラヴ人を奴隷化するため

の戦争、ナチズムと「ユダヤ的ボリシェヴィズム」との闘争と

規定したことが、重要な動因であった。彼らは、独ソ戦は「世

界観戦争」であるとみなし、その遂行は仮借なきものでなけれ

ばならないとした。

1941年3月30日、召集されたドイツ国防軍の高級将校た

ちを前に、ヒトラーはこのように演説している。

  

対立する二つの世界観のあいだの闘争。反社会的犯罪者に等し

いボリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は

未来へのとほうもない脅威なのだ。われわれは軍人の戦友意識

を捨てねばならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかった

し、これからも戦友ではない。みな殺しの闘争こそが問題とな

る。もし、われわれがそのように認識しないのであれば、なる

ほど敵をくじくことはできようが、30年以内に再び共産主義

いう敵と対峙することになろう。われわれは、敵を生かしてお

くことになる戦争などしない。

(ⅳ~ⅴp) 

  

ヒトラーがめざしていたのは「みな殺しの闘争」すなわち

絶滅戦争でした。

それではソヴィエト側はどうか?

  

次の記事で書きます。  

2020年3月 9日 (月)

「ひきこもり支援 石川清」③ 「心の”鏡”になる」「自分から見捨てない」

 

今日は令和2年3月9日。

  

前日の投稿に引き続いて、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

  

ナレーター:(ひきこもりの人の)背中を押す時、石川は自らに

  ひとつのことを課す。

  「心の”鏡”になる」

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石川:鏡ですね。

  鏡のように話し相手になって、本人が自分の気持ちを

  整理するっていうことを手伝うっていうのがすごく大事です。

  整理すれば、自分が何をしたいか、何をするかっていうことを

  再確認できますからね。

  あくまで本人が自分で自分の人生のことを決めるっていうことが

  大事なので。

  それを強制しないっていうことが、僕と彼の間の、

  彼が感じる安心感の源になっていますからね。

  

「心の”鏡”になる」というのはいい言葉ですね。

ひきこもりの人は、自分の言った言葉を石川さんが受け入れてくれて、

そして石川さんの鏡で跳ね返ってきた自分の言葉を耳にして

考えを整理する。

こういう教育手法はあります。

素晴らしい。

  

  

石川:ひきこもりの当事者の一番悲しいところは

  いろんなところから相手にされずに

  見捨てられちゃうってことですから、

  解決しないんですよね。放置しているとね。

  となると関わるしかないですからね。

  解決しようとしたら、

  「自分から見捨てない」っていうこと。

  まあ諦めちゃったら終わりですから。

  できれば、こんな仕事、無くなったほうがいいんですけれども、

  残念ながら当分の間はなきゃいけないかなっていうふうな気は

  しています。

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10年通ってまだ出会っていない件があるとのこと。

そこまでやらないと出会えない。

でも諦めずに通っている。

親にとってもありがたい存在だろうなあ。

教育で何ができるのだろう。

  

  

つづく

  

  

さあ出勤です。

今週は午前中勤務。

  

「ひきこもり支援 石川清」② 共に過ごした時間が信頼を生む

  

今日は令和2年3月9日。

  

前日の投稿に引き続いて、1月14日放映の

プロフェッショナル 仕事の流儀 ひきこもり支援 石川清

より聞き書きをしたものを書き留めます。

教育のヒントがあると思います。

  

ひきこもりの人と部屋の扉を挟んで話す時がありました。

石川さんが話しかけても、部屋からは応答はありません。

でも石川さんは話し続けます。

ここでナレーターが入ります。

  

ナレーター:心を閉ざしひきこもる人と向き合う時、

  石川には大切にする信念がある。

 

 「共に過ごした時間が信頼を生む」

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石川:一緒に同じ時間を過ごして同じ場所にいて

  それで信頼関係を築くことができるんですよ。

  それを積み重ねていって、それで本人の方が

  「どうしても会って話したいから」っていう状況になった時に

  会えるわけですね。

  誠意という言い方をすればいいのかな。

  「ちゃんと自分をみていてくれるか」っていう安心感は、

  すごく大事だと思うんですね。

  単純なテクニックとか、言葉だけではなくて、

  無駄な覚悟で1年でも2年でも通って

  その積み重ねっていうものは、結構大きな信頼感、安心感に

  なると思いますよ。

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1~2年どころか10年通ってもいる石川さんならではの言葉です。

