「人はなぜ・・・許せないのか」④ 日本人とフランス人の違い
今日は令和2年3月7日。
前記事に引き続き、
「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/
岩波新書)より引用していきます。
シンプルに表現すれば、日本では「みんなに合わせられないこ
と」「みんなと違う言動をする」が、愚かと考えられがちなの
に対して、フランスでは、「みんなと同じこと」や「意見を言
わないこと」が愚かと考えられやすかったので。つまらない人
と思われてしまう、と言い換えてもいいでしょう。
(45p)
フランス人はそうなんですね。
誤解を恐れずに言えば、日本人は摩擦を恐れるあまり自分の主
張を控え、集団の和を乱すことを極力回避する傾向の強い人た
ちだと感じます。これをあえて自省的に弱点として考える視点
で見れば、日本は「優秀な愚か者」の国ということになるでし
ょう。
(47p)
現代の日本に代表されるような安定した社会で優秀と評価され
る人は、これもまた自省的にあえて強めの言い方をすれば、「
何も考えずにいられる人」かもしれません。集団のルールを守
り、前例を踏襲し、集団の上位にいる人の教えや命令に忠実に
従う、従順な人が重用される傾向は否めません。これは政府や
企業に限らず、最高学府であるはずの大学でさえ例外ではあり
ません。
(48p)
なぜ日本人はこうなっているのかを追究しています。☟
結局のところ、日本で個人主義的な強い集団よりも集団主義的
要素が強い集団が生き延びやすかったのは、災害の多さという
地理的要因が大いに影響しているのではないかと考えられます。
(56p)
日本においては集団として生き延びる方が有利であることが、
長期間かけて練られてきた戦略として遺伝的に根付いています
し、集団内での争いを最小化することが長期的には最適だとい
う事情があるからです。ただし、その負担の側面として、異質
なものを冷遇し、集団内に置いておけなくなった人間を排除す
る現象、あるいは、他の集団に対する攻撃性が出てしまいやす
いということは、知っておかなくてはなりません。
(60~61p)
「他の集団に対する攻撃性」について次のような実験が
紹介されました。
1954年に、ムザファ・シェリフとキャロリン・シェリフ夫
妻が行った実験です。ロバーズ・ケープ州立公園で行われたキ
ャンプにおける研究で、泥棒洞窟(ロバーズ・ケープ)実験と
いう名で知られているものです。
被験者となったのは、白人・アングロサクソン、プロテスタン
トの中産階級出身の10~11歳の22人の少年たち。彼らを
2つの集団に分け、それぞれキャンプを張ってもらいます。そ
の上で偶然を装い出会わせます。二つの集団の間には、スポー
ツなどで競争心が生じるような状況を仕向けます。例えば、競
争に勝ったグループは商品を獲得できるなどという設定をする
のです。すると、双方の集団間にはいとも簡単に対立感情が生
まれ、激しく争うようになっていきます。さらに相手集団の旗
を燃やしたり、殴り合いに発展したり、相手のキャビンに夜襲
をかけて盗みを働いたり、一緒に食事をする食堂で残飯を投げ
合ったりするなど荒れ放題の状況が生じました。
(中略)
見た目に大きな違いがなくとも、人種も宗教も年代も性別も同
じ集団同士でも、きっかけさえあれば容易に境界線が引かれて
しまうのです。
(132~133p)
小中学校でいろいろな場面で行われる学級対抗は、
人間の脳で考えると、自然と対抗する気持ちになり、
過剰になると憎しみの感情まで表出してしまいます。
世の中が集団重視ではなく、個々を重視する傾向に移っています。
今までの学級対抗が本当に必要なのか、
考えていかねばと思います。
集団重視ではなくなってきたことを書いた文章です。☟
私や多くの読者のみなさんが幼かった頃よりは、現在の日本社
会の方がより個人主義的であり、空気を読まず、仮に集団から
孤立しても許容されるようになってきたという印象はあります。
その背景として考えられるのは、やはり日本が先進国として成
熟し、インフラも整って、日々の食べるもの、寝るところ、つ
まり衣食住にあくせくするような状況ではなくなったことが大
きいのではないでしょうか。少なくとも都市部では、集団内の
誰かを気にして、気遣いをしていかなければ社会のリソースの
恩恵を享受できない、という時代ではなくなりました。
この状況に適応した世代の人々が、かつての「集団重視が当た
り前」とされてきた世代の人々から、「今の若者は劣化した」
などと否定的に捉えられてしまうのは、少し気の毒でもありま
す。むしろ、彼らのような若い世代こそが、今の日本の閉塞感
を破ってくれるかもしれませんし、今後日本に起こり得る変化
に対して、対応の幅を広げてくれる可能性を持っているかもし
れないからです。
(66~67p)
集団重視と個々重視の発想による教育が混じる
教育現場になっていくのではないかと思うのです。
特に特別支援学級での教室での授業は、
個々重視でいいと思います。
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