教師が、担任している期間、家庭訪問するのとは違うんだよなあ。

短い期間だと、うっとうしい奴、面倒な奴ですんでしまう。

だから頻繁に家庭訪問するのは良くないイメージがあります。

でも石川さんの実践は、その上を行きます。

長期間の訪問になると、どんな人なのだろうと興味を持ったり、

この人はずっと相手をしてくれる人なんだと思うようになるのだろうか。

教育の限界を感じますが、何かアイデアはないだろうか。

ヒントになります。

2020年3月 8日 (日)

「人はなぜ・・・許せないのか」⑦ 同調圧力/一人一人に丁寧に/30年かけて成熟

  

今日は令和2年3月8日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

周囲の行動に合わせなければいけない(逆らうと恐ろしいこと

が起きるかもしれない)と感じさせる環境要因のことを「同調

圧力」と言います。いわば、集団のなかで少数意見を持つ人に

対して、多数派の考えに従うよう暗黙のうちに強制してしまう

ことです。

(126p)

  

最近、「同調圧力」という四字熟語をこの本を含めて、

何度か見ました。こういう意味なんだよと確認です。

実際にこのような雰囲気になった時に「同調圧力だ」と

つぶやいてみたい。何か波紋を起こせるかもしれない。

  

  

ある集団にとって、グループ外の人々をあれこれ細かいことを

考えず一元的に処理できるというのは、脳がかける労力という

観点からは、コストパフォーマンスが高い行為です。「あの人

たちはああだから放っておけ」とひと括りにしてしまうことで、

余計な思考や時間のリソースを使わずに簡単に処理することが

できるわけです。本来は、韓国人にもフランス人にも、関東人

にも関西人にも、男性にも女性にも当然、個々にさまざまな違

いがあり、その人の歴史や独自の考えもあるわけで、本来はそ

の一人一人に対して、丁寧に判断していく必要があります。し

かし、このバイアスが働くと、手間をかけずに一刀両断できる

のです。

(134~135p)

  

これは、自分の仕事でも注意するべきことだと思っています。

特別支援学級こそ、一人一人をよく見て、

その子に合った教育をしてみたいと思っています。

この文章を読んで再確認。

  

   

どのような相手に対しても共感的に振る舞い、人間として尊重

し、認めていくという機能はとても高度なもので、前頭葉の

眼窩(がんか)前頭皮質という領域で行われています。

ここは25~30歳くらいにならないと成熟せず、さらに、し

っかり発達させるためには、相応の刺激(教育)も必要になり

ます。また、重要な部分なのに、アルコール摂取や寝不足とい

った理由で簡単に機能が低下してしまいます。しかも、その機

能が得られるまでには人生の3分の1近い長い時間がかかるの

に、衰えてしまうのは早いのです。

(146p)

 

※眼窩=眼球の収まる頭蓋骨のくぼみを指す  

だから老人は頑固であるわけです。気をつけよう。

  

    

う~ん、ここまでにしよう。

「人は、なぜ他人を許せないのか?」からの引用は終了。

この本は買った本なので、読み直したい時には手軽にできます。

  

「人はなぜ・・・許せないのか」⑥ 夫婦を長続きさせる秘訣

  

今日は令和2年3月8日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

  

長い時間をかけて徐々に人を許せなくなる事例もあります。そ

の典型は、いったんは愛し合って結婚したはずの夫婦が、「性

格の不一致」を理由として離婚していくことです。

(中略)

結婚したからには、当初は何らかの惹かれ合うものが存在した

はずですが、脳科学的には、実は惹かれる理由も「互いが不一

致だから」こそなのです。つまり合わないことこそが楽しかっ

たはずなのです。

なのに、結婚するとかえって不一致を憎むようになってしまう

のは、皮肉にも、恋人だった頃より互いの距離感が近くなって

しまうことが、かなり有力な理由と考えられます。

遠くから見ているときは、不一致が尊敬や愛情の対象なのに、

近寄ってみると、急に目を背けたくなるような部分があったこ

とに気が付いてしまうからです。結婚からまもなくして気づく

こともあるでしょうが、数十年後、夫がリタイアして一緒にい

る時間が急に増えたことで、それまでは見過ごしていた不一致

が問題としてどんどん浮上するケースも考えられます。

そもそも人間は、自分自身のことですら理解できず、自分を

100%好きになることも難しいものです。それが他人となれ

ばなおさらです。たとえ夫婦であろうと、適切な距離や愛着の

レベルが存在していて、そこに過不足があると、途端に不一致

が粗(あら)として感じられるようになってしまうのです。

(107~108p)

  

 

夫婦の長続きの秘訣は「適当な距離感」なのですね。

参考にします。

  

話は変って・・・

  

哺乳類のうち、かなりの種が、個体としての脆弱性をカバーす

るために、集団を形成するという方法をとります。特にヒトで

はその傾向が顕著となり、ともすれば、集団主義をとりやすく

なる性質を持っています。

そして、なぜかこうした別々の集団は、互いに対立しやすくな

ります。集団主義とは「自己の所属している集団が集団であり

続けることこそが正義」というもので、ことによってはその他

の倫理観がすべてオプションになってしまうくらい強い優先度

があります。

(中略)

集団の一因であることそのものが、生物としての安全性を高め、

生活の効率を高めるための武器になるため、集団への所属と、

所属した集団の持続そのものが最優先の目的となります。正義

という言葉を使うのであれば、何があろうと所属している集団

が続くこと、そして集団の存続を脅かすものから集団を守るこ

とこそが正義なのであって、それ以外に優先すべきことなどな

いというわけです。

(110~111p)

  

幸いにも私は、日本が戦争の時代に生きていません。

戦時中の日本人は、「日本」いやもっと身近な集団「家族」を

守ることが正義であり、命懸けで守ることだと思ったでしょう。

人間の脳はそういうものなのです。

  

そのような雰囲気に異を唱えることができた人は、

多くの人たち以上に知識を得ていて、

前頭前野を発達させていた人だと思いました。

   

  

  

「人はなぜ・・・許せないのか」⑤ フランスと日本の議論の違い

今日は令和2年3月8日。

  

昨日の記事に引き続いて

 「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

    

著者の中野信子さんは、フランスで学んでいました。

  

日本に戻ってきて考えるのは、日本で行われている議論のほと

んどが、フランスで私が見てきた議論とは異質のものだという

ことです。

(80p)

 

どう違うか?

  

あるテーマAに対して、Xという主張、Yという主張を持って

いる人がいるとします。

フランスであれば、一方が「Aについて話をしたい。私はXだ

と考える。その理由はかくかくしかじかだが、あなたはどうか

な?」と語り始めたら、もう一方は、「私はあなたと考え方が

違う。私はYだと考える。その意味するところはかくかくしか

じかで・・・」と応じます。そこからお互いが、より議論を掘

り下げていき、この部分はどう考えるか?とか、この部分は賛

成だがこの部分は理由になっていないのではないか?あるいは

この部分まではお互いに共有できる、などといった具合に発展

していきます。人と人が合うたび、大きなテーマが世間の話題

になるたびに毎日こんな調子で、はたから見ていると、みんな

とても楽しそうに意見を交わしていました。

(80p)

  

  

そして日本人の場合は・・・

  

同じように、あるテーマAに対して、Xという主張、Yという

主張を持っている人がいるとすると、だいたいこんな具合に展

開していくのです。

「Aについて、あなたはYだと主張しているが、その考え方は

いかがなものか?」「いやいや、Xなどと言い張っているあな

たこそ失礼千万だ!」「なんだその態度は!生意気な。人の顔

をつぶすのか?」「大した勉強もしていないくせに、何を熱く

なっているの。どちらもみっともないよ」

これもこれで、はたから見ている限りでは面白そうですが、日

本の議論は何だか様式美的で、深堀せずにステートメント(意

見)を争わせ、最終的には本質の探究ではなくて、喧嘩コント

のような戦いになってしまうのです。もっとも、これをプロレ

ス遊びのように捉えるのであればエンターテインメントとして

成立するのかもしれませんが、正直議論と呼べるのか、私には

疑問です。

(81~82p)

 

日本では主張と人格とが分離されず、容易に人格攻撃へとつな

がります。

(83p)  

  

議論の違いについてもう少し深く考えてみると、フランスでは、

議論のできる人が一人前であり、議論のできない人は未成熟で

ありバカにされるということになると言えるでしょう。

(83p)  

  

 

なぜこのような違いが生じるのか?

  

閉ざされていて自然環境の厳しかった島国の日本と、さまざま

な人種と文明の交差点として、多様性と議論が当たり前だった

ヨーロッパ大陸との違いかもしれません。彼ら(フランス人)

にとって意見の対立は、互いに意見を持つ人間同士として対等

だからこそ、立ちのぼってくる現象として捉えられているので

す。

ちがっていることは当然で、違いがどうあれ、その理由や背景

を議論しながら理解を深めていく社会と、同質なのが当たり前

で、違っているものがあれば排除しようとする力の働く社会。

そのどちらが良いのかは、環境・地理・社会条件により変化し

ます。個人的には、フランスにいたときの方が疲れはするけれ

ど、言いたいことを我慢しなくてよいのは楽だったという印象

があります。どのような考え方をもっていても、どんなスタイ

ル、どんな容姿でいても、「私はこうである」という考えさえ

説明できれば平然としていても誰も文句を言いませんし、許容

されないということは、そう多くはありません。

(86p)

    

   

日本もだんだんフランスタイプの議論を

するようになっていくのではないかと思います。

1997年に「みんな一緒」という時代が終わり、

「それぞれ一人一人」の時代が始まったという

藤原和博さんの説が思い浮かびました。

ここでも道草 「本を読む人だけ」① 「それぞれ一人一人」という時代に変わった(2020年1月7日投稿)

通算7000本目の投稿/「ひきこもり支援 石川清」① 「肝心のものをくれてないんだ」

  

今日は令和2年3月8日。

  

昨日、1月14日の放映の「プロフェッショナル 仕事の流儀 

ひきこもり支援 石川清」を見ました。

今日もまた見ました。

少し聞き書きしました。

ここに書き留めようと思います。

  

  

厚労省の定義によると、「ひきこもり」の定義は、

「半年以上 家族以外と関わりを持たない人」

全国に100万人以上いるのだそうです。

 

番組冒頭、石川清さんがかかわったと思われるひきこもりの人が

石川さんのことをこう言っていました。

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「師匠ですね、生き方の師匠ですね」

 

生き方を褒められるって、素晴らしいですね。

どんな人なのだろうと思って、番組を見ました。

 

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聞き書きです。

 

ナレーター:20年で500人を見てきた石川さんが

  痛感していることがある。

石川:親の愛情を感じるっていう感じ方もかなり違ってきていると

  思います。

  自分の部屋を用意してあげた。好きなものを食べさせてあげている。

  「いったい、それで何が不満なんだ」っていうことを

  親は言いたいわけですよね。

  ところが、子どもの側からすると「肝心のものをくれてないんだ」

  っていう。

  ひきこもりの当事者は物質的には豊かなんですけれども、

  生きるためのいろんなスキルとか要領とか、そういったものを

  結局得られなかったようなイメージがすごく強いんですね、僕ね。

  それが成熟してないっていう。

  家の中で親と一緒にいると、基本的に子どもの部分が

  肥大化するっていうのが、僕の意見なんですけれども。

  例えは悪いですけれども、幼虫やさなぎのまま社会に出ることに

  なっちゃったみたいな。

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20年ひきこもりの人と付き合ってきているなんて、

私の身近にはいません。 

そのような人の語っていることなので貴重です。

「子どもの部分が肥大化する」という視点は今まではなかったです。

「肝心なもの」とは何だろう?と思って聞き、

「生きるためのスキルとか要領」は

具体的にどうやってあげるんだろう?

私自身は娘や息子に渡しているのかと疑問に思いました。

  

肝心なものを渡せないと、

子どもがひきこもりになる原因になってしまう。

それはいったいなんだ?

 

解決していないけど、解決する方法はあります。

石川清さんの書いている本があります。

ドキュメント・長期ひきこもりの現場から」(洋泉社)

図書館で調べたら、現在「貸出中」でした。

予約して気長に待って、読んでみようと思います。

  

  

ちょうど7000本。

番組がよかったので、きりのいい今回、

この番組について書こうと思って実行しました。

教育のヒントがたくさん入った番組です。

  

まだつづく  

  

2020年3月 7日 (土)

「人はなぜ・・・許せないのか」④ 日本人とフランス人の違い

今日は令和2年3月7日。

  

 

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

シンプルに表現すれば、日本では「みんなに合わせられないこ

と」「みんなと違う言動をする」が、愚かと考えられがちなの

に対して、フランスでは、「みんなと同じこと」や「意見を言

わないこと」が愚かと考えられやすかったので。つまらない人

と思われてしまう、と言い換えてもいいでしょう。

(45p)

  

フランス人はそうなんですね。

  

  

誤解を恐れずに言えば、日本人は摩擦を恐れるあまり自分の主

張を控え、集団の和を乱すことを極力回避する傾向の強い人た

ちだと感じます。これをあえて自省的に弱点として考える視点

で見れば、日本は「優秀な愚か者」の国ということになるでし

ょう。

(47p)

  

現代の日本に代表されるような安定した社会で優秀と評価され

る人は、これもまた自省的にあえて強めの言い方をすれば、「

何も考えずにいられる人」かもしれません。集団のルールを守

り、前例を踏襲し、集団の上位にいる人の教えや命令に忠実に

従う、従順な人が重用される傾向は否めません。これは政府や

企業に限らず、最高学府であるはずの大学でさえ例外ではあり

ません。

(48p)  

  

なぜ日本人はこうなっているのかを追究しています。☟

  

結局のところ、日本で個人主義的な強い集団よりも集団主義的

要素が強い集団が生き延びやすかったのは、災害の多さという

地理的要因が大いに影響しているのではないかと考えられます。

(56p)

  

日本においては集団として生き延びる方が有利であることが、

長期間かけて練られてきた戦略として遺伝的に根付いています

し、集団内での争いを最小化することが長期的には最適だとい

う事情があるからです。ただし、その負担の側面として、異質

なものを冷遇し、集団内に置いておけなくなった人間を排除す

る現象、あるいは、他の集団に対する攻撃性が出てしまいやす

いということは、知っておかなくてはなりません。

(60~61p)

  

   

「他の集団に対する攻撃性」について次のような実験が

紹介されました。

  

1954年に、ムザファ・シェリフとキャロリン・シェリフ夫

妻が行った実験です。ロバーズ・ケープ州立公園で行われたキ

ャンプにおける研究で、泥棒洞窟(ロバーズ・ケープ)実験と

いう名で知られているものです。

被験者となったのは、白人・アングロサクソン、プロテスタン

トの中産階級出身の10~11歳の22人の少年たち。彼らを

2つの集団に分け、それぞれキャンプを張ってもらいます。そ

の上で偶然を装い出会わせます。二つの集団の間には、スポー

ツなどで競争心が生じるような状況を仕向けます。例えば、競

争に勝ったグループは商品を獲得できるなどという設定をする

のです。すると、双方の集団間にはいとも簡単に対立感情が生

まれ、激しく争うようになっていきます。さらに相手集団の旗

を燃やしたり、殴り合いに発展したり、相手のキャビンに夜襲

をかけて盗みを働いたり、一緒に食事をする食堂で残飯を投げ

合ったりするなど荒れ放題の状況が生じました。

(中略)

見た目に大きな違いがなくとも、人種も宗教も年代も性別も同

じ集団同士でも、きっかけさえあれば容易に境界線が引かれて

しまうのです。

(132~133p)

  

小中学校でいろいろな場面で行われる学級対抗は、

人間の脳で考えると、自然と対抗する気持ちになり、

過剰になると憎しみの感情まで表出してしまいます。

世の中が集団重視ではなく、個々を重視する傾向に移っています。

今までの学級対抗が本当に必要なのか、

考えていかねばと思います。

  

 

集団重視ではなくなってきたことを書いた文章です。☟

 

私や多くの読者のみなさんが幼かった頃よりは、現在の日本社

会の方がより個人主義的であり、空気を読まず、仮に集団から

孤立しても許容されるようになってきたという印象はあります。

その背景として考えられるのは、やはり日本が先進国として成

熟し、インフラも整って、日々の食べるもの、寝るところ、つ

まり衣食住にあくせくするような状況ではなくなったことが大

きいのではないでしょうか。少なくとも都市部では、集団内の

誰かを気にして、気遣いをしていかなければ社会のリソースの

恩恵を享受できない、という時代ではなくなりました。

この状況に適応した世代の人々が、かつての「集団重視が当た

り前」とされてきた世代の人々から、「今の若者は劣化した」

などと否定的に捉えられてしまうのは、少し気の毒でもありま

す。むしろ、彼らのような若い世代こそが、今の日本の閉塞感

を破ってくれるかもしれませんし、今後日本に起こり得る変化

に対して、対応の幅を広げてくれる可能性を持っているかもし

れないからです。

(66~67p)

  

集団重視と個々重視の発想による教育が混じる

教育現場になっていくのではないかと思うのです。

特に特別支援学級での教室での授業は、

個々重視でいいと思います。

2020年3月 6日 (金)

「人はなぜ・・・許せないのか」③ 人類は知能指数を年々向上させている

  

今日は令和2年3月6日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

SNSで飛び交っている、正義中毒者がなぜか頻繁に使用する

単語は「バカ」です。

自分が絶対的に正しいという過剰な思い込みから、異なる考え

を持つ他人をバカと決めつけ、攻撃(バッシング)を加えます。

(34p)

  

1984年、ニュージーランド・オタゴ大学のジェームズ・フ

リンが提唱したところでは、人類は20世紀以降、知能指数(

IQ)を年々向上させていると言われます。1932年と19

78年のIQを比較すると13・8ポイント高くなっており、

1年に0・3ポイントずつ上昇していくというのです。これは

「フリン効果」と呼ばれています。(中略)

栄養状態の改善や、情報、知識を得るためのツールの充実によ

って人は着実に知能は上がっているはずなのに、互いをけなし

合い、不毛に消耗し合う正義中毒がどんどん重篤になっている

というのは、なんとも皮肉な話です。元々は人間も動物も同じ、

ただ生まれて、食べて育ち、起きて寝て、子を産み育てて死ん

でいく存在だったのに、なまじ脳を発達させてしまったために、

苦しむようになってしまった。互いにバカと罵(ののし)り合

いながら、解決しようのない、そもそも解決する気もない争い

を続けているのが人間という種の特徴なのだとしたら、最も悲

しい生き物だと云えるかもしれません。

(35~36p)

  

  

先日読んだ「赤めだか」の文章を思い出します。

古典落語が生まれた頃のほうが、人間は単純だった。

「生まれ変わってやり直しだ」と言えた時代だった・・・かも。

ここでも道草 「赤めだか」② (2020年3月4日投稿)

  

 

比較例としてウサギを考えてみましょう。ウサギの大脳は、正

義中毒を起こすには小さ過ぎ、人間のように正邪を基準とした

行動は取りません。なぜ生まれたのか、などという問題で悩む

こともないし、死ぬということもおそらく意識はしていないで

しょう。ひたすら草を食(は)み、子どもを作って、育てて一

生を終える。このループを、文字通り無心に行っているわけで

す。

人間は大脳を発達させてしまったばかりに、ウサギと同じ行動

をする脳の周りに、大脳新皮質と呼ばれる、思考を司る部分が

増設されていきました。

大脳新皮質が人間の繁栄と生存をもたらしたことは間違いあり

ません。人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き

換えに、生きている意味をわざわざ考えなければいけない、と

いうやっかいな宿命を背負ってしまったわけです。知性がある

からこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないとい

う裏表の関係があると言ってもよいでしょう。インターネット

とSNSの登場は、人間の知性と愚かさとの新しい捉え方を呈

示したのではないでしょうか。

(42p) 

  

「愚か」という概念は、知性を持つようになったから出現した

概念だということかな。

なるほどと思って読んだ文章ですが、最後の一文が不明です。

 

つづく

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